chapitre101. 時流に揺られて

文字数 3,205文字

 シェルはベルトコンベアに寝転がって、天井が流れていく様子をぼんやりと眺めている。
 そんな彼を横目に見ながら、ロンガは水晶端末(クリステミナ)を通じてELIZA(エリザ)のライブラリを参照していた。シェルが教えてくれた通り、ELIZAの内部には言語学習のための教材が数多く揃えられていた。地上の公用語でも地下の公用語でもない、全く未知の言語も数え切れないほどある。

 創都前の「より多様な世界」を保存するために、祖と呼ばれている当時の人間が、理論上無限の寿命を持つAIであるELIZAに託したものなのだろう。

「あれ?」

 そう考えて、ふと疑問を持つ。

 旧時代の人間に、より多様な世界を保存しようとする意志があったのだとしたら、統一機関があった頃のラピスはどうして真実を伏せていたのだろう。四世紀の時間を経て、人々の考え方が変質したのだろうか。しかし、ラピスの創都を為したとされている七人の祖が残した言葉は、当時から改変されることを固く禁じられていたはずだった。

 もし「祖の言葉」自体は四世紀の間に変わっていないと考えるなら、「祖の言葉」を記した人間と、ELIZAに旧時代の言語を託した人間が別なのかもしれない。方向性として明らかに真逆のものだからだ。この類推が正しいかは分からないし、また知りようもないのだろうが。

 創都344年に生きるロンガは、旧時代の人間が残してくれたものをひとつでも多く拾い上げたかった。水晶端末(クリステミナ)を操作して、ライブラリを横断的に閲覧する。言語学だけでなく、数学や物理学など統一機関の講義でも学習したものや、料理や紡績などあまり馴染みがない技術、さらには芸術やスポーツに至るまで多種多様な知識が集積されていた。見出しを追いかけるだけでも、何日もかかりそうなほどの量のデータだ。

「凄いな。電子の図書館だ」

 ロンガが感嘆の溜息を零すと、身体を倒していたシェルがこちらに視線を向けて、凄いよね、と相槌を打った。

幻像(ファントム)のこととかも書いてあるんだよ。ほら」
「本当だ……この章を書いたのはエリザかもしれないな。そういえば地下では、大いなる力(ビヨンド)の呼び方が違うんだよな。次元飛翔体(ディメンション・フライヤ)だっけ」
「そう」

 シェルが頷く。

 人間よりも高い次元に存在し、過去に行き来し未来を見通すという謎めいた存在は、時代や場所に応じて色々な名前を付けられている。D・フライヤというのはハイバネイト・シティでの呼び名で、ビヨンドというのはティアが教えてくれた呼び方だ。ティアがルーツを持つ、分岐した別世界では()()はそのように呼ばれていたのだという。

「結局、何者なんだろうな。あれは」
「うーん……ぼくらの理解じゃ届かない気はする」
幻像(ファントム)のことも、良く分からないままだしな。これでも2年間、それなりに調べたんだけど――分かっていることは少ない。核の水晶を破壊すれば消滅する、ただ過去や未来が見えるだけのものと、実際に事物が超次元移動するものの2種類がある」
「2年前のぼくらだってそのくらいは分かってたよね」
「そうだな。だから進歩なしというわけだ」

 ロンガは肩を竦める。幻像(ファントム)に関わるライブラリを読んでみたが、残念ながら知っている以上のことはほとんど書かれていなかった。新しく得た知見は、2種類の幻像(ファントム)を「非遷移性」「遷移性」と呼んで区別することと、歴史上で文明が危機に瀕すると「遷移性」の幻像(ファントム)が多く発生していたというくらいだった。

「文明の危機か……」

 何回かロンガの夢の中にビヨンドが顔を出したが、その時に言っていた通り、彼らは人間というものに興味があり、それを守ることに一定の価値を置いているようだ。ロンガに未来を見通す目を授けたのも、結局のところは、ラピスの水没による人類の滅亡を避けるためだ。

 はあ、と溜息をついてロンガはスロープの天井を見上げる。この目に人類の命運が託されているらしいことを、もう少し自分は自覚する必要があるのかも知れない。とはいえ今やロンガは、統一機関の人間ですらない無力な一市民だ。この立場で取れる案は、ほとんど思い付かないのだが。

「なあ、真剣な話をするとさ――ラピスが水没してしまうのは、もう止めようがないよな」
「そうだね。人間の力で止められるものじゃない。例えば海沿いに壁を築いたって、いつまでも持つわけじゃないし」
「するとやっぱり、将来的には、ここではない場所に移住するしかないんだろうな。新しい街を作り直して」
「うん……」

 シェルは曖昧に頷いて、目を閉じる。しばらく黙ってから起き上がり、こちらに視線を向ける。スロープ内部の照明が落とされているためでもあるが、視線は暗かった。

「そうか。やっぱりルナはまだ、これからもラピスが存続するって思ってるんだね」
「え?」

 ロンガはぎょっとして身を乗り出した。

「その言い方じゃあ。ソルは違うって言いたいのか」
「うん」

 シェルは今度ははっきりと頷いた。

「総勢18万の市民……いや、今はもっと減ったかな。とにかく、地上(うえ)地下(した)との意思統一すらままならない現状で、来春までに何か変わるとは思えない。ラピスという世界の枠組みがなくなって、じゃあ、どうやって生き延びるか。残りの人生を、どう使うか――今、問われているとすれば、それだと思う」

「いや、まだMDP(メトル・デ・ポルティ)も“春を待つ者(ハイバネイターズ)”も残っている。それにエリザだって目覚めたかもしれないし、希望はある――」

「ないよ」

 シェルはあっさりと否定して首を振った。

「次世代が生まれないんだもの。出生管理施設が燃えた事実を隠蔽すれば、まあしばらくは希望が持続するだろうけど、それだってきっと、すぐ暴かれる。最下層で起きたみたいに、絶望して自滅に走る人も多いだろうね」
「なんで……そんなに悲観的なんだ」

 ロンガは胸の奥が冷えていくのを感じながら、シェルの冷たい手に自分の手を重ねた。

「まさに生まれようとしてたじゃないか! サテリットが妊娠してるって知ったとき、ソルだって嬉しそうだったのに」
「まあ、(ゼロ)よりは(イチ)のほうが良いに決まってる。でも、たったひとつだ。それだけでラピスを維持できるわけがない。ぼくたちが、人類の末代だよ」
「どっちなんだ。やけに楽観的なことを言ったかと思えば、今度はそんなに悲観的なことを言う」

 エリザが目覚めるかもしれないと話したとき、シェルは「きっとラピスは大丈夫だね」と軽い口調で言っていたのだ。それを持ち出して真意を尋ねると、ああ、と彼は頷いた。

「あと数十年は持ちそうだ、って話だよ」
「そんなこと言わないでくれ。アルシュやカノンも、宿舎の仲間たちも、今から会いに行く唱歌団(コラル)の人だって、みんな希望を信じてるんだ。失ったものは多いけどやり直せる。そのために、みんな生きてるのに」
「そっか――ルナ、変わったね」
「変わったって何がだ?」

 ロンガが問い返すと、シェルは視線を逸らした。

 目的地が近づいていた。シェルはベルトコンベアから降り、パネルのひとつを取り外す。隙間から零れた光が、彼の横顔をくっきりと照らし出す。悲しげにひそめた眉と、上向きに弧を描いた唇が、ロンガに向けられていた。

「そんな、根拠も数字も伴ってない希望を、口に出せるようになったんだ」
「なっ。おい――」
「この話は終わりだ。一般の入居者の前では言わない方が良いからね」

 それだけ言って、彼は振り返らずにスロープの外に出てしまった。
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登場人物紹介

リュンヌ・バレンシア(ルナ)……「ラピスの再生論」の主人公。統一機関の研修生。事なかれ主義で厭世的、消極的でごく少数の人間としか関わりを持とうとしないが物語の中で次第に変化していく。本を読むのが好きで、抜群の記憶力がある。長い三つ編みと月を象ったイヤリングが特徴。名前の後につく「バレンシア」は、ラピス七都のひとつであるバレンシアで幼少期を送ったことを意味する。登場時は19歳、身長160cm。chapitre1から登場。

ソレイユ・バレンシア(ソル)……統一機関の研修生。リュンヌ(ルナ)の相方で幼馴染。ルナとは対照的に社交的で、どんな相手とも親しくなることができ、人間関係を大切にする。利他的で、時折、身の危険を顧みない行動を取る。明るいオレンジの髪と太陽を象ったイヤリングが特徴。登場時は19歳、身長160cm。chapitre1から登場。

カノン・スーチェン……統一機関の研修生で軍部所属。与えられた自分の「役割」に忠実であり、向学心も高いが、人に話しかけるときの態度から誤解されがち。登場時は19歳、身長187cm。chapitre1から登場。

アルシュ・ラ・ロシェル……統一機関の研修生で政治部所属。リュンヌの友人で同室のルームメイト。気が弱く様々なことで悩みがちだが、優しい性格と芯の強さを兼ね備えている。登場時は19歳、身長164cm。chapitre3から登場。

ティア・フィラデルフィア……とある朝、突然統一機関のカフェテリアに現れた謎の少年。ラピスの名簿に記録されておらず、人々の話す言葉を理解できない。登場時は10歳前後、身長130cm程度。chapitre1から登場。

サジェス・ヴォルシスキー……かつて統一機関の幹部候補生だったが、今の立場は不明。リュンヌたちの前に現れたときはゼロという名で呼ばれていた。赤いバンダナで首元を隠している。登場時は21歳、身長172cm。chapitre11から登場。

ラム・サン・パウロ……統一機関の研修生を管理する立場。かつて幹部候補生だったが現在は研修生の指導にあたっており、厳格だが褒めるときは褒める指導者。登場時は44歳、身長167cm。chapitre3から登場。

エリザ……かつてラ・ロシェルにいた女性。素性は不明だが「役割のない世界」からやってきたという。リュンヌと話すのを好み、よく図書館で彼女と語らっていた。笑顔が印象的。登場時は32歳、身長155cm。chapitre9から登場。

カシェ・ハイデラバード……統一機関政治部所属の重役幹部。有能で敏腕と噂されるがその姿を知る者は多くない。見る者を威圧する空気をまとっている。ラムとは古い知り合い。登場時は44歳、身長169cm。chapitre12から登場。

リヤン・バレンシア……バレンシア第43宿舎の住人。宿舎の中で最年少。年上に囲まれているためか無邪気な性格。登場時は17歳、身長152cm。chapitre31から登場。

アンクル・バレンシア……バレンシア第43宿舎の宿長。道具の制作や修繕を自分の「役割」に持つ、穏やかな雰囲気の青年。宿舎の平穏な生活を愛する。登場時は21歳、身長168cm。chapitre33から登場。

サテリット・バレンシア……第43宿舎の副宿長。アンクルの相方。バレンシア公立図書館の司書をしている。とある理由により左足が不自由。あまり表に現れないが好奇心旺盛。登場時は21歳、身長155cm。chapitre33から登場。

シャルル・バレンシア……第43宿舎の住人。普段はリヤンと共に農業に従事し、宿舎では毎食の調理を主に担当する料理長。感情豊かな性格であり守るべきもののために奔走する。登場時は21歳、身長176cm。chapitre33から登場。

リゼ・バレンシア……かつて第43宿舎に住んでいた少年。登場時は16歳、身長161cm。chapitre35から登場。

フルル・スーチェン……MDP総責任者の護衛及び身の回りの世話を担当する少女。統一機関の軍部出身。気が強いが優しく、MDP総責任者に強い信頼を寄せている。登場時は17歳、身長165cm。chapitre39から登場。

リジェラ……ラ・ロシェルで発見されたハイバネイターズの一味。登場時は22歳、身長157cm。chapitre54から登場。

アックス・サン・パウロ……コラル・ルミエールの一員。温厚で怒らない性格だが、それゆえ周囲に振り回されがち。登場時は20歳、身長185cm。chapitre54から登場。

ロマン・サン・パウロ……コラル・ルミエールの一員。気難しく直情的だが、自分のことを認めてくれた相手には素直に接する。登場時は15歳、身長165cm。chapitre54から登場。

ルージュ・サン・パウロ……コラル・ルミエールの一員。本音を包み隠す性格。面白そうなことには自分から向かっていく。登場時は16歳、身長149cm。chapitre54から登場。

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