第三十七話
文字数 4,886文字
「中央に魔獣深森だと? どういうことだ?」
「王都に流れて来た話だ、はぁ、すまん、水をもう一杯」
息を荒げ、長椅子に仰け反り座るエクアドの兄ロンビア。もう一人、床に座り込む旅の詩人といった姿のフクロウの隊員。二人に水を飲ませる間に父上と母上も来た。
口髭を果実水で濡らしたロンビアが息を整え口を開く。
「中央、至蒼聖王国から見て北東に魔獣深森が現れた。魔獣に襲われて逃げ出した人が、聖王家に助けを求めている。俺は中央から来た旅の商人から聞いた」
「詳しく教えてくれ」
「うちには専門の密偵とか、隠密とかいないから、噂の伝聞になるぞ」
床に座るフクロウの隊員が顔を上げる。
「私は王都の中央礼賛派の貴族を見張り、そこでロンビア様と同じ話を得ました。移動中、ローグシーに向かうロンビア様と合流し、共にここまで。中央の地図を」
「用意する。サレン、クチバとルブセィラを呼んでくれ」
主な者が集まり領主館二階、父上の執務室でロンビアの話を聞くことにする。
「先ず、俺の話は噂がもとで、詳しく調べるのは親父に任せて、ウィラーイン家に報せるのが先決だろってここに来ました。情報の正確さはそっちで調べ直して欲しいとこで」
「ふむ、だがウィラーイン家から中央は遠いからの」
父上が机の上の地図を見ながらロンビアに言う。
「中央で魔獣深森出現など、これまで聞いたことも無い。大きな被害が出ていれば偽報とは考え難いの。ロンビア、教えてくれ」
ロンビアが地図の一点に指を置く。
「場所は中央の北東、魔術国家ジェムジェン」
「魔術国家? 小国かの?」
「中央では至蒼聖王国を囲む守護四大国が有名だけど、他にも小さな国がいくつかあります。どこも守護四大国のどれかの属国って感じだけど」
母上が閉じた扇子を顎に当てる。
「魔術国家ジェムジェン、確か王のいない変わった国よね。魔術師による議会制、魔術師の血統を重要視する国で、魔術具製作では進んでるところ。魔術マニアの集まったような国だとか。守護四大国の北のペイルホン国の傘下、だったかしら?」
「そうですルミリア様。まぁ、中央には王のいない商人の集まりの国とか、ちょっと変わった小国がいくつかあって、そのひとつですね。この魔術国家ジェムジェンの地にいきなり木が生えた、というのが最初の異変」
「木は生えるものだが、いきなりとは?」
「目に見える速さでメキメキと木が次々と生え出てきたと。大地を割り勢いよく伸びる草木が魔術国家ジェムジェンの地から現れ、魔術国家ジェムジェンの首都を巨木生い茂る森が飲み込んだようだと。その後、新しくできた森の中、地下から穴を掘って現れたのは
「この
「それではこちらの魔獣深森で見る
王都に忍んでいたフクロウの隊員が手を上げる。
「中央では魔獣の被害が少なく、魔獣と戦った者も少ないです。襲われた者が恐怖から大きく見えたか、伝わる内に話が大げさに変わったことも考えられます」
「ふむ、そこは魔術国家ジェムジェンにできた森に、誰か送らねば解らんな。ロンビア、続けてくれ」
「はい。で、その
突然に地下から現れる虫型魔獣の群れ。それもなかなか凶悪な魔獣が、魔獣被害の少ない中央に森と共に現れた。突然に。魔獣に対する備えもハンターも少ない中央。いったいどれだけの被害が出たことだろうか? 背筋が凍る。ロンビアの言葉に部屋の温度が下がったような気がする。
「森は広がり続け、守護四大国、北方のペイルホン国は国土の四分の一が森に飲まれたということです」
ロンビアに続けてフクロウの隊員が言う。
「ペイルホン国は周辺国に救援を求めているようですが、他の国は自国の防衛に専念して救助に向かうところは無いという話です」
「ふむ、地下から突然に現れたとなると、己の国でも同じことが起こるかもしれんとなれば、動き難いか。避難者を受け入れたりはするだろうが」
「行方不明者はどれ程の数になるかも不明です。被害の中心という魔術国家ジェムジェンは絶望的。ペイルホン国は混乱状態」
「今のところ解った部分だけでも、中央は恐ろしい危機に見舞われておるの」
ロンビアが地図から顔を上げる。
「魔術国家ジェムジェンが、新しい魔術の実験に失敗したとか、古代魔術文明の遺産を暴走させたとか、いろんな噂が流れてどれが正しいか解らんですね。魔獣の森も、今は何処まで広がっているのかも正確には不明です」
中央での未曾有の危機。突然に現れた森に魔獣の群れ。聞けば恐ろしい事態で、これでは中央で何人死ぬこととなったか解らない。
原因はこれから調べるのだろうが、調べて解るものだろうか。何より対策はどうするのか。
中央での突然の魔獣災害、俺にはこの異変の原因に思い付くことがある。
中央の危機、魔獣による人への被害、人の数の減少、これで思い出すのはクインの言葉。
『今は滅びし古代魔術文明の人間が、我らが母、この世全ての魔獣の母を造った。そして我らが母は魔獣を産み出す』
『人はその文明を育て上げたときに滅ぶ。そうさせないようにする為に、人が増えれば数を減らす為に魔獣も増える。そういうふうに造られた』
同じことはアシェンドネイルも言っていた。
『古代魔術文明の人達は滅日の前に、次の人類が同じ
常に魔獣と戦い、勝てねば生き残れぬ世界ならば、過酷な状況を自力で克服できるようになれば、人の精神は鍛えられる、なんてね』
『盾の国では上手くいってるみたいね。そしてこのウィラーイン領では上手く行き過ぎている。強く鍛えられたウィラーイン領の猛者が魔獣を退けてしまうのだもの。王種誕生からの魔獣大侵攻も、ウィラーイン領の強兵がいなければ、スピルードル王国を抜けて中央まで損害を与えられるのに』
『ウィラーイン領がこれでは、人の数を減らすには、中央で疫病でも流行らせるしか無いのかしら?』
中央での魔獣深森の誕生、魔獣が現れ人を襲う。これまで盾の国が魔獣深森に対抗することで守られた中央が、これからは魔獣と戦わなければならなくなる。疫病では無い分、戦うべき目に見える脅威の方がまだマシなのか?
人の数が増えれば、対抗するように魔獣が増える。それは、逆に言えば人の数が減れば魔獣もそれに合わせて数を減らし、王種の発生率も下がることになるのか。
上手く行き過ぎているという盾の国を残し、次は中央の人を、数を減らしつつ強く鍛えようというもの、ではないのか?
中央で魔獣災害、その結果として盾の国の魔獣深森での魔獣の強化と増加が止まるのか?
いや、中央で被害者が増えることを歓迎するような、こんな考えは良くは無い。良くは無いが、クインとアシェンドネイルの話から考えれば、中央での魔獣の発生は、闇の母神か深都の住人の思惑が有りそうだ。
父上が地図を見ながら落ち着いた声で言う。
「聖獣一角獣の御言葉はこの異変を預言してのことか? で、あるなら遷都せよという門街キルロンは比較的安全ということになるが。門街キルロンのある中央から見て西方、スピルードル王国と南方ジャスパル王国の方面はこの魔獣災害とは無縁、というのは楽観かの。これは中央を調べねばならん。クチバ、フクロウの隊員を中央に向かわせよ」
クチバが頷き、王都から戻ったばかりのフクロウの隊員がクチバの指示を聞き、執務室を出て行く。
母上が額に眉を寄せて苦い顔をする。
「中央の守護四大国、北方のペイルホンは国が滅ぶかと混乱してるのでしょうね。追い詰められておかしなことを仕出かさなければいいのだけど」
「母上、おかしなこととは?」
「魔獣の恐怖に怯えるあまりに、新しくできた魔獣の森を焼き払おう、とか」
母上の言葉にルブセィラ女史が眼鏡の位置を直しながら言う。
「魔獣深森を焼いてどうにかできるなら、盾の国は魔獣被害に悩まされてはいません」
魔獣深森に火をかければ、魔獣の群れに襲われる。少しばかり森を焼いたところで、魔獣深森は再生する。そして傷口が癒えるまで守ろうとするかのように、魔獣は活性化し狂暴になり魔獣の被害が増える。森の深部から凶悪な魔獣が出てきて町を襲う。
盾の国に住む者ならば、森を焼くなど己の首を絞めるようなものだと知っている。
母上は閉じた扇子を顎に当てる。
「これまで魔獣深森から遠く暮らしていた中央の人が、魔獣と魔獣住む森のことをどれ程知っているのかしら。それに普通の火が駄目なら普通じゃない火で焼き払おう、なんて考えたりするんじゃないかしら?」
「母上、普通じゃない火とは?」
「ゼラの“
“
「国を守る為に新たな魔獣の森を、ゼラの“
「それは、」
それは中央の人を守る為には、いい考えに見えるかもしれない。だが、魔獣深森を消し、その森の魔獣を滅ぼしても全ての魔獣が滅ぶわけでは無い。
この世全ての魔獣の母、ルボゥサスラァが健在であれば、魔獣が滅ぶことは無いだろう。人を種として守る為に、人の天敵として魔獣を生み出すという闇の母神。
目に見える魔獣の住む森を焼き尽くしてしまえば、次は何処から魔獣が現れるか解らない。新たな魔獣深森もその森の魔獣も、突然に地下から現れたのならば、次は何処の地にいつ現れるかまるで解らない。
魔獣の目的が人の間引きで人の天敵となることならば、次は人の数が多いところか、盾の国のように鍛えられていない人の住むところが危うい。
こんなことを推測できるのは、深都の住人から、闇の母神の話を聞いた者ぐらいしかいない。魔獣のことをこんなふうに考えられる人は、ほとんどいないだろう。
「追い詰められた、と感じた者が何をするかは解らないわ。人々を守る為に国を守る為に、森に火を放ったりとか。森を消す為にゼラを差し出せと難癖をつけたり、力づくでゼラを奪おうとか、しなきゃいいのだけど」
母上の言葉の途中、執務室の扉がノックされる。扉の向こうから執事グラフトの声。
「旦那様に至急お会いしたいという方が来ました」
「ふむ、誰だ?」
「ハイラスマート伯爵家のティラステア様です」
「通してくれ」
扉を開けて入って来たのは、隣のハイラスマート領の長女、俺のいとこのティラステアだ。少し汚れた旅装のままのティラスは、執務室の雰囲気に一瞬立ち止まるが、真っ直ぐに父上の前に進む。
「ハイラスマート伯爵家より、ウィラーイン伯爵ハラード様に急ぎ伝える事があります」
挨拶も無くティラスが緊張したまま父上に告げる。
「南方より総聖堂聖剣士団が、ウィラーイン領目指し北上してます。その数、約五千」
ティラスの声に執務室が凍りつく。