chapitre101. 時流に揺られて
文字数 3,205文字
そんな彼を横目に見ながら、ロンガは
創都前の「より多様な世界」を保存するために、祖と呼ばれている当時の人間が、理論上無限の寿命を持つAIであるELIZAに託したものなのだろう。
「あれ?」
そう考えて、ふと疑問を持つ。
旧時代の人間に、より多様な世界を保存しようとする意志があったのだとしたら、統一機関があった頃のラピスはどうして真実を伏せていたのだろう。四世紀の時間を経て、人々の考え方が変質したのだろうか。しかし、ラピスの創都を為したとされている七人の祖が残した言葉は、当時から改変されることを固く禁じられていたはずだった。
もし「祖の言葉」自体は四世紀の間に変わっていないと考えるなら、「祖の言葉」を記した人間と、ELIZAに旧時代の言語を託した人間が別なのかもしれない。方向性として明らかに真逆のものだからだ。この類推が正しいかは分からないし、また知りようもないのだろうが。
創都344年に生きるロンガは、旧時代の人間が残してくれたものをひとつでも多く拾い上げたかった。
「凄いな。電子の図書館だ」
ロンガが感嘆の溜息を零すと、身体を倒していたシェルがこちらに視線を向けて、凄いよね、と相槌を打った。
「
「本当だ……この章を書いたのはエリザかもしれないな。そういえば地下では、
「そう」
シェルが頷く。
人間よりも高い次元に存在し、過去に行き来し未来を見通すという謎めいた存在は、時代や場所に応じて色々な名前を付けられている。D・フライヤというのはハイバネイト・シティでの呼び名で、ビヨンドというのはティアが教えてくれた呼び方だ。ティアがルーツを持つ、分岐した別世界では
「結局、何者なんだろうな。あれは」
「うーん……ぼくらの理解じゃ届かない気はする」
「
「2年前のぼくらだってそのくらいは分かってたよね」
「そうだな。だから進歩なしというわけだ」
ロンガは肩を竦める。
「文明の危機か……」
何回かロンガの夢の中にビヨンドが顔を出したが、その時に言っていた通り、彼らは人間というものに興味があり、それを守ることに一定の価値を置いているようだ。ロンガに未来を見通す目を授けたのも、結局のところは、ラピスの水没による人類の滅亡を避けるためだ。
はあ、と溜息をついてロンガはスロープの天井を見上げる。この目に人類の命運が託されているらしいことを、もう少し自分は自覚する必要があるのかも知れない。とはいえ今やロンガは、統一機関の人間ですらない無力な一市民だ。この立場で取れる案は、ほとんど思い付かないのだが。
「なあ、真剣な話をするとさ――ラピスが水没してしまうのは、もう止めようがないよな」
「そうだね。人間の力で止められるものじゃない。例えば海沿いに壁を築いたって、いつまでも持つわけじゃないし」
「するとやっぱり、将来的には、ここではない場所に移住するしかないんだろうな。新しい街を作り直して」
「うん……」
シェルは曖昧に頷いて、目を閉じる。しばらく黙ってから起き上がり、こちらに視線を向ける。スロープ内部の照明が落とされているためでもあるが、視線は暗かった。
「そうか。やっぱりルナはまだ、これからもラピスが存続するって思ってるんだね」
「え?」
ロンガはぎょっとして身を乗り出した。
「その言い方じゃあ。ソルは違うって言いたいのか」
「うん」
シェルは今度ははっきりと頷いた。
「総勢18万の市民……いや、今はもっと減ったかな。とにかく、
「いや、まだ
「ないよ」
シェルはあっさりと否定して首を振った。
「次世代が生まれないんだもの。出生管理施設が燃えた事実を隠蔽すれば、まあしばらくは希望が持続するだろうけど、それだってきっと、すぐ暴かれる。最下層で起きたみたいに、絶望して自滅に走る人も多いだろうね」
「なんで……そんなに悲観的なんだ」
ロンガは胸の奥が冷えていくのを感じながら、シェルの冷たい手に自分の手を重ねた。
「まさに生まれようとしてたじゃないか! サテリットが妊娠してるって知ったとき、ソルだって嬉しそうだったのに」
「まあ、
「どっちなんだ。やけに楽観的なことを言ったかと思えば、今度はそんなに悲観的なことを言う」
エリザが目覚めるかもしれないと話したとき、シェルは「きっとラピスは大丈夫だね」と軽い口調で言っていたのだ。それを持ち出して真意を尋ねると、ああ、と彼は頷いた。
「あと数十年は持ちそうだ、って話だよ」
「そんなこと言わないでくれ。アルシュやカノンも、宿舎の仲間たちも、今から会いに行く
「そっか――ルナ、変わったね」
「変わったって何がだ?」
ロンガが問い返すと、シェルは視線を逸らした。
目的地が近づいていた。シェルはベルトコンベアから降り、パネルのひとつを取り外す。隙間から零れた光が、彼の横顔をくっきりと照らし出す。悲しげにひそめた眉と、上向きに弧を描いた唇が、ロンガに向けられていた。
「そんな、根拠も数字も伴ってない希望を、口に出せるようになったんだ」
「なっ。おい――」
「この話は終わりだ。一般の入居者の前では言わない方が良いからね」
それだけ言って、彼は振り返らずにスロープの外に出てしまった。