第二十九話
文字数 5,987文字
王都での用が済みローグシーの街へと帰還する。片道二十日の道程。大神官よりゼラの出張治療院は教会に遠慮しなくてもいい、と聞き、ゼラもやりたいと言うので、帰り道では村を回りゼラの出張治療院をすることになった。
王都での滞在を合わせると往復に二ヶ月。
この移動の最中に俺は誕生日を迎え、二十二歳となった。ふむ、誕生日。
「ゼラの誕生日って、いつなんだ?」
「ン? ルブセにも聞かれたけど、ワカンナイ」
ゼラの蜘蛛の背に乗りローグシーへの道をゆったりと進む。一年中わりと温暖なスピルードル王国では、冷期となっても雪は降らない。東方から来たフクロウのクチバが言うには、東方よりも季節の変化が穏やかだという。
雪、と言われても見たことが無い。雨が凍り白く柔らかい粒となって降る、と聞いてもいまいち想像しにくい。
青い空の下、ゼラの蜘蛛の背に乗り景色を眺めていると眠くなってくる。鎧鍛冶姉妹が作った新しい長距離行軍用のゼラの鞍は、戦闘用よりも荷物を乗せ固定するところが増え、それが背もたれにもなり座り心地がいい。
眠気覚ましにゼラとアルケニー監視部隊とお喋りしながら進んでいる。
長い黒髪を風に遊ばせてゼラが言う。
「カダール、誕生日って子供がお祝いする日?」
「スピルードル王国では、成人する十五歳まで誕生日を家族が祝うものだから」
「大人は誕生日のお祝いしないの?」
「子供が無事に成人するまでがたいへんな時代の名残、ということだが。それで成人したあとの大人は誕生日をあまり大袈裟に祝ったりはしない。おもに子供が十五の成人を迎えるまでの一年を無事に過ごしたことを祝うんだ」
「人は十五歳から大人?」
「一人前として扱う年齢の目安、か」
馬に乗り隣を進む、アルケニー監視部隊の女騎士が補足する。
「だから十五の成人の誕生日は派手に祝ったりするのよ。ゼラちゃんの誕生日祝いはしたこと無いから、その記念日をどうしようって部隊で話したりするわ」
「誕生日祝い、カダールはもうしないの? 大人だから?」
「副隊長はもう二十歳越えてるし。ゼラちゃんって何歳なのかしらね?」
俺が初めてゼラを見たのが十三年前、いや十四年前か。そのときゼラが何歳なのか解らないが。
「ルブセィラは暫定十四歳と言っていたが」
「それなら来年はゼラちゃんの成人祝いをしないと。そのために記念日を決めて」
「ゼラに人間の年齢を当てはめても、何か違うんじゃないか?」
百年近く生きているというカーラヴィンカのクインも見た目は二十代前半だし、クインより歳上だというラミアのアシェンドネイルは、クインよりも年下に見える。いや、これはアシェンドネイルの方がぺたん娘だからというわけじゃ無くて。
「ゼラの誕生日を祝うのは賛成だが、ゼラの成人というのは何歳なのだろう?」
「副隊長、そんなことを言っても副隊長がロリコンという噂は消えませんよ」
「俺はロリコンじゃ無いから」
「ろりこんって、何?」
「副隊長みたいに、ゼラちゃんみたいな幼い感じの女の子が好きな男を、ロリコンって言うの」
「おい、ゼラにおかしなことを教えるな」
「カダール、ろりこんなの?」
「いや違う」
「副隊長、もう手遅れじゃねーの?」
「ロリコン、となると幼い可愛い少女なら誰でもいいような感じがしないか? 俺はゼラだから好きなんだ」
「ゼラもカダールが好きー」
「あー、副隊長、遠慮しなくなったわねー」
「いやー? 副隊長も外では遠慮してるんでしょ。二人きりの夜にはもっとこう……、ここでは言えないわね」
「人は恋をすると詩人になるっていうけど」
「副隊長も隊長も、酔ってゼラちゃんのおっぱいを褒めるときは、超詩人よね」
「おっぱい詩人、ジャンルが新しい」
「それ、フェディエアが聞いたら怒るんじゃない?」
「いえ、そういうのが逆に刺激になって、隊長とフェディエアさんの仲を深くしたんですよ」
アルケニー監視部隊は男もいるが女も多く、また全員が騎士でも無い。ハンター出身も多い。最近ではローグシーの教会から来た神官もいる。仲がいいのは良いことだが、歯に衣着せぬというか遠慮が無いというか。誰がおっぱい詩人だ。まったく。
「お前たち、ゼラの誕生日の話じゃ無かったのか?」
「そうだった。それでゼラちゃんの記念日を決めるとして」
「やはり、ゼラが初めてローグシーの街の住人に姿を見せた、あの日だろうか?」
「ンー、ゼラが聖堂の天井をバリンってした日?」
「あの日からもう一年が過ぎたのか……」
なんともいろいろとあった一年だった。密度が濃いというか、騒動が続いたというか。あれから一年経って落ち着いたかというと、まだこれからも頭を悩ますことが待ち構えていそうだ。
ゼラが来て、ゼラと再会して、俺の運命は大きく変わったような。そのおかげで誰も知らないような世界の秘密を知り、黒蜘蛛の騎士とか、屋根の上の拐われ婿とか、スケベ人間とか、おっぱいいっぱい男とか呼ばれたりして。
目の前にあるゼラの頭から流れる黒髪にそっと指を通す。
「ン?」
「ゼラが来てくれて、俺は幸せだ」
「ウン、ゼラも幸せ」
首だけ振り向いたゼラが赤紫の瞳を細めて笑う。そしてアルケニー監視部隊の生暖かい視線を感じる。
「やっぱり結婚式乱入日が記念日?」
「いやー、衝撃的な日となると、ゼラ嬢ちゃんがアンデッドを駆逐した日?」
「それを言ったら、その日は二人が初めて結ばれた日ね。記念日にするべきじゃない?」
「そうね。愛さえあれば、見目も姿形も関係無く結ばれることができると、勇者が雄々しく立った日こそ後世に語り継ぐ記念日とするべきね」
「勇者立つ、か。意味深だな」
「語り継がないでくれ、頼む」
「それは無理です副隊長。あの夜は伝説に残る偉業ですから」
「流石、無双伯爵の息子は並みの男では無いと、感服しました」
「後から増員で来た私はそれを知りませんが、副隊長の朝まで男伝説は、夜間の監視任務で驚愕しました」
「先輩が一晩中してるなんて言ってたのは、話を盛ってると思って聞いてたんだけど」
「ゼラちゃんじゃないと副隊長の相手はできないんじゃ無い?」
「一人じゃ無理ね。あれは数人で包囲してかからないと勝てないわ」
おかしい、どうして俺はそっち方面ばかりで武勇伝ができてしまうのか。
村に立ち寄りゼラの出張治療院を行い、村の子供がゼラを見てはしゃぐ。通り道の領主に歓迎され宴に招かれたりなど。
道中には大きな騒動は無く、ローグシーの街に無事帰還する。領主館で出迎えたフェディエアを見て、ゼラが声を驚いた声を上げる。
「フェディのお腹がおっきくなってる!」
長旅の疲れも無く飛びつくようにフェディエアに向かうゼラ。フェディエアは妊娠したことで、今はアルケニー監視部隊会計を休暇中で、ローグシーの街に残っていた。
「フェディ! 触っていい?」
「いいわよ、ゼラちゃん。そっとね」
「ウン!」
うわー、と声を上げながらフェディエアのお腹を撫で始めるゼラ。いや新婚のエクアドを差し置いてこれでいいのだろうか。エクアドを見れば、母上がエクアドを呼び止めるところ。
「エクアド、ちょっといいかしら?」
「何でしょうか? ルミリア様」
「エクアドが留守の間にエクアドの家族、オストール家に手紙を出したわ。ウィラーイン家に招こうと思うの。フェディエアの出産に合わせて滞在してもらおうかと」
「ありがとうございます。結婚式は急ぎで行い、家族を呼ぶのに間に合いませんでしたから」
「それでエクアドのお母様が怒ってたみたいね」
エクアドとフェディエアの結婚式の後、エクアドの二人の兄の一人、オストール家の次男がウィラーイン家に挨拶に来た。
そのときにエクアドの家族、オストール男爵家の話を少し聞いたが、エクアドがウィラーイン家の養子になりすぐに結婚したことに混乱していたらしい。
エクアドと俺達が強引に結婚式を早めたことで、結婚式に来れなかったことにエクアドの母が愚痴を溢していた、とエクアドの兄が言っていた。
「エクアドのお母様とは一度ゆっくり話をしてみたかったから」
「母も喜ぶでしょう。ウィラーイン伯爵家ということで緊張することでしょうが」
エクアドのご家族がウィラーイン家に逗留か。オストール槍術の話など聞けるかもしれない。母上がフェディエアとフェディエアのお腹に耳を当てるゼラに言う。
「フェディエアはゼラをお願いね。私達は少し話をするから」
「母上、ウィラーイン領で何かありましたか?」
「カダールとエクアドが留守の間のことをちょっと。たいしたことでは無いからすぐ終わるわ」
ゼラをフェディエアと屋敷の者に任せ、領主館の二階へと。俺達がいない間のローグシーの報告会というところか。
俺とエクアド、母上が椅子に座り、護衛メイドのサレンが母上の後ろに。アルケニー監視部隊の隊員二名が俺達の後ろに立つ。ウィラーイン諜報部隊フクロウのクチバが説明を始める。
「魔獣深森対策の為に建設中の砦、その付近でコボルトが現れ、ハラード様はウィラーイン領兵団を率い警戒に出ています」
「コボルト程度ならさして問題無さそうだが、工事の音に引かれて森から出てきたのか?」
「そこでコボルトの変異種が確認されました。ハンターギルドも新種を調べる為にハンターを調査に向かわせています」
「コボルトの変異種?」
コボルトとは犬頭の亜人型魔獣。ウェアウルフを小型化したような魔獣であり、ゴブリンと並んで魔獣深森浅部でよく見かける。ゴブリン同様に群れを作り、独自の言語や武装を持つ。魔獣の中では危険度はそれほどでは無いが。
フクロウのクチバは片手で灰色の髪をかき上げ説明を続ける。
「体毛の色は従来のコボルトの茶褐色より暗く、体格は一回り大きくなっています。ルブセィラさんが王都に行っていましたが、ローグシーに残ったアルケニー調査班が調べてくれました。特定の種の増加は見られず、王種誕生の兆候は今のところありません」
「コボルトの大発生という事態にはならないと」
「ですが、筋力特化したマッチョオークの発見に、魔法特化したゴブリンシャーマンの増加に加え、今回はコボルトの変異種の発見と続きました。魔獣深森に異変があるのではないかと警戒しています」
王種誕生では無く、変異種の発生の増加。これを聞いて思い出すのは、クインの言葉。
『人はその文明を育て上げたときに滅ぶ。そうさせないようにする為に、人が増えれば数を減らす為に魔獣も増える。そういうふうに造られた』
ウィラーイン領では民は鍛えられ、魔獣に対抗できるように強くなった。灰龍被害はあったが復興し、人の数が増えた。
エクアドを見れば腕を組み、俺と目が合えば小さく頷く。クインとの酒宴で同じ話を聞いたエクアドも、同じことを考えているのだろう。
フクロウのクチバが説明を続ける。
「王立魔獣研究院出身のアルケニー調査班からは、魔獣深森浅部の魔獣が全体的に進化し、一段階強化されたようだと。今後もウィラーイン領兵団とハンターギルドで調査を続けます」
「砦の建設の方はどうなっている? 工事に関わる者に被害は?」
「今のところ被害はありません。変異種の黒コボルトは従来のコボルトより強いですが、それでも所詮はコボルトなので」
母上が扇子を手で弄びながら言う。
「こちらはこんな感じよ。アルケニー監視部隊とゼラは、エルアーリュ王子から何か指示はあったのかしら?」
隊長のエクアドが母上に答える。
「今のところは何も。王都に総聖堂の聖剣士団がいる間は目立つことはせず、大人しくしておいて欲しいと。ゼラの警備の他は訓練でもする予定です」
「そうね、フェディエアの出産と育児の間は、エクアドもフェディエアについていて欲しいし」
「それは、俺もできればそうしたいところですが」
「そうしたらいいんじゃない? 緊急時以外はアルケニー監視部隊の中で隊長代理ができる人はいないのかしら?」
「副隊長のカダールが監視対象でもあるので、ローグシーの街の外に出動となれば、難しいですか。少し考えてみます」
母上はマイペースだ。いや、そのいつもの日常こそを守らねばならない。護衛メイドのサレンが片手を挙げて発言する。
「私からエクアド様に質問があるのですが」
「俺に何か聞きたいことでも?」
「エクアド様は産まれるお子に何を習わせるつもりでしょうか? ウィラーイン家ではウィラーイン剣術を納めるのが当然として、槍のエクアド様はオストール槍術も教えたいのではないですか?」
「いや、まだ産まれてもいないのにそこまで考えてはいないのだが」
いきなりだ。何を気にしているんだサレンは? 母上がクスリと笑む。
「オストール槍術もウィラーイン剣術も両方教えたらいいんじゃないかしら? 槍でも剣でも本人が気に入った方を得手にすればいいのよ」
「執事グラフトがエクアド様の子が無事に産まれたら、ウィラーイン剣術の極みに到達するまで教え込みたいと張り切ってます」
エクアドが眉間に皺を寄せる。まだ産まれてもいないのにもう剣の英才教育を考えられてしまっている。それに執事グラフトの教え方は初心者向きでは無い。
護衛メイドのサレンはいい笑顔でエクアドに言う。
「エクアド様のお許しがあれば、私のアーレスト流無手格闘術と裏アーレスト流捕縄術も指南したいのです。ウィラーイン家の一族となれば強くあらねばいけませんから」
「いや、その、まだ産まれてもいないし……」
サレンのシゴキ方も幼子には無理だ。護衛メイドのサレンと執事グラフトは上級者向けだ。
ここは父上に頼んだ方がいいだろう。ある程度成長し身体ができてからは、俺とエクアドが相手をして、その後がサレンとグラフトの出番だろうか。
「おいカダール、何を考えている?」
「うむ、槍のエクアドの子供が成長したら、何と呼ばれるのだろうか、と」
父は武名高き槍のエクアド、母は王軍特殊部隊会計にして辣腕の女商人、祖父は辺境に名を馳せる無双伯爵、祖母は博物学者にして魔術師の赤炎の貴人、叔父がこの俺、剣のカダール、叔母は蜘蛛の姫ゼラ。講師に武装執事グラフト、拳骨メイドのサレン、魔獣研究者の眼鏡賢者も講師になってくれるか? エクアドの子供がこの環境で育ったとしたら、
「何事も無く成長すれば、ちょっと魔獣が強くなったくらい、たいした事では無いのかもしれん」
「カダール、俺の子をいったいどうするつもりなんだ?」