第四十一話
文字数 4,886文字
「我々は総聖堂聖剣士団」
そう言って兜の面防を上げて顔を見せる聖剣士。その顔を見て驚いてしまうが、驚きを顔に出さないように気をつける。
「スピルードル王国ウィラーイン伯爵に話がある」
「話をしに来るには、随分とものものしいことではないか?」
落ち着いて言葉を返す。兜の面防を上げて顔を出した聖剣士は、厳めしい壮年の男。俺が誘拐されたときにロジマス男爵の別荘で見た、聖剣士団団長クシュトフ。
使者を出さずに総大将自ら来るとは、豪胆なのか、常に先頭に立つ俺の父上のような種類の武人なのか。思い返せばロジマス男爵の別荘でも先頭に立ち突入して来ていたか。どう見ても怪しい怪傑蜘蛛仮面の前で、凛と名乗る姿と気迫から、なかなかの人物だと覚えている。
「光の神教会、それも中央の総聖堂聖剣士の一団が、この辺境の地に何の用が?」
「それはウィラーイン伯爵に直接話したい。ウィラーイン伯爵に取り次いで頂きたい」
「それは用件次第だ。蜘蛛の姫、アルケニーのゼラに関わる事であれば、ウィラーイン伯爵と話しても無駄だ」
「それはどういうことか?」
「スピルードル王国国王が、蜘蛛の姫の事はこの黒蜘蛛の騎士に一任する、と仰せになった」
「それは、真か?」
「疑うならば王都に行き、国王に尋ねられてはどうか?」
聖剣士団団長クシュトフは、むう、と唸る。これで王都に行ってくれると有り難いが、ここまで来て手ぶらで戻るとは思えない。
白づくめの聖剣士達の列の前、俺と聖剣士クシュトフが話をしている間に、向こうの陣から騎馬が一騎駆けて来た。二人乗りで後ろに乗る男が慌てて馬から下りようとして落ちる。腰を押さえながら立ち上がるのは神官服の男。こちらに小走りで来て、並ぶ聖剣士を押し退けるようにして前に出る。
「クシュトフ様、私を置いていかないでくださいと何度言えば」
この神官にも見覚えがある。俺が誘拐されたときにロジマス男爵の別荘で、聖剣士クシュトフの隣にいた、狐のような顔をした神官。俺へと向き直り、笑みのまま固まったような顔を見せる。
「確か、ウィラーイン伯爵家のご子息、カダール=ウィラーイン様ですね。ここで何をしておられますか?」
「聖剣士団の来訪の目的を訊ねていたところだ」
「私達は総聖堂より使命を帯びて参りました。アルケニーをスピルードル国王から任されているという、ウィラーイン伯爵ハラード様に取り次いでいただきたいのですが」
「今、その話をしていたところだが」
この部隊は聖剣士団団長クシュトフのもとに統一されて無いのか? もう一度神官にも同じことを言っておく。
「スピルードル国王から蜘蛛の姫を任されているのは俺だ。蜘蛛の姫に関わることなら俺が聞こう」
「本当ですか? いつの間にか事情が変わりましたか?」
「俺が教会を謀っているとでも?」
「それでは、改めて。私達は総聖堂より命を受けてこの地へと参りました。スピルードル王国の教会より、アルケニーのゼラは人語を解し人を癒す聖獣である、と申請がありまして。総聖堂はアルケニーの聖邪を見極める為に、総聖堂へとアルケニーのゼラをお招きせよ、と。私達はアルケニーのゼラをお迎えに来たのです」
「ほう」
お迎えに来て、総聖堂にお招きと、平穏に事を進めるには良い言い方だ。五千の兵士を連れていなければだが。
「蜘蛛の姫を中央の総聖堂へと?」
「はい、アルケニーのゼラの噂は中央にも届いています。中には慈悲深き黒の聖女、癒しをもたらす魔獣の姫と讃える声もあります。アルケニーのゼラはただの魔獣とは思えず、しかしこの噂だけで聖獣と認めるのも早計。総聖堂はアルケニーのゼラを招き、直接会い、直に話し、慎重に見極めることになりました」
「蜘蛛の姫ひとりを迎える旅のお供にしては、人数が多すぎるのではないか?」
「魔獣多き盾の国を移動するのに、中央の者は慎重になってしまうものです。さて、教会の用件はお伝えしましたので、アルケニーのゼラをここに連れて来て下さい」
「総聖堂の要請は理解した」
俺が頷くと聖剣士団が並ぶ列から、ホッとしたような気配がある。彼らにしてみれば、魔獣深森に近いウィラーイン領からさっさと帰りたいのだろう。
「だが、断る」
俺の言葉に狐のような顔の神官が目を見開く。
「今、何と言われました?」
「総聖堂の要請はお聞きした、だが、蜘蛛の姫は総聖堂には行かぬ」
「総聖堂に、光の神教会に逆らうおつもりか?」
「蜘蛛の姫が総聖堂に行かぬ、というのが何故、光の神々に抗うことになる? 蜘蛛の姫はこの地で穏やかに暮らすことを望んでいる。中央が落ち着いたなら聖都巡礼に観光旅行も悪くは無いが、今はその時でも無い」
「それではウィラーイン伯爵家は、教会に逆らう背教の徒になりますか? そのような者に、聖獣かもしれないアルケニーのゼラは任せられませんね」
そう返してくるのか。どうしてもゼラが欲しいのか。うむ、ゼラは何処でも人気者だから。
「カダール様、光の神々の敵はこの地に生きる人の敵、違うと言うのであれば、アルケニーのゼラをここへお連れして下さい」
「教会の要請に逆らうことは、光の神々に逆らうことか?」
「当然でしょう? 何を言ってるんですか?」
「光の神教会では、どちらが神々の意に沿う者か、それを量ることを昔からしているだろう。名乗りが遅れたが、」
俺は右手で腰の長剣を抜き、狐のような顔の神官に突きつける。神官は、ひっ、と息を飲み、周囲の聖剣士達が武器を構える。俺の意図が読めたのか、団長クシュトフだけが厳しい顔を一際険しくして、静かに俺を見る。
俺は声を張り、奥に見える陣まで届けと声を上げる。ここが決めどころだ。
「俺は黒蜘蛛の騎士カダール! 蜘蛛の姫の主! 蜘蛛の姫を守るが使命!」
右手の長剣で天を突く。神官が尻餅をつき、聖剣士達が武器を構えたまま、緊迫する中で告げる。
「この黒蜘蛛の騎士と聖剣士団、どちらが光の神々の意に沿うか! 光の神々に伺う!」
そのまま聖剣士団団長クシュトフを睨む。
「この場にて総聖堂聖剣士団に神前決闘を挑む!」
高らかに声を張れば、背後のローグシーの街壁の上から、わぁ、と歓声が聞こえる。いいぞ屋根の上の拐われ婿、とか、頑張れぼっちゃん、とか。見世物は覚悟していたが、ローグシーの街壁に今どれだけ人が昇っているのか。
聖剣士達が固まる中で、団長クシュトフが前に出る。
「黒蜘蛛の騎士カダールよ、神前決闘にて光の神々の意を問う為に、命を落とす覚悟はあるか?」
「当然。俺は蜘蛛の姫の意図が光の神々に逆らうものとは思わん。この黒蜘蛛の騎士、ゼラに身命を賭けることも厭わぬ」
「ならば受けよう。私は総聖堂聖剣士団、団長クシュトフ=エニテンティバ。神前決闘の相手をする」
『神前決闘、どちらが正しいか、どちらが光の神々の意に沿うか、それを神々の前で斬り会いで決めるというもの。結局は暴力で殴り会いで決めるという教会の野蛮な代物ですね。交渉することを諦めたとか、縺れ過ぎて判断が難しいものを強引に決着させるとか。ですが、負けた方が納得すれば被害者は代表一名で済むところだけは、平和的解決法ですか。抗争になるよりはマシになるという。これに頼らねば問題が解決しないというのは、人の英知を諦めてるようにも感じますが』
以上、ルブセィラ女史の神前決闘への意見。
光の神の意に沿い、神々の加護のある者が勝つ、という分かりやすく単純なものだ。もちろんルブセィラ女史の言うように、神前決闘にならぬように人が裁くのだが、ときにこれに頼らねばならないこともある。
そしてアプラース王子が言ったこと。
『聖剣士団団長クシュトフは信仰篤く、神前決闘では無敗の聖剣士。人望も厚く、故に煙たがられる。どうやら遷都反対派の策謀で聖剣士団はスピルードル王国に来たらしい』
団長クシュトフは遷都反対派に使われているようだが、信仰に篤いとなれば一角獣の御言葉に従う信徒、ではないのか?
神前決闘で無敗という実力でもって聖剣士団団長という武人。神前決闘に引き摺り出す為の交渉で苦労するかと思ったが、向こうも早くゼラを引っ張り出したいところだろう。スピルードル王国の横槍が入る前に、ゼラに自ら総聖堂に行くと言質を取っておきたい筈だ。
聖剣士団とローグシーの街の者が見守る中で、俺と聖剣士が神前決闘で決着をつける。
俺が勝てば聖剣士団は撤退する理由ができ、勝者が光の神々の意に沿うとなれば、誰も教会と敵対はしない。聖剣士クシュトフが神前決闘を受けたことで舞台は整った。
あとは俺が勝つだけだ。
聖剣士クシュトフが左手にカイトシールドを握り、右手で面防を下ろし顔が白い兜に隠される。右手で腰の長剣を抜く。
気を取り直した狐のような顔の神官が咳払いして言う。
「神前決闘は敗北を宣言するか、どちらかが戦闘不能、又は両者、戦闘不能で決着となります。ご存知ですよね?」
「知っているとも」
俺が言うと並ぶ聖剣士達は哀れむような雰囲気になる。団長の勝利を信じ、負けることを疑ってもいない様子。聖剣士達は白い兜で顔を隠しているので解りにくいが、狐顔の神官は笑みのまま固まったような顔を崩さない。
「クシュトフ様は神前決闘において未だ無敗の聖剣士。勝てるとでも?」
「神前決闘は正しき者が勝つのだろう?」
「では、クシュトフ様が勝てばアルケニーのゼラを引き渡すということですね」
「俺が勝てば聖剣士団は蜘蛛の姫を諦めて、中央に帰ってもらおう」
「そちらは、立ち会い人は?」
俺は親指で背後のローグシーの街壁を指す。
「あの街壁の上にローグシーの街の神官が来ている。加えて彼ら全員が立ち会い人だ」
領兵団以外にも物見高い住人が集まり、俺を応援してくれるのはいいが、騒がしい。街壁の上で旗を振り回しているのもいれば、笛やラッパを吹くのもいる。ローグシーらしいとも言えるが、屋根の上の拐われ婿とか、蜘蛛の姫の旦那とか、リアル剣雷様とか言うのはやめろ。せめて黒騎士か黒蜘蛛の騎士に統一してくれ。
反対側の聖剣士達は規律が厳しいのか、静かに整列している。
俺は肩の留め金を外して黒のマントをバサリと捨てる。腰の剣を抜き、鞘も地面に落とす。目前に立つは聖剣士クシュトフ。かなりの剣士と見れば解る。鞘もマントも外して身を軽くしておく。
「双方名乗りを」
神官の声に聖剣士クシュトフが改めて名乗る。
「我は聖剣士クシュトフ=エニテンティバ。我が信仰に神の加護を」
「俺は黒蜘蛛の騎士カダール。蜘蛛の姫に誉れあれ」
俺は家名を名乗らない。あくまで黒蜘蛛の騎士個人として。これでウィラーイン家が教会に抗ったことにはならない、というのは強引だが。これで俺が負けてもウィラーイン家は負けてない。そして神前決闘で約束したのは俺であってウィラーイン家じゃない。
俺が敗北したとしても、父上とエクアドにあとは任せられる、というのは気楽に挑める。
もっとも欠片も負ける気は無いが。
聖剣士クシュトフが前に長剣を伸ばす。その切っ先に俺の右手の長剣を合わせる。
「神の意に沿わぬ者が地に伏し、神の加護あるものが地に立つだろう」
神官の文言を聞きながら剣先を合わせたまま、ゆっくりと下ろす。
「己が信念こそ真と信ずるならば、神の前にて己を見せよ」
剣先が離れたところで聖剣士クシュトフと俺は小さく三歩下がる。聖剣士クシュトフからは静かな気迫、激しくは無いがこちらを押さえつけるような、落ち着いた戦意。
神官が神前決闘の開始を告げる。
「か、神々よ照覧あれ!」
俺と聖剣士クシュトフに気圧されたのか、神官が開始の宣言を噛む。ローグシーの街壁から吠えるような声が響く。
さぁ、決闘を始めよう。英雄の舞台に相応しく。