第十六話
文字数 5,149文字
俺とゼラの暮らす倉庫の中は、珍しく緊張感が漂っている。
ゼラの作った魔法の明かりに照らされた明るい倉庫の中、目の前には下半身の黒い蛇体でとぐろを巻いて、堂々と佇むラミア、アシェンドネイルがいる。
テーブルを挟み、俺は正面で椅子に座る。ゼラはアシェンドネイルの真横に立ち、おかしなことをしたなら直ぐにでも止められるように。アシェンドネイルの上半身をグルグル巻きにした糸の端を、片手で握る。
俺の右には母上が椅子に座り、魔術発動補助具の扇子を手で弄んでいる。母上は父上とフクロウからラミアの話を聞いているが、こうして会うのは初めて。母上はと見ると、興味深くアシェンドネイルの姿を見ていて、あまり緊張していない?
俺の左に座るのはルブセィラ女史。こちらも話だけ聞いていてラミアを見るのは初めて。アシェンドネイルに興味があるようだが、今はテーブルの上にガラス瓶、匙、爪切り、鋏とサンプル採取する気満々で道具を並べている。いや、ルブセィラ女史、それは後にしてくれ。
ゼラの方を見ると糸の端を握ったままニッコリ。今度は勝ったー、という自慢気な顔をしている。獲物を捕まえたような得意気な様子。
……もしかして、緊張しているのは俺だけか?
アシェンドネイルは火の魔法を使うのは解っている。何より恐ろしいのは、人の精神を操る魔法を得意としていること。その魔法もどんな仕掛け方をするのか、正確に解ってはいない。
これから話をするにしても、その最中に魔法をかけられる不安がある。知らぬ内に意識を操作されるかもしれない。
倉庫の中を覗く監視小屋からはエクアドが見張り、異常があれば倉庫の外からアルケニー監視部隊が突入する。
進化する魔獣、それもゼラよりも長く生きたというアシェンドネイル。本気を出されたら人の力では止めようが無いだろう。
しかし、恐れているばかりでは何も始まらない。それに危険はあっても、今、対処できるのはゼラと俺達だけだ。
椅子の横に立てた剣に触れる。アシェンドネイルもまた、上半身の人体部分が弱点のハズ。いざとなれば、この伝説の魔獣に斬り込まねばならない。
果実水を一口飲み、先ずは何処から話をするか。
「肩の怪我はどうだ?」
「見ての通り跡も残って無いわ。ゼラは治癒の魔法が上手ね」
フェディエアが刺した槍の怪我は綺麗に治っている。アシェンドネイルが大人しく槍の一撃を受けたことも謎だが。
「目的を聞こう。何故、メイドに化けて屋敷に潜入しようとした?」
「それは赤毛の英雄とゼラを身近で観察するためよ」
アシェンドネイルは余裕の態度を崩さない。ゼラの糸でグルグル巻きで動けない姿なのに。髪もベタつく白い糸まみれなのに。
それと表情が見えにくくて、やりづらい。アシェンドネイルの顔を見ても、その目が見えない。
黒い革のベルトが目隠しのようにアシェンドネイルの目を隠している。どうやらアシェンドネイルにはこちらが見えているようだが。
「その目隠しはなんだ? それと首にも、胸と腹にもベルトを巻いているのはなんだ? 前とは衣装が違うようだが」
「好きでつけてる訳じゃ無いのだけど。衣装にしては悪趣味じゃない? それとも赤毛の英雄はこういう、乙女を拘束するようなのがお好み?」
その肩から脇の下に回すベルトのおかげで、かろうじてささやかな胸の乳首は隠されているのは残念、い、いや、有り難いのだが、目が見えないというのは話づらい。
「目隠しだけでも取れないのか?」
「これは呪布よ。外さない方がいいんじゃない?」
「それが深都のお姉様達のお仕置きか?」
アシェンドネイルの頬が微かにピクリと動く。初めて動揺らしきものが見える。こちらにも知ってることはある、と牽制してみた。人を侮っているようだが、聞き出すには主導権を取らねば。アシェンドネイルは、ふうん、と声を漏らして、
「誰があなたに教えたのかしら?」
アシェンドネイルの問いに無言で応じる。ここでクインの名前を出して、クインが深都のお姉様達にあとでお仕置きされる、というのは可哀想だ。
「いったい誰かしらね? 深都のお姉様達は赤毛の英雄を見てからは、気になってしょうがないみたいだし。誰かが我慢できずにコッソリ会いに来たのかしら? だったらこちらのことも、少しは知ってるようね」
「こちらはこちらで調べてもいる。アシェンドネイル、お前がボサスランの瞳で俺とゼラのことを、深都に伝えたことも知っている」
「それでお姉様達は大笑いよ。あんなに明るく笑うお姉様達を見たのは、何十年ぶりかしらね。感謝するわ、赤毛の英雄」
ぐぬぅ、少しは優位に立っていたのに、あっさりとひっくり返されて。あのボサスランの瞳の中での一件が、知らぬ内に深都の輩に見られていたというのが。おっぱいいっぱい男と呼ばれて、笑いものにされてるというのが、くそう。
「それで私は呪布で弱体されているのだけど」
「呪布? 弱体?」
アシェンドネイルは赤い唇をクスリと笑みの形にする。
「人間のことなんてどうでもいい、なんて言ってたお姉様まで、今は赤毛の英雄に夢中よ。大人気じゃない。それでゼラに私のしたことがちょっと酷いんじゃない? って、私は今は弱体刑の真っ最中。それでもゼラに私の魔法が見破られるとはね」
ゼラは得意気に胸を張る。
「むふん、初めて会う人は、気をつけるようにしてるから」
「誰かがゼラに人化の魔法を見せたのかしら?」
得意気な笑みを見せるゼラをチラリと見返すアシェンドネイル。ゼラはアシェンドネイルを見抜いて捕まえたのが、やり返したようで嬉しいみたいだ。ルブセィラ女史が眼鏡をキラリとさせる。
「ほう、ラミアを弱体させる呪布ですか。特殊なプレイ用の拘束具のように見えますが、調べてみたいですね。かなり力のある魔術具のようです」
「あなたじゃ外せないわよ。あぁ、そうだ、魔術具。メイドになって忍び込むのは、魔術具を仕掛る目的もあったのよ」
「魔術具だと?」
「今、この街で赤毛の英雄とゼラの愛の巣を作ってるじゃない? そこに盗撮用の魔術具をね。ボサスランの瞳のようなものよ。赤毛の英雄とゼラの愛に溢れる生活を、熱いイチャイチャを、我らが母とお姉様達がいつでも見られるように。寝室とかお風呂とかに仕掛けようかと、」
「不許可!」
不許可だ、このやろう。何故、俺とゼラのイチャイチャを見知らぬ輩に見せなきゃならない? そんなことするつもりだったのか?
「それだけ我らが母もお姉様達も、赤毛の英雄とゼラが気に入ってるのよ」
「どれだけ気に入ろうとも覗きはやめろ」
「お願いしてもダメそうだから、見つからないようにコッソリ仕掛けるつもりだったのよ」
建設中の新居はおかしなものが仕掛けられてないか、徹底的に調べないと。まさか伝説の魔獣ラミアが覗き目的で潜入してくるとは。
母上がアシェンドネイルに訊ねる。
「あなたが成り済ましたメイドは? どうしてるのかしら?」
「“
「酷いことするわね」
「入れ代わる為に殺したりしてないわよ。また私がお仕置きされちゃうから」
このアシェンドネイルをお仕置きする深都のお姉様達とは、いったいなんなんだ。話を聞いてるとそのお姉様達の為に、覗き用の魔術具を仕掛けに来るなんて、アシェンドネイルが使い走りのようだ。
エクアドのいる監視小屋の方を見る。エクアドならば今の話を聞けば、隊員にそのメイドを探させて保護に向かわせるだろう。
アシェンドネイルが屋敷に忍び込もうとしたのは、ずいぶんとバカバカしい理由らしい。
「次は、灰龍についてだ。何故、ウィラーイン領の鉱山に灰龍を招き寄せた?」
「それは神官ダムフォスの計画よ。ウィラーイン領、そしてスピルードル王国を弱体化させるために」
「そんなことをして何になる?」
「自分達の国を作りたかったんじゃない?」
「次にメイモントのアンデッド軍団だ。メイモント軍の兵士が言うには、軍の上層部が、何かに操られたように暴走したらしい。命令に従う兵士達も疑問を感じて、軍としての統制もとれなかった。これはアシェンドネイル、お前の仕業だな」
「ちゃんと調べているのね。えぇ、メイモント軍にスピルードル王国へ進軍させたのは、私の仕込みよ」
調べたのはエルアーリュ王子の配下、隠密ハガクの部隊だ。北のメイモント王国でも、この軍の暴走の件で混乱しているらしい。軍を率いる者がアシェンドネイルに操られていたなら、あの訳の解らない進軍も有り得るだろう。
「これでメイモント王国とスピルードル王国が対立する予定だったのだけど。これも企画して指示したのは教団よ」
「邪神官ダムフォスがそれを考えても、唆したのはアシェンドネイルだろう。闇の母神教団だけならできないことでも、力を貸して実行できるようにしたのは、アシェンドネイル、お前だ」
「あら、私を悪役にするつもりかしら?」
「悪役を作るのが目的、と聞いている。闇の母神と深都のお姉様達を、慰める喜劇を収集しているらしいな」
「私のしてることも知ってるのね。集めているのは喜劇だけでは無いわ。あなた達、人が私達を楽しませてくれるなら、喜劇でも悲劇でも英雄物語でも恋物語でも、なんでもいいのよ」
「人を何だと思っている」
「人間だと思っているわ」
アシェンドネイルは何か違う。ゼラともクインとも、考えていること、人に対して思うことが違っている。
灰龍がウィラーイン領にもたらした災厄に、かつてのバストルン商会がされたことを考えれば、アシェンドネイルを許すことはできない。
ウィラーイン領を預かる伯爵家の一員として、俺はアシェンドネイルを断罪しなければならない。
だが、俺個人としてはアシェンドネイルを憎むことも恨むことも、何かが違うと感じている。
アシェンドネイルが俺に“
そのときは正体がラミアであることを知らなかったが。特殊な魔術を使う女だと警戒していたが。
身をよじって笑い転げるアシェンドネイルは、ただの何処にでもいる小娘のように見えた。人の恥ずかしい話を、おかしくてたまらないと笑う普通の女のようだった。
ラミアという正体を知り、アシェンドネイルの悪事を知っても、ただの悪党とは思えない。
どこか人間をバカにしているところがあるが、アシェンドネイルもゼラとクインと同じ、進化する魔獣。過去に何があったか解らないが、アシェンドネイルがこの姿、半分人間となったのは。
かつては人に惚れて、人になろうとしたから、なのではないか?
アシェンドネイルが深都のお姉様達のことを、闇の母神のことを語るとき、その口調には敬意がある。クインもそうだった。信頼する自慢の家族のことのように言う。
クインの語った闇の母神、アシェンドネイルも我らが母と呼ぶ、ルボゥサスラァ。ボサスランの瞳の中で話をした、この世全ての魔獣の母、と呼ばれる闇の女神。
古代魔術文明に作られた、人造の神。その目的は、人類を滅日から守ること。そのために人を殺して数を減らすこと。
そのために、人が増えれば魔獣が増える、王種の発生率も増える。
クインが言うには、闇の母神は人を守る為に狂ったという。狂わずに古代魔術文明の、闇の母神を作った者達の思惑通りであれば、魔獣は今よりもっと多く、人の数は今よりもっと少なくなっているという。
俺にはアシェンドネイルの目的が謎だった。物語の収集と聞いてもピンと来ない。事件を起こし英雄に解決させる、そんな演劇じみた舞台を作るのがアシェンドネイルの目的だという。
だが、灰龍のような生きた災害は、人の手で解決できるものでは無い。倒すことのできない悪役では英雄物語にならない。
クインから聞いた話を考えたことで、闇の母神の役割が解り、アシェンドネイルの目的と思われるものが、ようやくひとつ浮かぶ。
「アシェンドネイル。お前のしていることは、人の数を減らし、魔獣の王種発生を減らして、狂った闇の母神を救うこと、なんじゃないのか?」