第五十話
文字数 4,929文字
長身の女、深都の住人。
この十日間ウィラーイン領諜報部隊フクロウが監視していた女を、領主館へと連れて来た。大人しくこちらの言う通りについて来た女を、領主館の喫茶室に案内する。
椅子を勧めテーブルを挟み対面に座る。
背の高い青い艶の黒髪の女は、落ち着いた様子で椅子に座り、護衛メイドのサレンが持ってきた果実水に口をつける。
俺の隣にはエクアド、フクロウのクチバ。この喫茶室を監視できる隠し部屋には、母上とアルケニー監視部隊。
念の為にエクアドの息子フォーティスはゼラの寝室へ。ゼラには寝室でフォーティスとカラァとジプソフィを守ってもらう。
この女は、深都の住人。今は人化の魔法で人に化けているが、正体を出して暴れられては、人には止めようが無い。
だが、こちらにも同じ深都の住人がいる。
俺の背後には正体を出したクインとアシェンドネイルがいる。
目の前の女は果実水を飲み干し、静かにこちらを見る。奇妙な貫禄を感じる堂々とした態度だ。
俺の左後ろに立つクインが口を開く。
「何やってたんだよ、アイジスねえ様は」
アイジスねえ様、とクインに呼ばれた女はアシェンドネイルとクインを見て静かに言う。
「久しぶりだ、クイン、アシェ。元気そうで何より」
「いやまぁ、元気だけどさ」
「先ずクイン、深都に戻っても直ぐに離れ、ウィラーイン家に半分住んでいるような状態とは、どういうことだ?」
「そりゃ、カラァとジプソフィのことが心配で、でも捜索もやってるしお使いもしてる。問題無いだろ」
口を尖らせ不満そうなクイン。
カラァとジプソフィが産まれ、ゼラの身体が治ってからクインはこの領主館を出た。三日後にまた来た。どうやら深都の用事があるときは外を飛び回り、それ以外の時はこの館に顔を出すようになった。
アバランの街を見に行くこともあるが、何かと理由をつけてこの領主館に滞在しようとする。カラァとジプソフィのことが気になって仕方無いらしい。
目の前の長身の女は続けてアシェンドネイルに言う。
「アシェ、いつまでローグシーにいるつもりだ?」
「私は次の外交官役が決まるまでの繋ぎでしょう?」
「ローグシーに送る大使の候補に、次々と文句をつけて突っぱねてるのはアシェだ」
「それは人選が間違ってるからでしょう」
「乱暴者だからダメ、大雑把だから危険、細かいところに煩い性格だから人と同じ館に住めない、人に対して傲慢だから無理、引っ込み思案で人と交渉できない、言動が子供の教育に悪い、と誰を候補に選んでも文句をつけて……」
「事実、そうだから。この館には一歳にならない子供が三人もいるのだから、気を遣って人と住める者で無ければ無理なのよ」
「それをアシェが言うのか?」
「私はそれなりにウィラーイン家と、これまでやっているわ」
アシェンドネイルは、カラァとジプソフィが産まれてからそろそろ一年、ずっとこの館に住んでいる。人をからかう悪癖はあるが、前より少し丸くなったような。
父上が提案した、脱走した深都の住人を待ち構えて捕まえる為の、深都からの外交官役。その人物が決まるまでの繋ぎとアシェンドネイルは言っていたが、それがずっと決まらないままズルズルと時が過ぎた。
今ではこの館にクインとアシェンドネイルの部屋がある。二人で一つの部屋を使っているが、二人とも寝るときはゼラの寝室をよく利用する。
今までアシェンドネイルが大使の候補者を落としていて、それで決まらなかったのか。知らなかった、初めて聞いた。
そんなにこの館に住みたいのか?
アシェンドネイルはツンと顎を上げる。
「私が安心してカラァとジプソフィを任せられるお姉様で無ければ、認めないわ」
「誰を候補にしてもアシェは文句をつけるから、こうして私が来ることになったのだ」
長身の女は疲れた息を長々と吐く。その女に向かってクインが言う。
「アイジスねえ様こそ、ローグシーに来たならさっさとウィラーイン家に来るべきだろ。ローグシーの街で何をしていたんだよ?」
「偵察だ」
「偵察う?」
女が手にする空のグラスに、護衛メイドのサレンが果実水を注ぐ。女はグラスに口をつけ、美味そうに果実水を飲む。
「ローグシーの街の地形、街の様子などを調べていた。それと話で聞くウィラーイン家の諜報部隊、フクロウの手並みを見る為に。私がこのローグシーの街に来て十日、随分と発見が遅かったようだ」
静かな目で俺達を計るように見る女。フクロウの腕前を調べるつもりだったのか? フクロウを統べるクチバが、冷めた目で女を見る。
「いえ、貴女がこのローグシーの街に入った日から、フクロウは貴女を監視してましたよ」
「何?」
「目的が不明の深都の住人。アシェンドネイルに貴女が危険な人物では無いと聞いていたので、監視しながら泳がせていたのです」
「……そうだったのか」
「そーですよ」
目の前の女は目を泳がせてから話す。
「……それと、この街に既に潜入しているハイアンディプスを見かけた。ウィラーイン家に迷惑をかける前に、私が捕まえようと居所を探っていたのだ。それを終わらせてからウィラーイン家に行くつもりだった」
「ハイアンディプスの居所はもう掴んでいる」
「何?」
俺の言葉に動揺する目前の女。余裕のあった態度が崩れて来ている。フクロウのクチバに促して、現在のハイアンディプス、深都の脱走者の一人の情報を説明してもらう。
「スキュラのハイアンディプスは半月前にこのローグシーに来ました。今はローグシー守備隊の副隊長が匿っています」
「そ、そうなのか」
「守備隊副隊長の報告では、暴れたり問題を起こしたりする様子は無いですが、慣れない環境で気持ちが不安定な様子。ハイアンディプスの状態を窺い、落ち着いたらウィラーイン家に挨拶に行かせることを約束させた、とのこと。なのでハイアンディプスにはフクロウの監視をつけ、動向を見守っている状態です」
クチバの話を聞き、女はテーブルの上で手を組み合わせ、親指を擦り合わせる。毅然としていた感じが、失われつつある。
エクアドが女に尋ねる。
「貴女はローグシーの宿に宿泊しているが、その宿を経営する夫婦の子供と、何故、ローグシーの通りで追いかけっこを?」
「そ、それは、あの子供達が何を勘違いしているのか、私につきまとっていて……」
「それと、ローグシーに来てからほとんど睡眠をとっていないと、フクロウの監視で解っているのだが、その理由は?」
「そこまで解っているのか……、眠って意識が途切れると、人化の魔法が解けてしまうので、」
「それで寝不足なのか?」
「あの宿の個室は狭いし、私の本来の姿は、深都の中でも、大きい方で……」
俯き声が小さくなる目の前の女。こうして領主館に連れて来たのだから、もう騒ぎを起こしたりはしないだろう。これなら誕生日祝いも無事にできそうだ。
では、改めて挨拶するとしよう。
「もう知っているかもしれんが、名乗らせてもらう。俺がカダール=ウィラーイン。ゼラの夫だ」
青い艶の黒髪の女は、咳払いして姿勢を正す。
「深都にて、妹達を見守る十二姉が一人、アイジストゥラという。どうやら手間をかけさせたようだ、謝罪する」
頭を下げる長身の女。クインやアシェンドネイルを取り纏めるという年長の十二人、深都の幹部とも言うべき存在、十二姉。伝承に伝わる進化する魔獣を統べる者。
俺の目の前にいるのが、ウィラーイン家に来た新たな深都の住人アイジストゥラ。クインとアシェンドネイルを超越する存在と聞いて、緊張していたのだが。
黒髪の女は目を泳がせて話す。
「あー、その、だな。私は人化の魔法も気配隠蔽も得意な方だが、人の街に来るのが何十年振りになるのか、それで心配になり、人の様子を見て上手く溶け込めるかと、少し練習をしてから、ウィラーイン家に行こうかと」
言い訳しなくとも良いのだが、気恥ずかしそうに説明する。そこがキリッとした格好いい第一印象とのギャップがあり、なんだか可愛らしい。
「どうやら人に紛れるのは上々といったところで、そろそろウィラーイン家に、と」
「いえ、紛れていませんよ」
クチバの声にピシリと固まるアイジストゥラ。
「やたらと背の高い格好いい美人がフラフラして、宿屋の息子と娘に追いかけ回されていると、街の中で目立ってましたから」
「そ、そうだったのか」
アイジストゥラはちょっと項垂れて、軽く首を振り身を起こして、
「とにかく、今後は私が深都の大使として、脱走者対策にあたる。ウィラーイン家に手間をかけさせて申し訳無いが、よろしく頼む」
「こちらこそよろしく頼む。では宿屋に荷物があればここに持って来させよう。館の案内はアシェンドネイルに頼んでもいいか?」
アシェンドネイルが返事をする前に、アイジストゥラが割り込む。
「待て、カダール。お前に話がある」
「聞こう、アイジストゥラ」
気を取り直したアイジストゥラは、真剣な目で俺を見る。途端に空気が張り詰める。
「カダール、お前はこれからもゼラと共に在るつもりか?」
「無論、俺はゼラとカラァとジプソフィと共に在る。娘は大きくなれば親から離れてしまうだろうが、俺は家族と共にいる」
「カダール、お前は人と魔獣、どちらの側に立つつもりか?」
「先程と同じ、家族の側に立つ。そこに魔獣と人の区別は無い」
「カダール、お前は……」
アイジストゥラが手を伸ばす。握手だろうか? 俺も手を伸ばしアイジストゥラの手を握る。アイジストゥラの目が金色に光る。
「お前は、何故、ゼラを見つけた?」
「何故と聞かれても解らん、偶然だろう」
偶然に理由は無い。理由は無いがその後の繋がりが、偶然に運命を感じさせる。だが、ゼラを見つけたのが偶然だとしても、あのときにゼラを拾い、家に連れ帰った行為が運命に変えた。命を運んだ行為が今の俺とゼラへと繋がり、カラァとジプソフィに続いていく。
「俺がゼラを見つけたときに、俺とゼラの糸が繋がった。それが今も続いている。その原因が何かを聞かれても、俺には解らない」
「……そうか」
「アイジストゥラが何を聞きたいのか解らん」
「カダールだけが特別なのかどうか、知りたかっただけだ。本当に、特殊な感覚が有るわけでも無く、人間離れした能力が有るわけでも無いのか……」
アイジストゥラが俺の手を離す。俺は握られた手を見る。特に何も無い。
「俺を調べたのか? アイジストゥラの魔法か?」
「少しばかり。ゼラのことがあるとはいえ、何故、お前に惹き付けられる者が多いのか。それを知りたかった。カダールの肉体にはなんの異常も無い。かなり鍛えられているのと、肌に古傷が多いくらいか。内臓も健康だ」
気が抜けたように言うアイジストゥラ。俺に何を期待していたのか。俺をさんざん調べたルブセィラ女史も、俺に特別なものは見つけられなかった。今、調べられてもそれは変わらないらしい。
「クインが言っていた、ド変態のスケベ人間というだけの、ただの人間なのか」
ぐむ、初対面で勝手に人の身体を調べて、その上でド変態のスケベ人間呼ばわりとは。なんて女だ。深都の住人はこんなのばかりなのか?
いや人の街にくるのが何十年ぶりとなれば、人との付き合い方も解らないか。
だが、このアイジストゥラ、一見慎重そうで毅然として見えて、なのにところどころ隙の多い女のようだ。それはそれで、遠慮無く本音で言い合えるからいいか。
「アイジストゥラの話は終わりか?」
「私の話は。しかし、カダールと話をしたいのは私では無い」
アイジストゥラが懐から出した物をテーブルの上に置く。
「カダールに話があるのは、我らが母だ」
テーブルの上にあるのは、拳大の赤い宝石。
闇の母神の瞳。
「これからもゼラと共に在るなら、我らが母の声を聞け」
アイジストゥラが厳かに告げる。