第二十一話
文字数 3,919文字
ゼラの手から生まれた閃光の柱。視界が光で焼かれて目をつぶる。ゼラの背中の流れる黒髪に顔を埋めるようにして、光から目を守る。瞼の裏には強い光の焼きつけが、緑の丸がチカチカする。
目を反らす直前に見えたのは、ゼラの手から生まれた極大の光の柱が、横向きに一直線に戦場を貫いたこと。その光の柱の中で、ゾンビが、スケルトンが、フレッシュゴーレムが、その形を失いボロリと崩れるところ。
ゼラの光の魔法が弱まり光が消える。ゼラの肩越しにその魔法の跡を見れば、地形が変わっていた。
川が突然干上がればこうなるのだろうか? まるで子供が泥遊びをして、地面を真っ直ぐに抉ったような、それを何倍にも拡大したような景色が目の前にある。
真っ直ぐにどこまで続いているのか、大地を抉る溝が伸びて、その溝の底には白い灰が落ちている。風が吹き、白い灰が宙に舞う。
なんだ、この光の魔法は? この身の毛がよだつ風景は?
全てを塵へと返す閃光。それは、
「……
ドラゴンの中でも強大な、オーバードドラゴンの金龍が吹くという光のブレス。光に触れるものを灰に、塵に帰すという、抗うことを許さない滅光の暴力。
灰龍にとどめを刺した魔法を使えば、小屋が吹き飛ぶ、というようなことをゼラが言っていたが、これは小屋ひとつで済むような力では無い。
街ひとつ軽く消し飛ぶ。それに光の攻撃など、どうやって防げばいいのか。
スピルードル王軍に怯えが走り、メイモント軍本隊が逃走を始める。
「にーあ!」
「もういい! ゼラやめろ!」
ゼラが両手を天に掲げる。まだ何かするつもりか? 怒りが冷めないのか? ゼラの光の魔法は戦場を横に走った。アンデッドの集団に目掛けて。そのためにスピルードル王軍にもメイモント軍本隊にも、光の魔法は当たってはいない。ふたつの軍の間、そこにいたアンデッドを灰に変え、大地に溝を穿った。だがこんな力は敵味方問わず、人が使って良いものでは無い。死体も残らぬようなものは人に向けてはならない。
「ゼラ! 止まれ! 止まってくれ!」
「くーあ! ろす! ろす!」
なんとか、なんとかしてゼラを止めなければ。更に暴走するかもしれないが、俺の声も聞こえないのならば。
急いで左手のグローブを外す。右手のナイフで左手の内側を切る。
「ゼラ! 止まってくれ!」
ゼラの背後から右手をゼラの首に巻いて、左手から流れる血をゼラの顔につける。
「あ?」
「ゼラ! 聞こえるか? 解るか?」
「血?」
「そうだ! 俺の血だ! 解るか? ゼラ?」
「血? あ、カダールの、血、あふん……」
ゼラの蜘蛛の身体が萎むような、力が抜けたような。蜘蛛の黒い体毛も硬さを失い、針のように尖っていたタワシのような状態から、もとの極上の絨毯のように柔らかい状態に戻っていく。
ゼラは俺の左手を両手で捧げるように持って、俺の左手の傷口に舌を這わせて血を舐める。ゼラの頬に鼻に俺の血がついて、傷口を舌がなぞる度に痛みが走り、背筋がゾクゾクとする。
「は、う、カダール、カダールぅ……」
陶然と俺の血を舐めては身体をふるふると震わせるゼラ。ようやく、止まってくれた。
メイモント軍本隊は、形振り構わず戦場に背を向けて逃げていく。死霊術師が多く、魔術師の多い部隊であれば、ゼラの魔法の恐ろしさはより解るのだろう。
ゼラの光の魔法は両軍の間を通り、アンデッドの軍勢の半分を塵に変えた。ゼラの背中側の方にはまだアンデッドが残っている。赤紫の光の球体の光線が荒れ狂った後で、近くに動くアンデッドはいない。赤紫の目玉のような光の球体は、いつの間にか消えている。
操る死霊術師が逃げたことで制御を失い、でたらめに動き始めているゾンビにスケルトン。残りはスピルードル王軍に任せよう。
ゼラを後ろから抱きしめる。右手でブレストプレートのショルダーを掴んで、左手の傷口をゼラの口に当てて。ゼラが落ち着くまで好きにさせる。ふぅん、と鼻を鳴らして俺の血を舐めている。
父上のウィラーイン領兵団が左翼から柵を越えて、残ったアンデッドとの戦闘、というか駆除を始める。既に戦闘の趨勢は決した。
ゼラがやった、というか、やり過ぎてしまった、というか。
「あ、う、カダール?」
「もういいのか? ゼラ?」
「カダール、痛い?」
首だけ振り向いたゼラは、申し訳無さそうに眉を下げている。
「あの、あのね、そのー」
「俺が危なくなって、心配になった?」
「ウン……」
「頭に来て、敵が許せなくなった?」
「ウン、ウン。ゼラ、カダール、守る。でも、その、止まんなく、なって、ごめんなさい」
「ゼラを都合良く使おうとしたこっちが悪い。すまん。もう、血はいいのか?」
「カダール、痛くない?」
「ちょっと痛い。治してくれるか?」
「ウン」
ゼラが、なー、と言って指を光らせて傷をなぞると、傷口が暖かくなる。ナイフで切ったところが塞がり治っていく。ゼラは名残惜しそうに肌に残る血をぺろりと赤い舌で舐めとる。
「じゃあ、戻ろうか」
「ウン!」
スピルードル王軍に戻れば、人はゼラを怖れて下がり道が開く。仕方が無いとはいえ、味方にこれほど怯えられるとは。
「無事か、カダール?」
エクアドとアルケニー監視部隊が集まってくる。
「エクアド、俺もゼラも無事だ。グローブを片方落として無くしたぐらいだ」
「灰龍をやっつけて食べたってのも、心底納得した。伝説の金龍のブレスみたいだが、なんて魔法だ」
エクアドの指示でアルケニー監視部隊がゼラを護衛するように周りに立つ。驚いてはいても、前からゼラを知っている監視部隊は、怖れてはいない。それどころか、
「ゼラちゃん凄いね」
「嬢ちゃんのおかげで、楽ができる」
と、口にしてゼラの蜘蛛の脚や背中を撫でたりポンと軽く叩いたりしている。ゼラはそれに、いつものように、
「ンー、」
と、笑顔を返して進む。受け取った塗れ手拭いでゼラの顔についた俺の血を拭う。アルケニー監視部隊に守られて、俺はゼラの蜘蛛の背に乗ったまま、エルアーリュ王子に報告に向かう。
エルアーリュ王子の陣幕に行く前に割れた人垣の向こうから、
「よくやってくれた! 黒蜘蛛の騎士よ! アルケニーよ!」
長く伸ばした金の髪をかき上げて、エルアーリュ王子の方からやって来た。慌ててゼラの蜘蛛の背から降りる。膝を地面に着く前に、エルアーリュ王子に両肩をがっしと掴まれた。
「流石だ! 黒蜘蛛の騎士カダールよ! なんと派手な一騎駆けか!」
まるで旧来の友人のように、笑顔で俺の背を叩く。俺が返事をする前に王子はゼラの前に立つ。
「そして見せて貰ったぞ、灰龍をも打ち倒すその力を。全てを灰塵へと帰すという、金龍のブレスの如き光を。迷う骸を灰に変えるとは」
満面の笑みでゼラに手を伸ばす。ゼラは首を傾げながら、握手とでも思ったのか王子の手を取る。王子がゼラに手を伸ばし、王子と魔獣が手を繋ぐ光景に周囲がざわつく。
王子はそのままゼラの手の甲に口づけをする。
一瞬、頭に血が昇る。だが歯を噛み締めて抑え込む。エルアーリュ王子が何をしたいのかが解ってしまうからだ。
絶大な力を持つ魔獣、アルケニー。それを御する黒蜘蛛の騎士。この二人と王子は並ならぬ関係であり、恐ろしい力を持つアルケニーはエルアーリュ王子の意の下にある。
そう周囲の兵に見せる為のパフォーマンス。味方にアルケニーのゼラは恐れる魔獣では無い、とアピールするための。
自軍の不安を取り除き、ゼラへの恐怖を軽減しようという。それが理解できてしまうから、大人しく口を閉じる。だが、頭で解っても何か気にくわない。
エルアーリュ王子はゼラの手の甲から唇を離す。ゼラはキョトンとしている。
エルアーリュ王子は明るく笑って、
「ははは! 王子のキスで人にはならんか。お伽噺のようにはならんか」
口にする冗談に周囲の兵も笑い出す。エクアドが俺の肩を叩いて、俺も周囲の目を牽いている事を思い出して、愛想笑いを浮かべる。
エルアーリュ王子は俺の肩に手を置いて。
「忌まわしいアンデッドを駆逐する様は胸が踊った。残りは任せよ。黒蜘蛛の騎士カダールとアルケニーのゼラよ。今は休め、後で酒でも持って来よう」
「は、ありがとうございます。では暫し休ませていただきます」
「最早、この平原での戦争は終わったも同然。もう二人の手を借りる事態にはならんだろうが、何かあれば頼む」
王子が一介の騎士に命令では無く、頼むと言う。俺はもうもとの騎士には戻れないらしい。エルアーリュ王子の直下、アルケニーに乗る特別な騎士、と噂されることになるだろう。
エルアーリュ王子もゼラの事を英雄と言っていたが、周囲のゼラへの不安を消す為に、自ら魔獣アルケニーのゼラの手に口づけするとは。この辺り王子としての立場も使ってゼラを守ってくれている。俺にはできないやり方だ。
馬が駆け、伝令が馬を降り王子の側に膝を着く。
「右翼、アプラース様が追撃に出ました」
「そうか。追い詰め過ぎるな、と伝えてくれ。メイモント軍には魔獣深森に対抗する戦力を残しておかなければならん。今の我が国が土地を増やしても守れる手も少ない。北まで守るつもりも無い」
王子は陣幕へと戻りながら指揮を出す。
「まずは残ったアンデッドの駆除。終わり次第、北の砦を取り返しに行くぞ!」