第十七話

文字数 5,552文字


 俺の言うことに笑みを消し、沈黙して応えないアシェンドネイル。聞いていたルブセィラ女史と母上が俺を見る。
 闇の母神が魔獣を産み出す、正しくは魔獣の生態系? とかの管理らしい。これを知ってるのはクインから話を聞いた俺とエクアド、ゼラ。あとは深都の住人だろう。
 これをルブセィラ女史と母上に話してもいいことか、迷いはあるが、アシェンドネイルに聞いてみたい。
 アシェンドネイルは本当に人の敵なのか。悪行を為したのは事実だが、俺にはアシェンドネイルが、ただ人に災いをもたらすだけの者とは思えない。かつてアシェンドネイルが俺を見たその目、懐かしいものを見るような、憧れの入った目に悪意は感じられなかった。それだけしか根拠は無いのだが。

「闇の母神が人を守る為に自ら狂ったと聞いている。それが無ければ魔獣は今より多く、人は今よりも数を減らしているとも。だが、人が増えるほどに魔獣の王種の発生は増える。これは闇の母神が魔獣の発生を、完全に抑えることはできないということ」

 アシェンドネイルは無言のまま。ルブセィラ女史と母上は、俺が言うことを聞き漏らすまいと真剣な顔になる。

「灰龍が鉱山に居座れば、ウィラーイン領は困窮する。そんな状態で魔獣深森で王種誕生となれば、ウィラーイン領で魔獣の大侵攻を止められなくなる。魔獣の群れがウィラーイン領を抜け、スピルードル王国を荒らすことになる。
 また、メイモント軍が操られるままにスピルードル王国に進軍した。これでメイモント王国とスピルードル王国の対立は深まる。ゼラが止めてくれたおかげでスピルードル王国の被害は少なくなったが、遺恨は残る。
 盾の国、中央のスピルードル王国、北のメイモント王国、互いに睨み合うようになれば、魔獣深森からの防衛に全力を向けられなくなる。
 最悪、人の国同士で戦争となり、これで戦力を減らせば魔獣被害も増える。事実、北のメイモントではアンデッド軍を失い、魔獣深森からの防衛に困っている。
 アシェンドネイルのやったことは、人の数を減らす状況を作ることが目的。違うか?」

 アシェンドネイルの目隠しの皮ベルトを睨む。隠された目は見えない。アシェンドネイルは笑みを消して、俺に顔を向けている。沈黙のままだ。俺は続けて、

「闇の母神を作った古代魔術文明、その創造者の思惑通りに進んでいるならば、ルボゥサスラァは狂わずに済んだのではないか? それならば、人の数を減らして、過去の人類の計画に沿えば、ルボゥサスラァは正気を取り戻す、ということではないのか?」
「……赤毛の英雄に会いに来たお姉様は、ずいぶんとお喋りだったみたいね」
「お前の目的は、今の人の数を減らすこと。闇の母神の本来の役割、人を滅日から守るために、人の数を減らし、文明の発展を留めること。アシェンドネイル、もしかして、お前は人類を守ろうとしていたのか?」

 アシェンドネイルを見れば、少し考えて、小さく微笑んで。

「赤毛の英雄に話したお姉様は、細かい説明が抜けているようね。それでも思索でそこに辿り着くのは素敵ね」
「俺の推測は当たっているのか?」
「誤解のあるところを、どう訂正しようかしら?」

 アシェンドネイルは軽く肩をすくめて首を傾げている。母上は、ふうん、と考えて、ルブセィラ女史は、何故クインの話を教えてくれなかったのか、という目で俺を睨んでいる。
 アシェンドネイルが口を開く。
 
「私にとっては、人はわりとどうでもいいのよ。魔獣を産みだすシステムは、我らが母が狂うことで本来の機能を発揮できない。だけど、人が増える程に機能は活性して、抑えようとする母が苦しむことになる。私はね、我らが母の苦しみを和らげる為に、人の数を減らす為に、人同士で殺しあう仕組みを作るつもりだったのよ」

 人同士で数を減らせれば、魔獣が増えることも防げるというのか。王種発生からの魔獣被害を減らすには、本末転倒だ。いや、これは人の側から見た都合か。

「人間を種として長く生かす為には、魔獣がいないと困るのは人間の方よ」
「その魔獣を産み出す機能とやらを止めることはできないのか?」
「止めてどうするの? 魔獣がいなくなれば人類は栄えて直ぐに滅ぶ。魔獣のいない世界では人類は三千年と持たずに絶滅するわ」
「人類の心配をしてくれているのか?」
「冗談、やってみたかったら実行してみたら? 深都に進撃して我らが母を殺せば、この地に魔獣はいなくなる。人に寿命があるように、人類にも寿命がある。魔獣のいない世界で太く短く生きるか、魔獣と共に細く長く生きるか、好きな方を選べばいいのよ」

 突き放すように話すアシェンドネイルに、母上が応える。

「人は強欲だから、太く長くを選ぶと思うわ」
「その強欲さで道を間違えて、細く短くならないといいわね」
「あなたのお母さんが魔獣を産み出しているのは、解ったわ。古代魔術文明に、魔獣産み出す闇の母神、ね……」
「我らが母は人のことも己の子のように愛しているわ。だから人が全滅すれば悲しむわね」

 魔獣がいなければ、人は平和に繁栄するだろう、そう考えていた。クインの話を聞いても、魔獣がいない世界では、人はすぐに滅ぶ、というのがよく解らない。人を襲う天敵がいない世界は、平穏ではないのか?

「アシェンドネイル。俺には人類が魔獣と戦い続ける方が、滅日を迎えずに済む、というのがよく解らない」
「それはそうでしょうね。人間だけの世界で滅びに瀕した古代魔術文明の人と、身近な魔獣と戦い続けた盾の国の人では、その精神が違うもの。その点においては成功しているのよね」
「俺にも解るように説明してくれないか?」
「説明しても解るとは思えないのだけど、そうね……」

 アシェンドネイルは軽く上を向く。倉庫の天井には何も無い。ゼラの作った魔法の白い明かりが倉庫の中を、明るく照らす。

「どう言えばいいのかしら。魔獣がいない世界では、人はどうなるのかしら?」
「人同士、協力しあい平和に暮らすのではないか?」
「だったら素敵ね。魔獣という敵がいなければ、人の敵は人しかいなくなるわ。それは中央を見れば解ることよね。人は戦うことで強くなる。戦いに備えることで賢くなる。魔獣のいない世界では、人は人と殺し合うことで強くなり、互いに騙し合うことで賢くなるのよ」

 アシェンドネイルの話を聞いていたゼラが口を挟む。

「ンー、でもそんな人ばっかりじゃ無いよ。カダールは優しいし、ハハウエもチチウエもエクアドも、部隊の皆もいい人だよ」
「それはここがウィラーインだからでしょう。ゼラは恵まれているわね。それに同族と共食いすることを忌避するのも、また人間ね。それが問題なのよ」
「同族と争わぬことが問題? どういうことだ?」
「争わないということは、その結果に強さと賢さを失うということ。それを人は知識と技術で補おうとする。知恵で発展しようとする人間の、その器の限界が人の限界。
 人間は天敵がいなければ、知識を重ねあらゆる分野で技術は発展する。古代魔術文明は次々と新技術を発見発展させて、栄華を極めた。
 個体としての人の成長が、追い付かない速度でね」

「人の成長が追い付かない? それは人が使いこなせない、ということか?」
「例えば知識、世代を重ねる毎にうず高く積まれる山のようなもの。際限無く巨大化する知識の大山。積み重ね過ぎてこれを人が理解して憶えることもできなくなった。やがて情報を積めた石を脳に直接埋め込む技術、なんてものも生まれたのよ。この技術で人は賢くなれると思う?」
「知識の詰まった石を脳に埋め込む? それは、図書館を小さくして、頭に入れる、ようなものか? なんだかよく解らんが」

 ルブセィラ女史が指で眼鏡の位置を直す。

「それはただ識っているというだけで、賢さとは呼べません。情報を理解して使いこなしてこその知恵です。それどころか知識だけを頭に多量に入れて、それに従うだけでは、自分で考えることができなくなります」
「そうなのか? ルブセィラ」
「記憶力が良いのは利点ですが、詰め込んだ情報に流されるだけでは、思考力を育てることができません。論理的に考え自ら答えを見つける。思考力を育てずに知識だけ頭に入れても、それは教えられた正解になんとなく従うだけの、ただの物知りです」

 母上も頷いて、

「教えられた知識と、身につけた知恵は質が違うのよ。剣術を識っているというだけで、木の剣で素振りもしたことのない子供に、切れ味の良い剣を持たせたらケガをするわ」

 なるほど、母上の説明は解りやすい。アシェンドネイルは母上とルブセィラ女史を見る。

「今、おもしろい例が出たわね。文明が進み切れ味の良い剣は簡単に手に入るようになる。でも使い手を育てるのは面倒。手っ取り早く使えるようにしたい、だけどケガはしたくない。それを技術で補って、人の代わりにその剣を使える者を作ったりしたのよ」
「それが、行き着いた社会の、人より賢く、人より強いもの、か」
「そんな世界では、人間らしさ、とは何かしら? 人より賢いものが代わりに考えてくれる。人より強いものが代わりに働いてくれる」
「優しさ、とか、元気の良さ、とか、可愛らしさ、だろうか?」

 チラ、とゼラを見ると、目が合ってゼラは目をパチクリとさせる。

「……まさか、ここでのろけるとは思わなかったわ。流石、赤毛の英雄ね。そう答えられたら、古代魔術文明も滅ばなかったのかもね。滅日の前の人達の人間らしさとは、弱いこと、愚かであること、よ」
「それでは生きていけないだろう?」
「それで生きていけるように、技術だけが発達したの。その技術で社会秩序を維持するために、人の感情も消していって」
「何故、そんなことを? 感情の無い人間なんて、それは人間なのか?」
「恨むことも憎むことも無ければ、誰かを殺すことは無いわね。羨むことも妬むことも無ければ、人を害することも盗むことも無い。喜ぶことも楽しむことも無ければ、下らない遊戯に時間を取られることも無い。正義感も、ときとして社会の崩壊を望む。人が理想とする、犯罪も争いも無い社会には、人の感情は不要なのよ」

「それでは、まるでアンデッドみたいじゃないか」
「その通り。人の社会の行き着いたところには、頭に詰め込まれた情報に従うだけの、感情の無い人間だけがいればいいの。そんな世界では、頭の良すぎる人も、強すぎる人も、行き過ぎた平等の中で異常として治療されるのよ」

 それが人類の未来だとは信じられない。信じたくは無い。感情を無くして、頭に入れられた石に従うだけなど、それは人間では無い。

「アシェンドネイル、そんな生き方は人の生き方では無い。生きる喜びも楽しみも感じられなければ、人は何の為に生きるのか解らなくなる」
「いきなり経過を省いてオチに行くのね。なんてカン働きをしてるのかしら」
「オチ? いや、俺はそんな世界で生まれなくて良かった、としか」
「生きる喜びを無くし、子供を可愛いとも思えなくなり、子育てもできなくなる。生きる気力を無くした人を生かす為に、様々な改造もしたけれど、一度失った生命力を取り戻すことはできなくなった。発展した技術に頼り過ぎて、人は自然に生きることすらできなくなったの。
 そこまで行って、ようやく人の精神力が、人という種が生き延びる為に必要というのが解る。でも解ったときには手遅れ、というのは、よくある話よね」

「精神力、根性とか気合いとか、か?」
「呼び方は状況で変わるかしら。知識と技術に踊らされず、逆に支配して扱えるような心、というところ。
 古代魔術文明の人達は滅日の前に、次の人類が同じ(わだち)を辿らぬようにと、魔獣を作り、魔獣の管理をする我らが母のようなシステムを幾つか作った。
 常に魔獣と戦い、勝てねば生き残れぬ世界ならば、過酷な状況を自力で克服できるようになれば、人の精神は鍛えられる、なんてね。ついでに技術の進歩を足止めして、人が扱いきれぬものを作れば、破壊するようにとも」
「それが、今は無き古代魔術文明が残したもの、か」

 天敵のいない人だけの世界で滅びた古代魔術文明。作られた魔獣とは、強制的に人を鍛える為のものなのか。
 ルブセィラ女史が呟く。

「盾の国では魔獣に殺される者が出ます。ですが、魔獣のいない中央では、代わりに食料不足からの餓死に、人の国同士で土地を奪い合う戦争があります。これはどちらがマシなのか」
「盾の国では上手くいってるみたいね。そしてこのウィラーイン領では上手く行き過ぎている。強く鍛えられたウィラーイン領の猛者が魔獣を退けてしまうのだもの。王種誕生からの魔獣大侵攻も、ウィラーイン領の強兵がいなければ、スピルードル王国を抜けて中央まで損害を与えられるのに」

 アシェンドネイルは喋り過ぎて喉が乾いたのか、ゼラに果実水を催促する。ゼラがコップを持って、手を動かせないアシェンドネイルに飲ませている。
 過去の文明の滅びた経緯。各地に残る遺跡に見る古代魔術文明。行き過ぎた技術を扱えず、逆にその技術に流されて、人としての感情まで失った人達。
 便利になる、ということは、弱くなることと同義なのか。知恵を頼りに発展して、その知恵の産物の結果に、弱くなり愚かになり心まで失うのか。
 果実水を口にしたアシェンドネイルが、ふう、と息を吐く。

「ウィラーイン領がこれでは、人の数を減らすには、中央で疫病でも流行らせるしか無いのかしら?」


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登場人物紹介

ゼラ

もとは蜘蛛の魔獣タラテクト。助けてくれた騎士カダールへの想いが高まり、進化を重ねて半人半獣の魔獣アルケニーへと進化した。上半身は褐色の肌の人間の少女、下半身は漆黒の体毛の大蜘蛛。お茶で酔い、服が嫌い。妥協案として裸エプロンに。ポムンがプルン。しゅぴっ。

カダール=ウィラーイン

ウィラーイン伯爵家の一人息子。剣のカダール、ドラゴンスレイヤー、どんな窮地からでも生還する不死身の騎士、と渾名は多い。八歳のときに助けた蜘蛛の子と再会したことで運命が変わる。後に黒蜘蛛の騎士、赤毛の英雄と呼ばれる。ブランデーを好む、ムッツリ騎士。伝説のおっぱいいっぱい男。

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