第二話

文字数 6,420文字


「カダール、どこへ行くの?」
「ちょっとトイレに」
「ついてく」
「いや、ゼラ、トイレに行くだけだから」
「だから、ついてく」

 すがるような目で言われると嫌とは言えない。ゼラと手を繋いでトイレに向かう。
 ハウルルの件があってからゼラは俺にベッタリだ。いや、以前からイチャイチャベタベタしてる、とは言われても否定できないのだが。
 ゼラとしては目を離した隙に俺になにかあったらイヤ、ということだろう。
 俺もゼラがこうして甘えてくるのは嬉しいのだが、流石にトイレまでついてこられるというのは。
 人用に作られたトイレにゼラは入れない。そんな大きなトイレは無い。なので俺が用を足してるときはゼラの糸が俺の身体についている。その糸の先はトイレの扉の隙間を抜けて、扉の向こうにいるゼラが握っている。糸を伝わる振動でいろいろと察知できるらしい。こうなると常に監視されている気分だ。いや、俺とゼラは常に監視されているので、今さらか?

 ゼラが心配性になった以外には、ローグシーの街は平和だ。ウェアウルフの夜襲で建物への被害は少なかった。木造の建物が燃えたりはしたが、ローグシーの街は火災対策に石造りの建物が多い。
 溶けたウェアウルフの死骸の後片付けが面倒ではあったが、住民達と守備兵の掃除で街は綺麗になった。

 ゼラを連れて聖堂に行き、教会と協力して怪我人の治療もした。ゼラは前よりも力を入れて治癒の魔法を使う。

「ゼラが皆を治す!」
「ちょっと頑張りすぎじゃないか?」
「今度はゼラが皆を守るから」
「ゼラの魔法は凄いけれど、ゼラ一人では限界があるだろう?」

 かつてのゼラは俺以外の人間は、特にどうとも思ってなかったらしい。それが今では俺の家族、父上と母上も好きになり、俺の友人と仲間も大切に思えるようになった。ゼラが人を好きになり、ゼラと出会う人もまた、ゼラのことを好ましく思ってくれる。
 エクアドを隊長とするアルケニー監視部隊の結束はより固くなり、蜘蛛の姫親衛隊と言うのが近いかもしれない。

 ゼラが人に力を貸してくれることは嬉しい。ゼラの魔法ではできないことは無いのではないか、と思えるほどだから。
 ローグシーの街で、作ってる最中の第二街壁でも、これが街を守るんだ、とゼラに教えると、

「じゃあ手伝う! ゼラ、力持ち!」

 人が運ぶのに苦労する切り出した石に糸をかけて、軽々と引っ張っていく。

「これは工事がはかどりますね」

 シウタグラ商会の青髪商会長、パリアクスがニコニコと笑う。

「お礼としてはささやかですが、ゼラ姫には中央から取り寄せた、珍しいお菓子を贈らせていただきます」
「珍しいお菓子!」
「他にも、最近では南のジャスパルよりドライフルーツを仕入れましたので、これを使った新開発のお菓子の試食などどうです?」
「ありがとう、パリア」
「いえいえ、お礼を言うのは私の方です」

 どうも商会長パリアクスはゼラに試食させて、『蜘蛛の姫もご推薦、南の果実を使った美味しいお菓子』と宣伝するつもりじゃないのか? パリアクスをじろりと見ると、ニコニコと笑いながら言う。

「ウィラーイン伯爵家御用達、と言いたいところですが、そこまで欲はかきませんよ」
「シウタグラ商会が赤字覚悟で支援してくれたことには感謝しているとも」
「我々もまたこれでローグシーの住人になれたのではないかと。私も訓練場に通うことにします。身体を動かすのは苦手ですが」

 ゼラを見ると、職人と話して次に運ぶ石に糸をかける。ゼラが俺をチラチラと見るので、ゼラから離れないように俺もついていく。するとゼラはホッとした顔をする。
 うーむ、ゼラの力は凄いが、俺達がそれに頼りきりになるのは不味い気がする。そこはゼラにどう話そうか。

「なので、父上と母上の意見を聞かせて欲しいのです」

 館の庭、布で日差しを遮るあずまやの屋根の下で父上、母上、エクアドと話をする。白い丸テーブルを囲み椅子に座る。ゼラは俺の後ろに立ち、俺の背中に張りつくようにして、俺の頭に二つのポムンを乗っけている。
 今日のゼラの衣装は青い袖無しワンピースだ。

「ゼラがローグシーの街の為に助力してくれるのはありがたい」

 パリアクス商会長から貰ったスポンジケーキを口にして、父上が話す。うむ、このケーキ、中にドライフルーツが入っていてうまい。だが、サンドしたクリームがちょっと甘すぎるか。

「ありがたいが、ゼラに頼りきりになるのはよろしく無い、か」
「チチウエ、ゼラがんばるよ?」
「がんばるゼラに任せてしまうと、ワシらが怠け者になってしまう。それをカダールは心配しておるのだよ」
「ンー?」

 ゼラが首を傾げる。それを見た父上がふにゃりと笑う。

「ふむ、例えばゼラ、魔獣深森で魔獣が大量発生し、ウィラーイン領の村を襲うとしたら?」
「ゼラが魔獣をやっつける!」

 父上が皿に切ったスポンジケーキを二つ乗せる。

「では、ゼラ、ここに二つの村があるとしよう。このひとつにゴブリンの群が」

 言いながら父上はひとつのフォークをケーキに向けて置く。このケーキが村で、フォークがゴブリンの群れ、らしい。

「もうひとつの村にはコボルトの群れが向かっている」

 父上はもうひとつのケーキに向けて、更に一本のフォークを置く。

「ゼラ、村を守るとして、どっちの村を守る?」
「両方守る」
「では、どちらの村を先に守りに行く? 片方を守りに行けば、もう片方の村は襲われる」
「えと、えと、片方の群れをさっさとかたずけて、すぐにもうひとつの方に向かう」

 話を聞いていたエクアドが、片方のフォークの前にクッキーを置く。このクッキーはチーズが入っていてゼラの好みだ。このクッキーがゼラ、ということのようだ。

「ゼラのおかげでこの村は守られた。だが、ゼラが駆けつける前に、もうひとつの村に被害が出た」

 父上は無情にスポンジケーキにフォークを刺す。ゼラが涙ぐむ。

「あうう、チチウエ、イジワル」
「すまんの、ゼラ。だが、ゼラがどれほど強くともゼラは一人しかおらん、ということだ」
「この場合はどうするの? どうすれば二つとも守れるの?」

 俺がゼラに助言しようとすると母上に目配せされる。もう少しゼラに考えさせよう、ということか。父上がエクアドに言う。

「エクアドならばどうする?」
「むぐ、俺ですか?」

 油断してたエクアドがスポンジケーキを喉につまらせ、慌ててお茶で流し込む。

「そうですね、今のウィラーイン領の戦力なら、ハラード様が領兵団を率いて村のひとつに。アルケニー監視部隊とゼラがもうひとつの村に行く、というのは可能ですが」

 エクアドがケーキに刺さるフォークを抜き、皿に置く。新たにクッキーをひとつ、フォークの進路の前に置く。これで二つのケーキは二つのクッキーで守られることになる。ゼラがお菓子の戦略地図を見て喜ぶ声を上げる。

「エクアド、賢い! 隊長、偉い!」

 褒められたエクアドは眉を顰めて首を振る。

「いや、これは正解じゃ無い。これは二つの村を守ればいい、という謎かけでは無いですね?」

 問われた父上は髭を撫でて微笑む。ゼラがキョトンとする。

「そうなの? でもこれで二つとも守れるよ?」

 そこに母上が手を伸ばしてもうひとつのケーキを置く。

「ここにもひとつ村があり、ここにオークの群れが向かっている、という情報が入ってきたわ。三つの村を守るには、どうすればいいかしら?」
「うう、母上、イジワル……」
「ごめんなさいね、ゼラ。でも、時として世界はイジワルなことをしたりするものよ」
「ンー、」

 ゼラが考えて、エクアドもまた腕を組み考える。エクアドの目は俺を見て、ローグシーの街を見て、なるほど、と頷いたので正解に辿り着いたようだ。父上が悩むゼラに優しく言う。

「ウィラーイン家とは昔からこういうことを考えてきたのだ。この場合、守る優先順位を決める。分散させるだけの戦力が無ければ、ひとつずつ確実にかたずける」
「チチウエ、三つ守らないといけないのに、ひとつずつなの?」
「そうだ。場合によっては、残り二つ、守ることを諦めねばならん」
「そんなのヤだ!」
「ワシも嫌だ。代々のウィラーイン家の者も同じ思いだ。だからウィラーイン領では全ての領民に一年訓練を義務づけている」

 父上がスポンジケーキを守るようにクッキーを次々と置く。

「自分の住む村を自分達の力で守れるように。援軍が来るまで、自力で防衛できるように、とな。兵をどれだけ鍛えようとも、多くの兵力を維持するには民に重税を課さねばならんし、全ての村に兵士を常駐させられるほどの数もいない」

 並ぶクッキーがフォークの進軍を足止めする。

「己の家族を、己の友を、己の力で守れるように。そうやって鍛えてきた。鍛えられた者が親となり、己の子を鍛えて、これを積み重ねてきた。今ではウィラーインの領民は、鎌と鍬でゴブリンもコボルトも追い返す、と噂されるようになったの」
「おー、チチウエ、すごい」
「ワシでは無く、代々のウィラーイン家と領民がすごいのだよ。ここまでするには長い時間が必要だった」

 母上がゼラのカップにお茶のお代わりを注ぐ。

「ウィラーイン家の代々の願いを、受け継ぎ伝えてきたからよ。ゼラ、ハウルルのお墓に、皆、お墓参りしてるでしょ?」
「ン? ウン、皆、メイドさんも、執事さんも、隊員の皆も、ハウルルのお墓を拝んでる。サレンは毎日来てる」
「故人の思いを、願いを、残された者は大事にしないといけないのよ。過去の積み重ねに現在があり、今の積み重ねの先に未来がある。大切なことを受け継いで伝えていく。親から子へ、子から孫へと。今は亡き者の願いを蔑ろにする者に、良き未来は作れないのよ」
「ンー、母上、難しい」
「自分の知る大切なことを人に、子供達に伝えるの。ウィラーイン伯爵家はね、皆に元気に明るく、毎日を喜んで暮らして欲しいの。その為に身を守る方法を学ぶお手伝いをしてきたのよ」

 父上もお茶を一口飲み、目を細める。

「カダールにはこういう話をしてきたが、エクアドもウィラーイン家の一員となるのだから、憶えておいて欲しい」
「はい、ハラード様。ウィラーイン領には猛者が揃う、その秘密の一端、肝に命じます」
「これは別に、秘密にしてることでも無いのだがの」
「ムー、」

 俺の頭の上でゼラが唸る。

「じゃあ、ゼラはどうすればいいの?」
「ゼラができること、ゼラにしかできないことは、ちゃんとある」

 俺からゼラに説明する。ゼラが喜びそうなこと、ゼラが元気になりそうなこと。その上でアルケニー監視部隊の強化に繋がることを。

「ウン、解った、カダール、すぐやろう!」
「準備もあるから、ちょっと待ってくれ」
「準備も手伝う!」

 ゼラがやる気になったのは何よりだ。ふと見るとエクアドが妙な顔をしている。笑おうか呆れようか迷っているような、微妙な顔だ。
 
「いや、カダールが言ってることは真面目で、隊員の訓練にもなるからいいのだが、その状態で真面目な話を真顔で続けるというのは、」

 このお茶会では、始めから終わりまで、俺の頭の上にはゼラのポムンが乗ったままだった。俺としてはこれがいつものポジションのようなものなのだが。頭の上から後頭部にかけて、ゼラのポムンがふかっとしてて幸せな気分になれる。

「ン?」

 見上げると視界が青いワンピースに包まれたポムンで埋まる。ゼラの口から溢れたクッキーの欠片が俺の髪についていた。

 翌日、準備を整えてアルケニー監視部隊を集める。ローグシーの街の外、柵に囲まれた広い草原。少し風があるが、外で運動するにはいい日和(ひより)だ。
 エクアドが隊員に告げる。

「では、ゼラ捕獲訓練を始める」

 隊員達は手にロープや鎖を握って不敵に笑む。ゼラは拳を握ってふんす、と気合いを入れる。

「前もやった鬼ごっこだよね?」
「鬼ごっこでもあるが、隊員の訓練になる。逃げるゼラを追いかけての捕縄術、鎖縛術の練習だ。逆にゼラが追いかけて皆が逃げるときは、対大型魔獣からの逃走訓練になる」
「訓練、ゼラが役に立てる?」
「ゼラを相手に訓練できるから、アルケニー監視部隊は鍛えられる。ゼラが皆を鍛えれば、皆が自分の力で自分達を守れるようになる」
「そっか、ゼラ、がんばる!」
「訓練には相手の技量に合った鍛え方や手加減も必要だ。ゼラはこの柵の外に出てはダメだ」
「ウン、柵の外には出ない」
「今回は魔法と蜘蛛の糸も無し。あと、皆に大ケガさせないように気をつけて。これはゼラの手加減の練習でもあるから」
「わかった!」

 ゼラが元気に返事する。左手と左前脚をしゅぴっと上げて。
 俺は今回はアルケニー研究班と共に治療班で。鬼ごっこの様子を見て何かあれば制止をかける審判役というのが正しいか。砂時計をひっくり返して、

「始め!」

 スタートの号令をかける。時間いっぱい逃げ切ればゼラの勝ち。ゼラを捕まえたら隊員達の勝ち。なお、ゼラの背中に飛び乗ることができたら特別報酬が出る。
 エクアドが指示を出し隊員達が逃げるゼラを追いかける。囲んで逃げ場を無くそうとするが、ゼラが高々とジャンプしてエクアドの頭上を飛び越える。

「着地を狙え!」

 ゼラの動きを読んだ隊員達が、跳躍後の着地という回避しにくいところを狙う。それでも着地と同時に強引に進むゼラ。鎖とロープが蜘蛛の脚に数本巻きついているが、それを握る隊員ごと引きずって走る。隊員達が追いかけて、反対側の柵に包囲するように追い詰める。

「ちょっと元気になったかしら」

 母上が楽しげに走るゼラと隊員達を見る。

「たまに暗い顔をするときがあるけど、どうなの? カダール」
「ハウルルを喪った心のキズは簡単には癒えないようです。ですが、ゼラは母上もサレンも辛そうだから、心配させたくない、と言ってました」
「はぁ、ゼラに気を使わせてしまうなんて、私もまだまだね」

 心が沈むときには、身体を動かすのもいい。ときには疲れて頭が空っぽになるまで運動するのも良い。
 きゃあ、と声を上げてゼラが逃げる。蜘蛛の脚にタックルして直接ロープをかけようとする隊員から、ステップで逃げる。

「待ってゼラちゃん!」
「待たない!」
「お茶の葉入りのクッキーがあるよ?」
「エ? 本当? ウソ! もう引っ掛からないもん!」
「ちっ、この手はもう使えないか」
「ン、ズルイのはダメー」
「お前、ゼラ嬢ちゃんに嫌われることしてんなよ」
「こ、これも訓練よ。ズルイ奴もいるってゼラちゃんに教えてあげてるのよ」
「そのために嬢ちゃんに半目で睨まれるのか」
「それはイヤだッ! ゼラちゃんに嫌われたくないッ!」
「手遅れたんじゃね?」
「ぜ、ゼラちゃん! 待って! 話を聞いて!」
「ン? 鬼ごっこだから待たないっ!」
「お前ら、真剣にやれ!!」

 隊員達も楽しんでいる。この訓練は体力的にはけっこうキツイのだが。砂時計をチラリと見ると、母上とアステが木のカップを用意してるのが視界に入る。日射しは暖かく隊員達が汗をかけば、休憩で水分補給が必要だ。

 ひとつ残念なのは俺がこの訓練には参加できないこと。俺が入ると訓練にならない。
 一度試しにやってみたが、俺がゼラを追いかけるとゼラが逃げる気を無くして、妙な空気になる。なんというか、その、あれだ。イチャつくカップルのやる気の無い追いかけっこみたいになって、隊員達が生暖かい目で俺とゼラを見るからだ。

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登場人物紹介

ゼラ

もとは蜘蛛の魔獣タラテクト。助けてくれた騎士カダールへの想いが高まり、進化を重ねて半人半獣の魔獣アルケニーへと進化した。上半身は褐色の肌の人間の少女、下半身は漆黒の体毛の大蜘蛛。お茶で酔い、服が嫌い。妥協案として裸エプロンに。ポムンがプルン。しゅぴっ。

カダール=ウィラーイン

ウィラーイン伯爵家の一人息子。剣のカダール、ドラゴンスレイヤー、どんな窮地からでも生還する不死身の騎士、と渾名は多い。八歳のときに助けた蜘蛛の子と再会したことで運命が変わる。後に黒蜘蛛の騎士、赤毛の英雄と呼ばれる。ブランデーを好む、ムッツリ騎士。伝説のおっぱいいっぱい男。

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