第二十二話

文字数 5,263文字


 ハウルルの尻尾が再生した。ハウルルの赤いサソリの尾は長くなり、その先には再生したばかりの鋭い針がある。この尻尾が無くて歩くときにバランスが取れなくて、ハウルルは転んでいたのかもしれない。それで歩くのが嫌で抱っこグセがついたのか? いや、母上とゼラが甘やかしていただけか。
 治療が終わったあとも、ハウルルは眠ったままだ。
 アシェンドネイルの魔法のおかげで痛むことは無かったようで、目を閉じてスヤスヤと安らかに寝ている。
 ゼラの治癒の魔法を見ていたアシェンドネイルがゼラに訊ねる。

「ゼラの治癒の魔法はかなりのものね」
「ウン、治癒の魔法はいっぱい使ったことあるから」
「治癒に魔法が特化したというのは、赤毛の英雄は昔から死にそうな怪我が多かったのかしら?」
「ンー、カダール、騎士だから。守る為に戦って、よくケガをしてたし。だからカダールがケガをしたら、すぐに治せるようになりたくて」
「そう。それでゼラは自分の脚は再生させないの?」
 
 アシェンドネイルが指差す先はゼラの七本脚。ゼラの蜘蛛の脚は右の一番前が失われたままだ。
 ゼラの治癒の魔法は失った手足さえ再生させる。ゼラの出張治療院ではゼラの魔法で、訪れた人の手足だけで無く指や耳、虫歯と再生させたことがある。
 だが万能では無いらしく、失ってから時が経ちすぎて、感覚を忘れてしまった部位の再生はできなかった。本人の感覚を頼りにもとの部位を再生させている、ということのようだ。
 このため、生まれつき目が見えない、耳が聞こえない、といった先天的なものはゼラの魔法で治療することはできなかった。

「俺がゼラと初めて会ったときから、ゼラの脚は一本欠けていた。治癒の魔法が使えるようになったときには何年と過ぎていて、脚を再生しようとしても無理らしい」

 ゼラがウンウンと頷く。

「試してみたけど、上手くいかなかったの」
「治癒の魔法じゃなくても、脚なら進化するときに再生しそうなものだけど。ゼラの方が治したく無いと強く願えば、失ったままになるわね」
「そうなの?」
「違うの? 右の前脚が一本無い、という特徴を保ち続ければ、赤毛の英雄が憶えてくれるかも、気づいてくれるかも、とか、考えていたんじゃない?」

 アシェンドネイルの言うことにゼラの顔を見る。ゼラはコクンと頷く。

「ウン、七本脚のままだったら、カダールが憶えてて、ゼラのこと解ってくれるかなって」
「欠けたままわざと治らないようにしてたんじゃない」

 そうなのか? 思い出せば記憶に残る俺が見た蜘蛛とは、子タラテクト時代のゼラも、その後のブラックウィドウ、ジャイアントウィドウも、脚は右の一番前が欠けた七本脚だ。種が変わり大きさが変わっても、七本脚という特徴が共通している。
 ゼラは首を捻って、むむー、と考えている。治癒の魔法が得意なゼラが自分の脚を治せなかったのは、俺に気付いて欲しかったから、なのか? 脚が一本欠けているという、特徴を残しておくためにそのままにしていた?
 ゼラを見ると腕を組んで考えている。思いだそうとしている。

「カダールに会ったときには、もう七本脚だったし、パアッと開いていろいろ解るようになったのは、カダールの血を舐めてからだから。ンー、カダールに初めて会ったときのこと、忘れないようにってしてて、それで脚を治せなかったのかな?」
「忘れないようにしてたというなら、そのときの身体イメージが記憶に残って、再生を妨げていたのでしょうね」

 進化する魔獣の魔法は進化前の習性、それに本人の性格や想いが現れるらしい。ゼラが治癒の魔法が得意というのも、怪我をした俺を治せるようになりたかったのだと。
 そして俺がゼラと初めて会ったとき、その思い出が記憶に深く残ることが、失った脚を再生できない理由になるのか。
 こういう話を聞くと、ゼラがを俺を想ってくれることは嬉しい。嬉しいのだが、俺のせいでゼラの生き方を歪めてしまったのかと、申し訳なく感じてしまう。
 進化する魔獣の魔法について、興味深く聞きながらメモに書くルブセィラ女史。眠るハウルルに近づいて。

「アシェンドネイル、ハウルルはいつまで寝ているのですか?」
「ほおっておいても半日程度で起きるけれど、すぐに起こしたいなら覚醒させてもいいわ。だけどその前に、私にハウルルを調べさせてもらえるかしら?」
「では服を脱がしましょう」

 ルブセィラ女史と護衛メイドのサレンが、ハウルルの水色のドレスを脱がせる。裸になったハウルルの肌には、青黒い入れ墨が胸に腹に。古代文字に魔術刻印らしき円や三角を組み合わせた図形が、肌のいたるところに描かれている。
 スコルピオが希少な魔獣だからと好き放題に研究、実験していた跡なのか。
 母上がハウルルの肌を見て、痛ましさに眉を顰める。

「ゼラの治癒の魔法でこのハウルルの肌も戻せないかしら?」
「ンー、これ、ちょっとどうしていいかワカンナイ」

 ゼラが困ったように首を傾げ、アシェンドネイルがハウルルの腹を指でなぞる。

「肌に彫り込まれているから、これを綺麗にするには一度、皮膚を剥がしてから再生させるのが、簡単かしらね」
「それ、ハウルルがかわいそう。あ、でもアシェが眠らせてくれたら、痛い思いさせなくてもできる?」
「痛くなくても寝ているハウルルの皮膚を綺麗に剥くのが、難しそうね」

 入れ墨のような跡を消す為には、ハウルルの肌を剥かなければならないのか。それで再生できるにしても、そのやり方は痛々しい。だが、青黒い線が書きなぐられたような肌は、治せるものなら治してやりたい。
 アシェンドネイルがハウルルの肌に触れ、小さく呟きながら調べている。何やら魔法でも使っているのか、集中している。
 ルブセィラ女史は小瓶を手にして、ハウルルの尻尾を握り、針の根元を指で押して出てくる液体を小瓶に入れている。サソリの毒液を調べるのか。そのままアシェンドネイルに訊ねる。

「この古代文字は上級(ハイ)ですか? 一部しか読み解けなくて困ってました」
「古代文字に上級(ハイ)汎用(ロー)も無いわ。これは研究を秘匿するための暗号が入ってるのよ」
「古代文字の中で読み解くのが難しいものは、暗号なのですか。どうりで解析しにくいと」
「研究する流派によって暗号のタイプが違っていたりするわ。これはクガセナ生合因の系統ね。クガセナ流の研究所は消滅したハズなのに、隠れて生きた遺跡がまだあったなんて。まったく」
「このお腹のところにあるのは日付ですか」
「そうね。えーと、腎臓を摘出した日付と、その後の内臓再生力の経過記録、かしら」
「この小さな三角に丸は? 真ん中に残る跡は?」
「これは魔術刻印では無いわね。ここから骨髄液を採取してたみたい。残っているのは針の跡ね」

 聞けば聞くほど気分が悪くなる。希少な魔獣を研究したいのかもしれんが、そのために内臓をとるとか、幼い男の子にすることでは無いだろう。
 ハウルルのことはもうただの魔獣とは思えない。半分人間という見た目もあるのかもしれないが、人を襲わぬ者であり、今ではゼラの弟のようになっている。母上も我が子のようにハウルルをあやし、屋敷の者もハウルルを可愛がっている。俺にはなついてくれないが、大人しくて可愛らしい男の子だ。
 改めて考えてみれば、魔獣と人の境とはなんだろうか? 人を襲い、人を食らうものを魔獣と呼ぶが、人を襲わぬならば違う呼び名が必要だろうか? 人の都合で聖獣、魔獣と呼び分けているだけなのか?
 古代魔術文明が作りし、自然ならざる生物、魔獣。人工の人の天敵。過去の人類が造り遺した、人を鍛える為の人を襲う生き物。

「だいたい解ったわ。もういいわよ、起きなさいハウルル」

 アシェンドネイルがハウルルの額を人差し指でツンとつつく。ハウルルの目蓋がゆっくり開いて、金色の瞳がパチパチと瞬きする。
 ハウルルは起きると、寝てる間にサソリの尾の先が治っていることに驚いているようだ。
 ゼラと母上が手伝って、水色のドレスに袖を通すハウルル。ゼラが弟の面倒を見る姉のように甲斐甲斐しく世話をしている。それを見て腕を組んで何やら考えているアシェンドネイル。

「アシェンドネイル、ハウルルを調べて何が解った?」
「それはまぁ、いろいろと。だいたいは予想の内だけど」
「足取りを追えないとかいう研究者の居所は、これで解るのか?」
「順に説明するけれど……」

 アシェンドネイルが俺を見下ろす。目隠しのせいで目が見えないが、少し悩んでいる?

「ちょっと二人きりで話せない?」
「それは無理だ」
「幻影使いは簡単には信用されないわね」
「ゼラに聞かせたく無い話か?」

 アシェンドネイルが身を屈めて、俺の耳に顔を近づけて小声になる。

「なんで解ったの?」
「ここでアシェンドネイルが気を使う相手は、ゼラしかいないだろう。それとも、ハウルルにも聞かせたく無い話か?」
「まぁ、そんなところ」
「いったい何が解った? 全部、話してもらおうか」
「そうね、解った部分は話をするわ。食事のお礼代わりにね。だけど、誰に何処まで聞かせるかについては赤毛の英雄に委ねるわ」
「そうか。エクアド、ルブセィラ、来てくれ。ゼラ、母上、ハウルルを見ていて下さい」

 エクアド、ルブセィラ女史を連れて、アシェンドネイルを屋敷の中へと案内する。アシェンドネイルの下半身の黒い蛇体は大きいが、蛇なのでなんとか扉は通れる。ゼラの蜘蛛体だと横に幅があるので、屋敷の中に入れない。
 ルブセィラ女史の研究室の中、アシェンドネイルの監視役の隊員を下がらせる。
 大っぴらにできない話と聞いて、エクアドは、またか、と眉をひそめて、ルブセィラ女史は眼鏡をキラーンと光らせる。

「さて、話してもらおうかアシェンドネイル。何が解ったのか」
「解ったことはいくつかあるけれど、何処から話したものかしらね」

 ルブセィラ女史がお茶を淹れる。俺とエクアドも一杯もらい、口をつける。アシェンドネイルは赤茶の香りを楽しんでいる。

「いい匂いね。熱くて飲めないけど」
「猫舌か? アシェンドネイルはお茶で酔ったりしないのか?」
「お茶で酔っぱらうわけ無いでしょ。ええと、先ず、私がこれまでしてきたことは、闇の母神教団のような集団をちょっと手助けしたことね。人に恨みや不満を持つ集団の、組織化というところ、人同士で争ってもらうためにね。
 とは言っても組織が大きくなると、ウィラーイン領の諜報部隊に見つかっちゃうし、中には内部分裂とかして自滅したりね。
 お姉様達が赤毛の英雄とゼラに手出し厳禁と定めたから、私はかつて手助けしてきた組織を潰したり、一部は北のメイモントか南のジャスパルへと逃がしたところね」
「なんだと? 邪教徒は他にもいたのか? しかも他所に逃がしたって、何をしているんだ、アシェンドネイル」

「ウィラーイン領で人と人が争うようになれば、弱体するかなって。それを自分の手で解体することになるとは思わなかったわ。大人しく私の話を聞いた人達はウィラーイン領、というかスピルードル王国から出て行ったわよ。私も自分が手を出して育てたものを、皆殺しにしたい訳じゃ無いからね」
「いったいいくつの組織を作っていたんだ?」
「異教徒と呼ばれた闇の神の信者、中央の至蒼聖王家の転覆を企む中央から追われた貴族、狂信的な平等主義者の革命家、古代魔術文明を甦らせようという古代研究家。人でありながら人に追われて、居場所を作る手助けをしてあげると喜ぶ人は、探せばいるものよ。この世に恨みの種は尽きまじ、ね」
「人の世界の争乱を煽らないでくれ」
「煽りたかったけれど、なかなか上手くいかないものね。その中で古代魔術研究者の集団をまだ生きている遺跡迷宮に案内したのよ」
「それがアシェンドネイルの探している研究者か」

「ところがその遺跡迷宮に行ってみればもぬけの殻。めぼしいものを持って引っ越ししたみたい。その引っ越し先が見つからない。記録抹消(ログレス)の研究室を見つけて移動して、そこで消されたはずの古代魔術でも復活させたようね」
「その手がかりがハウルルだと言っていたが」
「先に言っておくと、ハウルルは進化する魔獣じゃ無いわよ」
「違うのか? アシェンドネイルと同じ、ゼラと同じ、半人半獣なのに?」

 アシェンドネイルは何度もお茶をふうふうと吹いて、冷ましてから口をつける。

「ハウルルは作られた魔獣よ」
「なんだって?」

 アシェンドネイルの口がニヤリと笑う。人を蔑み嘲笑うような、イヤな笑みだ。

「ハウルルは、古代魔術文明の遺産で改造された、人間よ」

 アシェンドネイルの言葉に、屋敷の中の空気が凍りついたような寒気を感じた。


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登場人物紹介

ゼラ

もとは蜘蛛の魔獣タラテクト。助けてくれた騎士カダールへの想いが高まり、進化を重ねて半人半獣の魔獣アルケニーへと進化した。上半身は褐色の肌の人間の少女、下半身は漆黒の体毛の大蜘蛛。お茶で酔い、服が嫌い。妥協案として裸エプロンに。ポムンがプルン。しゅぴっ。

カダール=ウィラーイン

ウィラーイン伯爵家の一人息子。剣のカダール、ドラゴンスレイヤー、どんな窮地からでも生還する不死身の騎士、と渾名は多い。八歳のときに助けた蜘蛛の子と再会したことで運命が変わる。後に黒蜘蛛の騎士、赤毛の英雄と呼ばれる。ブランデーを好む、ムッツリ騎士。伝説のおっぱいいっぱい男。

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