chapitre164. ここには帰らない
文字数 8,810文字
スロープの出口から乗り出して下を見ると、すでに黄土色の濁水が床を埋めていた。リヤンは足を滑らせないよう慎重に降りて、ペンライトで照らしながら部屋の様子を確かめる。
「十センチくらい……ですかね。この階層で浸水しているのは想定外ですね」
レゾンが顔を出して呟く。
リヤンたちが現在いるのは、第47層。もう地表のすぐ下まで来ていると言っていい高さだ。一方で、最初に宿舎の仲間たちと出会った第22層は浸水していなかった。破裂したという貯水槽がかなり下の方に位置しており、水が上から下に流れることを考えると、上の階層が浸水するにはまだ時間が掛かる――というのが包括的管理AIである
その予測が外れたことになる。
「なんでかな」
仲間たちがスロープから降りるのを助けながら、リヤンが首を捻ると「憶測ですが」とレゾンがこちらを見た。
「MDPの対策資料で、昇降装置の空洞がストローのようになって、下層から水が一気に登ってくる危険性が講じられていました。それかもしれません」
「ああ、あたしも聞いてたかも……」
言われてみれば、記憶の中に小さく引っかかるものがあった。そっか、とリヤンは溜息を吐いて、肺の中が空っぽになるまでだけの間、ぼんやりと天井を見上げた。天井の割れ目から水がしたたって、浸水した床に跳ねる。四百年もの昔に作られ、今の今まで形を保ち続けたハイバネイト・シティが、人間を庇護する器としての機能を失いつつあった。
「後でコアルームに通達した方が良いですね」
レゾンが呟いて、部屋を横切る。
水圧に逆らって扉を開け、一行は通路に出た。
通路の照明のいくつかは消えていて、バチバチと火花が飛ぶ音が聞こえている。焦げたような匂いが霧のように広がっていた。まだらになった明暗をペンライトの乏しい光が照らすと、荒廃した様相が色濃く浮き上がった。
「なんか……本当に、壊れちゃうんだね」
呟きが、胸をぎゅっと締め上げる。
形あるものも、あるいは記憶のように無形のものも、いつかは壊れるものだ。存在は空白の裏返しだから。あらゆるものには節目があって、人間に永遠の寿命がないように、どれだけ堅牢に見える建造物だって崩れ落ちる日がやってくる。
それが今日だったというだけ。
だけど――四百年の歴史が今にも終わろうとしているのは、やっぱり悲しかった。
立体地図を見ながら、通路を歩いて行く。
通路は僅かに上向きに傾斜していて、リヤンたちは途中で浸水区域を抜けた。濡れたブーツのゴム底が、樹脂の床と擦れてキュッキュッと鳴る。さらに歩いて行くと、床は踏み固められた土になり、壁はごつごつとした岩壁に変わった。洞窟のひんやりとした空気が、襟の隙間から差しこんでくる。
「来たときに通ったような道だね」
「そうですね……こちらは
レゾンが頷く。
「こういう出入り口が、ラピス中にあるんですよね……やっぱり凄い技術だなぁ。ハイデラバードに勝るとも劣らないですよ」
「なんか……」
妙に熱の入った口調に、リヤンは思わず笑ってしまった。
「こんな時なのに楽しそう」
「あ、いや――すみません。ちょっと非日常すぎて浮かれてるかも、俺」
「ううん、良いよ全然……レゾン君、あたしよりずっと大人っぽいから、逆にそういうの良いと思う」
「はぁ……?」
あまり意図が伝わっていないらしい表情で頷いたレゾンが、通路の先に視線を向けて「あ」と声を上げた。
「あそこですね、出口」
「ほんとだ」
彼が指さした先に、わずかにオレンジを含んだ白の光が落ちている。岩盤の割れ目から注ぎ込んだ日光が、洞窟内の塵に反射して斜めの円筒形を形作っていた。リヤンたちはそこから一分もかからずに光の根元まで辿りついたが、そこでひとつの問題にぶつかった。
「最後……縄ばしごで登るのか」
後ろから追いついたアンクルが、上を見て眉をひそめる。リヤンも彼の視線を追いかけた。高さにして十メートルほどの空間を、木材と縄を組み合わせただけの簡素な
「担いで登るにも無理があるな」
サテリットを一瞥して、シャルルが言う。
「他のとこから地上に出れねぇか?」
「戻ることは、一応できますけど……上で、フルルさんと合流しないといけないので、できればこの地点を使いたくて。それに、いつ決定的崩落が起こるか、分かりませんし……」
「あぁ――そうか」
深々と息を吐いて、シャルルが頷く。
「なんとか登るしかねぇのか」
「あたし、ちょっと上を見てくるよ」
片手を上げてリヤンは宣言した。その手で梯子の足場をつかみ、ぐっと身体を引き上げる。
「上に十分なスペースがあれば、梯子ごと引き上げられない? 四人もいれば、できるんじゃないかな」
「うーん、だいぶ強引ですけど……そうですね、確認だけお願いしても?」
「うん、ちょっと待ってて」
握る手に力を込めて、リヤンは勢い良く縄ばしごを登っていった。下で待っている仲間たちが注目しているのを背中に感じ、どこか照れくさくてスピードを上げる。ものの数十秒で上端に辿りつき、地面から顔を出したとたん、冬の冷たい風が否応なしに頬を叩いた。
近くの木の幹を掴んで、外に出る。
空は夕焼けの始まりだった。
暖かくにじむような薄黄色の下に、懐かしいバレンシアの景色が広がっている。去年の山火事の跡だろう、木立はところどころ黒ずんでいた。それでも、小山の起伏から山肌の照りまで、どこをとってもリヤンの故郷だった。
冷たい空気と一緒に郷愁を吸い込んで、鼻の奥がつんと痛む。ぼやけた視界を外套の裾で拭ったとき、暗くなり始めている空の輪郭付近に、黒っぽいシルエットを見つけた。
「あ――」
リヤンは思わず声を上げた。
それは見る間にこちらにやってきて、どこか
「フルル!」
「あ、リヤン……良かった、合流できたか」
運転席側の扉から飛び降りたフルルが、こちらに気付いてほっとした風に微笑む。彼女はいつもと違い、ナイロンのような艶のあるジャケットを羽織っていて、それが空気を含んでふわりと広がった。
「操縦してるの、初めて見たかも」
「そうだっけ?」
「うん、カッコいいね」
「そりゃどうも」
彼女は小さく鼻を鳴らした。
「で、他のひとは?」
「あ、そうだ、困ってるんだ……最後に縄ばしごを登らないといけなくて。今は、縄ばしごごと引き上げられないかなって考えてたんだけど」
「なるほどね……」
フルルは少し考えた後に、降りてきたばかりの
「何? えっと……」
受け取った、ナイロンベルトと金具を組み合わせたようなものを、リヤンはじっと見つめる。フルルたちと生活をしていて何度か目にしたそれの名前を、記憶の沼をかき回して引っ張り出す。
「ハーネス、だっけ」
手足の付け根や胴体にベルト部分を巻き付けて使う、身体を保持する道具だ。
「そう。それ付けてもらってさ」
ロープといくつかの金具を持って、フルルが地面に飛び降りる。
「こうやってワイヤーで繋いで、
「あ――なるほど」
人の手で引き上げるよりも、効率的で良いアイデアに思えた。目の前がぱあっと開けた気分になり、リヤンは浮き足立って縄ばしごの下まで戻る。だが、実際にハーネスを付けてもらおうとして、そこで初めて問題が浮き彫りになった。
「リヤン、ちょっと良いかしら」
サテリットが遠慮がちに言って、金具のひとつを持ち上げる。
「ここのベルトがちょっと苦しくて」
「あ、本当だ……お腹、押しちゃうね」
サテリットの隣に膝をついて、リヤンはハーネスの構造を確認する。胴体をぐるりと囲う複数のベルトのうち、ウエストの少し下を通ったものが、膨らんだ腹部をもろに圧迫していた。長さを調整すればどうにか装着できるが、見るからに窮屈そうだ。
「ねぇ、レゾン君」
顔を上げて問いかける。
「これ、大丈夫かな」
「うーん……体重がもろに掛かるので、吊り上げるのは短時間ですけど、ちょっと危険かもしれませんね」
そう言って彼は後ろを振り向き、荷物を整理していたアンクルとシャルルに視線を投げて「提案なんですが」と声を掛ける。
「男性の方、どちらか代わりにハーネスを付けてもらって、抱えて持ち上げることはできませんか」
「え!?」
リヤンはぎょっと目を見開いた。
「抱えるの? それって大丈夫?」
「はい。あ……もちろん、その上から固定をしますけど、こう、身体を折ってもらって――」
自分の腕を身体に見立てて、レゾンが固定方法の説明をする。大人ひとりを抱えた状態で空中に吊られるなんて恐ろしい――と最初は思ったが、彼が冷静に説明をするので、だんだん気が落ち着いてきた。
なるほどな、とシャルルが頷く。
「要するに……そこまで筋力が必要ってわけでもないのか」
「そうですね。お二人ならどちらでも」
「じゃあ――」
アンクルの背を、シャルルが軽く叩く。
「お前だろ」
「そうだね」
即座にアンクルは頷いて、レゾンに「どうしたらいいかな」と尋ねた。一分も掛からずに固定を終えて、レゾンが無線機で上に合図を送る。
ほどなくして、穴の向こうに開けた空に
「――行きます」
風の向こうでレゾンが言う。
同時に、緩んでいたワイヤーがぴんと張る。
アンクルの靴底が持ち上がったかと思うと、二人の身体があっという間に宙に浮きあがる。一瞬にして、地球の重力ごと消えてしまったみたいだった。オレンジの空に吸い込まれるように、どんどん小さくなるシルエット。
リヤンは思わず溜息を吐いた。
「すごい……」
何に感心したのか分からないが、とにかく心臓がどきどきしていた。仲間たちの迅速な判断に対してか、ワイヤーで人を吊り上げる技術とか機械の馬力に対してか、あるいは、まるで空を飛んでいるような光景に対してなのか……リヤン自身も良く分からないまま、凄いなぁ――と繰り返し呟いた。
リヤンは目を細めて、眩しい空に目を凝らす。もう豆粒のように小さくなったアンクルたちが、小型航空機のなかに乗り込むのが辛うじて見えた。機体はしばらくホバリングしていたが、やがて尾翼がくるりと動いて、空の向こうに飛び立った。
「あいつらは……」
頭上を見上げたまま、シャルルが問いかける。
「あのままハイデラバードまで行くのか?」
「そうですね。向こうが先に着くと思います。現地で、何とか合流……できますかね?」
「まぁ――探せば会えるだろ」
シャルルがからっと笑って「それより」とこちらに視線を戻した。
「お前……じゃなくってMDPは、どうすんだよ。また、地下に戻んのか」
「ううん。あたしたちは、スーチェンの臨時本部に行く」
ついさっき
ハイバネイト・シティからの避難は順調に進んでおり、地下に残っていたMDPのメンバーは地上に離脱しつつある。なのでラピシア全体の拠点も、地下のコアルームから地上に移動した。MDPとしての本部はラ・ロシェルにあるが、現在のラ・ロシェルは砕屑に覆われているため、現在はスーチェンの支部を臨時本部としている。
「戻ってくるように指示されたんです」
レゾンが情報を補足して、それから不安げにシャルルを見上げた。
「なので俺たち、ハイデラバードへ同行はできませんが……問題ありませんか?」
「はは――いや、ただ歩くだけだろ?」
シャルルが苦笑して、リュックサックを持ち上げる。
「あんたらのおかげで助かったよ。俺は全然平気だから、他んとこ助けてやってくれ」
「そうですか。それなら」
ほっとしたようにレゾンが頷く横で、リヤンはぐっと唇を横に引き、シャルルを見つめた。視線に気がついたシャルルが、気後れしたような表情で「何だよ」と気まずそうに眉をひそめた。
意を決して彼の左腕をつかむ。
「シャルル、ちょっとこっち来て」
「は?」
彼が困惑した声をこぼすのが聞こえるが、構わずにリヤンは彼の腕を引いて、洞窟の奥へ無理やり引っ張った。
「おい、なんで戻る必要が――」
「リヤンさん?」
「レゾン君、ごめん」
振り向いて、小さく頭を下げる。
「ちょっとだけ、二人で話したいことが」
「え? でもほら、早くスーチェンに向かわないと。すぐ夜になりますよ」
「お願い、五分だけ!」
両手を組み、食前に祈るときのような姿勢で、リヤンはさらに頭を下げた。
「……だめ?」
「はぁ……まあ、分かりました。俺、先に登ってるんで、すぐ戻ってくださいね」
「ありがとう!」
お礼を言いながらリヤンは踵を返し、シャルルの腕をつかんだまま岩壁を回り込む。ひんやりと冷たく湿った暗闇を、電球ひとつが照らしていた。ぎい、と縄ばしごが揺れる音が遠くで鳴るなか、リヤンはかつての仲間と向かい合って立った。
「お前……」
シャルルが気まずそうに髪をかき上げる。
「次に行くとこがあるんじゃないのかよ」
「……あるよ」
頷いて、視線を持ち上げる。
「でも、やっぱり気になって。あのさ、右手……どうしたの?」
上着のポケットに入れたままの右手を指さして言うと、暗がりでも分かるほどに、シャルルの頬が強ばった。
やっぱりだ、とリヤンは確信する。
荷物を持つのも扉を開けるのも、いま前髪をかき上げたのだって、どれも利き手ではないはずの左手でやっていた。サテリットを抱えてワイヤーで引き上げられる仕事だって、どちらかと言えば体格の大きい彼の役目であるはずだった。
「怪我してる、よね」
「だから――」
シャルルが顔を背けて、どこか苛立った口調で言う。
「言ってんだろ、大した怪我じゃないって」
「なら隠す必要ない。隠すってことは、あたしたちに見られたくないんだよね。そんなに酷い怪我なの? 手当くらいなら、少しはできるよ?」
「お前に言ったってどうにもなんねぇよ」
「――もうっ……!」
リヤンは手を伸ばして、ほとんど体当たりでシャルルの右腕を掴んだ。外套の生地に手を掛けて、ポケットに突っ込まれたままの右手を強引に外に出させる。指に絡まった包帯の端を引っ張ってしまい、シャルルが短く息を吸い込んだ。
「――痛っ」
「あっ、ごめ――」
反射的に謝ろうとした言葉が途切れて、岩壁に反響する。
そこから先は声にできなかった。
リヤンは水に潜るときのように息を詰めて、包帯を巻き付けた手をじっと見つめた。茶色っぽく汚れた包帯が、厚みのある角張った手のひらと親指の付け根をぐるりと回っている。何度も巻き直したのか、包帯は途中でねじれながら人差し指と中指を辿っていき、そして――在るべきものがそこにはなかった。
「これ……」
唇が強ばってしまって、うまく動かない。驚きで酸欠になりかけながら、リヤンは必死に言葉を絞り出した。
「なんで――こんな」
「色々あったんだよ」
離せ、とぶっきらぼうに言って、シャルルが手を払う。
「だから……どうにもならないんだよ。手当とか、そういう話じゃないんだよ……満足か、これで」
「……全然」
「あ?」
「全然っ……大したことない、じゃないじゃん!」
叫んだ拍子に、涙がこぼれる。リヤンの頬を涙が伝うのを見てか、シャルルがぎょっと目を見開いた。顔が熱くなる。
「なんで、なんでっ――どうして、そんな、平気なフリしてるの」
「いや……お前こそ、なんで泣いてんだよ」
「そんなの……ショックだったからに決まってる」
外套の袖で頬を乱雑にこすりながら答えると、シャルルは目を逸らして「だから、嫌だったんだよ」と呟いた。
「そうやって大袈裟に心配するだろ。もう傷も塞がりかけてるし、ものを掴めないわけでもないし……こんなの、あいつらに比べたら全然だろ」
抑えつけたような声で言って、シャルルが右手をポケットに戻す。勝手に涙をこぼし続ける両目で、リヤンは彼の表情をじっと見た。両端をぎゅっと横に引いた口元は、固い殻に覆われたみたいで、取り付く島もない。
あいつらに比べたら全然、と彼は言った。
アンクルとサテリットの仲が消えてしまったことと比較すれば軽微だ、という意味だろう。苦しみの大きさを数字にして比べられるとは思わないけど、ともかくシャルルにとっては「彼らよりはマシだから」我慢すべき、という理屈が成り立っていたのかもしれない。
だけど――辛くないわけがない。
彼の表情を見ていれば、それは嫌と言うほど分かった。この冬は、表立って苦しいと言うことすら我慢しなければならないほど、彼らにとって苦しい時期だったのだ。
自分が地上で暮らしている間、地下で仲間たちがそんな目に遭っているなんて、想像もしていなかった。失われたものが重たくて、気がつけなかった自分が不甲斐なくて、濡れたタオルを絞るみたいに嗚咽をこぼす。
「あのさ……シャルル」
ひとしきり涙を流し終えると、染みたように痛む目尻を拭いながら、リヤンは顔を上げた。
「アンとサテリットだって、勿論さ、すごく大変だと思うけど……あたしは、シャルルのことだって悲しいよ」
「……そうかよ」
「そうだよっ……」
やりきれない感情をそのまま声に出してしまい、怒声じみた口調になる。どこか困ったような、感情の薄い表情でこちらを見ていたシャルルが苦笑をこぼした。
「まあ、何て言うか……ありがとな。俺の代わりに泣いてくれて」
彼はそう言って、指の欠けた右手をぶらりと垂らした。
「話ってそれだけか?」
「――うん」
「じゃあ戻るか……いや、その前に、一個だけ聞いて良いか。リヤン」
リュックサックを背負い直しながら、シャルルがこちらを見下ろす。
「なんでお前、MDPに入ったんだ。あいつら――フルルとレゾンだっけ、どっちも年はお前と同じくらいだけど、多分……ずっと、こういう場に慣れてるだろ。正義感があるってか、人を纏める側の人間っていうかさ」
どこか言葉を選んでいる雰囲気のなか、シャルルが散発的に言葉を繋げていく。
「いや、その……貶める意味じゃないんだけど」
「言いたいこと、分かるよ。二人とも統一機関の人だから、あたしよりずっと賢いし、色んなこと知ってる」
「ああ、そうだよな?」
ほっとした表情でシャルルが頷く。
「そこにお前が混じってるのが、俺は意外だった」
「それは、あたしも……誰かを助ける側になりたくて。たしかにさ、知識や経験がないとできないこともあるけど。でもそういう、凄い人じゃなくても、何もできないわけじゃないって思ったんだ」
「へえ……なんか、ちょっと見ない間に、ずいぶん色々考えたんだな」
「その言い方、ちょっと馬鹿にしてるよね」
リヤンはむっと頬を膨らましたが、シャルルは「いや別に」と受け流して肩をすくめる。
「まあ……お前の望むような助け方か分からないけど、俺はさっき、お前に助けられたと思うよ。感情がすぐ表に出るのは、昔から変わってないよな」
「う……気にしてるんだけど」
褒められているのは分かったものの、素直に喜べなかった。感情のまま突っ走ってしまう癖は、仲間たちにもあまり良い顔をされていないところだ。
「でも……」
一長一短ある性格ではあるけど、すぐには変えられない。なら、少しは仲間の力になれたことを、素直に誇っても良いだろう。
「なら、話をして良かった」
「そうだな、ってか……ずっと前からそうだよ。お前が、元気に泣いたり笑ったりすんのが、俺らにとっては支えだったんだよ」
「うん……」
どこか気恥ずかしさを覚えつつ、リヤンは頷いた。
「そうなんだろうなって、最近はちょっとだけ、考えられるようになった。あたしからリゼの記憶を消したのも、あたしがちゃんと笑えるように……なんだよね?」
死んでしまった兄の名前を出すと、シャルルの表情が強ばった。だがそれは一瞬のことで、彼はかすかに苦い色を残したまま「そうだよ」と苦笑した。
「悪かったとは思ってるけどよ、今から思っても、あの時は、多分……それ以外に選択肢がなかった」
「そうかもしれないけど、言っとくけど、あたし許してないから」
リゼの死に関する記憶を隠蔽されたのは、シャルルたちの怪我や境遇を心配するのとは、また別の問題だ。二度と、彼らと一緒に暮らすことはない――リヤンにはそんな予感があった。
「他に方法がなかったとしても……記憶を消してくれてありがとうなんて、あたし、絶対に言わないから」
目を細めてシャルルを睨むと「分かってるよ」と彼は頷いて背を向けた。
「端から許されるとは思ってねえよ。リゼだって、生きてたら怒られてたんだろうな。まあ、だからさ、帰ってこいとは言えねぇけど……」
影になった広い背中を見て、彼に背負われていた幼少の頃を、リヤンはほんの数秒だけ思い出す。彼らに守られて育てられた時期が、確かにあったのだ――と感じた。リゼが死んだのも、シャルルたちが葛藤の果てにリヤンの記憶を消したのも、リヤンがそれを許せないのも全部、なかったことにはできない真実だ。
それに、彼らが今でも大切な仲間なのも。
その――とシャルルは言いづらそうに切り出す。
「お前が嫌じゃなかったら……たまには飯くらい食いに来いよ。これから、どうなるか分かんねぇけど、まあ当分は、俺ら三人は一緒にいると思うし」
「……フルルたちも連れて行って良い?」
「当たり前だろ」
昔よりはだいぶ距離が近づいた、慣れ親しんだ仲間の笑顔が、頭ひとつぶん高い場所からこちらを見下ろした。