第六話

文字数 6,179文字


「ゼラ、職人と母上の言うことをよく聞いて」
「ウー、カダール、行っちゃうの?」
「すぐに戻るから。母上、ゼラを頼みます」

 母上はゼラの蜘蛛の背に優雅に腰掛けている。クルリと手にする扇子を回す。

「ゼラ、私と一緒に第二街壁の工事を手伝いましょ」
「ウン、ハハウエ」

 ローグシーの街を広くする為の、第二街壁工事は順調だ。プラシュ銀鉱山も採掘が復活し資金がある。
 近隣の村と町から、街壁工事の出稼ぎに来た者を雇うこともできる。
 ウィラーイン領の防衛強化がスピルードル王国を守る、とエルアーリュ王子が議会を動かしたことで、王家からの資金もあり資材に余裕ができた。これは隠密ハガクから聞いた。
 男前な東方の女シノービ、隠密ハガクが言うには。

「それと、ローグシー街の新領主館のエルアーリュ王子の部屋は、質素でシンプルでいい。その代わりできればゼラ姫の部屋の近くが良い、と王子は言っていてな」
「エルアーリュ王子が別荘にする分には構わないが、なんだか住むつもりみたいじゃないか?」
「王子は二人の生活を邪魔したくは無いが、できれば仲良くしたいということで。カダールが王子を警戒するのは俺にも解るが、もう少し打ち解けてくれると王子も喜ぶ」
「それでゼラの部屋の近くにしろ、というのも」
「なに、屋敷の隅と隅ぐらい遠く離さなければいい。隣の部屋にしろ、という訳じゃ無いから」

 エルアーリュ王子が王都から長く離れることも無いから、ずっとローグシーの街にいることにはならないだろうが。どうにもエルアーリュ王子がゼラを見る目が気になる。崇拝なのか憧れなのか。軽々しくゼラの手にキスしたりとか。いや、これで王子を警戒するのは、俺の嫉妬か独占欲なのだろう。

 ルブセィラ女史が眼鏡の位置を指で直す。

「では、ゼラさん、カダール様をお借りしますね」
「ウン、早く返してね」

 蜘蛛の背に母上を乗せて、街壁工事現場に向かうゼラを見送る。

「ではさっさと済ませて、カダールをゼラに返すか」

 エクアド、ルブセィラ女史と共に建設中のアルケニー研究所へと。
 新しく建てる領主館を挟むようにアルケニー監視部隊の宿舎、アルケニー調査班の研究所を造っている。
 今の倉庫と屋敷ではできない実験の為に、建造中のアルケニー研究所、そこに地下室を先に造った。見張りに立つアルケニー監視部隊と挨拶して階段を下り地下室へと。
 建設予定の研究所所長になるルブセィラ女史が説明する。

「ここでの実験は極秘で進め、王立魔獣研究院にも秘密にしています」
「潜入を防ぐ為にウィラーイン諜報部隊フクロウにも手伝ってもらい、今のところ何処にも漏れてはいないはずだ」

 ルブセィラ女史とエクアドが説明する。この実験は危険もあるが、それでも調べねばならない事がある。
 厳重な警備に、何かあれば土砂で通路を塞ぐ仕掛けを施した先に真新しい牢がある。格子の隙間が狭いので、牢というよりは檻という方がいいか。
 暗い地下室の中、エクアドの掲げるランプの先、檻の中は広くランプの明かりを受けて、大きな蜘蛛の巣が見える。巣の真ん中には一匹の大きな茶色の蜘蛛、タラテクトがいる。犬か猫といった大きさの蜘蛛は巣の真ん中で大人しい。身動きもせず、地下に下りてきた俺達を静かに観察しているようだ。

「見たところ、このタラテクトに特に変化は無いようだが?」
「はい、まったく、何の変化もありません」

 ルブセィラ女史がランプの明かりに眼鏡を光らせる。

「同じ時期に捕獲した二匹のタラテクトは解剖してみましたが、そちらも何の変化も無し。これが最後の一匹です。見ての通り何の異常もありません」
「それでは何も解らないまま、か。俺の血ってなんなんだ?」

 檻の中、茶色のタラテクトは捕まえたときと変わり映えしない。
 ルブセィラ女史とアルケニー調査班が何度も調べて、何も解らない俺の血のこと。ルブセィラ女史の提案で、危険を承知で新たな実験を始めたのが、支援活動の前。だから、これで三ヶ月以上経つのか?

「捕獲したタラテクトにカダール様の血を飲ませ、経過を観察したものの何の変化も無い、ということが解りました」
「結局、カダールの血に何があるんだ?」
「この実験から二つの仮説が出てきます」

 ルブセィラ女史は興奮しているのか、頬を少し赤くして手元のメモ帳を見ながら説明する。

「ひとつは今の解析技術ではカダール様の血の力を調べることができない、というもの」
「ルブセィラでも解らないのか」
「もっと小さいものが見れる顕微鏡や、血の成分を細かく分離できる技術など開発できれば、カダール様の血と他の人の血の違いが解るかも知れません。今のところ、カダール様の血に特別な何かは発見できません」
「それで新たな進化する魔獣の覚醒という危険があっても、この実験をしてみようとなったんじゃないか」

 俺の見る先にいる茶色のタラテクトは、なんだかキョトンとした感じの目でこちらを見ている、気がする。俺の血を飲ませてみたタラテクト。こいつが巨大化したり暴れ出したりしなくて良かったのだが。

「血を飲ませてみただけでは解らず、他の要因があるということか?」
「その可能性も有りますが、何度も調べ実際にタラテクトに飲ませてもみて、もうひとつの仮説が浮かびました。私はこちらの方が可能性が高いと考えます」

 メモ帳をパタンと閉じて俺を見るルブセィラ女史。眼鏡がまたキラリと光る。

「ルブセィラ、なにやら盛り上がっているようだが、もったいつけずに説明してくれ」
「はい、もうひとつの仮説にして新発見、いえ再発見でしょうか。それは、」
「それは?」
「カダール様の血には、何も特別な力は無い、というものです」

 さんざん調べて何も見つからなかったから、何も無い、ということか? エクアドがルブセィラ女史に訊ねる。

「それは無いだろう。メイモントとのアンデッド戦で暴走したゼラを止めたのは、カダールがゼラに血を飲ませたからだ。この前のゼラの変化、異形となったゼラをもとの姿に戻したのも、カダールの血だ」
「状況から見て、カダール様の血を口にしたゼラさんが正気に返り、また変化した姿からもとに戻ったりしています。このことからカダール様の血にそのような特別な力があるように見えます」
「実際にそうだろう? ゼラにとってカダールの血だけが特別で、他の人間の血はわりとどうでもよさそうだし」
「その状況を目にしたために、何かあるはずだ、と思い込み、カダール様には何度も採血をお願いして調べることになりました。ゼラさんにとって、カダール様の血は特別、これは間違いありません。しかし、これでカダール様の血に特別な何かがあることにはならない、と、気がつきました」

 ルブセィラ女史は手を広げ、この発見に盛り上がっているが、言ってることがよく解らない。

「そうですね、カダール様、エクアド隊長、偽薬効果と聞いたことはありますか?」
「偽薬効果? 偽の薬か?」
「はい、只の小麦粉を『これは入手することも難しい貴重な薬だ』と、病人に信じ込ませて飲ませると病気が治ってしまう、というもの。逆に只の果実水を、これは毒だ、と信じ込ませて無理矢理飲ませると具合が悪くなる。これを偽薬効果と言います」
「暗示や催眠の類いか?」
「暗示の一種ですが、人の精神が思い込みで体調を変化させるものです。病は気から、というのもあながち間違いでは無いのです」

 ということは、俺の血が特別だというのは? エクアドが手を上げてルブセィラ女史の解説を止める。

「ちょっと待て。それでは邪神官ダムフォスがゼラを支配しようと血を飲ませたのはなんだ? あいつは血に従え、とか言ってなかったか?」
「闇の神教団の邪術は解らないところも多いですが、あの魔獣支配は赤い宝石、ルボゥサスラァの瞳に依るものでしょう。母神の瞳を使った魔獣支配、これがどのようなものかはアシェンドネイルにでも聞かなければ解りませんが、」

 あのとき、ゼラを支配しようとした邪神官ダムフォスは輝く赤い宝石を片手に、己の血をゼラの口に入れていた。血の主の命に従え、と。

「その血の持ち主に従うように強制する従属の魔術。ですが、誰が主かと刷り込むためのものであるならば、その血を飲ませた者が主となる。ルボゥサスラァの瞳を発動させることができれば、私やエクアド隊長の血でも魔獣の主になれるのではないかと」
「そうなのか? あの邪神官ダムフォスは、自分とカダールだけが特別な血の持ち主のように言っていたが」
「自分が特別な存在だと思い込めば増長します。それはアシェンドネイルには扱いやすい駒となるのでは?」

 ゼラが俺の血を特別と言い、俺の血を口にして世界が開いたと言っていた。だから俺の血に何があるのかと不安も感じていた。俺の血に魔獣を覚醒させる謎の力があるのではないかと。

「ルブセィラ、俺の血は人の血と変わらないのか?」
「何度も何度も調べました。カダール様の両親、ハラード様とルミリア様の血も調べさせて頂きました。その結果、ウィラーイン家の方の血に何の異常も見つからず、他の人の持たない特殊な成分も見つけられませんでした」
「それなら、何故、ゼラは俺の血を特別と?」
「花は只の花です。指輪は只の指輪です」

 ルブセィラ女史が何処かうっとりとした顔で言い出した。

「ですが、大切な人から贈られた花は特別な花になり、好きな人から贈られた指輪は特別な意味を持ちます」
「贈る者の気持ちを鑑みればそうなるが」
「好きな人の持つ物はそれだけで宝物ともなります。好きな人が持つハンカチ、好きな人が着ていた肌着、好きな人が口にくわえたスプーン、好きな人が愛用している枕、好きな人の髪の毛、などなど」

 それは、ちょっと解るが、行き過ぎると怖いぞ。

「人から見てゴミに見えるものでも、好き、という感情が無二の宝物へと変えるのです」
「それでは、ゼラが俺の血を特別と言うのは?」
「ゼラさんの、カダール様は他の人とは違う特別だ、という、思い込みですね」

 さんざん調べて、それでも解らず、危険を覚悟でタラテクトを捕獲し、俺の血を飲ませて、経過を観察して。
 その結果が、ゼラの思い込み? 俺の血に特別な魔力でもあれば簡単に解る筈で、それが何度も調べて解らないとなれば。

「ルブセィラ、本当に俺の血には何も特別なことは無いのか?」
「見つけられませんでしたね。カダール様の血は他の人と特に違いはありません。それにクインの過去をエクアド隊長とカダール様から聞きましたが、人の血を飲んだという話はありませんでした。進化する魔獣に覚醒するのに人の血は必要無い、となります」
「何も見つけられなかったのに、なんでルブセィラは嬉しそうなんだ?」
「何も見つからなかったからです。それなのにカダール様の血がゼラさんにとって特別だからです」

 ルブセィラ女史は檻の中のタラテクトを見る。檻にそっと手で触れて、夢見るように言葉を続ける。

「何の変哲も無い人の血、それなのにゼラさんはカダール様の血を口にして、暴走を止め、異形に変化しかけても、もとに戻りました。ゼラさんがカダール様を愛しているとき、カダール様の血は幻の奇跡の秘薬(エリクサー)に匹敵する万能の薬になります。そこに何の魔力も無く、秘められた不思議も無く、ただ好きと思う気持ちひとつだけで」

 潤む瞳のままルブセィラ女史は両手を組む。何かに祈るように。

「私には、これこそが奇跡ではないか、と、思えてならないのです」
「大げさな事を言う。ゼラ、というかゼラにクインといった進化する魔獣にとって、想いの力が姿を変え、魔法の源となる、ということでは無いのか?」

 ゼラは心の痛みから逃れようとして、人の姿を棄てかけた。ゼラが治癒の魔法が得意なのも、よく怪我をする俺が心配になったからだという。
 その心の想いが姿に現れ、扱う魔法の方向を定めてしまう。闇の母神が業の者と呼んだことも、その在り方からなのだろう。
 ルブセィラ女史はクルリと振り向き、少女のように微笑む。

「ゼラさんの想いの力を、人の善き方へと向かわせたのは、カダール様です。アシェンドネイルがからかうように赤毛の英雄と言ってましたが、そこに願いもあったのではないかと」
「ルブセィラ、研究者らしく無いことを言う」
「そうかもしれませんね。しかし、研究者だからこそ、目にした不可思議を見つめたいと思います。異形となりかけたゼラさんをもとに戻したのも、謎の多いルボゥサスラァの瞳とカダール様の血の力とすれば、説明は簡単でしょう。ですが違いますね。ゼラさんをこちらに引き戻したのは、カダール様の言葉と想いでしょう」
「それが魔獣研究者、ルブセィラの結論でいいのか? それをエルアーリュ王子への報告書に書くのか?」
「ええ、ゼラさんというアルケニーは、そういう存在だと、確信しましたから。今は胸が踊るような気持ちで、報告書を書くのは少し落ち着いてからにしますが」

 エクアドが頭を掻いて檻の中のタラテクトを見る。暗い檻の中、タラテクトは大人しい。

「カダールの血に特別な力も、魔獣を進化種に変える神秘も無い、か。それが解っただけでもカダールが狙われる理由がひとつ無くなる。しかし、何があるかと心配していたから、拍子抜けというかなんというか」
「エクアド、このタラテクトにこの実験はどうする?」
「結論が出たなら続ける理由は無いか。ルブセィラ、この最後の一匹は解剖するのか?」
「おそらく解剖しても何も出てこないでしょうね。ですが、念のためにもう少し経過を観察しましょうか」

 実験の為とはいえ、森の中で捕まえて、三匹の内二匹は解剖で亡くなった。この最後の一匹になったタラテクトは、人がくれるエサに慣れたのか、俺達が近くで見てるのに大人しい。
 俺の血を飲んだからと、お前は進化はしないのか。ホッするような、気が抜けたような。

「エクアド、このタラテクトなんだが……」

 言いかけた俺を止めるように、エクアドが深々と溜め息を吐く。

「カダール、そんな顔をするな。解った。ルブセィラが観察して何も無ければ、こいつは森の奥に捨ててこよう」
「ほう、それでは万が一の時の為に、私が餌やりと面倒をしっかりしなければ。このタラテクトはオスですからね。ハウルルのような美少年アルケニーになって、私に会いに来てくれるかも」
「おい、ルブセィラ、このタラテクトは進化する魔獣に覚醒しないと」
「はい。ですが、ローグシーの街の子供達に流行してるようですよ? 恩返しを期待して小動物を助ける、というのが」

 それはそれでどうなんだ? 街の子供に妙な遊びが流行るとは。これも母上の絵本の影響か? 
 檻の中のオスのタラテクトに言っておく。

「お前は騒動を起こしてくれるなよ」

 檻の中の茶色の蜘蛛からは、何も返事が無かった。タラテクトの赤い瞳が、薄暗い檻の中でキラキラしている。

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登場人物紹介

ゼラ

もとは蜘蛛の魔獣タラテクト。助けてくれた騎士カダールへの想いが高まり、進化を重ねて半人半獣の魔獣アルケニーへと進化した。上半身は褐色の肌の人間の少女、下半身は漆黒の体毛の大蜘蛛。お茶で酔い、服が嫌い。妥協案として裸エプロンに。ポムンがプルン。しゅぴっ。

カダール=ウィラーイン

ウィラーイン伯爵家の一人息子。剣のカダール、ドラゴンスレイヤー、どんな窮地からでも生還する不死身の騎士、と渾名は多い。八歳のときに助けた蜘蛛の子と再会したことで運命が変わる。後に黒蜘蛛の騎士、赤毛の英雄と呼ばれる。ブランデーを好む、ムッツリ騎士。伝説のおっぱいいっぱい男。

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