第十一話◇エクアド主役回
文字数 6,570文字
机の上の書類に目を通す。ウィラーイン家の屋敷の一室、アルケニー監視部隊が借りているところで、仕事を片付ける。夜の屋敷の中がランプで薄暗く見えるのは、ゼラの魔法の明かりに慣れたせいだろうか。
隊長として増員する予定の隊員のチェック、ゼラが目立ちゼラの活躍が噂になり、アルケニー監視部隊に入りたいという者が増えた。
その中にはアプラース第二王子の手の者、教会からの回し者とおぼしき者もいる。ゼラの力を見れば、それを思うがままに扱えるというのは魅力だろう。身の程知らずほどにこの誘惑には勝てないらしい。
その力を目にしたエルアーリュ王子が、慎重でしっかりしていて助かる。
しかしこの俺が王子直下の特殊部隊の隊長とは、オストール男爵家の三男が訳の解らない出世をしたか。その上、ウィラーイン家の養子になる予定だ。二人の兄貴は驚いている。
「ふう、」
眠気覚ましに茶を淹れる。王子がゼラに贈ったものを少し分けてもらった茶葉がある。今宵も徹夜だ。今頃、ゼラとカダールはムニャムニャの真っ最中だろう。
カダールという男は一見、色恋には興味の無い堅物に見える。真面目な顔で黙って立っていれば、厳しい感じの男だ。
騎士訓練校以来の腐れ縁で、側で見ていれば女に奥手のムッツリというのは解っている。
王都の騎士訓練校とは男女別で、真面目な奴、繊細な奴ほど女慣れしてない。中には女に変な幻想を抱く奴もいる。羽目を外して遊ぶのが苦手、というのがカダールという男だ。
そこを心配して昔、騎士見習い時代に一度カダールを娼館に連れて行こうとしたことがある。
『俺は、その、女性を金で買うとか、そういうのはちょっと。いや、それがひとつの職業であり世にあるというのも、それが必要だからだろう。だが俺はそういう風に女性を扱うのは。それに初対面の相手といきなりする、なんていうのは、俺には無理そうだ』
カダールはそう言って断った。お前は乙女か、ロマンチストか。だがカダールは俺が思うよりも恋に熱く生きる男だった
ゼラと出会い、いや、再会してからか? 見てる方がさっさとくっついてしまえ、と蹴りたくなるくらいに想い合い、いきなりいろいろすっ飛ばしてくっついた。これも真面目なカダールがゼラの気持ちに真摯に応えた結果なんだが。
くっついたらくっついたで、イチャリイチャリするところを見せつけて、お前らいい加減にしろ、と頭を叩きたくなる。ゼラには機嫌良くいてもらわないと困るし、目を離す訳にもいかない。二人の夜の閨まで見張らなければならないのは、カダールには悪いとは思うが。……最近は慣れてきたのか開きなおってないか?
見張り小屋での夜警は女性のみ、ということにした。アルケニー監視部隊は女性の方が多いというのもあるが、男と女が一緒に小屋から倉庫の中を見張り、ゼラとカダールのムニャムニャを聞いてると、これはいろいろ不味い。
今も女性隊員からは不満がある。男は娼館で発散すればいいけれど、女はどうしたらいいんだ? と、文句を言われる。
俺もテント夜警でカダールとゼラのムニャムニャを外で聞いたが、顔見知りのそういうところを聞かされて、翌日、どんな顔で会えばいいかと悩んだ。ゼラはともかくカダールは辛そうだが耐えている。あいつら心臓が強い。
ゼラの実況中継混じりの喘ぎ声を聞いてると、こっちまでムラムラしてくる。皆、何でもない、という顔して律してはいるが。
女性隊員の不満はどうにかしないと、と考えて替えの下着を部隊の経費で支給した。もともとスピルードル王国は中央ほど、同性愛に煩く言う土地柄では無いが、最近では一部の女性隊員は女同士で発散したりしているようだ。女騎士団にはそういうのもあると聞いてはいるが、おかしな揉め事の種にならなければ良いが。
いきなり隊長となったのだが、他の部隊はこのあたりどうしているのだろうと、ウィラーイン伯爵に相談にのってもらったりもした。
俺自身、隊を率いる経験がほとんど無い中、ウィラーイン伯爵ハラード様に頼るところが大きい。ウィラーイン領兵団より経験豊富な者がアルケニー監視部隊に来てくれて助かる。
何より前例の無い特殊過ぎる特殊部隊。悩むことが多い。ゼラを監視するだけのはずだったのだが、いつの間にか戦争に参加して、次は支援活動だ。
そして出会うのは伝説の魔獣。ラミアにカーラヴィンカ。クインからは闇の母神と深都のことを聞かされ、次はスコルピオと。
俺まで伝説に語られる物語に迷い込んだようじゃないか。いや、俺も知らぬ内にカダールのついでにゼラに助けられて、そこから縁ができていたのか。
温かな赤茶を一口飲む。王子がゼラに贈った上質の茶を味わう。眠気覚ましに飲むには高級過ぎる一杯か、一息ついて机の脇に置いた筒を開ける。中に入っているのはクインの尾羽根。カーラヴィンカの大きな尾羽根は、エメラルドと黒
結局、クインとは次に会う約束もできぬまま、別れてしまった。これでは会おうと思っても簡単には会えない。
クインは人の敵とはならないだろう。アバランの町にクインの愛した者の子孫がいる。アバランの町に危機があれば、文字通りに飛んで来るだろう。
カダールとゼラのように、俺がクインと上手くいけば、クインもゼラのように人の側に立ってくれるのではないか? ゼラと同等かそれ以上の力を持つクイン。その上、深都のことを知る手がかりだ。
秘宝と呼んでもいいクインの尾羽根を手に眺めていると、扉をノックする音がする。
「誰だ?」
「フェディエアです」
「入ってくれ」
フェディエアが部屋に入って来る。数奇な運命に巻き込まれた、ということでは一番の被害者。部隊に誘い初めは気を使っていたが、芯の強い女のようでしっかりしている。
「フェディエア、夜中にどうした?」
「夜警の交代です。さっきまで見張り小屋に詰めてました」
言ってフェディエアは机に書類をそっと置く。見張り小屋、ということはさっきまでカダールとゼラのムニャムニャを聞いていたのか。
「部隊の制服について、試算が出ましたので持ってきました」
「ハイラスマートの晩餐会では、ハイラスマート伯爵に頼ってしまったからな」
「今後の為にも揃えておいた方が良いですね」
「外の警備は?」
「何も問題無く」
「ゼラとカダールは?」
聞いてみるとフェディエアは、ふー、と深く溜め息を吐く。
「あの二人はなんなんでしょうね。ゼラちゃんがスゴイのは解りますが、そのゼラちゃんを相手にするカダール様もまた、人並み外れてますね。聞いてる方が疲れてきます」
「いや、それならそれでいいんだ。おかしな特殊なプレイに挑戦して、カダールが骨折しなければそれでいい」
「それはクインの羽ですか?」
フェディエアが俺の手の尾羽根を見る。フェディエアに渡すと恭しく捧げ持つようにして、緑の尾羽根を受け取る。
「生きた宝石、ハイイーグルの羽を越える逸品ですね」
「その尾羽根にも風系の魔術を強化する力があるらしい。ルブセィラが調べたところ、これもハイイーグルを越えていると」
「希少性なら灰龍、黒龍の鱗に匹敵するのでは?」
「カダールは記念だとポンと渡してくれたが、希少過ぎて売ることもできない。もっともこの尾羽根が何か、解る者もそうそういないだろうな」
尾羽根を見るフェディエアにお茶を淹れることにする。
「おっと、寝る前なら茶はやめた方がよかったか?」
「いえ、いただきます。すぐに寝られそうにもありませんから」
「そうか」
クインの尾羽根を机に置いて赤茶を飲むフェディエア。緑の尾羽根を見る目は、価値を探るというよりはクインのことでも思い出しているのか。
「その尾羽根も希少だが、ルブセィラが言うにはゼラの蜘蛛の体毛もまた特別らしい」
「お守りとして人気はありますけれど、何か解りましたか?」
「隠蔽されているので効果が解り難いが、自然治癒力を高める力があると。見た目で劇的な効果がある訳では無いので、発見しにくかったらしい」
「まさか本当にお守りになるなんて」
「これが広まるとゼラの毛を狙う奴が増えそうだ」
「流石はゼラちゃん。伝説の魔獣だけあって騒動の種にはこまりませんね」
クスクスと笑うフェディエア、前よりは険が取れてきたか。真夜中、薄暗いランプの明かりの中で、のんびりと茶を飲む。今のところ外は静かだ。警戒しているウェアウルフの襲撃もまだ無い。
クインの尾羽根を見ながらフェディエアが訊いてくる。
「エクアド隊長、クインを口説こうというのは本気ですか?」
「そのことか? クインのことは気にはなっている。何かおかしいか?」
「やめた方がいいですよ」
フェディエアはテーブルの上にカップを置いて、またクインの尾羽根を手に持つ。やめた方がいいとはどういう意味だ?
「クインは何十年と一人を想い続ける、恋に生きた伝説の魔獣。それと相対できるのは、カダール様のように人の世を捨ててもゼラちゃんの側に立つと覚悟した、本気のおバカさんだけ」
クインの緑の尾羽根を透かして俺を見るフェディエア。確かにカダールの覚悟というのはなかなかできない。半分蜘蛛でも抱いてしまう、ということも含めてだが。
カダールとゼラの間に子供ができたとしても、その子供がウィラーイン家を継げるとは思えない。それで俺をウィラーイン家の養子に、という話が進んでいる。ハラード様にもルミリア様にもその話はして、手続きも始めている。
カダールは何か事があれば、ウィラーイン伯爵家を捨て、ゼラと共に身を隠すことも考えている。その後のウィラーイン家を親友と呼ぶ俺に託して。
次期伯爵という責任を軽んじている訳じゃ無い。ゼラという人を超越した力が人の世に起こす混乱から、人を守らねば、とカダールは考えてもいる。騎士として、貴族として、民を守らねばならない、と考えるのがあいつだ。
だがそれもカダールがゼラと共に在ることが、先になっているのか。
「クインを人の側にと計算高く考えるエクアド隊長には、クインは重すぎる女だと思いますよ。クインが本気になったら、きっとゼラちゃんと同じくらい全身全霊で迫ってきますね。その上でちょっと恥ずかしがりのようで、めんどくさいことになるのでは?」
「俺ではクインを受け止めきれないか?」
「できると思います?」
「いい飲み友達にはなれそうなんだが」
クインもゼラも、恋の為ならドラゴンさえもやっつけて食べる無敵の純情だ。生半可な覚悟で相手にできる存在では無いか。改めてカダールという男がとんでも無く見える。
「フェディエアこそどうなんだ?」
「私、ですか?」
「あぁ、前にハラード様が言っていただろう」
「ゼラちゃんと仲良くできるようなら、カダール様の側室に、とのお話ですか」
カダールがそこを上手くやれる男なら、アルケニー監視部隊の中から選ぶこともできるだろうが。カダールは俺がモテると思っているが、あいつもモテる男だ。
だいたい俺の武名というのはカダールと一緒につるんでいるから上がったようなもの。カダールは無双伯爵と呼ばれるハラード様の一人息子と、昔から注目されていたか。
フェディエアはクインの尾羽根をそっと撫でる。
「ゼラちゃんの邪魔はしたくないですね。それにあの二人を見てると羨ましくなってしまう。だから私もできるなら、私を二番目じゃなくて一番目に見てくれる殿方が良いですね」
「そうなのか?」
「意外ですか?」
「意外、というか、フェディエアはもう少し利害や損得で考えているのでは無いかと思っていた」
「それはもちろん。その上で愛があれば言うことは無いですね。贅沢なことを言ってますが」
「フェディエアの器量なら簡単に見つかるんじゃないか?」
「私はあまり可愛げが無いですからね。私よりもエクアド隊長はどうするのですか?」
「俺か?」
「正式にウィラーイン家の一員となれば、嫁に来たがるのも増えるでしょうね。カダール様が側室を迎えなければ、エクアド様との間にできた子供がウィラーイン家の当主になる、ともなれば尚更」
「カダールに付き合っていたら妙なところに立つことになった。落ち着いて考える時間を作るには、先ずはスコルピオのハウルルの件を片付けなければ」
「落ち着かせてくれますか? 伝説の魔獣が次から次へと現れて、しかも恋をしたりお酒を呑んだりお話したりと、私なんて邪教の悪の神官に拐われて、まるでお伽話に迷い込んだみたい」
「俺も同じようなことを考えていた」
これがお伽話のように幸福な結末に辿り着けば良いのだが、クインから聞いた話では人の行く末は暗い。人が増えればそれに合わせて魔獣が増えて、魔獣被害を減らすには人を減らさねばならない。どちらを選んでも救いが無さそうだ。
「だが、現実はお伽話のようには甘くは無い。ゼラの力に頼ってばかりでは、ゼラの力が出ないときに俺達が役立たずに終わってしまう。今日、明日はゼラが魔力枯渇で戦力としては期待できないから、襲撃があれば俺達で対処だ」
「そこは皆、解ってますとも。私達はそのためにいます」
フェディエアは俺の顔を探るような目で見ている。なんだろう。
「隊長は苦労してますね。特殊部隊の隊長というか、これでは蜘蛛の姫と黒蜘蛛の騎士のお世話係です」
「楽しんではいるぞ。それにあの二人をほっとく方が不安になって落ち着かない」
お世話係か。カダールに付き合っているとおかしなアダ名ばかり増えていく。机に腰掛けてぼんやりと尾羽根を見ていたフェディエアが立ち上がる。
「不思議ですね。人の世では立場に身分に権力に親同士の付き合いと、それに合わせて男と女が結ばれる。そんな社会が当たり前になっている。それなのにクインの長き時を重ねる純愛を素晴らしいと思い、ゼラちゃんの恋は側で応援したくなる」
「クインもゼラも、その恋心で多くの人を守ったのも美談か」
「半人半獣の魔獣の方が、人の忘れかけた純粋な想いを持ってて、それを見た人が人間らしさを思い出すというのは、どういう皮肉なのでしょうね?」
「カダールとゼラのように、相思相愛となるのが珍しいからだろう」
あれほどに想い想われ、それを押し通す力があるのは俺も憧れる。俺がクインを口説こうと考えたのは、この憧れだろうか? 正直になれば、ゼラのように一途に想ってくれるいい女に心底惚れられて、おもいっきりムニャムニャしてみたくはある。
フェディエアがクスリと笑う。
「私やエクアド隊長のように、先に頭を働かせる計算高い人間には、難しいのかもしれませんね」
「そういう奴もいなければ、上手くいかないこともある。それに人の心を忘れたつもりも無い」
フェディエアとはこういう話をする機会が増えた。頭は回るし、何よりお世話係としては俺より有能そうだ。俺がカダールのお世話係なら、フェディエアがゼラのお世話係だろうか。
ランプに油を足し、赤茶のお代わりを淹れて、部隊の制服のデザインを見直し話をする。
フェディエアが将来、夫に迎えるのはどんな男なのだろうか。俺が将来、妻に迎えるのはどんな女なのだろうか。
机の上のクインの尾羽根は美しく、そっと柔らかな輝きを放つ。これを美しい、と思う気持ちがある。
美しさは見る者の目に宿るというが、では、クインのような心の在り方を美しいと感じる、この気持ちはなんだろうか? そして人の作った社会の中で、そのように純粋に生きられなくなった人とはなんなのか。
人の文明が発展し行き着けば、そこで人は滅日を迎えるという。そこが人類の終焉だと。
そして魔獣は滅日より人を守る為に人を殺す。人の作る社会がやがて、人の心を失わせるのだろうか?
エメラルドの尾羽根はランプの光の中で静かに横たわり、何も答えてはくれない。