第一話
文字数 5,545文字
「どうして引き留めてくれなかったのですか?」
恨みがましい目でルブセィラ女史に睨まれる。クインが去った、と聞いたルブセィラ女史がテントに駆け込んで来て俺は起こされた。ゼラの蜘蛛の背ベッドから身を起こす。
「ぷわぁ」
「おはよう、ゼラ」
目を覚ましたゼラはあくびして、目をコシコシと擦る。
「カダール、おはよ」
俺がゼラの蜘蛛の背から下りて、ゼラが身を起こし、ンー、と背伸びをすると褐色の双丘がプルンと跳ねる。昨晩、寝てるときに着ていた赤いベビードールはゼラの枕元でくしゃくしゃに。寝ながら脱いでしまったか。そのベビードールを手に取り、ゼラに着せる。
「ゼラ、バンザイして」
「ウン」
ゼラにベビードールを着せる俺を見ながら、ルブセィラ女史はブツブツと。
「まだまだグリフォニアのことを教えてもらいたかったのに……」
「いや、クインにも事情があるのだろう。俺も朝食ぐらいどうだ、と誘ってみたがクインは人と馴れ合う気は無い、と言っていたし」
じったりとした視線のルブセィラ女史に、クインの残した尾羽根をひとつ渡す。起きたエクアドにも一本渡す。
「逃げられたか? これでは次はいつ会えるか」
エメラルドで作られたような緑と黒の縞模様の大きな尾羽根。大人の腕と同じくらいの長さがある。
それを手に持ち見つめて呟くエクアド。クインを口説くにしても次はいつ会えることになるか。もっともエクアドも一目惚れという訳では無く、クインという進化する魔獣をゼラのように人の味方にできないか? という考えがある。クインのことをいい女だと思ってるのも本意だが。
「アバランの町のハンターギルドに、クインが来たら伝えてもらうように頼むか」
「クチバにも頼もう。フクロウの人員をアバランの町に置いて、クインのことを探ってもらう。深都のことを知る貴重な情報源でもある」
「このクインの尾羽根はどうする?」
クインの残した五本の尾羽根。クインは礼だ、と言って残していった。
グレイリザードの一件を片付けて、アバランの町を守ったのに最も活躍したクインは姿を消した。後にこの尾羽根だけを残して。
ルブセィラ女史は宝物のようにクインの尾羽根を捧げ持つ。
「人知れず町を救い姿を消して、残した影は宝石のような不思議な尾羽根だけ。まるで物語のようですね」
「あぁ、クインはそれだけ人の事を解っているのだろう。粋なことをする」
ルブセィラ女史とエクアドが尾羽根を見ながら、クインはカッコいいことする、という話をしている。……俺が物音で目が覚めて、着替えてる途中のクインの白いパンツを見てしまったことは、俺の胸にしまっておこう。いい話が台無しになってしまう。キュッとしたカッコいいお尻だった。いかん、忘れろ。なんで俺はクインのそういう場面を目撃してしまうのだ?
さて、このクインの尾羽根だが。ルブセィラ女史を見るとしっかと握り手放す気は無い様子。一本はルブセィラ女史に研究用に、カーラヴィンカの貴重なサンプルだ。
「カダールー、これって?」
「クインが置いていった」
ゼラにも一本渡す。ゼラは、えー? と声を上げる。
「クイン、行っちゃったの? なんで?」
「深都に戻ると言っていた。なにか用事でもあるのかもしれない」
「えー? もっと遊びたかったのに。人化の魔法も教えてもらおうと、思ってたのにー」
ちょっとむくれて手にする尾羽根をクルクルと回す。回る羽はキラキラと輝く。エクアドに一本、ルブセィラ女史に一本、ゼラに一本。一本はエルアーリュ王子に送るとして、
「カダール、残りの一本はあのハンター兄弟に持って行くか?」
「それも考えたが、あの一家はクインの正体のことを知らないようだ。これをいきなり持って行っても解らないんじゃ無いか?」
「そうか、クインのことを知っていたかも知れない、リアーニーもエイジスも今はもう居ないのだから。あの家の家宝のハイイーグルの羽と、グリフォン緑羽とは結びつかないか。では、カダールがお土産にしてはどうだ? ルミリア様が喜びそうだ」
「む? 我が家の分はゼラが手に持っている。クインのことを考えると、これを手にするのに相応しいのは誰だろうか?」
フクロウのクチバと青風隊のティラスが、朝の挨拶をしてテントに入ってくる。二人が朝食の用意をしてくれる中で、二人にもクインの尾羽根の話をする。パンの入ったバスケットをテーブルに置くティラスが、
「そのクインの尾羽根、アバランの町の町長にあげてくれない? 町の守護獣、緑羽の尾羽根だから、町長なら大事にしてくれるんじゃない?」
「そうするか」
アバランの町のハンターの中には、森から出たグレイリザードと戦う緑羽を見てるのがいる。そのときはクインは正体を隠す為にグリフォンの姿に変化していた。
『本来の姿なら全力を出せるから、一匹も逃さないのによ』
と、後で文句をつけていた。クインの変化の魔法は人とグリフォンになれるが、変化しているときはかなり弱くなるらしい。とは言ってももとが異常に強いのだから、弱体しても只の人では敵わないだろう。
アバランの町では五十年前のオーク大侵攻からグリフォン緑羽が町を守った、と町の住人は伝えている。今も木彫りのグリフォンがお守りになったり、家の玄関に飾ってあったり。グリフォンクッキー、グリフォンの飴細工というのがアバランの町の名物になっている。
今回もまた緑羽が町を守ってくれたと話題になり、最近ではグリフォンの卵、という名前で卵型のお菓子が売り出されている。グリフォンは胎生で卵生では無かったはず。卵は産まない魔獣なのだが。お菓子の名前に細かいことを言う方が無粋か。
「では、町長のところに一本持って行こう」
「希少という点では、この尾羽根ひとつで町ひとつ買えてしまうかもしれませんが」
「ルブセィラ、研究の為に欲しいのは解るが一本あれば充分だろう?」
「クインのことを思えば、無下にできないのも解っていますよ」
この尾羽根は町長に一本渡した。
これはその後の話になるが、町長はこの尾羽根を保存できるようにガラス板で挟み、額にいれて教会の聖堂に保存を依頼する。
アバランの町の聖堂ではこのクインの尾羽根に布をかけて、日が当たらぬようにして聖堂に置いた。アバランの町の住人は、誰でも望めばクインの尾羽根を聖堂で見られるようになる。
俺とゼラのことが知れ渡り、またフクロウが絵本や紙芝居や人形劇で広めた『蜘蛛の姫の恩返し』を町の住人が知ることに。ここから連想したのか、『あの緑羽はアバランの住人の誰かに恩返しをしようとしてるのでは?』という噂が広まっていく。アバランの町の吟遊詩人がこの噂をもとに歌にする。
やがてこの歌が『緑の羽と空の歌』として物語となり、アバランの町に伝えられていくことに。
奇しくも闇の母神ルボゥサスラァが、俺とゼラに期待するという、人と魔獣の新たな関係。
それがクインとアバランの町にできていったようなもの。かつて人の娘に恋をして、町を守った白毛龍のお伽噺のように。
俺達が町長にクインの尾羽根を渡したのがその一助になった。聖堂に飾られるクインの尾羽根が、やがてアバランの住人達に拝まれるようになる。このことを知ったのは随分と後になってからのことだが。
「アバランの町では長居してしまったな」
アルケニー監視部隊は本来の目的、水不足の地域への支援に戻ることに。青風隊とハイラスマート領を廻り、その後、他の領地にも足を伸ばす。ゼラの魔法で水を出し、井戸を掘る。
グレイリザードの王種討伐の話が伝わり、どこの村や町でもゼラは歓迎された。蜘蛛の姫はグレイリザードの大侵攻を未然に防いだ、ハイラスマート領の守護者だと。
移動の最中に遅れていた雨季が来たのか、ポツポツと雨のふる日が増える。
「これならもう水不足の支援で回る必要は無いか?」
「そうだな、エクアド。残りは切り上げてしまうか」
エクアドと俺の話を聞いていたフクロウのクチバが口を挟む。
「できますか? アルケニー監視部隊が来るって待ち構えてる人達をどうします?」
既に歓迎の準備を整えて待ち構えている村がある。娯楽が少ないところでは、噂になっている蜘蛛の姫と黒蜘蛛の騎士。美しい少女の半身もつ魔獣、慈悲深き黒の聖女が来ると楽しみに待っていたりする。中には村を上げての祭のようになったりと。
アルケニー監視部隊の移動ルートは、前もってフクロウが調査している。そのときにおおよその日程を伝えてしまっていた。いきなり現れて脅かすことにならないように配慮した結果、どこも歓迎会の準備を整えて、気合いを入れて待ち構えるようになってしまった。母上とフクロウの絵本効果もある。ゼラ人気がこれほど高まってしまうとは。
「急に予定を変えて行かないということになれば?」
「そのときはどれだけがっかりとさせてしまうか。『ようこそ蜘蛛の姫さま』なんて垂れ幕まで用意されたりしてますし。今も移動ルートに入ってない村からも、是非とも我が村に、と、お願いされてます」
「支援に行った先で、村の備蓄が心配になるくらいの歓迎パーティになってきてるんだが」
エクアドが苦笑する。
「初期の目的、水不足の支援からは、ずれてしまうが最初の計画通りのルートで廻ろう。余計な混乱を起こす訳にもいかん」
アルケニー監視部隊を見れば、行った村や町でご馳走攻め、名物攻めに遭うので、少し太ってきた隊員がいるような。支援に回る側がこれでいいのだろうか。
順調に行けば二ヶ月で終わるアルケニー監視部隊の支援活動。全体の三分の二を過ぎたところでひとつ問題が出てきた。
言い出したのはルブセィラ女史。
「ゼラさんがイライラしているようです」
「あれはイライラしている、というよりは何か我慢をしているような」
はた目にはゼラは変わってはいないが、少しぼうっとしてたり集中力が足りないように見える。原因については心当たりがあり、エクアド、ルブセィラ女史、経理のフェディエアと話し合うことに。その間、ゼラには、
「ゼラはアルケニー監視部隊を手伝ってくれないか?」
「ウン、解った」
「いつもありがとう、ゼラ」
「任せて」
ニッコリと笑ってしゅぴっ、と返事するゼラ。隊員のところに行き早速と手伝いを始める。
野営のときにゼラに魔法で水を出してもらう。更にはゼラの綺麗にする魔法を併用することで、洗濯に食器、水筒など洗い物は手早く終わり清潔に。濡らした手拭いで身体を拭くにも、ゼラがお湯を出してくれる。
ゼラの方から『何かできること無い?』と、言い出していろいろと試しているうちに、すっかりゼラの魔法に頼るようになってしまった。
水を運ぶ量を減らして、暗くなってもゼラが明かりを出してくれる。ランタンの油など節約できるし、運ぶ荷物も減らせる。人間の魔術師でも似たことはできるが、ゼラの魔法と比べると量も効果も桁が違う。
野営でも風呂に入れるというのは女性隊員には好評だ。ボカンと穴を掘って土を固めてそこにお湯を張るのを、鼻唄しながらさらっと作るゼラが並みでは無いのだが。
そのゼラが長い旅程でちょっと機嫌が悪そうというのは。
「やはり、初対面の人間と数多く会うことが、ゼラの精神の負担となっているのか?」
エクアド、ルブセィラ女史、フェディエアに聞いてみる。今回、フクロウのクチバは次の町へと先に出向いている。追加の絵本とぬいぐるみが届いたので、先に売ってくると。まだ行商するのか。そんなに人気があって売れてるのか。
エクアドは顎に手を当てて。
「ゼラは出張治療院でも、子供相手にするときも、わりと楽しそうにしているから、それで不満は無さそうなのだが」
「エクアド、ゼラはあれで人に気を使うようになってきている。これまで考えたことも無いことを考えるようになって、それが負担になってきているのではないかと思うのだが」
「そうか、ゼラはこれまで魔獣として生きてきて、人と関わることなど無かった。それが今は人の中で毎日人と話すような生活に変わったのだから」
「ゼラから見れば、ここ数ヶ月はこれまでとは大きく環境が違う。幼い頃から人の社会の中で過ごして慣れる人の子供とは違う。その上、ゼラは賢く言葉も憶えるのは早かった。今では会話で困ることも無い。しかし、いきなり人の暮らしの中に放り込まれ、その分ゼラにはいろいろと我慢させてきてしまったのでは無いか?」
「ゼラ自身もカダール以外のことを考えるようになってきている。この前はカダールのもと愛馬、ディストールにニンジンを持っていって、ごめんなさい、と謝っていたし。フェディエアにも何か思うことがある様子だ」
俺とエクアドの話を聞いていたルブセィラ女史とフェディエアが、お互いに顔を見合わせる。はぁー、と、深々と息を吐く。なんだ二人とも、その呆れたような顔は? 俺達は真面目に話しているのに。
フェディエアが淡々と、
「ゼラちゃんが最近、元気が無いのは、単に欲求不満なのですが」
……欲求、不満? ゼラが? 俺が欲求不満なのは確かだが、ゼラもなのか? ルブセィラ女史が続けて、
「遠征中はムニャムニャ禁止。それで、ムラムラがモヤンモヤンしているのでしょう。解決するには、カダール様とゼラさんが思いっきりたっぷりと性交すればよろしいかと。ゼラさんが満足するまで」