第十三話◇◇◇フェディエア主役回 前編
文字数 5,636文字
どうしてこうなったのかしら?
ここに来てからよく思うこと。人の人生はときに小川に流される木の葉のように、流れに揉まれクルクルと変わる。木の葉に落ちた蟻ならば、流れをどうにかすることもできず、木の葉から落ちないようにウロウロと歩くだけ。川の流れは木の葉に乗る蟻のことなど、気にしてはいない。
「フェディエアよー、呑み過ぎじゃないか?」
「いいじゃない。付き合ってよシグルビー」
「あのラミアが来て苛ついてるのは解るけどさ」
「誘ったのはシグルビーでしょ」
「いきなり槍で刺すとか、見てて肝が冷えた」
「私が勝てる相手じゃ無いって、頭では解ってるわよ」
それでも、私とバストルン商会をメチャクチャにしてくれたあのラミアに、その報いを、と。
私って私が思うよりも冷静じゃ無かったみたい。勢いに任せてラミアのアシェンドネイルを槍で刺してしまって。
原因は解ってる。どうしようも無い目に会ってからは、抑えようとする気が薄くなっている。昔なら口にしないようなことも、つい言ってしまったりしてしまう。自分でも、ちょっと危ないと思う。
私がラミアと顔を会わせないように、私とシグルビーは街の守備隊の応援に回された。なんだかシグルビーが私のお世話係りにされたようで、悪いな、と思う。
「う、ううん……」
いけない、飲み過ぎた。テーブルに潰れた私をシグルビーがよいしょと持ち上げる。
「ほらフェディエア、寝るならベッドで眠れ」
「ンー、運んで、シグルビー」
アルケニー監視部隊の隊員宿舎、と言っても新しいのは建設中。このときの住まいは灰龍被害のときに、避難した領民の為に作られた急拵えの宿泊所。灰龍がいなくなり、ここに住んでいた人は故郷に戻った。その空き家を壊さずに使い回していた。
思い返してみれば、灰龍がウィラーイン領に現れてから、私の人生は大きく変わった。
父さんと母さんが作ったバストルン商会。母さんが亡くなってからは、私が母さんの代わりに父さんを支えようと、商会の仕事を手伝うようになった。
父さんも、母さんと二人で立ち上げたバストルン商会を立派にしようと、一層仕事に力を入れるようになった。
ウィラーイン伯爵ハラード様の信頼を得て、ローグシーの街のバストルン商会は大きくなり、プラシュ銀の製品を任されて。
どうも前にいた商会が伯爵様の不信を買うようなことをやらかして、その後釜にバストルン商会が入ることになったらしい。それでバストルン商会は昔からの商人にはやっかまれたのか、成り上がりなんて言われたりもした。
そんな陰口なんて気にもせず、私は女商人として父さんと仕事をしていた。
あの頃は頑張ればなんでもできるような気がしていた。父さんのおかげでお金の苦労はあまりしなかったのもあるけれど。
魔獣深森に近い土地で、商隊が魔獣に襲われて荷と馬車が駄目になったり、順風満帆とは言えないこともあった。
それでも知恵を働かせ、商会の皆に助けられて、上手くいかないことなんてそうそう無いと、あの頃は思っていた。
ウィラーイン領に灰龍が現れて、伯爵領の財源のひとつ、プラシュ銀鉱山に灰龍が住み着いた。
灰龍、
灰龍がいる限り、プラシュ銀鉱山から採掘はできない。
プラシュ銀の製品の商いで利益を得たバストルン商会には、痛手だった。だけど、父さんは伯爵様に恩を返さねばと支援することにした。
目端の効く他の商人がさっさと別の土地に移る中で、父さんはローグシーの街に残ることに決めた。この地で得た利益をこの地の人に返さねば、と。商人はそこに人が安心して暮らせるから商いができる。父さんのこういうところが、義の貴人ハラード様に気に入られたのだろう。
「結婚? 誰が?」
「フェディエア、お前だよ」
「私が? 待って父さん、なんでいきなり? 相手は?」
「カダール様だ。ハラード様の息子の」
「……え? あの剣のカダール様? え? ちょっと待って、私も父さんも貴族じゃ無いでしょう?」
「これまでは貴族じゃ無かったが、フェディエアがカダール様と結婚すれば、フェディエアが次期伯爵婦人になる」
ニンマリと笑う父さん。私が貴族に、伯爵家に嫁ぐなんて。しかも相手はこの国の王子をその身で守り、
どんな窮地からも生還する不死身の騎士と呼ばれ、ボロボロになっても仲間や民を助けて戦う騎士の中の騎士。槍のエクアド様と共に王都で流行する物語のモデルになって、吟遊詩人が歌にする。まるでお伽話の中の騎士のような方。
「……私が、あのカダール様と?」
「そうだ。ハラード様も灰龍被害から民を守る為に資金が欲しいところで」
「あ、そういう事情なのね」
「それだけでも無いんだよ。この前、フェディエアが相手にしてたご婦人がいただろう?」
「えぇ、いろいろとおもしろいお話を、新しい商売に繋がりそうなお話を聞かせて頂いたわ」
「あの方がハラード様の奥様、ルミリア様だ。フェディエアのことを気に入ったらしい」
「……ええ?」
初めて顔を会わせたカダール様は、厳しい顔のちょっと怖い感じの人だったけれど、話してみれば優しそうな人だと解った。
灰龍被害に頭を悩ませて、ウィラーイン領の民の為に何ができるか、と考えているがいい方策が思いつかない。結婚式のあとも灰龍被害から復興の目処がつくまで、夫としてはおろそかになってしまうだろう。それでもいいだろうか?
カダール様はそんなことを素直に言う人だった。ウィラーイン伯爵家が人気があるのが、カダール様と話をして改めて解った。カダール様もまた、私と同じように急な結婚の話でどうしていいか解らない様子で、それが解るとカダール様が何故か、可愛らしくも見えてしまう。
私はすっかり浮かれていた。伯爵家に嫁ぐ不安もあったけれど、それよりも希に見る優良物件が転がり込んで来た、と喜んでいた。商人の仕事が楽しくて打ち込んでいた私に、こんな縁談が来るなんて。
私が貴族に、それもウィラーイン家の一員に。夫は武名高きカダール様。優しそうで浮気の心配も無さそうな、女性が苦手そうな感じの誠実な騎士。ちょっと警戒されているみたいだけど、これから打ち解けていければ。
そうして浮わついていたからか、父さんとバストルン商会の異変に気づくのが遅れた。
結婚式の当日、聖堂の天井が割れてアルケニーが現れた。ゼラちゃんの乱入で結婚式は中断された。
それもまたとんでもない事件ではあったけれど。その日の夜から私の人生は一変した。
「たいへんな目に会いましたね、お嬢さん」
「まったくね。結婚式に魔獣が現れるなんて」
「さすがは魔獣深森に近い街ですね」
「いくらローグシーでも、魔獣が一匹で乗り込んで来るなんて今まではなか……」
私に話しかけていた女商人の目が赤く光っていた。人の目にはあり得ない、澄んだ真っ赤な光を放つ瞳。私の目の奥まで覗き込むようにして、女商人は薄く微笑んでいた。少し前からバストルン商会に出入りしていたこの女が、私に悪夢をもたらした。
人の女商人に化けていた魔獣に、私は知らないうちに、既に出会っていた。
ラミアのアシェンドネイル。
ここからのことは、思い出したくも無い。
どうしてこうなったのかしら?
「それが、あのアシェンドネイルとの邂逅か」
「なんでこんな話になったのかしら?」
「俺がフェディエアに、アシェンドネイルとの因縁を聞いたからだろう」
「寝物語にする話じゃ無いわ」
鍛えられたたくましい胸板に頬をつける。伝わる体温にホッとする。背中を撫でる手に身体から力が抜けて、身を委ねる。
酔った勢いがあったとはいえ、どうしてこうなったのかしら? 暗い部屋の中、ベッドの上で仰向けに寝るエクアド隊長。
そのエクアド隊長を寝床にするように、私はうつ伏せになっている。
「まったく、隊長が隊員に手を出すなんて、王軍として問題よね」
「フェディエアが、汚された女に魅力なんてないでしょう、とか拗ねたことを言うからだ」
「拗ねて無いわよ」
「フェディエアには魅力があると、行動で示したらこうなった。フェディエアの方が男嫌いになってないかと心配していたが」
「うん……、エクアドが上になるのは、ちょっと」
男に覆い被さられると、あのクソ野郎のことを思い出してしまうのか身体が強張ってしまう。それでムニャムニャできないのかと、私も心配になった。
そこでゼラちゃんのことを思い出した。私が、その、ゼラちゃんとカダール副隊長のムニャムニャを監視したときのこと。
カーテンのシルエットだったけれど、ゼラちゃんはカダール副隊長に覆い被さっていた。ゼラちゃんの下半身は大きな蜘蛛だからか、二人が、その、ムニャムニャするときは、ゼラちゃんが上になってることが多いような。
それで私もゼラちゃんの真似をして、寝転ぶエクアドの上になってみたら、無事にムニャムニャできた。できてしまった。そのムニャムニャの後なので、私もエクアドもこうして裸で抱き合っている。ええと、どうしてこうなったのかしら?
「これもゼラちゃんのおかげ? いえ、ゼラちゃんの監視のせいでムラムラしてしまって、そのままエクアドに報告して、エクアドが寝付けそうに無いなら一杯付き合っていけ、と言って。あぁ、情緒不安定な隊員に酒を飲ませて手を出したなんて、隊長のこんな話は秘密にしないとたいへんね」
「おかしいな、フェディエアの方が俺を挑発してこうなった気がするんだが」
「こういうとき風聞としては、手を出してしまった男で隊長のエクアドの方が分が悪いと思うわ」
「遊びであればそうだろうが、本気であれば問題無い」
「あら? クインと恋仲になって、クインを味方につけるつもりじゃ無かったの?」
「クインはやめた方がいいと言ったのはフェディエアだろう」
「それで手近な女と遊ぶのね、たちの悪い隊長だこと」
「遊びでこんなことをするか」
見上げてみればムッとした顔のエクアド。
「言っておくが、俺はそんなに遊んでもいないからな」
「そうなの? カダール副隊長よりは女に慣れてるとかって」
「槍のエクアドなんて呼ばれて、武名と家名に寄ってきた女と付き合ったりしたことはあるが、そういう女は面倒だ」
「人気者はたいへんなのね」
「それにウィラーイン家の養子になったばかりで、醜聞になることなどできるか」
「そこは安心してエクアド。秘密にしておいてあげるから」
「秘密にするのか? フェディエア?」
訊ねるエクアドから目を逸らす。人はいつどうなるか解らない。ラミアのアシェンドネイルに目をつけられて、魔法で身体を操られて酷い目に会った。自分の意思とは無関係に動く身体、邪神官に受けた恥辱と屈辱。女として産まれたことを後悔するような、絶望、諦め。しかも復讐する前にそのクソ野郎は焼き殺されてしまって。
人はいつどうなるか解らない。予測不能の未来は、ときに酷い運命を突然にもたらす。それなら、生きているうちにできることはしておこう、と、いう気になる。
先のことを考えずに刹那的に、こんなことを、その、酒の勢いでムニャムニャしたりするのは、バカのすることだなぁ、と自分でも思う。思うのだけれど、明日には突然に死ぬかもしれない。いきなり天井が割れて、落ちてくる魔獣に潰されるかもしれない。
それなら私のことを心配して、気を使ってくれるエクアドに、一度抱かれてみるのも悪くない。
エクアドが槍術を丁寧に教えてくれて、他の隊員から見ても私の槍の上達ぶりはなかなかのものらしいし。少し自信がついて、これで少しは身を守ることもできると思えるようになったし。
それにシグルビーが、好きな男に抱かれるのは気持ちいいらしい、とも言っていた。ゼラちゃんを見てると、とても幸せそうだ。
エクアドは隊長としてしっかりしていて、頼り甲斐がある。隊を率いて先頭に立つ姿はかっこいいし。
そのくせ親友というカダール副隊長と二人で話をしてるときは、やんちゃな少年のようだったり。ゼラちゃんの身体検査でゼラちゃんのおっぱいからそっと目を逸らすとこは、うぶな男の子みたいだったりする。
そんなエクアドなら、嫌なことを少しは忘れさせてくれないか、と。
あの邪神官にいいようにされたことしか、私は男を知らない。自由にならない身体の中で泣きわめいていたことは、今でも夢に出てきたりする。
「私がエクアドと、その、してみたくなったのは、私もゼラちゃんみたいに幸せになりたいな、と」
「あれはゼラとカダールの絆があってこそのものじゃないのか?」
「少しは気に入った男に抱かれてみたら、どんな感じになるのか興味があっただけ」
気持ちいい、と言うよりは安心と不安の混ざったような、不思議な感じ。こうしてエクアドを敷き布団にしてると、なんだかホッとした気分。私がこうして、男に身を委ねて落ち着くなんて、自分でも自分が信じられない。
だけど、これは恋では無いんだろう。
「……アシェンドネイルのことで、私は平静では無いのだから、これでエクアドに迷惑になるようにはしないわ」
「弱った女に突け込むような真似をして、ウィラーイン家を名乗れるものか」
エクアドの手が私の頭を撫でる。エクアドの目が私を捉える。
「フェディエア、俺と結婚するか?」
……どうしてこうなったのかしら?