第三十話
文字数 4,748文字
屋敷へとゼラと共に戻る。庭で炎の嵐が吹き荒れる。あれは母上の火系魔術、“
庭で火嵐、我が家の庭は広いが花壇など無事だろうか? 母上が冷静ならば被害は無いだろう。問題はどのくらい敵が来ているか。
ゼラの事を知っているならそれなりの戦力を用意するのだろうが、街を襲うウェアウルフを見ると、この策を考えた奴がよく解らない。
数は多かったが戦力としてはイマイチ。陽動であれば、無視できない規模なので引き付けることには成功しているが。
ゼラのおかげで速やかに反撃の態勢が整ったのはある。それでもローグシーの街を襲撃するには中途半端のような。
古代妄想の研究者とやらは、街を襲うのは初めてなのか、ローグシーの街の戦力を知らなかったのか。それともゼラの存在を知らなかったのか。
庭に渦巻く赤い炎の嵐が静まったところで、ゼラが庭にザッと降り立つ。辺りに焦げた臭いが漂う。辺りを見回せば、最早敵はいないらしい。立っていた最後のウェアウルフの一体が、護衛メイドのサレンの裏拳を頭に受けて崩れ落ちる。
合図の“
「母上、無事ですか?」
「えぇ、ハウルルも無事よ」
母上の装備は赤のジャケットに黒いズボン。両手には銀のブレスレットの魔術具に黒い手袋。右手には愛用の魔術発動補助具の扇子を構えている。久し振りに母上の武装姿を見た。その周りを我が家の執事にメイド、アルケニー監視部隊が守っている。
その中央にはアシェンドネイル。
アシェンドネイルの下半身の黒い蛇体がとぐろを巻いて、黒蛇の蛇体の渦巻きの中から、ハウルルの赤毛の頭がちょこんと出ている。
ハウルルは黒蛇の身体に顎を乗せるようにして、金の瞳をパチクリとさせる。首から下がアシェンドネイルの蛇体に覆われて、ハウルルの顔と手しか見えない。アシェンドネイルがとぐろの中に入れて守ってくれていたようだ。
そのアシェンドネイルが片手で頭を抱えて俯き、ブツブツと小声で呟いている。
アシェンドネイルはここに来てから、たまにこうして額を押さえて独り言をブツブツと呟いているのだが、
「どうしたアシェンドネイル? 前から気になってたが、もしかして頭痛持ちなのか?」
「……あのね、頭を抱えたくなるようなものを見せつけてるのは、あなた達でしょう? そこの英雄の母と眼鏡賢者は、できる魔術師というのは解るのだけれど……」
ルブセィラ女史が眼鏡をキラリと光らせる。こちらも両手にブレスレットを着け、右手に
「この庭にはゼラさんの仕掛けたトラップがいくつもありますから。私は魔術でウェアウルフをそこに誘導しただけですよ。動きを止めて、あとはルミリア様の火系魔術が」
母上は扇子をクルリと回して、あら? と、首を傾げる。
「だってこれは前座でしょう? 次は本隊がハウルルを狙ってくるところね」
「いえ、母上。屋根の上から見ましたが、他にここを狙う隊はいなさそうです」
「え? どういうこと? まさかこの程度で我が家に来たというわけじゃ無いでしょう? 対魔術対策も無いままここに攻めて来て、私達がどうにかなるとでも?」
「ゼラ、ここに向かってくるウェアウルフは他にいたか?」
「ウウン。サレンがガツンってしたのが最後みたい」
母上が扇子で口元を隠して眉を顰める。
「……どうしましょ? まさかこれがハウルルを狙った本命の誘拐部隊? もしかしてウィラーイン家が侮られていたの?」
母上の呟きにアシェンドネイルが疲れたようにぐったりと項垂れる。
「……人の街に押し込んで、子供一人拐うには十分な戦力だったと思うのだけど。ここのアルケニー監視部隊に猛者が揃ってるのは解るけれど、それにウィラーイン領の民が鍛えられてるのは知ってはいるけれど、」
グルリと庭にいる俺達を見回すアシェンドネイル。辺りには焦げたり斬り倒されたウェアウルフの残骸。それなりに数はいたのか。
「執事がウェアベアをなます斬りにするとか、メイドが素手でウェアウルフをかち殴るって、ここはなんなのよ?」
アシェンドネイルの声に振り向いた執事グラフトは、右の長剣と左の小剣を風斬り音鳴らして血振りする。足下には斬り倒されたウェアベアが倒れ、その肉がグズグズと溶けていく。執事グラフトは涼しげに微笑む。
「このくらいできなければ旦那様と奥様についていけませんので」
執事グラフトが言うことに、護衛メイドのサレンが頷いて、拳を合わせて両手の金属の手甲をガチンと打ち鳴らす。
「私も素手で殴ると指が痛むので、プラシュ銀合金の手甲で殴ってますよ。蹴りも脚甲で」
「そういう問題じゃ無いと思うわ……。これは余程の大物で無ければ、ウィラーイン領を抜けて中央まで進める魔獣はいないわね……。こんなに鍛えられてるとは……。人の数を減らすのは難題ね……」
なにやら頭痛を堪えるような顔でブツブツと言っている。とぐろの中からハウルルがアシェンドネイルを心配そうに見上げている。
魔獣により人が鍛えられるのが、今は無き古代魔術文明の狙いと聞いている。ウィラーイン領はその目論み通りになっているということか。
母上を守るメイドの一人は、剣を構えているが少し腰が引けている。あれはこの前入ったばかりの新人か。護衛メイドのサレンがその新人メイドに近づく。
「ウィラーイン家の家臣たるもの、この程度の雑魚に怯んでいてはいけません」
「は、はいっ!」
「あとで、私がしごいてあげます」
「はひっ!」
「サレン、やり過ぎるなよ」
「カダール様も一緒にどうですか?」
「この件が片付いたら頼む」
俺は剣にはそこそこ自信はあり、俺の剣の師は父上だが、無手格闘の師はサレンだ。今回も剣を振る機会は無かったが、桃色生活で鈍ってると言われるのはしゃくなので鍛えておかねば。
ゼラがアシェンドネイルに近づく。蛇体のとぐろの中のハウルルがゼラを見上げて、にぱっと笑顔になる。
「ぜー、らー」
ゼラはハウルルの赤毛をクシャリと撫でる。
「ハウルル、怖くなかった? アシェ、ハウルルを守ってくれてたの? ありがとう」
「ハウルルの中にある因定珠が回収対象なのよ。それに私は何もしてないわ。する隙も無かったわね」
ゼラの蜘蛛の背に乗ったまま周囲を警戒。倒れたウェアウルフにウェアベアは、その身体をグズグズと溶かして赤黒い液体へと姿を変える。その首に着けた白い首輪が炎を上げる。ここまでに見てきたものと同じ。こいつらは他の魔獣とは違い、死体が残らない。
骨肉がドロドロと溶けていく様子を興味深く観察するルブセィラ女史。
「ほう、これが研究秘匿の為に自壊する肉体ですか。いったいどういう原理なのか。アシェンドネイル、このウェアウルフは通常の魔獣とは違う人造魔獣と聞いてはいますが、素体はなんですか?」
「前にも言わなかったかしら? 因定珠が無ければ人間では無いわ。これは見たところ、一代限りで子孫も残せない、そのための性別も無い、培養細胞の実験兵器。少しアレンジされているけれど、旧文明の失敗作の模倣品ね」
母上がブーツの爪先で溶け崩れたウェアウルフの死体をチョイチョイと突っつく。母上は顔の下半分を扇子で隠し顔をしかめる。
「それを聞いて安心したわ。もとがウィラーインの領民だったら、件の研究者、火炙りでは済まさなくてよ。アシェンドネイル、この溶けたウェアウルフから嫌な臭いがしてるけれど、兵器ということはこれが目的なのかしら?」
「鋭いわね、英雄の母。戦闘力以外にもその肉体に病原を仕込み、都市に入り病を蔓延させる。そんな使い方もあるわ」
病だと? なんだそのおぞましい兵器とは? ルブセィラ女史は手でその溶けたウェアウルフを触っているが、大丈夫なのか?
「心配しなくてもいいわ。過去の病原兵器は今の人類には効かないから。それでも放っておけば腐敗して虫が集まってくるかもね」
「それは後の始末が面倒ね。毛皮くらい残れば、まだ素材に使えるのに。スコップで掬ってバケツで集めて、街から離れたところで焼いて、穴を掘って埋めればいいかしら?」
「それで問題無いでしょう。念の為に触れたら後で手洗いをしっかりするといいわ」
屋敷を狙った集団もたいしたことは無く、夜明け前には街の方も片はついた。
だが、戦闘とは後の処理の方が問題だ。
朝日が登りローグシーの街を照らす。ゼラの魔法の明かりは効果時間の切れたものから消え、自然の日の明かりが街を明るくする。
一部木造の建物は焼かれたが、火災対策に石造り煉瓦造りの多いローグシーの街に火事は少ない。
「なー」
徹夜明けになるが、ゼラは元気に治癒の魔法をかける。手慣れたアルケニー監視部隊がゼラの出張治療院をテント設営。負傷した兵に火事を消そうと火傷をした街の住人を治療する。
教会も聖堂で治癒術師に
教会とも連携して、ゼラの魔法で無ければ助からないというのを優先、ゼラのテントに運んでもらう。
「次の方、どーぞー」
ゼラの声が元気に響く。支援活動で数をこなして手際が良くなっている。
「ゼラ、どんな感じだ? 疲れてないか?」
「カダール、ゼラはまだまだ元気。どんどんいくよー」
「いや、この後がある。今は応急手当てだけにして、本格的に治療するのは後にしよう」
人造魔獣のウェアウルフにウェアベアは牙も爪も鋭い。怖れを知らぬように突っ込んで来るので、攻撃を受けた者は怪我が酷い。
街の被害は少なく撃退できたものの、誰も無傷とはいかない。奇襲を受けた街壁の守備兵に負傷は多く、死者も出た。ゼラの治癒の魔法でも死んでしまった者は生き返らない。
ゼラの治癒の魔法なら助かるかも、と運んで来た守備兵はかなりの数、息を吹き返した。俺達から見て、呼吸も脈も止まり死んだように見えても、ゼラから見れば『まだ、死んでないよ』というのがいる。まるで神の奇跡、“
そのゼラでも助けられなかった者がいる。
ゼラは横たわる兵の手を握っている。その男は爪で切られたのか、首が大きく切られて頭が落ちそうになっている。既に血は止まり息は無い。
「ンー、これは、手遅れ」
「そうか、残念だ」
「ンー、」
「どうした、ゼラ?」
ゼラは困ったような顔で死んだ男の顔を見ている。
「カダール、ゼラね、なんだか、胸の奥がザラッとするの」
「ゼラが気に病むことは無い。悪いのはこの件を仕出かした奴だ」
「ンー、」
ショボンと項垂れるゼラの手を握る。少し強く。ゼラが俺の手を握り返してくる。
かつてゼラが初めて治癒の魔法で兵を癒した対メイモント国のアンデッド戦。そこではゼラは俺の役に立ちたいと治療部隊を手伝い、傷ついた兵を治癒の魔法で治した。
あのときは俺が偉いとゼラを褒め、ゼラはそれが嬉しくて次々と治療していた。
今はあのときとは違い、骸となった守備兵を見るゼラの目には同情がある。
「この人、パレードのとき、道に立ってた?」
「パレードのときは守備兵が道の脇にいたから、その中にいたかもしれない」
街を守る為に戦った勇士の死を悼むも、先に生きている者の手当てを。弔いは全て終わらせてからだ。