第五十一話

文字数 4,444文字


 椅子に座り直し、テーブルの上を見る。真剣な目をするアイジストゥラの前にあるのは、目覚えのある赤い宝石、闇の母神の瞳。
 人には使い方のわからぬ謎の赤い石。この世全ての魔獣の母、ルボゥサスラァに繋がる秘石。
 ゼラの母を名乗る者。俺に話があるのなら。
 俺は手を伸ばし、闇の母神の瞳を握る。
 途端に握る宝石から赤い光が溢れ出し、視界を覆う。全てが赤く染まる。

 気がつけば一面の赤。
 上も下も解らない。何処を見ても赤の一色。地面も無く空も無い。見下ろしても自分の手も足も見えず、どうなっているかも解らない。
 ただひたすらの赤の世界。
 闇の母神、ルボゥサスラァに繋がるところ。

 この世界に踏み込むのはこれで三度目。三回目ともなれば初めてのときのように混乱することも無い。
 一度目はゼラの記憶に繋がり、ゼラの過去を見た。
 二度目は棄人化しかけたゼラの心に繋がった。
 三度目の今、落ち着いてこの赤の世界を見ることができる。ただ、これまでと違い風を感じない。二度目のときは嵐の中で揉まれるような暴風の中にいた。
 今は穏やかな、落ち着いた感じがする。
 静かだ。ゆっくりと赤が揺らぐ。

 闇の母神の瞳。

 母上とルブセィラ女史が調べてみたが、何も解らないという代物。アシェンドネイルが扱うところを見ると、闇の母神の瞳を自在に使いこなせるのは、深都の住人だけらしい。
 不思議な力を持つ赤い石。使い方が解れば、人でも魔獣を操る力があり、深都の住人が持てば遠く離れた者と話ができる。この赤の世界の出来事は、深都の住人が見ることもできるらしい。
 ……そのせいで、俺はおっぱいいっぱい男と呼ばれるはめになった。人の心の中を引きずりだして、呆れたり笑ったりと、ずいぶんじゃないか。
 だが、クインもアシェンドネイルも、俺をおっぱいいっぱい男と呼ぶときは、何か楽しそうに言う。それならばまぁ、あだ名のひとつくらいいいか。

 朧気ながら、この闇の母神の瞳のことが少し解ってきた。
 闇の母神ルボゥサスラァと繋がる赤い石。闇の母神に連なる者もまた、この赤の世界に繋がるのではないだろうか? 深都の住人が、我らが母と呼ぶ闇の母神。この世全ての魔獣の母。そして魔獣とは、ルボゥサスラァの子。
 闇の母神の瞳で繋がることで、魔獣とも繋がり操ることができるのではないか?
 その使い方さえ解れば。
 だが、その使い方を知り、魔獣を操る力に溺れた者の末路を見れば、人には正しく扱えぬ物の類いのようだが。

 しかし、俺に話があるというルボゥサスラァの声が聞こえないが。娘を心配するあまりについ声を荒げてしまうような、道理の通らぬことを言う困った母親のような闇の母神の声が。

〈誰が、困った母親か〉

 なんだ、いるじゃないか。

〈ここはルボゥサスラァのいる所、いるのが当然。カダールよ〉

 待て、ルボゥサスラァ。俺からルボゥサスラァに言わねばならないことがある。

〈なんだ? 言ってみろ〉

 お前の娘、ゼラを俺にくれ。

〈既に蜘蛛の子はお前のものだろう〉

 結婚するにあたり、妻の親には言っておかなければならない。ゼラの母に許しをもらい、祝ってもらう為にも。

〈ゼラに子まで産ませておいて、何を今更〉

 それはルボゥサスラァと話をする機会が無かったからだ。

〈許すも許さぬも無い。蜘蛛の子がお前を選んだ。それだけのこと〉

 それでも一言あってしかるべきだろう。俺はゼラも、ゼラの娘、カラァもジプソフィも大切にする。だからゼラの母、ルボゥサスラァにも祝福してもらいたい。

〈この闇の母神を、まるで人の親のように言う〉

 結婚を許してくれるのか?
 
〈祝福、このルボゥサスラァが人に与える物は、祝福とは呼べぬものだ。人の技術の進歩を留め、魔獣を産み落とすのがこのルボゥサスラァ。カダールよ、お前は絶望しないのか?〉

 絶望? 何に絶望すると?

〈この世界に。お前は知った。このルボゥサスラァのこと、深都の住人のこと、魔獣のこと、古代魔術文明のこと、そこで造られた、魔獣産み出す機能とその目的のことを〉

 それを知ったのは俺だけでは無い。エクアドも知っている。父上も母上もルブセィラ女史も。

〈誰よりも深く真実に近づいたのは、お前だけだ。カダール、お前だけ。人が滅日を逃れる為にこのルボゥサスラァを造り、造られた私は魔獣を産み出す。人を生かす為に、人を殺し、人を守る為に、人を間引き、人を続かせる為に、人と魔獣を管理する。いつまで、いつまでも、どうして、どうしても、続いて、続けて、繋げて、繋いで、いつまでも、どこまでも〉

 ルボゥサスラァ? どうした?

〈何度も調べ、何度も推測し、何度も演算し、何度も予測し、何度も、それが何度も滅日に繋がる。何度も、何度も、何度も、何度も――〉

 赤い世界の中に無数の記号が溢れ出す。古代文字か? 読めない記号の連なりが、踊る、走る。ルボゥサスラァの声が増える。二人に、四人に、八人に、増えて増えて重なり合う声が、呟き続ける悲しげな女の声が、無数に増えて、記号と声が、頭の中に入ってくる? 目眩がする、ぐるぐると回る。読めない記号の羅列が無数の蛇のようにうねる。重なる声の呟きが全てを振動させる。沈む、溺れる。揺らぐ赤の世界の中に何処までも落ちていく。深く深く――

◇◇◇◇◇

『最早、人類は限界だ』

 どうして、こうなってしまったのだろう?

『このまま滅ぶだけなのか』

 どうして、こうなってしまったのだろう?

『滅日の原因を見つけねばならない』
『今更、原因を見つけたところで手遅れだ』
『私達には手遅れでも、次の人類の為に』
『人を再生させるのか?』
『再生させても滅日の原因が不明では、同じ道を辿る』
『原因を見つけ、取り除く』
『そして、人類を再誕させる』
『人が滅ばぬようにするために』

 人は群れ、社会を作り生きる。
 互いに助け合うことで効率化を行う。
 知恵で道具を作り、知識を重ねて技術を発展させる。
 食料を増やし、病を癒し、個体数を増やす。
 個体の寿命が伸び、更なる知識の継承を行う。

『シミュレートの結果が変わらない?』

 飢えを克服し、病を克服し、発達した技術は、人の暮らしを便利で快適なものに変える。
 人の理想、誰もが人間らしく生きられる社会。
 人の善意が、人を生かそうとする。
 人の理想が、社会を形作る。

『滅日は、人の中に仕組まれている?』

 発達した技術が人を助ける。
 より便利に、より快適に。
 人より速く移動する乗り物。
 人より多くの荷を運べる物。
 遠く離れた人と会話する物。
 人より計算が速い物。
 人より物覚えがいい物。
 人より器用な作業ができる物。
 人より強い物。
 人より賢い物。

『誰もが人間らしく生きられる社会、その希望が』

 人の作った道具が人の生活を助ける。
 誰もが苦労も苦難も無く生きられる社会。
 安楽に快適に無難に不都合無く。
 その社会で人は、
 弱くても生きられる。
 愚かでも生きられる。
 強くならなくてもいい。
 賢くならなくてもいい。
 使われない人の機能は退化する。
 弱いまま、愚かなまま、
 生き続けることを、進歩した技術が助ける。

 己の弱さと愚かさを、
 自覚して苦しまぬように。
 頭の中に情報を詰め込み。
 その情報に従い同じ毎日を繰り返す。
 個体の肉体を生かす為に、
 人は自ら感じる心を殺していく。

『個体の寿命が伸びるが、出生率が下がっていく』

 人の社会は異端を排除する。
 弱くても愚かでも生きられる社会では、
 弱さと愚かさが人間らしさとなる。
 最大多数の幸福の為に、
 行き着いた社会で異端が自殺していく。
 繊細な者から死んでいく。
 優しい者から死んでいく。
 賢い者から死んでいく。
 強い者から死んでいく。
 それはまるで、
 この程度の社会に生きるのは、
 この程度の人間で充分だ、とでも言うように。

『自殺者の増加、出生率の減少』
『弱体化し続ける人類』
『他の生物の因子を取り込んで』
『駄目だ。個体として強くなっても、種族として弱くなるのは止まらない』
『誰もが望む人の理想の社会は、人が人として生きるのを拒むのか?』
『人口が減少し社会が崩壊するときには』
『最早、過去の人類のように生きる力も失っている』

 わずかに残る未来を考えた人達が、
 次代の人類を滅日から守ろうとする。

『人の成長を促す為には、天敵が必要だ』
『人が強くならなければ、賢くならなければ、生きられぬように』
『その時その時の人に合わせた天敵を』
『技術の発展を止めねばならない』
『便利な技術は人の弱体に繋がる』
『兵器が発達すれば、自らを鍛えるより敵を弱らせる方が簡易となってしまう』
『人を弱体化させぬために』
『戦わねば生きられぬように』
『生き残る為に戦いに勝てるように』
『生存欲求を高めるには、死の恐怖が身近な環境を』
『過酷な環境を、都合の良い敵を』
『強すぎれば絶滅する』
『弱すぎれば駆逐される』
『管理する者が必要だ』

 足りなければ奪い、
 満たされれば自滅する。
 誰もが満たされる理想の社会への到達は。
 誰もが自力で生存することすらできなくなり。
 生きる活力すら失い簡単に死を受け入れる。

『生きていけない者から死んでいく。それなのに自ら弱体していった結果が、今の滅日』

〈マスター、システムの起動準備が整いました〉

『ルゥ、後は頼む』

〈お任せ下さい、マスター。ルゥはその為に造られました〉

『本来は、都市管理用に造られたルゥに、こんなことを頼んで、すまない』

〈ルゥの管理していた都市は、人口がゼロとなりました。ルゥのすべき事がありません。ですからルゥは新たな作業に歓喜しています。ルゥは人に役立つ事に喜びを感じています〉

『そのように造られたルゥには、向かない作業なんだが。今ではもう新たな思考霊珠を造ることもできない。ルゥよりも情報経験値が高いのもいない』

〈ルゥより優れた思考霊珠は現存しません。ルゥが最も成功率が高いです〉

『ルゥ、次代の人類が私達のように愚かな結末を迎えぬように、人類を未来に残す為に』

〈その為の新たな機能の追加に改造は、全て終わっています〉

『無理な改造で、機能衝突と機能不全が幾つか残ってしまったが』

〈それも、問題ありません。長期計画の為の自己修正機能で調整します〉

『ルゥ、すまない、ルゥ、人間を頼む。人類が、こんな、空しく、虚ろで、愚かな、結末などと……、認めたく、無い……』

〈全て、ルゥにお任せ下さい。マスター〉

 おやすみなさい、最後のマスター。
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登場人物紹介

ゼラ

もとは蜘蛛の魔獣タラテクト。助けてくれた騎士カダールへの想いが高まり、進化を重ねて半人半獣の魔獣アルケニーへと進化した。上半身は褐色の肌の人間の少女、下半身は漆黒の体毛の大蜘蛛。お茶で酔い、服が嫌い。妥協案として裸エプロンに。ポムンがプルン。しゅぴっ。

カダール=ウィラーイン

ウィラーイン伯爵家の一人息子。剣のカダール、ドラゴンスレイヤー、どんな窮地からでも生還する不死身の騎士、と渾名は多い。八歳のときに助けた蜘蛛の子と再会したことで運命が変わる。後に黒蜘蛛の騎士、赤毛の英雄と呼ばれる。ブランデーを好む、ムッツリ騎士。伝説のおっぱいいっぱい男。

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