第十四話
文字数 5,202文字
ハウルルの治療を進め、俺とゼラで屋敷の周囲に罠を作る。ローグシーの第一街壁にも設置。壁を登ってくるものがいたら捕獲する、トリモチ状の糸の罠を街壁に仕掛けたりと。
俺達がローグシーの街に戻ってから六日、何も異常は起きない。こちらが警備を強化したから警戒しているのか、それともハウルル奪還を諦めたのか。
父上もまだ森から戻らず、伝令に来たフクロウの隊員が言うには、手がかり無し。父上はもう少し奥まで踏み込んでから戻る予定だと。
相手のことがまるで解らずモヤモヤとする日々。
「ハウルル、おいでおいでー」
「はう」
ハウルルの身体は赤いサソリ体の左の鋏と脚が再生した。後は尻尾の先だけ、ここが治ればもとどおりに。母上と医療メイドのアステがご飯を食べさせて元気になった。今は、八本揃った脚で庭を歩かせている。
青いドレスを着たハウルルがチョコチョコと、その先ではゼラが両手を開いて待ち構えている。ハウルルのスカートの両脇からサソリの鋏が出ているが、背の低い女の子が歩いているみたいだ。ハウルルは歩きながらゼラに呼びかける。
「ぜー、」
「ゼラだよ、ゼラ」
「ぜー、ら?」
「ゼ、ラ」
「ぜー♪」
再生したばかりの脚に違和感があるのか、フラフラと歩いて進むハウルル。あ、パタリと転んだ。
「はう、」
「ハウルル、泣いちゃダメ。立って、ゼラのとこまで来て」
「はう、ぜー、」
ゼラは意外にスパルタ? いや、少しだけ前に出てハウルルが歩く距離を縮めている。ヨタヨタと起き上がり、半泣きで両手を伸ばして前へと進むハウルル。うん、男の子だ。泣くのを我慢してゼラの待つゴールに進む。がんばれ。
「ハウルル偉い! 頑張った!」
「ぜー♪」
ハウルルを抱き上げて、頭を撫でて褒めて可愛がるゼラ。辿り着いたゼラの胸にポフンと顔を埋めるハウルル。目尻に浮いた涙を、ゼラの胸の赤いベビードールに吸わせてニッコリ笑顔で。側では母上とアステが見守り、サレンがちょっとだけ離れて羨ましそうに見ている。この光景もすっかり見慣れてしまった。
「ゼラとハウルル、姉妹のよう、というか、親子のよう、というか」
「エクアド、のんきに言ってるがこれからどうする?」
「どうにもこうにも、ハウルルはゼラと同じくウィラーイン領で預かり、俺達で監視するしか無いだろう。ルブセィラがハウルルを調べてみて、何処まで解るか」
「いっそウェアウルフがさっさと来れば良いのに、もどかしい」
「平穏なのは良いが、これでは警備を緩めることもできない。この状況ではアルケニー監視部隊の増員もできん」
「今、入ってくる隊員が怪しく見えてしまうか」
「いつまで相手の次の一撃を待てば良いのか」
エクアドが溜め息をつく。ハンターギルドの方でも未探索の新しい遺跡迷宮が見つかった、という話も無い。そうなると、魔獣深森の探索も難しい深部に本拠地でも構えているのか。当てずっぽうに探索したところで見つかるものでも無し、その上、深部では危険が多い。
俺とエクアドはイライラとして、心を落ち着かせようと目の前の和やかな光景を見る。いや、俺はゼラに抱っこされて当然というハウルルを見ると、またモヤモヤとしてしまうのだが。ゼラが他の子供と遊んでいるところを見ても、こんな気分にはならなかったのだが。
気のせいかもしれないがハウルルが元気になって、態度が少し変わったような。俺とゼラが話をしたり、ゼラが俺に抱きついてるのを、ハウルルが見ていたとき。その目に微かな敵意を感じるような気がする。
今もハウルルはチラッと俺を見たあとに、ゼラの胸にぎゅっとくっついて甘えている。うぬぬ。そのおっぱいは俺のだ。
状況が変わらなくとも時間は進む。謎の組織? の都合など解りはしない。こちらはこちらでしなければならないこともあったりする。
「新しく屋敷で働く者ですか?」
「ええ、そうよ。次の領主館は大きくなるし、庭も広いし。フクロウだけじゃ無くて、私達の側仕えも増やすつもりなの」
ハウルルをゼラとアステに任せて、母上が俺とエクアドに説明する。
「早めに屋敷に入れて、いろいろ教えて鍛えておこうかと」
「今の時期で無くとも良いのでは?」
「ハウルルの一件が予想外だったわ。でもうちに来た人を帰す訳にもいかなくて。ローグシーの街で宿に泊まらせていたのだけど、何時までもそのままにできないし」
「それもそうですが」
「身元はフクロウでも調べてあるわ。明日、最後の面接をしようかと」
「む? 最後の面接とは?」
「我が家で働くには、ゼラに慣れてもらわないと。たぶん大丈夫でしょうけれど、初めて見たら驚くし、蜘蛛がどうしてもダメとなれば無理よね」
新しく屋敷で雇う者をゼラと面談させる、か。生理的に虫の脚がダメ、という者ではゼラとハウルルの相手は無理か。む? このままだとハウルルも新しい領主館に住むことになるのか? うぅむ、俺とゼラの新居のはずが、王子の別荘でもあり、ハウルルの住む部屋も必要になると。せめて寝室は覗かれないようにしたい。
翌日、屋敷に人を迎える。庭師が二人にメイドが三人、今後、ウィラーイン家で働いてもらう予定の者達。集まったところで庭に並んでもらう。
ハウルルは屋敷の中で護衛メイドのサレン、医療メイドのアステに見てもらっている。屋敷の庭で新人の五人と面談。先ずは母上、俺と順に挨拶をする。
フクロウが身元を調べ、母上がそれをチェックしたのだから、怪しいところは無い、と、思いたい。
念の為にとアルケニー監視部隊が屋敷の警備を固めている中で、エクアドとフクロウのクチバとも顔を会わせる。
庭師の二人もメイドの三人も緊張している様子。少しものものしくなってしまったか。五人の経歴は俺とエクアドも目を通した。さて、この庭師とメイドは、ゼラと上手くやっていけるだろうか。
フェディエアがゼラを連れて来る。今日は白いキャミソールだ。
「こんにちわ。アルケニーの、ゼラ、です」
五人の前でゼラが挨拶をする。緊張していた五人は見上げるゼラに我を忘れていたが、ゼラがクスリと微笑むと慌てて礼をする。
驚いてはいるが嫌悪感を持ってる感じはしないか。前もって虫が苦手では無い、と自己申告している者達。
並ぶ庭師から順にゼラに自己紹介。ついでにゼラと少し話をしてもらい、それを母上が観察している。ゼラからは好きな食べ物は何? と言った、他愛無い話を振ってもらい、それにどう答えるかを俺もエクアドも見る。
「私は甘いものが好きですね。あぁ、最近では中央から入ってきたカカオ入りのケーキが美味しくて」
「ゼラもそれ、好き。黒いの美味しいよね」
「でも高いんですよね、あれ」
少し話してみれば緊張がゆるむのか、にこやかに話す庭師。ゼラとの面談もスムーズに進む。庭師もメイドもゼラと話をするのに、少し緊張はしてても問題無し。ひとりづつ順にゼラが話しかけていく。
見た感じでは、これなら後はベテランメイドのアステとサレン、今は父上についている執事グラフトに任せていいだろうか。ゼラが最後のひとり、並ぶ右端のメイドに話しかけようとして、
「ンー?」
ゼラが上体を屈めるようにして、端のメイドに顔を近づける。普通に立てばゼラは蜘蛛の下半身が大きく、馬に乗る人を見上げるように背が高い。なのでゼラが自然と見下ろすようになる。
ゼラは頭を下げて鼻と鼻がくっつきそうになるまで近づいて、新人メイドの顔をジロジロと見る。
驚いている様子の新人メイド。
「あ、あの? なんでしょうか?」
「ンー、」
なんだろう? ゼラが初対面の人物をこうして興味深そうに見るのは、出張治療院以外ではあまり無い。しばらくそうして観察が終わったのか、ゼラが上体を起こす。ゼラは首を傾げて新人メイドに聞く。
「香水?」
「え? えぇ、少しつけてきてます。お嫌いでしたか?」
顔を近づけたのは匂いを嗅いでいたのか? ゼラは、ふぅん、と言うと、突然その右手が鋭く動く。
「ていっ!」
ゼラの突き出した手からは、蜘蛛の巣状の投網が、ゼラ、いきなり何を?
「く!」
メイドは鋭く呼気を漏らし、投網に巻かれる前に高く跳躍して回避する。そのジャンプ力、ただのメイドでも、人でも無いか!
「何者だ!?」
返事も無く苦み走った顔で後方に高く跳び、ゼラの不意討ちのような一撃をとっさにかわした。この女は、いったい?
かわされたゼラの投網は向こうの塀に張り付く。
俺もエクアドも腰の剣を抜き、アルケニー監視部隊が武器を構え、母上が魔術発動補助具の扇子を構え。
突然のことに慌てふためくのは、並んでいた二人の庭師、二人のメイド。
「らい!」
謎のメイドの着地したところにゼラの雷鞭が迸る。ゼラの手から伸びる白く光る稲妻の鞭を、横っ飛びに回避する謎のメイド。その方向にあるのは塀、庭の外に逃げるつもりか。だが、
「きゃああ!?」
庭を囲む塀の方へと跳躍した謎のメイドは、着地した地面が沈み落ちるのに悲鳴を上げる。可愛らしい声を上げるものだと、妙な感想が浮かぶ。
雷の魔法を見切って避けるなどただ者では無い。しかし、この屋敷にはゼラが仕掛けた罠がある。
ゼラの雷鞭は相手を罠に誘導するように射たれていた。謎のメイドは回避したつもりで、そこへと追い込まれた。巣を張り待ち構えるゼラを侮ってはいけない。
謎のメイドは下半身が落とし穴にスッポリはまり、地面の上に上半身だけ出ている状態。
地の中に巣を作るトタテグモ、その巣の穴を隠すフタは、見破ることも難しい高度なカモフラージュだ。ゼラの作る落とし穴もトタテグモの巣同様に見つけ難い。
なにせ落とし穴の場所を教えた隊員に屋敷で働くメイドも、何人かうっかりとこの落とし穴にはまっている。
謎のメイドは地面に手を着き、下半身を穴から抜こうとする。だが、それよりも先に、
「しゅぴっ!」
高く跳躍したゼラが捕まえた獲物を逃がさぬように、空中、真上から蜘蛛の巣投網を続けて投げる。
謎のメイドは下半身は土に埋まっている。穴の中もトリモチ状の糸が張り巡らされ、足が絡んで抜けにくくなっている。そして、頭上からの白い蜘蛛の巣投網が幾重にもフタをするように覆う。
これで逃げられる者はまずいない。
もしいるとするならば、それはゼラに匹敵する存在。
「全員、気を抜くな! 包囲しろ!」
エクアドの号令にアルケニー監視部隊が、剣を槍を構えて落とし穴を囲む。白い蜘蛛の巣投網に手をかけて、振り払おうとする謎のメイド。引っ張ってもゼラの糸が切れず、もがく程に黒い髪にベタベタと糸が張り付く。
俺は剣を構え、呆然と立つ庭師とメイドを守る位置に立つ。
着地したゼラが捕獲した女へと近づいていく。謎のメイドは暴れるのをやめて、落とし穴に下半身が嵌まったままの体勢で、ゼラを見上げる。
「……まいったわね」
ゼラは手を広げていつでも魔法を放てるように構えて、勝ち誇るように高らかに。
「もう、騙されないからね! アシェ!」
なに? アシェ、だと?
「ゼラ! そいつはラミアのアシェンドネイルなのか!?」
「ウン!」
落とし穴に嵌まったままのメイドは、黒髪の人間の女に見える。ならばこの姿は幻影か? それともクインのような人化の魔法か?
エクアドと隊員達に緊張が走る。本当にラミアのアシェンドネイルならば、対抗できるのはゼラしかいない。
地面から上半身が生えたようなメイドは、ゼラを見上げて困った顔で笑う。
「……いつの間に見破れるようになったのかしらね?」
「蛇の匂いがしたの」
「鼻がいいのね。それとも赤毛の英雄を守るために成長したのかしら?」
演技をやめた女はこの状況で余裕ぶった口調で話す。メイド服が霞のように揺らいで消え、肌の色は白くなり、髪は長く伸びて、色が消えてミルクのような真っ白に。
「お久しぶりね、赤毛の英雄。それと、蜘蛛の姫の近衛達」
アシェンドネイル。ゼラの姉を名乗る、進化する魔獣。深都の住人にして、伝承に伝わる半人半獣ラミア。
まさか、こんなところで、我が家の庭で、
「落とし穴にすっぽりと嵌まった間抜けな姿で再会するとは」
「私を間抜け呼ばわりする前に、自分の家の庭に落とし穴を仕掛ける非常識はどうなの? 屋敷の敷地にこんな罠を設置する伯爵家なんて、聞いたこと無いわ。……ちょっと、これ、髪がくっついて取れないんだけど?」
白い蜘蛛の巣投網にしっかりと捕まった、長い白髪の女は悪びれもせずに文句を言う。