chapitre150. 言葉は届かない
文字数 8,359文字
――新都ラピス ハイバネイト・シティ第37層
およそ50分に渡って議論が交わされたのち、ラピシア緊急集会は終了した。雑音のみを流し続けるスピーカーを切って、リジェラはふぅと息を吐く。仲間が労いながら肩を叩いてきて、強すぎる力に少しよろめきながらも笑顔を返して見せた。
空き部屋のひとつに集まった顔ぶれは、今日の未明に上の階層から降りてきたときと同じ仲間たちだ。だが、その表情はどことなく違っていて、まるで薄膜が剥がれたようだと感じた。
ガラッと音を立てて、部屋の扉が開く。
「なぁ、入って良いか」
扉の隙間から、寝癖の跳ねた頭だけを出して、通路で会議を聞いていたらしいロマンが聞いてくる。
「もう終わったんだよな? さっきの」
「ええ。聞いてたのね」
「声で目が覚めたから。ダメだった?」
後ろ手に扉を閉めながら、ロマンが少し不安そうに眉を下げる。いいえ、とリジェラは首を振って見せた。
「本当なら、あれは、ハイバネイト・シティにいる皆が聞くべき話だから」
「そっか」
心なしか緊張のにじんでいた表情をふっと緩めて、ロマンが笑う。そこから、何かを思い出したように真顔になって、彼は首の後ろに手をやった。あのさ、と言いづらそうに口ごもっていたが、やがて決意したように少し上気した顔を上げた。
「なあ、ラピシア――って、言ってたよな?」
「ええ」
頷いてみせると、やっぱり、とロマンが呟く。
ラピシア。
“ラピスの”という意味を持つ形容詞だ。ラピスの歴史、ラピスの風土、ラピス市民――このラピスに存在する、善も悪も光も影も、形のあるものも形のないものも、昔も今もこれからも、全てを包み込むひとつの言葉だ。
だが、元はといえば、ロマンたちコラル・ルミエールの友人が、リジェラたちと対等な立場に立って話をするために、彼らの母語でも、リジェラたちの母語でもない、第三の言葉を作ろうとしたとき、その新しい言語に付けられた名前だった。
ラピシア――とは、ロマンたちがリジェラたちにくれた言葉なのだ。
「七つの語圏とか、地上と地下とか、そういう括りより、もっと大きい名前が求められていると思ったんだ。でも、嫌だったかしら?」
「そんなことない!」
ロマンは勢い良く首を振って、それからほんの少し照れた表情で、部屋に集った仲間たちを見渡した。
「その……使ってくれて、ありがとな。なんか、お礼言いたくて」
「いえ、私たちのほうこそ、ありがとう。きっとこれから、ラピシアっていう言葉は、もっともっと大きな意味になっていくと思う」
「もっと、大きな意味……かあ」
部屋の壁よりずっと遠い場所に焦点を合わせて、ロマンがぼんやりと言葉を繰り返す。まだ15歳の子どもには、どんな未来像が見えているのだろう。想像のなかの景色を切り取るように、幾度か瞬きをしたあと、あのさ――とロマンは視線をこちらに戻した。
「リジェラ、それに皆。オレさぁ、“
「……そうだったのね」
「でも、オレたちのやってたこと、ちゃんと意味があったんだなって……届いてたんだなって、思って。あんま、上手く言えないけど……嬉しかった」
へへ、と眩しそうに目を細めて、ロマンが笑ってみせる。
「喋るの、上手くなっただろ」
「そうね、本当に。もう私たちと遜色ないくらい」
「頑張って練習して、良かったよ。最初はさ、その、殴っちゃったから……罪滅ぼしみたいな気持ちだったけど、オレ、普通に、アンタたちと友達になりたかったんだよな。フツーに喋れるようになりたくて……」
まとまらない言葉を転がしていたロマンが、ふと顔を上げて部屋に集った仲間たちを見回す。リジェラたちは一足先に地上に向かうため、すでに出発の支度を始めていた。
「アンタら、今からどこに行くんだっけ。また、危ないところ?」
「いえ、今度は少し違う。今から避難をするのだけど、例えばラ・ロシェルに戻るわけには行かないでしょう? だから、航空機を動かして、移動を手伝うのよ」
「そっか。気をつけてな」
ロマンは頷いて、先ほど閉めたばかりの扉を開けた。
「オレ、もう追っかけないからさ」
「ええ。絶対、付いてこないでよ? 貴方たちに無理をさせないでって、アックスに頼まれたんだから」
「アックスが?」
「そうよ、昨晩ね……本当、貴方たちのことが大事なのね、彼」
「へえ……」
信じているのか信じていないのか曖昧な表情で、ロマンが鼻の下を擦る。まだ、守られていることに無自覚な年齢なのかもしれないが、知り合ってまだ日の浅いリジェラでさえ、アックスがいかに若い音楽家たちを大切にしているかは分かる。
「ちゃんと感謝した方が良いと思うけど?」
「――分かってるよ」
「本当かしら」
そこまで言ってからリジェラは、今さらながらに、ロマンがひとりで訪ねてきたことに気がつく。扉の外に出て、左右に伸びた通路を見渡すが、見慣れたふたつのシルエットがどこにもない。
「そのアックスは? ルージュもいない。ひとりだけで来るなんて珍しいわね」
「あー、寝てたから置いてきた。まあ、昨日あんなことがあったばっかだし……オレも、戻ったら、もう少し寝るつもり」
少し黒くなった目元を擦って、彼はひとつ欠伸をする。深夜に起き出して、下の階層に取り残されたリジェラたちを助けた彼らが、再び眠りに就いたのは四時近かったのではないだろうか。
どうせなら一言挨拶をしてから上に向かいたかったが、眠っているところを起こすわけにもいかないか――などとリジェラが逡巡していると、あ、と声を上げてロマンが視線を滑らせる。
「噂をすれば……だ」
ロマンが見た方向の曲がり角から、まるで呼ばれたようにアックスが顔を出す。おそらくは、近づいてくる彼の足音を聞きつけたのだろう。本当に
「そんなに走って、どうしたの?」
「いえ、起きたらいなかったので、焦って探しに……でも無事で良かったです。こっちにいたんだね、ロマン」
「あ――おう。わざわざ悪いな」
少し気を遣った表情で、肩を持ち上げて応じてみせたロマンが、あれ、と首を捻る。
「でもオレ、書き置きしたけど。リジェラたちのトコ行ってるって……見なかった?」
「あれ……本当に。気がつかなかった」
「テーブルの上の、めっちゃ目立つとこ置いたぞ」
「ごめん……見なかった」
アックスが額を抑えて、長い溜息を吐く。
なぜだか、いつになく参っている様子だった。壁に背中を倒して息を整えていた彼は、ふと怪訝そうに顔を上げて、どこか所在なさげに立っているロマンを見る。
「ルージュは……一緒じゃないの?」
「え、寝てたから置いてきたぞ」
「僕が起きたとき、ロビーにはもういなかった」
「あら、大丈夫なの?」
リジェラが割り込むと、まあ平気だろ、とロマンが軽く笑ってみせる。
「すぐ戻ってくるだろ。案外……どっかで歌う練習でもしてんのかも」
「……それなら、良いけど」
棒読みに近い口調でアックスが言う。彼にしては奇妙な歯切れの悪さを不思議に思って、リジェラは、寝不足が色濃くにじんだアックスの顔を下からのぞいた。
「何かあったの?」
「いえ、その――昨日、少し揉めたので。まさか、それで怒ってどこかに行くほど、大人げないことはしないとは思うんですが……」
「揉めた?」
リジェラは驚いて目を見張った。
「喧嘩したの? 貴方とルージュが?」
「……はい」
アックスが気まずそうに頷いて視線を逸らす。
「いや、喧嘩……というよりは、もう少し一方的でしたけど。僕が何か、ルージュを怒らせたんじゃないかな、とは思うんですが」
「ちゃんと謝ったの?」
「……いいえ」
気まずそうに眉を歪めて、アックスが首を振る。少しだけ、わざと非難めいた眼差しを向けてみると「でも」と彼は視線を横に逃がした。
「そもそも――何が悪かったのか分からないのに、ただ謝るのも違う気がしませんか」
「そういうものかな……」
唱歌団の同期である三人は、リジェラよりずっとお互いに付き合いが長い。出会ったばかりのリジェラが口を出すのも、どこか行き過ぎた行為のように思えた。
「まあ、良いわ」
後ろに三歩。少し詰めすぎた距離を取り直して、リジェラは肩をすくめる。
「それより、ルージュが心配ね。いまは、シャッターが降りているから、遠くには行ってないと思うけど……どこかで迷ってたりするかしら」
「んー……いやまぁ、オレもこの辺のことは、あんま分かんねぇけど、探しに行っとくか。一応な」
「探すの、手伝いましょうか?」
部屋のなかにちらりと視線を投げながらも、リジェラは意を決して進言してみる。仲間たちはまだ支度をしており、少しなら時間の猶予がありそうだった。扉の近くで荷物を括っていた仲間のプルーネと目が合って、彼女は小さく頷いて見せる。かつて“
「少しだけ、行ってくる」
部屋のなかにそう呼びかけて、六つ辻の交差路まで、小走りにロマンとアックスを追いかけた。
ハイバネイト・シティ居住区域は、六方向に伸びた道が区切る正三角形の区画に、長方形の部屋がまるでパズルのように並んだ構造をしている。三人は向かう方向を決めて、ルージュを見つけるか、シャッターの降りている地点まで辿りついたら、交差路まで戻ってこようと約束した。
それにしても――とリジェラは走りながら、平時より少し早くなった呼吸のあいだに溜息をつく。今からハイバネイト・シティを離れないといけないのに、次に
「まあ、仕方ないのだけど」
彼らの間に交わされる絆は、リジェラたちの知るものとは質も形も異なるものだ。理解することが叶わないならば、彼らを信じるしかない。
次の交差路に辿りついて、左右に目を配る。
その時、視界の片隅に、シャッターの前でうずくまっている小さい人影を見つけた。遠目でも分かる、見慣れた少女の背中が、近づいてきたリジェラの足音に気づいてか大きく跳ねる。
「ルージュ?」
名前を呼びながら近づいて、彼女の隣に膝をついたリジェラは、真っ赤な頬に伝う涙の量を見て、思わずぎょっと目を見開いた。まるい涙を何粒も零しながら、彼女はリジェラの襟元に自分の顔を押し付ける。よりかかってきた重みを支えきれず、リジェラは後ろの床に腰をぶつけながら、泣いている少女を抱き留めた。
「ルージュ……どうしたの」
いつもの彼女らしからぬ取り乱し方に動転しながらも、自分を落ち着かせるためにひとつ息を吐き、震える小さな肩に手を置いてやる。
「昨日、アックスと喧嘩したって聞いたけど。もう、四つも下の女の子を泣かせて、何をやってるのかしら――」
「――っ、……」
「ルージュ?」
掠れて、ほとんど音になっていない声が、伏せた顔から僅かに漏れて聞こえる。彼女は顔を上げて、眉根を寄せた泣き顔のまま、大きな所作で唇を動かした。
『違うの』
「な……何が違うの?」
以前に少しだけ読唇を学んだので、ゆっくり喋ってもらえれば読み取れる。もう一度、違うの、と繰り返して、ルージュは目元にしわがよるほど固く目を閉じた。目蓋に溜まっていた涙が、押し出されて零れ落ちる。
『声が出ない』
「ええと……」
腰をついた不安定な姿勢のまま、リジェラは掛けるべき言葉を考えた。
「声帯の手術を受けて、声が変わってしまったのは、もう聞いたわ」
『そうじゃない!』
「え、そうじゃないって……」
うずくまって震える小さな背中を抱きしめながら、リジェラは身体に悪寒が走るのを感じた。
「本当に、出せなくなってしまったの……?」
ルージュは泣き声ひとつ立てないまま、身体中を震わせて泣いている。ときおり鼻を啜る音と、苦しそうな息遣いだけが、今の彼女から発せられる音の全てだった。
「風邪とかじゃ、なくて?」
リジェラは彼女の体温を抱きしめながら問いかけるが、ルージュは血の気の失せた顔で首を振る。
『出し方、分かんなくなった』
「……ショックを受けると、一時的にそういうこともあるって、ライブラリで読んだわ。だから、いつか治るよ」
まだ涙の零れている丸い目を見開いて、ルージュはこちらを見上げた。ぐちゃぐちゃに乱れた前髪を直してやりながら、リジェラは微笑んでみせる。
「皆のところに戻りましょう?」
背後に手を付いて身体を立て直し、ルージュを抱えて立ち上がらせる。ねえ、と呟くように力の抜けた口元が動いて、ルージュはリジェラをまっすぐ見上げた。
『ふたりに言わないで。お願い』
「でも――」
『歌が歌えなくなったら、アタシ、助けてもらえないと思う』
「そんなことないでしょう!」
思わず声が高くなってしまう。
リジェラの知っているアックスたちは、たしかに音楽を大切にしている。だけど、たとえ声が出せなくなったって、歌が紡げなくなったって、音楽家がただの人間に戻ってしまったというだけで、冷たい目で見るようになる彼らなんて、想像したくもなかった。
「そんなこと……ないはずよ」
まるで祈りのようだ――と思いながら、ほとんど同じ言葉を繰り返すが、ルージュはかたくなに首を振った。
『あの人はそう言う。きっと置いてかれる』
「いいえ、違う。だってふたりは、私たちにも優しかったわ。私たち、音楽の素養なんてまるで無いのに、よ――」
『だって言われたの!』
「……アックスに?」
ふたりが喧嘩したという話を思い出して、リジェラが恐る恐る問いかけると、ルージュは眉を吊り上げて頷いた。それから唇を大きく動かして、空気を震わせない言葉を綴る。その意味にリジェラが息を呑んだとき、背後から、良く知った人の声が掛けられた。
「リジェラ――と、ルージュ?」
何も知らない顔をして、交差路からアックスがこちらに歩いてきた。彼から隠れるように、リジェラの背中にしがみついたルージュを一瞥して、彼は怪訝そうに眉をひそめる。
「今、何の話を?」
「――いえ、何も」
ルージュとは読唇を使って話していたから、おそらくアックスには、リジェラの独り言のように聞こえていただろう。服の背中をルージュがぎゅっと握りしめる感触を感じながら、リジェラは友人の顔をじっと見上げた。
「アックス、貴方は……ちゃんと、優しい人よね?」
「何のことですか?」
「いえ……」
声がいつになく冷たく聞こえるのは、リジェラの気のせいだろうか。
「ルージュと仲直りしてね?」
むき出しの腕を襲った寒気に耐えて、そう言って微笑んでみせる以外、言えることは何もなかった。
*
「あ、そうだ」
昇降装置を待っていたロンガは、ふと思い出して、隣に立っているシェルの顔を見上げた。
「さっきは、助け船を出してもらってありがとう。おかげで、和やかに進みました」
「あ、いえ……たいしたことでは」
「でも、これから、さっきのラピシア緊急集会の人たちと、協力していくんですから……大切な第一回が、喧嘩腰とかにならず、終えられたのって、きっと、すごく大事なことだと思います」
「それは――そうですね。ちゃんと、“ありがとう”と“ごめんなさい”を言えましたから」
「大事なことですよね」
「はい」
屈託なく笑って見せたシェルが、ふと視線を上に持ち上げて「そういえば」と呟く。
「“ありがとう”と“ごめんなさい”は、どの言語でも、簡単に訳せるんですよね。人間はどうしても、誰かの助けを借りながら生きていくし、時には誰かの足を踏んでしまうから。そういうとき、謝意を率直に伝えるための言葉は、どんな文化にもある……って」
「シェル……」
胸の中に、ふわりと感傷がこみ上げた。
“ありがとう”と“ごめんなさい”は、どちらもシェルが昔から大切にしていた言葉だった。昔の、今とは違う名前を名乗っていた彼から、いま隣にいるシェルまで続く繋がりを感じて、たまらなく懐かしくなる。
「素敵な話、ですね」
懐かしい――と口に出してしまうわけにもいかず、それだけ答えて俯くと、横にある親しみ深い気配は、にわかに焦るような雰囲気に変わった。
「え、えっと――あの、忘れたんですか?」
見上げると、シェルの頬は少し赤くなっている。想定外のリアクションにロンガが首を捻ると、彼は両手の指を所在なさげに組み合わせて、気まずそうに笑った。
「これ、ぼくが貴女に聞いた話です。あんまり図書館に行かなかったぼくが、覚えてる、数少ない貴女の記憶なんですよ」
「あ……それは、気づかなかったです」
「ぼくのオリジナルじゃないですよ」
そう言って、彼は、ふと表情から笑顔を消す。
赤みの強い瞳が、まっすぐ向けられた。
遠くから、モータの低い作動音が近づいてきた。昇降装置が上から降りてきているのだ。壁も床も、ぶら下がった裸電球も細かく震える中で、シェルの視線だけが不動のままロンガを捉えていた。身体ごと貫くような視線だ。実際には指ひとつ触れられていないはずなのに、まるで縛り付けられたように動けない。
「――シェル?」
不躾ともいえるほど強い視線に、思わず目を逸らすと、彼は一歩こちらに踏み出して、「シェル」と「エリザ」としての距離を超えた。手を伸ばせば容易に触れられる、息遣いさえ感じそうなほどの近さ。ほつれたオレンジの髪が揺れて、その毛先がエリザの頬をかすめていく。
「ちょっと……変なこと、聞かせてください」
声は掠れている。
増幅するモータ音に飲み込まれそうな小声で、それでもたしかに唇が動いていた。
「白銀の目を持つ者は、繋がっているって、聞いたんです」
空気をびりびりと震わせる振動。
低いモータ音と心臓の音が混ざり合って、思考が白く灼けていく。ここまで積み上げた嘘の全てを捨てて、彼に全てを伝えてしまいたい、そんな欲求が喉元までせり上がる。
「本当にエリザですか?」
そう尋ねる、言葉が見えたとき。
ガタン、とひときわ大きな音とともに昇降装置が止まり、扉が開いた。開いた扉のほうにシェルが視線を逃した、その一瞬を使って、ロンガは後ろに下がる。ポケットに収めていた
「じゃあ、また。お気をつけて」
唇を横に引いたが、ちゃんと笑えている自信はなかった。背を向けたのと同時に扉が閉まり、昇降装置は揺れながら降下を始める。円筒の壁にもたれてずるずると座り込みながら、ロンガは長い溜息を吐き出した。膝を抱えて、熱を出したときにも似た体温を閉じ込める。
いちばん本当のことを言いたい相手に限って、“ありがとう”や“ごめんね”すら言えないままだ。
「貴女、本当の本当にそれで良いの?」
横に浮かび上がったエリザの気配が、哀れむような口調で呟いた。
*
去り際に押し付けられた
「……何やってるんだろ」
顔が火照って熱い。
鼓動は速く、胸元を見えない手で押さえつけられたように苦しい。冷たい壁に額を押し付けて、シェルは目を見開いた。いつの日か聞いた言葉が、耳の中で跳ね返る。
『白銀の目の持ち主は、超越的存在を通じて繋がっているという』
「繋がってる……」
ごくりと唾を飲み込む。
ここにいない彼女と、ここにいるエリザが。
微笑みの角度。
言葉の句切り方。
立っているときの体重の支え方。
説明するのも難しいような、指先や瞳や、ちょっとした仕草の数々に、どうしようもなく彼女を思い出すのは。たしかにエリザの姿をとっているのに、
「――違う!」
激しく首を振ると、壁に額を斜めから打ち付けてしまい、鈍い痛みにシェルは小さく呻いた。じわりと広がる痛みに目を閉じて、違う、と呪文のように繰り返す。
都合の良いことを考えてはだめだ。
せめて、誠実でいないといけない。幻覚に苦しさを逃がす権利など、彼女の居場所を奪ってしまった自分に、ありはしないのだから。