第十五話

文字数 5,005文字


 目の前には、ゼラの蜘蛛の巣投網に巻きつかれ、落とし穴から上半身だけを出した白い女。辺りを見回すその女を、アルケニー監視部隊が武器を構え、魔術を使える者は印を切り、いつでも発動できるように油断無く包囲する。
 庭の隅の落とし穴、そこに嵌まったまま地面に肘をついて、やれやれ、という感じで赤い唇で苦笑している白髪の女。
 ラミアのアシェンドネイル。
 
 しかし、その姿は以前に遺跡迷宮で見たときとは少し違う。白い髪に白い肌は変わらない。服を着ていない裸なのも変わっていない。胸もペタン娘のままだ。だが、今はその目が見えない。
 黒いツヤのある革のようなベルトが、目隠しのようにアシェンドネイルの目を覆っている。同じベルトが首にもあり、首輪のように。
 肩から脇の下にもХの形で、同じ黒革のベルトが通っている。同じものが二の腕、腹にも巻かれていて中途半端に拘束されているような姿。
 こちらからは目隠しのベルトで目が見えないのだが、アシェの顔は俺の方を見ている。赤い唇だけでニヤニヤとして、アシェンドネイルにはこっちが見えているようだ。ゼラの白い蜘蛛の糸まみれのラミアに、近づいて訊ねる。

「いったい、何をしに来た?」
「それを素直に答えたら、解放して「アシェンドネイル!」

 アシェンドネイルの言葉を遮って叫んだのは、フェディエアだ。ザッと駆け出して手に握る槍の穂先を、アシェンドネイルの眉間に突き付ける。

「お前のせいで、父が! 私が! バストルン商会が!」
「あら、元気そうね、商会のお嬢さん」

 鋼の穂先を顔の前にして、怯まずに話すアシェンドネイル。捕まっているはずなのに、その態度に余裕を感じる。まるで懐かしい友人に再会したような、優しげな口調で、

「悪い神官から助け出されて、素敵な王子様は見つかった? 悲劇のヒロインなんだから、それなりの結末になっていてもらいたいわ」
「その悲劇を作って何をぬけぬけと!」

 槍を構えるフェディエアは眉を逆立て怒り、憎しみのこもる目でアシェンドネイルを睨む。俺が止めるより先に、エクアドがフェディエアの肩に手を置く。

「落ち着けフェディエア」
「えぇ、エクアド隊長、解っています」

 フェディエアはそう言うが、声も槍の穂先も震えている。怒りのあまり、いつでもアシェンドネイルを突き刺すことができそうにも見える。
 頭で解るからと言って、それで心が納得することは無い。だが、フェディエアは槍をアシェンドネイルに向けつつも、怒りを理性で抑えて震えている。

「この女からは、聞き出すことがいくつもありますから」
「私を恨んでいるようだけど、それはズレているんじゃない?」

 アシェンドネイルはニヤニヤ笑いのまま、エクアドが肩を抑えるフェディエアに顔を向ける。この女、楽しんでいる。

「あなたの商会を利用したのは、闇の母神教の信徒達。捕まえた商会の人間を、儀式の贄としてマンティコアと四腕オーガに食わせたのも、神官ダムフォスと信徒達」
「よくもあんな非道なことを!」
「えぇ、酷いわね。だから私は、せめて生きたまま食わせるのは止めるようにと言ったのだけど。人がマンティコアにいたぶられて、泣き叫びながら食われるところを見せ物にして、神に捧げたと興奮して大喜びするなんて、人間って本当に残酷なのね」
「それをさせたのは、アシェンドネイル! お前だ!」
「あら? 私がさせたことでは無いわ。あれも魔獣を操れるといい気になった、神官ダムフォスと信徒達がしたかったことよ。恨みと願いを持つ人が、不相応な力を手にするのは怖いわね」

 アシェンドネイルはフェディエアを、目隠しに覆われた顔で見上げる。身動きも取れないのに気にした風も無く、

「それに、あなたのように気の強そうな女を、自分の意のままにしたいと願ったのは、あの男なのだけど?」
「アシェンドネイルぅうう!!」

 フェディエアは槍を引く。エクアドがフェディエアの肩から手を離す。俺もフェディエアを止めない。フェディエアは怒ってはいるが、怒りに正気が飲まれたりするような女じゃ無い。
 フェディエアの槍がアシェンドネイルのむき出しの左肩に刺さる。アシェンドネイルは顔色を変えず、槍が肩に刺さったまま、おもしろそうに俺達を見ている。

 挑発するアシェンドネイルの意図が読めない。フェディエアを操って、槍でゼラの糸を切らせるつもりなのか? すぐそばで見ているゼラと目を合わせる。ゼラはふるふると首を振る。
 アシェンドネイルは幻術も“催眠(ヒュプノ)”も仕掛けてはいない、か。アシェンドネイルならば、ゼラでも解らない魔法をかけることもできるのかもしれない。だが、ゼラでも解らない魔法は、ここにいる者で察知できる者はいない。

 フェディエアは槍を手放して地面に落とす。片手で顔を抑えて、気を落ち着かせようと深呼吸を繰り返す。
 エクアドがフェディエアの肩を抱き様子を見る間、俺はフェディエアとアシェンドネイルの間に立つ。二人の視線を遮る壁になる。
 アシェンドネイルは肩から血を流す。白い肌に赤い血は目立つ。

「あら、仕返しはもうお仕舞い?」
「アシェンドネイル、うちの隊員を怒らせて死にたいのか?」
「殺すぐらいに怒り狂うかと思っていたけれど、意外に冷静なのね」
「これがフェディエアで無ければ、刺されていたのは頭か胸だ」

 フェディエアを見ると顔を押さえたまま俯いて、

「その女からは、灰龍、邪教徒、メイモント軍について吐かせないと。それに深都について、ハウルルについて、聞き出さないといけないことがいくつもあります。殺せば何も話しませんから」

 震える声で、それでもハッキリと言う。フェディエアは頭が回り、優先することが解っている。恨みがあっても感情のままに動くことは無益だと。だからと言って憎しみが消える訳では無い。
 エクアドが肩を抱くのを、フェディエアは片手でエクアドの胸を押して拒む。

「エクアド隊長、すみませんが、私は離れさせてもらいます。私では尋問に向きません」

 扇子を構えたままの母上が指示を出す。

「誰かフェディエアを屋敷の中へ、側についててあげて。それとそこの白髪さん、魔法は使わないで」
「怪我を治したいだけなんだけど」

 改めてアシェンドネイルを見る。逃げ出す気は無いのか大人しい。すぐ側でゼラが見張っているのだが、これで諦めたのか?

「何をしに来たアシェンドネイル。メイドに化けて屋敷に潜り込むつもりだったのか?」
「聞きたいの? まさかゼラにあっさりと見破られるなんてね。これも愛の成せる力?」
「人をからかうのはやめろ。知ってることを全て話してもらうぞ」
「あら、赤毛の英雄が女を脅すのは、似合わないからやめて欲しいわ。私が聞きたいのは、ここで私が話してもいいのか、ということ」
「なに?」
「素直に話してあげてもいいわよ? でも、それは人が知ってもいい知識なのかしら?」

 ぬ、アシェンドネイルの知識。深都、お姉様達、魔獣産み出す闇の母神。カーラヴィンカのクインが俺達に話すときも、俺とエクアドとゼラにしか聞かせないようにと気を使った、世界の裏側。

 今は無き古代魔術文明が、人が滅びぬようにと造った、人造の魔獣の神。これは、俺とエクアドとゼラで秘密にしている。ルブセィラ女史にもエルアーリュ王子にも伝えてはいない。
 人が知ってもどうにもならないことだから。いずれはルブセィラ女史と話をするつもりが、落ち着くことも無くハウルルの件があり、先伸ばしになっていた。

 知ったところで何ができるのか? 深都の場所も解らず、闇の母神を守るのは未知のお姉様達。クインの話では魔獣産み出す闇の母神がいなくなれば、人は滅日に近づくという。
 魔獣が、人類が滅ばないように守ってくれているなどとは、教会が異端とする闇の神の教えと同じ。
 アシェンドネイルの話は、迂闊に人に聞かせることができないものを含むかもしれない。

「ゼラ、アシェンドネイルを抵抗できないように糸で縛ってくれ」
「ウン、もう騙されないから」
「そのあと、倉庫に運んでくれないか」
「任せてカダール。ン、よいっしょ」

 ゼラがアシェンドネイルに糸をかける。落とし穴から出る上半身を、少し引っ張り出してから裸の上半身と手をグルグルと糸で巻いていく。

「いたた、ちょっとゼラ。糸が食い込んでるのだけど?」
「アシェ、フェディのこと泣かせた」
「あら、ずいぶんと仲良くなったものね? でも、肩の怪我だけ手当てしてくれないかしら?」

 アシェンドネイルのしたことは、肩ひとつで済むことでも無い。それでも負傷させたままも良くないか。

「ゼラ、アシェンドネイルの肩を治してやってくれ」
「ウン、なー」

 ゼラが手を白く光らせて、アシェンドネイルの肩に触れる。アシェンドネイルならばゼラの糸を振り切って逃げることもできそうだが、されるがままになっている。
 隊員が警戒して包囲する中、エクアドを呼び小声で話す。

「何処まで聞き出せるかは解らんが、尋問するなら倉庫から人払いをしなければ」
「だが、ゼラだけで押さえられるのか?」
「エクアド、ゼラで押さえられなければ、俺達が何人いても無駄だ。人数は問題にならない。問題は倉庫の中の話を誰にも聞かせないようにすることだ」
「倉庫は監視小屋から中を見聞きできるのだが、それにラミアから目を離す訳にもいかん」
「聞き出すのは俺とゼラで。エクアドは監視小屋から中を見て、何かあれば外の応援を呼んでくれ」
「カダールとゼラだけで、あのアシェンドネイルの相手をするのか?」
「それは認められないわね」

 いきなり割り込んで来たのは母上だ。

「私もあの白髪さんの話を聞かせてもらうわ」
「母上、あのラミアの名前はアシェンドネイルです。それと、母上でも聞かせられない話というのも」
「ここはウィラーイン家の屋敷、そして私はウィラーイン伯爵の妻。我が領で起きることを見定めるのも私の役目です」
「いえ、そうですが母上、ことはウィラーイン領だけでは無く、その、進化する魔獣と深都のことでもあり」
「私とルブセィラでカダールとゼラの補佐をするわ。二人とも腹芸は苦手でしょうに」

 俺とエクアドで母上を止めようとしたが、一度その気になった母上を止めるのは父上しかできない。父上がいない間は母上が伯爵代行だ。
 俺とゼラ、母上、ルブセィラ女史が倉庫の中でアシェンドネイルの話を訊くことに。監視小屋からエクアドが倉庫の中を窺い、様子がおかしくなれば外の応援を呼ぶ。
 倉庫の周囲はアルケニー監視部隊で包囲する。これでなんとかなるか?

「ンー、」
「……ちょっと、雑じゃない?」

 ゼラが糸でグルグル巻きにしたアシェンドネイル。ゼラが引っ張るとアシェンドネイルはズルズルと引き摺られて、倉庫の方へと。黒く大きな蛇の下半身が、落とし穴の中からズルリと出てくる。よくあの穴の中に入っていたものだ。長く太い黒蛇の胴体が落とし穴から倉庫に伸びる。
 隊員と協力して太く長い蛇体を持ち上げて、倉庫の中へと運ぶ。触ってみるとスベスベしてて、ヒンヤリとして触り心地がいい。

 幻術、特に人の精神を操る魔法が得意のようなラミアのアシェンドネイル。こちらには対抗する手段は無い。見破れるとするならゼラだけだ。
 そこに自信があるのか、アシェンドネイルには余裕がある。雑に扱われることも、なんだか楽しんでいるような。
 どうにもやりにくい女だが、前から疑問に感じていたことを聞くには、いい機会かもしれない。
 どこか人をバカにしたような態度のアシェンドネイルが、何処まで正直に話すのか解らないが。引き摺られて入った倉庫の中で、ゆっくりととぐろを巻くアシェンドネイル。

「何か飲み物は無い? 喉が乾いたわ」
「ン、果実水でいい?」
「縛られて手が動かないから、飲ませてくれない? ゼラ」
「ウン、いいよ。でも、皆に変なことしないって約束して」
「そこは、私のダーリンに変なことしないで、って言うべきじゃ無い?」

 ゼラとアシェンドネイルは、もう軽口を叩いている。


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登場人物紹介

ゼラ

もとは蜘蛛の魔獣タラテクト。助けてくれた騎士カダールへの想いが高まり、進化を重ねて半人半獣の魔獣アルケニーへと進化した。上半身は褐色の肌の人間の少女、下半身は漆黒の体毛の大蜘蛛。お茶で酔い、服が嫌い。妥協案として裸エプロンに。ポムンがプルン。しゅぴっ。

カダール=ウィラーイン

ウィラーイン伯爵家の一人息子。剣のカダール、ドラゴンスレイヤー、どんな窮地からでも生還する不死身の騎士、と渾名は多い。八歳のときに助けた蜘蛛の子と再会したことで運命が変わる。後に黒蜘蛛の騎士、赤毛の英雄と呼ばれる。ブランデーを好む、ムッツリ騎士。伝説のおっぱいいっぱい男。

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