第三十五話

文字数 5,647文字


 遠巻きにウェアウルフの群れが囲む中、母上が言葉を続ける。

「黒龍のブレスなど放てば、あなたが取り戻したいハウルルも無事ではすまないわね」
「我の実験魔獣、セ号のことか? おかしな名で呼んでいるのか。セ号は回収する、大人しく引き渡せ」
「嫌よ。ハウルルを幸せにできない者に渡せるものですか」
「ならば、この場で焼き尽くす。残念だが死体を回収するとしよう」

 ドラゴン擬きの口が大きく開き、カハァ、と呼気の音。アルケニー監視部隊は全員、腰を落とし、いつでも駆け出せる体勢に。
 母上は脅すレグジートを鼻で笑う。

「あなたが回収したいのはハウルルの身体の中の因定珠でしょう? 今の技術では再現不可能な貴重で希少な古代の魔術具。それは黒炎焦熱(アニヒレーション)を受けても、無事でいられるものなのかしら?」

 ドラゴン擬きの胸、レグジートの顔が口を閉じ母上を睨む。母上は続ける。

「あなたにとって大事なものを抱えているのは、私達なのよ。そこは解っているようね。因定珠を無事に手に入れたければ黒炎焦熱(アニヒレーション)のような強力な広域殲滅は使えない。それと先ほどから『我』と言ってはいるけれど、言い方がおかしいわね? 同じ研究をする仲間がいるのなら『我々』とか『我ら』と言うべきでなくて? レグジート、あなた、四人の仲間達をどうしたのかしら?」

 レグジートが何か言おうと口を開くが、言わせる前に母上が言葉を続ける。

「私の火槍を簡単に打ち消す抗魔力。だけどそれだけ強力な障壁を常時展開するには、膨大な魔力が必要。あぁ、それを維持する為に巨体になったのかしら。対魔術攻撃には強そうだけれど、その障壁、強力過ぎて己の魔術にも干渉しているわね。己は魔術を使いにくくなっても、敵の魔術は無効化して肉体での物理攻撃で戦う、というコンセプト。その為の強力な六腕、安定性の為の八脚ね」
「……どうやら少しは古代魔術文明を知っているようだ。だがそれで見抜いたつもりか? 我一人でも貴様らを全滅させることは容易い」
「その容易い、の根拠は何かしらね。ところでレグジート、あなた素手でケンカをしたことはあるかしら?」
「何?」
「頭でっかちの机上の空論。人造魔獣の数を増やして、身体を大きくして、抗魔力を高めて、手足を増やしただけで、私達に勝てるつもり?」

 母上の挑発に母上を睨むレグジートの目が細くなる。レグジートの意識が母上に集中している間に、横目でエクアドを見る。エクアドが小さく頷く。
 母上は扇子で手のひらを叩き音を立てて閉じる。その扇子をドラゴン擬きの胸、レグジートの顔に突きつけるように手を伸ばす。

「魔獣と戦う強さを求める盾の国とは、まるで考え方が違うわね。力は身につけて使いこなしてこそ実力と呼ぶのよ」
「ふん、それで人間の限界を越えられるものか」
「人の限界を勝手に見限らないで欲しいわ」
「性能から見てただの人間が我の魔獣兵に勝てる訳が無い。貴様らもそこのアシェンドネイルの力か知識で魔獣兵を撃退したのだろう。借り物の力でいい気になっているのは貴様の方だ、野蛮人」
「あら、アシェンドネイルはもう私の娘のようなものよ。家族の力を借りて何がいけないの?」
「家族だと? 愚かしい。下らん話は終わりだ。セ号と古代魔術文明の人造魔獣の生き残り二体、さっさと渡さぬならば、ここで貴様ら全員踏み潰す」
「野蛮人以下の脅しね。レグジート、あなたには根城にしている研究施設の場所を吐いてもらうわよ。ルブセィラ!」
「風よ斬を唸れ! “嵐刃(ストームブレイド)”!」

 母上の声にルブセィラ女史が魔術を放つ。円陣を組むアルケニー監視部隊の中、隊員の背に隠れて、秘かに魔術構築を続けていたルブセィラ女史の風系魔術が放たれる。
 ドラゴン擬きを守るように並ぶウェアウルフの群れを、無数の風の刃が斬りつけていく。ウェアウルフの腕が飛び血飛沫が舞う。黒毛の狼の口から悲鳴の声が上がる。ドラゴン擬きは魔術を防御できるようだが、その守りはウェアウルフには無い。乱れ舞うように飛ぶ風の刃が立て続けにウェアウルフを襲う。

「クインのセンジンを参考に組み上げた、風刃乱舞、“嵐刃(ストームブレイド)”。欠点は魔術構築の呪文詠唱の長さになりますが、ルミリア様が注意を引いてくれましたので、上手く行きましたね。なかなかの威力です」
 
 眼鏡に指をあてキラリと得意気に光らせるルブセィラ女史。嵐刃が放たれた直後に、俺とエクアドは走り出している。

「貴様ら!」

 レグジートが叫ぶ。前衛のウェアウルフが倒れ、ドラゴン擬きまで邪魔をする者が一掃された。俺とエクアドはその死体を跨ぎ越え、吠えるドラゴン擬きに走る。
 魔術が効かないというのなら直に剣を叩き込むまでだ。駆け寄る勢いを乗せて、ドラゴン擬きの八本ある脚、左の一番前の脚に斬りつける。右の長剣と左の小剣の二連撃。黒い鱗を切り裂き、大木のような脚から血が吹く。鱗も肉も硬いが、まるで切れないというほどでは無い。

「血は人と同じく赤いか」
「ぬおお! この野蛮人どもが!」
 
 六本の腕が振り回される。上から叩きつけようと迫る黒い巨腕から、逃れるために後方へと跳ぶ。同じように下がったエクアドが槍を構えて横に並ぶ。

「見かけ倒しか、硬さは地竜ぐらいじゃないか」
「これで黒龍を名乗るとは、簡単に討伐できそうだ」
「カダール、このドラゴン擬きからは未発見の研究施設を聞き出さなければ」
「そうだった。討伐ではなく捕獲せねば」

 エクアドが向かったドラゴン擬きの右の前脚からも血が流れている。エクアドの槍が穿った跡だ。脚から血を流すレグジートが驚いた声を出す。

「黒龍の因子を得たこの肉体に、傷をつけただと? 人の筋力で? 有り得ん!」
「この程度でオーバードドラゴンに等しいなどと、よくも言えたものだ」
「蛮人供が調子に乗るな!」

 ドラゴン擬きが咆哮を上げ、胸の顔、レグジートが呪文を詠唱する。六本の腕の先に黒い闇が塊となり浮かぶ。俺とエクアドは素早く下がる。

「大盾、前に!」

 母上の指揮で大盾を構えた隊員が前に出る。すっかり母上が指揮官だ。大盾を構える隊員の背後からドラゴン擬きの動きを見れば、六本の手を広げて魔術構築が完成する。

「ブローエング、蝕む影よ、我が敵を撃て! ”影魔槍(シェードランス)”!」

 六本の黒影の槍がドラゴン擬きの腕から放たれる。闇系の投射攻撃魔術。大盾を構えた隊員達が前に出て黒影の槍を受け止める。大盾からリュートを鳴らすようなポゥンと柔らかい音が立ち、黒影の槍は大盾に吸い込まれるように消えていく。

「何!? なんだ、その盾は! 我の影魔槍を飲み込む? 人が作れる魔術具では無い、古代の遺産か!」
「この世には叡知の継承者も知らないことがあるのね。世界は不思議に満ちているわ」

 母上が余裕の笑みを見せる。この大盾、魔術対策に大盾の裏にはプリンセスオゥガンジーが張ってある。対魔術攻撃には無敵かと思えるゼラの布が、何の変哲も無いプラシュ銀の大盾を魔術を消し去る魔法の盾に変える。
 歯噛みするレグジートを追い詰めるように母上は語る。

「どうやらもとが人間ということで、ゼラやアシェのような魔法は使え無いみたいね。使うのは私達のように詠唱が必要な魔術。と、なるとブレス以外は巨体と怪力だけが取り柄」
「人間の、人間の性能で、この黒龍の因子を持つ肉体に勝てる筈が、」
「灰龍もこれくらい簡単だったら、討伐を諦めて無いのだけど。本物のドラゴンを越えた災厄(オーバードドラゴン)を見たことは無いのかしら?」
「有り得ん、筋力、魔力、生命力、全てにおいて人間を凌駕するこの我が、」
「この黒龍擬きに魔術は効かないから、魔術師は周りのウェアウルフ、ウェアベアの数を減らしてちょうだい。全員でハウルルを守りながら敵の数を減らしましょう。物理は効くから、カダール、エクアド、サレンはレグジートを逃がさないように追い詰めてちょうだい。クチバはもう背後に回っているわね。逃がしちゃダメよ」
「野蛮人の分際で! 我が叡知の探求を邪魔はさせん! 魔獣兵! 奴らを皆殺しにしろ!」

 嵐刃の効果範囲の外、遠巻きに俺達を囲んでいたウェアウルフ、ウェアベアが一斉に襲いかかってくる。円陣を組む隊員が迎え撃つ。接近されるまえに魔術と弓矢を打ち込み、抜けてきたウェアウルフと切り結ぶ。

「新種の人造魔獣がいなければ、ウェアウルフとウェアベアでは俺の部隊に勝てはしない」

 エクアドが呟きレグジートに走る。隊員達は剣と槍でウェアウルフの群れを迎え撃つ。父上と母上、執事グラフト、護衛メイドのサレンに鍛えられた隊員達。訓練ではゼラを相手に綱引き、鬼ごっこ、更にはゼラの魔法攻撃に蜘蛛の糸から回避するという、少し変わった鍛練をしてきた隊員達はアルケニー監視部隊結成時よりも格段に動きが良くなった。
 ゼラは皆と楽しく遊んでいたつもりなのだが。

 俺もエクアドの後を追いレグジートに接近する。
 既にフクロウのクチバは隊員を連れ、レグジートの背後に回り込んでいる。逃がすつもりは無いが、これで逃走されたならクチバに追ってもらう予定。

「巨体で胸にも首にも剣が届きそうに無いか」
「いかにも弱点という感じだが、それならそれで脚から潰そう」

 エクアドと二人、ドラゴン擬きを左右から挟みその脚に斬りつける。振り回す腕を避け、八本ある脚に攻撃を繰り返す。

「ぐ、おお、ちょこまかと!」
「いや、お前が遅いだけだ。いや、戦闘経験がまるで無いのか」

 怪力を誇る巨腕を六本ぶら下げて、暴れるようにただ振り回すだけでは、俺にもエクアドにも当たるものか。自慢の筋力も当たらなければ意味が無い。

 エクアドに意識が向けば俺が斬りつけ、俺に注意を向ければエクアドが槍で刺す。目と腕と脚の数が多くとも、それを操るレグジートは一人。
 戦闘経験が無く訓練もしたことが無ければ、一人で同時に二人を相手にすることは満足にできはしない。
 六本の腕は上の一対は胸にあるレグジートの顔を守り、残りの四本で俺とエクアドをその爪で抉ろうとする。その場でグルグルと回りながら暴れるドラゴン擬き、振り回す巨腕と尻尾を避けながら、俺とエクアドで脚に攻撃を重ねる。脚を潰して動きを止めてレグジートを捕獲してやる。

「おぉ? 副隊長が剣でちゃんと戦ってる!」
「いや、副隊長わりと強いし」
「王都では剣のカダールの異名で呼ばれてたって」
「訓練で手合わせしたことあるだろーに」
「いやぁ、でも、最近は夜の強いとこしか知らないからさ」

 ぐぬう、アルケニー監視部隊はウェアウルフ相手に戦いながら好き勝手に言ってくれる。最近は訓練以外で剣を振る機会は無かったが、俺はこれでも父上直伝のウィラーイン剣術の使い手なのだ。
 レグジートは動きは鈍いが、このドラゴン擬きの巨腕は一撃でも当たれば危ない。今は集中せねばならんのに。
 
「カダール! エクアド! がんばってー!」
「はう!」

 ゼラとハウルルの声援を受けて気を取り直す。よし、これを機にゼラに心配させないくらいにはできる男だと証明しよう。エクアドと目線で合図を取り、常にドラゴン擬きを挟む位置取りを崩さず連携する。迫る巨腕を避け黒鱗に覆われた脚、関節のところを右の長剣で突き刺し抉る。

「がああ!」
「翼無しのドラゴン擬きを倒しても、ドラゴンスレイヤーは名乗れぬか」
「あぁ、擬きスレイヤーではカッコがつかんな」
「おおお! 侮るな野蛮人が!」

 レグジートが叫び、ドラゴン擬きの頭が俺に噛みつこうと口を開け下りてくる。胸に顔があるからこのトカゲ頭に脳は無いかもしれない。弱点では無いかもしれないが、レグジートの頭に血が昇ってようやくトカゲ頭が下りてきた。

「そこです!」

 弓から放たれた矢のように、ドラゴン擬きの頭に飛ぶ女。護衛メイドのサレンの稲妻のような飛び蹴りが、五つある赤い目のひとつに膝まで突き刺さる。

「ぎああっ?!」

 悲鳴を上げるレグジート。サレンはもう片方の足でドラゴン擬きの頭を蹴り、目から足を引き抜きながら後方宙返り。ドラゴン擬きから離れて着地するサレン。ドラゴン擬きは手で潰れた目を抑える。サレンはドラゴン擬きを睨みながら、手甲の拳を向ける。

「まずは片目。ハウルルちゃんを虐めたあなたは許しません。だからハウルルちゃんと同じ目に遇わせてあげましょう。次は足を千切って、その次は腕を引き抜いてやります」
「……本当になんなの、ここのメイドは」

 アシェンドネイルが呟きながら黒い蛇体を振り回す。

「私はこんな肉弾戦は好きじゃ無いのだけど」

 アシェンドネイルの下半身の蛇体は太く長い。丸太の振り回しににも似た黒い蛇体の一撃は、ウェアウルフをまとめて数体吹き飛ばす。
 次第に数を減らすウェアウルフ。八本の脚を血塗れにし、動きが鈍るレグジート。

「ぐう、盾の国の野蛮人が……」
「さては中央の出身か? ウィラーイン領を侮ったのが貴様の敗因だ」

 魔獣を相手に戦い、いかに生き残るか。その研鑽を積み上げた盾の国の人の力。

「人を、ハウルルを実験と扱う。人を弱い者と決めつけて、人の命も姿形も蔑ろにしたのは、お前が弱いからだろう。お前の弱さで俺達を測るんじゃ無い」
「く、蛮人の末が賢しらに」

 ドラゴン擬きの胸の顔、レグジートがハウルルを睨む。ゼラの手に抱き抱えられたままのハウルルが怯える。

「セ号! 我がもとに来い!」

 レグジートの声にハウルルの金の瞳が輝きを失い、脱力した手がゼラの胸当てから離れてブラリと垂れ下がる。


 
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登場人物紹介

ゼラ

もとは蜘蛛の魔獣タラテクト。助けてくれた騎士カダールへの想いが高まり、進化を重ねて半人半獣の魔獣アルケニーへと進化した。上半身は褐色の肌の人間の少女、下半身は漆黒の体毛の大蜘蛛。お茶で酔い、服が嫌い。妥協案として裸エプロンに。ポムンがプルン。しゅぴっ。

カダール=ウィラーイン

ウィラーイン伯爵家の一人息子。剣のカダール、ドラゴンスレイヤー、どんな窮地からでも生還する不死身の騎士、と渾名は多い。八歳のときに助けた蜘蛛の子と再会したことで運命が変わる。後に黒蜘蛛の騎士、赤毛の英雄と呼ばれる。ブランデーを好む、ムッツリ騎士。伝説のおっぱいいっぱい男。

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