第二十八話

文字数 4,438文字


 自由を取り戻した身体でうなだれるゼラに駆け寄る。ゼラのすぐ前に立つのは邪神官ダムフォス。

「そんな、ボサスランの瞳が……」

 砕けた赤い石の欠片を手に呆然と呟く邪神官ダムフォス。俺のゼラを下僕にしようとした男。迫る俺に気がついて顔を上げる。奴の何が起きたか解らないという間抜け顔に、握り絞めた拳を一発、大きく振りかぶって殴りつける。

「があっ!?」
「ゼラから離れろ!」

 ダムフォスをぶっ飛ばして、ヘチャリと地面に手をつくゼラの肩を掴む。弱々しく顔を上げて、それでもふにゃりと笑むゼラ。

「カダールぅ……」
「無事か? ゼラ? どうした? 俺のこと忘れて無いか? 身体は?」
「あにゅ、身体に、力入んないの」

 ゼラの顔、その下半分がダムフォスの血で濡れている。あんな奴の血がゼラの口に。服の袖でゼラの顔の血を拭う。

「カダール、さっきまで、すごく近くにいた?」
「俺にもよく解らんが、どうやら俺もゼラもあのボサスランの瞳という宝石に飲まれていたらしい」
「あの赤い石、光ってバッキーンって、割れたよ。カダールがやったの? カダール、すごい」
「いや、あれをやったのは、たぶんゼラだ」

 動けないゼラの肩を左手で抱き、辺りを見回す。祭壇の前には俺が殴り倒した邪神官ダムフォス。顔を押さえて立ち上がろうとする。
 祭壇後ろ、無貌の女神像の隣にはラミアのアシェ。薄く笑ってこちらを楽しそうに見ている。
 父上は? エクアドは?

「ギャオオオオオ!」

 苦しげに鳴く魔獣の声。

「急に赤く光って、何が起きたか解らんが、」

 額から血を流し、力の入らない左手をぶらりと下げた父上が呟く。その目の前には、地面に倒れてのたうち回って苦しむマンティコア。ギャオオ、ギャオオ、と口から悲鳴と泡を吹いている。
 エクアドと戦っていた四腕オーガも地面に膝をつき、三本の腕で頭を抱えて激しく頭を振り回して泣くように叫んでいる。
 エクアドが口から垂れる血を片手で拭う。

「……なるほど。切り札のように出した赤い宝石が魔獣を支配する魔術具か。それが壊れて支配した魔獣に、異変が起きたか」
「弱ったところに突け込むようなやり口は気に入らんが、ここでマンティコアを野放しにする訳にはいかん。許せよ」

 父上が右手の長剣でマンティコアの首を切る。獅子の首は太く切り落とすことはできなかったが、その首からは血と呼気が溢れる。

「操られていたなら哀れだが、こちらも余裕が無くてな!」

 エクアドの槍が四腕オーガの心臓を貫く。槍から手を離したエクアドは石畳に膝をつき、グハッ、と口から血を吐く。内蔵をやられたのか? エクアドの鎧には四腕オーガの拳の凹みが。
 四腕オーガは胸に槍を刺したまま、仰向けにドウ、と倒れて動かなくなる。
 マンティコア、四腕オーガ、二体の苦鳴の声が途絶えて静かになる。
 聖堂の扉のあったところから、アルケニー監視部隊に父上の部下が現れて、蜘蛛の巣に捕まる黒ローブ達を取り押さえていく。ようやく援軍が来たか。
 残るは邪神官ダムフォスに白髪女、ラミアのアシェ。
 父上が俺とゼラを守るように俺の前に立つ。片手で長剣を構えダムフォスを睨みつける。

「魔獣を操り何を企んだ? 全て吐いてもらうぞ」
「く、何故、こんな様に。ボサスランの瞳が砕けるなど、ゼンドルもボルマも役に立たん奴等だ。アシェ! 何をしている、我を守れ!」

 パン、パン、パン、パン、パン、

 地下の聖堂の中、乾いた音を立てるのはラミアのゆっくりとした拍手。手を叩きながらアシェは笑っている。

「ふふふふふ、まったく、懐かしいやら、妬ましいやら、羨ましいやら。なかなかおもしろい演目になったわね」
「アシェ、我を守れ! そいつらを足止めしろ!」

 アシェは大蛇の下半身でシュルリと動く。高く伸びその場全てを見下ろす高さに。薄く笑う顔で邪神官ダムフォスを見下して。

「ダムフォス、二流の悪役にしてはなかなか楽しませてもらったわ」
「何を言ってる? 血の命に従え! 我を守れ!」
「我らが母の瞳を使っても灰龍を支配することもできず、卵ひとつ持ち帰るのがやっとの男が、私を支配できるとでも?」
「何ィ?」
「出番を終えた役者は舞台から下りなさい。フラウン」

 ラミアが指を振り呟くと邪神官ダムフォスの足下から火柱が立ち登る。鮮やかなオレンジ色の炎が一瞬でダムフォスの姿を包む。

「アシェエエ! 貴様ああああ! ああああ!」

 灰色の神官服が燃え人の髪の焼ける臭いが漂う。ダムフォスが魔獣を操り、操られたラミアが人を操る。それがダムフォスの狙いだと思っていたが、ラミアのアシェの方がダムフォスを操っていたということか?
 ゼラの魔法と同じように、一声と指の一振りで恐ろしい魔法を使うラミア。燃える火柱の中で踊る人影を一瞥する。

「悪役の最後とはこうで無くては」
「う、裏切り者の、ま、魔獣があ!!」
「私の信頼を得るには、まるで愛が足りないわね。魔獣に食われることも無く燃え尽きなさい、ダムフォス。見てる分にはおもしろかったわ」

 意識が途絶えたか倒れるダムフォス。動かなくなった身体はまだ炎が包んでいる。

「こうして赤毛の騎士は悪い魔法使いを退治して、蜘蛛の姫を助け出しました。ぱちぱちぱち」
「ラミア! いつから、いったいいつから俺達を操っていた?!」
「舞台の裏の仕掛けを晒す不粋など、興醒めね」
「舞台だと? お前は何の目的でこんなことを!」
「私の好みに添えば、英雄には単身、邪教のアジトに乗り込んで欲しいのだけど。立場に役職のある人間は面倒ね」

 チロリと舌を出して唇を舐めるラミア。隠すつもりも無いのか裸身を晒し、腰に手を当てて堂々としている。これまで隠してきたのか、今のラミアからは異様な気配が溢れこの場を満たす。その存在感に圧倒されて、皆、武器を構えるが動けない。ラミアの赤い瞳が俺を見る。

「ただのムッツリかと思っていたけれど、我らが母の畏怖に怯えず啖呵を切り、呆れさせたとはいえ一瞬でも圧倒したところは及第点。突っつくといろいろと面白いものが出てくる男ね」
「お前が邪教の集団を操っていた黒幕か?」
「英雄が活躍するお伽噺には、悪役が必要でしょう?」

 暗く赤い瞳が鈍く輝く。このラミアは人間のことをよく知っている。人の機微を知ってその上で、演劇でも作るつもりで人を操っていたのか?
 このラミアの考えていることが解らない。だが、このラミアは、懐かしいと言っていたか? 俺とゼラを見て懐かしいと、羨ましいと。

「ラミア、お前が、業の者、とやらか?」
「我らが母からずいぶんといろいろと聞き出したものね。それだけお前のことを気にいったのかしら?」
「あの声がお前の母だと?」

 あの女の声がラミアの母? 半人半獣の魔獣、ラミア。思い出すのはあの赤い世界の女の声。

〈蜘蛛の子は蛇の子より幼い〉

 あの赤い世界の中、女の声は蜘蛛の子は蛇の子より幼い、と、言っていた。ゼラと似たような魔法の使い方をして、ゼラにも見抜けない幻術を使うラミア。蜘蛛と蛇と違いはあるが、二人とも女の上半身の、半人半獣。
 まるで、同じ種類の存在のような。

「ラミア、お前もゼラと同じ、進化する魔獣なのか?」
「意外とバカじゃないわね。やはり芯のある主役は操ると舞台がつまらなくなる」

 手を口に当ててクスクスと笑う。無表情の演技をやめたラミアのアシェは少女のように笑う。

「名乗っておきましょうか、赤毛の英雄カダール。私の名前はアシェンドネイル。あなた達が進化する魔獣と呼ぶ者。人間の話では希少な魔獣だから、大事にしてほしいわ。進化の果てには魔獣統べる王となる、なんて伝説もあるわね」
「その伝説の魔獣が人を操って何を目論む? 国を興して女王となるつもりか?」
「あら、それはそれで楽しそうね。そのときは、あなたとそこの槍のエクアドを私のハーレムに入れてあげるわ」

 微笑むラミアはゼラを見る。武器を構える俺達を無視するように。ラミアの目は穏やかで、その声はこの場に似合わぬ優しげな声で。

「蜘蛛の姫、ゼラ」
「……なに?」
「なかなかおもしろい男を見つけたものね?」
「む! カダールあげない! とっちゃダメ!」
「今はその赤毛の王子様に夢中なんでしょうけれど、その男に飽きたら何時でも深都においでなさい」

 言ってクルリと振り向くラミア。白い髪がバサリと翻る。

「そのときは、いろいろとお話しましょう。そのときの為に素敵な思い出を作りなさい」

 シュルリと黒い大蛇の尾を振って、無貌の女神像へと進む。その背を父上とエクアドが追いかける。

「待て!」
「逃がすか!」

 父上の長剣がエクアドの槍がラミアの黒い大蛇の下半身を狙う。鋭い剣撃に槍突が風切る音を立てて、ラミアの身体をすり抜ける。

「何?!」
「幻影? 幻術だと? いつの間に?」

 剣と槍にかき乱された煙のように、揺めき消えるラミアの姿。声だけが残り辺りに響く。

「また会いましょう、ゼラ。私の妹」

 幻は消え、ラミアの姿は失せる。アシェンドネイルと名乗ったラミアの姿はもう何処にもいない。

「ゼラを妹だと?」
「ン? いもうと?」
「ゼラ、あのラミアがゼラの姉らしいのだが」
「あね?」
「ゼラの家族となるのか? ゼラはあのラミア、アシェンドネイルのことを知っているのか?」
「ンーン? 初めて会った」

 キョトンと見返してくるゼラ。ゼラは知らないようだ。
 邪教の集団の首領は焼けて炭になり、魔獣、四腕オーガもマンティコアも討伐した。邪教の信徒達も兵が取り押さえ、これで何事かを企む黒幕の集団は壊滅した。
 だが、裏でそれを仕込んでいたであろうラミアは名を告げていなくなる。ラミアの放つ畏怖に威圧され、動きを止めていた者が思い出したように深く息を吐く。
 邪教の徒の企みは潰えてこれで良しのはずが、それが全てあのラミア、アシェンドネイルの遊戯か悪戯だったのか?
 聖堂には抵抗する気を無くした黒ローブ。そいつらを縄で縛り上げるアルケニー監視部隊とウィラーイン領兵団。
 床を見れば細かく砕けた赤い石の欠片、光を失ったボサスランの陣。
 見上げれば闇の母神の像がある。
 間抜けな演劇をやらされた俺達が、その舞台の後片付けをする様子を見下ろしている。
 目隠しをした無貌の女神像の表情は解らない。

「また、会いましょう、とか言ってたか、あのラミア」
「ンー? あのラミア、ゼラと似てる?」

 赤紫の瞳で見上げて尋ねるゼラ。似てないと言いたかったが、ゼラを見ると口にはできず、誤魔化すようにゼラを抱きしめる。

 これで片が着いたはずだが、終わった気がしない。

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登場人物紹介

ゼラ

もとは蜘蛛の魔獣タラテクト。助けてくれた騎士カダールへの想いが高まり、進化を重ねて半人半獣の魔獣アルケニーへと進化した。上半身は褐色の肌の人間の少女、下半身は漆黒の体毛の大蜘蛛。お茶で酔い、服が嫌い。妥協案として裸エプロンに。ポムンがプルン。しゅぴっ。

カダール=ウィラーイン

ウィラーイン伯爵家の一人息子。剣のカダール、ドラゴンスレイヤー、どんな窮地からでも生還する不死身の騎士、と渾名は多い。八歳のときに助けた蜘蛛の子と再会したことで運命が変わる。後に黒蜘蛛の騎士、赤毛の英雄と呼ばれる。ブランデーを好む、ムッツリ騎士。伝説のおっぱいいっぱい男。

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