第二十九話
文字数 3,917文字
後始末というか、その後はかなり大変だった。
「ガフッ」
「エクアド!」
エクアドが血を吐いて倒れた。四腕オーガの怪力の拳を腹に受けて内臓をやられている。歪んだ鎧を苦労して外して、意識が朦朧としているエクアドに呼びかける。
「しっかりしろ! エクアド!」
「なー! だー!」
ゼラが手を白く光らせてエクアドに治癒の魔法を。これで一命はとりとめた。
「チチウエも、なー!」
「ありがとう、ゼラ」
父上の左肩から左手の火傷もゼラの魔法が治していく。再生したばかりの皮膚は他のところより色は薄いが、父上も左手は元通りに動くようになった。額のキズも同様にゼラが治癒する。金の髪が焼けたところだけはそのままだが、すっかり健康体に。
「ゼラの治癒の魔法は凄いな」
ゼラの頭を撫でて褒めていると、ゼラが俺を見る目の焦点が怪しい。
「ンー、カダールー」
「どうした? ゼラ?」
「ゼラ、もう、限界ー」
「え?」
フラリと倒れるゼラの上半身を抱き止める。下半身の蜘蛛の脚も力が抜けて蜘蛛の腹が地面にペタリとつく。ゼラが気絶してしまった。
「ゼラ!」
ボサスランの陣の拘束、従属の約への抵抗、そしてボサスランの瞳の破壊。ゼラは赤い石を壊したのは俺と言っていたが、俺はゼラがあの赤い世界の中からボサスランの瞳を壊したのではないか、と思う。謎の声が何かしたのかもしれないが、あれは手を出してはいないようなことを言っていたし。
これがゼラにとってもかなりの負担だったのか、その後のエクアドと父上を治癒の魔法で治したことで、力尽きて気を失ってしまった。
遅れてやって来たルブセィラ女史がゼラの様子を見る。
「精神の疲労に魔力枯渇ですね。これは休めば回復するでしょう」
「それ以外には何も無いのか? 従属の約とかボサスランの陣の副作用とか」
「未知の邪法のことはなんとも。なのでアルケニー調査班で邪法の手がかりになりそうなものを調べても?」
「頼む。ついでにこの闇の母神について調べてみてくれ」
「本格的な調査は後日として、教義の書かれた書物、儀式の神具など持ち出せそうなものを探してみましょう。この女神像は運ぶのは無理そうですが」
ずっと俺達がわたわたするのを見下ろしている無貌の女神像。鼻も口も無く表情も無いが、なんだか俺達の様を呆れて見ているような気がする。目隠しでその目も見えない灰色のただの石像なのだが。
「ほう、顔の無い三本角の女神とは。下半身はスカートで見えませんがどうなっているのでしょうね?」
「魔獣を産み出した闇の神の一柱というわりには、人に近いような」
「闇の神の像として多いのは獣頭人身ですね。光の神は人と同じ姿で、そこは見た目で違いが解りやすいですね」
この無貌の女神が、俺をムッツリスケベと罵ったあの赤い世界の女の声、ラミアの母なのだろうか? 神と言うにはなんだか人間のようというか、子供を抱いて理不尽なことを喚き散らす母親のようというか。魔獣の神というわりには人間くさいような。
父上とエクアドがグッタリとして俺にもたれかかるゼラを見る。休めば回復するだろうと聞いて、ホッとした顔で。
「こんな状態にも関わらず、ワシを治してくれたのか。うぅむ、実に胸に迫るものがある」
「こういうことされると、惚れそうになるな」
「父上もエクアドも何をバカなことを」
鎧を外したエクアドが起き上がり腕を回して身体の調子を確かめる。口の回りの血をぐいと拭って。
「カダールはゼラについててくれ。俺達はフェディエアと捕まってる者を助けて保護するぞ」
「ではこちらは捕らえた黒ローブを地上に連れていくか」
エクアドと父上の指示で皆が慌ただしく動き出す。俺はゼラが楽になるようにと、ゼラの赤いブレストプレートを外す。
ラミアがいなくなり“
「フェディエア、無事か?」
「えぇ、今回は無事ですね」
「その、今回、というのは、」
「カダール様、できれば深く聞かないで下さいな」
「……すまん」
「クソ、こほん、ダムフォスは?」
「そこで炭になっている。あの白髪女、アシェンドネイルがやった」
「アシェンドネイル、それが本名ですか。そして、これがダムフォス……」
邪教の祭壇の前、人の形をした黒い炭をフェディエアは冷たく見下ろす。その目にはいろいろなものがあり過ぎて、逆に感情が読めない。
フェディエアは、ふう、と、息を吐いて目を閉じる。
「殺してやろうと思っても、先に死なれては何もやり返せませんね」
「邪教の集団を率いて何をしたかったのか、それを聞き出す前に死なれてしまった」
ラミアの火柱の魔法はなかなか消えず、邪神官ダムフォスはもとの顔も解らないくらいに真っ黒の炭になっている。こいつはこいつで都合のいい悪役とあのラミアに使われていたのか。
無貌の女神に何を願い何を祈っていたのかも、死んでしまえば解らない。ボサスランの陣にボサスランの瞳、邪術のことを聞き出すこともできない。
「ラミアの魔法で人を意のままにしようという辺り、ろくでもない男なのだろうが、どこからどこまでがダムフォス本人の意思だったのか」
「そそのかされたにしても、自分のことを頭がいいと思い込んでいるバカだったみたいです。こんな奴に好き勝手されて、私も、父も、バストルン商会も……」
フェディエアはゆるゆると首を振り、クルリとこちらに向き直る。
「カダール様、ありがとうございます」
「いや、俺は何かができた訳でも」
「カダール様、そして皆様のおかげで助かりました」
自分の決めた作戦であればフェディエアの礼も素直に聞けるのだろうが。ラミアの描いた筋書きをなぞった英雄にされてしまっては、只の間抜けな男でしか無い。フェディエアを助けた、と、言われてもこれは踊らされた結果でしか無い。
「あの白髪女の思惑がなんであれ、カダール様が私と父を助けてくれたことに変わりはありません。あぁ、これは私には好機かもしれませんね」
「いや、不幸にも酷い目に会ってそこに何の好機が」
「今ならカダール様の同情を引いて身を立て直すというのもありかと」
「そういうことを狙う者は口にしたりはしないだろう? それにフェディエアはそんな女じゃ無い」
「あら? カダール様は私がどんな女かお分かりで?」
「それは、」
フェディエアはゼラを抱きかかえる俺をおもしろそうに見ている。以前のように俺を探るように鋭く見ている。俺はフェディエアのことをよく知ってる訳では無いが、ここ数日見てきて、少しは解る。へこんだ俺に軽口で冗談のようなことを言うのは、俺とフェディエア自身の気をまぎらわせようというものか。
「フェディエアは他に手が無いとなれば弱ったふりもするだろうが、フェディエアは同情を引く弱さよりも気の強さと有能さを売りにする、そこに自信のある強い女、じゃないのか? 女性にこういうのはどうなのかと思うが、男前、な女だと思う」
「うじうじと湿っぽいのは嫌いですが」
フェディエアの目が眠るゼラの方へと。
「……あのとき、あのままカダール様と結婚できていたなら、どうなっていたのでしょうか」
「フェディエア、俺は、」
「カダール様、まずは地上に出ましょう。町に戻ってから今後のことを相談させて下さい」
「あぁ、今回のことでバストルン商会が不幸な被害者と解った。フェディエアとバストルン商会の者にはできるだけのことをする」
「よろしくお願いいたします」
ひとつ礼をしてフェディエアは彼女の父のところへと。フェディエアの父は腹の出たふくよかな人物だったのだが、今の姿は昔の結婚式に見たときと比べて痩せ細っている。俺の父上に涙を溢して頭を下げて、父上はその肩を叩いて落ち着かせようとしている。
ラミア、アシェンドネイルの企みで最も悲惨な目に会ったのがバストルン商会とフェディエア。これであのラミアを許すことはできない。
だが、人間をまるで駒のように扱い弄ぶあのラミアが、なぜか憎めない。アシェンドネイルが俺とゼラを見る目に敵意は無かった。俺とゼラを通して、何か遠い懐かしいものでも見ているような、不思議な目をしていた。アシェンドネイルは自ら仕掛けた舞台に何を見たかったのか。
業の者とはなんのことだろうか。
気絶したゼラを運ぶのが一番大変だった。
「よし、行くぞ」
「「せーの!」」
アルケニー監視部隊、六人でゼラを囲んで持ち上げる。交代しながらゼラを運ぶ。俺はゼラの上半身を担当して背中におんぶするように。
遺跡迷宮は通路も広く天井も高いがここは地下三階。蜘蛛の脚を引き摺らないようにロープで引っかけたりとしつつ、扉をくぐるところで苦労したり。
俺は地上までゼラの上半身を背負うつもりだったが、
「カダール、一人で無理をするな」
「エクアド、これは俺の役目では無いかと」
「いいや、アルケニー監視部隊全員の役目でもある」
エクアドに強引に交代させられ、俺とエクアドで交互にゼラの上半身を背負う。下半身の方を持つアルケニー監視部隊はそれほど重くは無いと言うが、ゼラの下半身の蜘蛛部分は大きくて運びにくい。階段を登るところが厳しい。小休止を取りつつ地下三階から地上に出たときには、とっぷりと日が暮れていた。
森の中に佇む廃墟の遺跡で夜営する。