第二十一話
文字数 4,510文字
「少し離れてた間に、妙なことになっている」
「お邪魔してるわ、英雄の父」
父上が戻って来た。父上はハウルルを屋敷に連れ帰った後、ウィラーイン領兵団から隊員を選抜し、再び魔獣深森へと。ハウルルを発見した周囲を捜索していた。
帰還した父上を庭で出迎えたところで、アシェンドネイルと父上が対面。裸エプロンのアシェンドネイルは腰に手を当てて堂々として、父上は苦笑いしてアシェンドネイルを見上げている。
「ここで再会するとは」
「メイドに化けて忍び込む予定で、正体をバラす気も無かったのだけどね」
「辺境の我が屋敷に客人が増えるとは、賑やかになったものだ」
「私のしたことも知ってるでしょうに、客人扱いしてくれるのかしら? 領主としてそれでいいの?」
アシェンドネイルは人を見れば皮肉なことを言う。常に二人以上が側で監視することにしたのだが、その監視にもからかうように戯れ言を言う。からかうというよりは、何か人に不満でもあるのか。
滅びた古代魔術文明のことについて語ったアシェンドネイルの言葉には、人を蔑むものがあった。かつての人類に作られた闇の母神、その人造の神に産み出された者として、人に思うことはあるのだろう。アシェンドネイルの語ったことは、俺の想像力では追いつかない。
何処まで真実かも解らず、また“
父上は口だけを笑みの形にしたアシェンドネイルを、上から下まで見下ろして、ふむ、と。
「我が領地に灰龍を呼ぶなど困ったことを仕出かしてはくれたが、人の法で魔獣は裁けぬし。魔獣災害は天災と同じで、人知の及ぶものではないからの」
「無双伯爵なんて呼ばれてるのに弱気じゃない」
「ここでアシェンドネイルを討伐しようと一戦交えて、屋敷が壊れるのも困るし、ローグシーの街の者にはワシが苦戦するところは見せられん。強い貴族という肩書きとは、守るのも苦労するものだ」
「マンティコアに一人で相対した勇者とは思えないわ」
「なに、これまで運よく負ける勝負をしてこなかっただけのこと。マンティコアと四腕オーガを見て、久しぶりに冷や汗が出たものよ。慢心の戒めになった」
「……なんだか調子が狂うわね」
庭に出て父上を出迎えた母上が、二人を見てクスリと笑う。
「どうやらアシェンドネイルは人に化けて、人のふりをして人と話すのには慣れてるみたいだけれど、ラミアとして人と話すのには慣れてないようね」
「あら、それで人に化けるな、と言ったのかしら?」
「ここでは偽る必要は無いだけよ。アシェンドネイル、人に思うことがあれば吐き出してくれていいわ。私はラミアの愚痴というのも聞いてみたいし」
「おめでたい人達」
口をへの字に曲げるアシェンドネイル。催眠や幻覚で人を操るのが得意だからこそ、その魔法無しで人と話すことはあまり無かった、ということだろうか。
「チチウエ、お帰りなさい」
「おぉ、ただいま、ゼラ」
ゼラが身を屈めて父上に抱きついて頬にチュッとキスをする。いつもは飄々としている父上の顔が、ゼラにチチウエと呼ばれてへにゃりとだらしない顔になる。
「なんなの、この伯爵家は……」
アシェンドネイルが苦々しげに呟く。俺もゼラに甘い父上はどうかと思う。父上が手土産だ、と生け捕りにしてきた長角牛にグリーンラビットが、庭で縛られた姿でジタバタしている。ゼラへのおみやげの、新鮮で生きのいいお肉だ。父上、調査のついでに何をしてますか。
医療メイドのアステが屋敷から出て来た。その胸にハウルルを抱っこしている。
「ハウルルー」
ゼラがアステの前で手を広げると、ハウルルはゼラに手を伸ばす。ハウルルはアステの腕の中からゼラの腕の中へと。ゼラに抱き抱えられたハウルルが、ゼラの胸にポフンと顔を埋めて目を細める。
「ぜー、らー、」
「ウン、ハウルル、今日は尻尾を治すよ」
「はう」
アシェンドネイルがシュルリとハウルルに近づく。
「これがスコルピオのハウルル? ふぅん」
ハウルルがアシェンドネイルを見て、怯えた顔をしてゼラにギュッとしがみつく。ゼラがハウルルの背をポンポンと叩く。
「ハウルル、アシェは怖くないよ」
「何もしてないのに怖がられてるわね」
改めて見ると、なかなか凄い光景かもしれない。下半身が黒い大蜘蛛のゼラ。ゼラに抱かれているハウルルは下半身は赤い大サソリ。
二人を見るのは、下半身が黒い大蛇のアシェンドネイル。
アルケニー、スコルピオ、ラミア、伝承に語られるような半人半獣が三人と並ぶ。我が家の庭が伝説の魔境のようだ。もしかしたら、深都とはこのような光景なのかもしれない。
下半身は魔獣だが、上半身は美しき女が三人、ローグシーの街の中、屋敷の庭に並んでいる。ハウルルは男の子なのだが、今日は水色のドレスを着させられている。フリルがついたふわふわの淡い色のドレスで、肌の白さから深窓のお嬢様のようだ。
ハウルルはゼラの赤いベビードールを押し上げるポムンに顔を埋めて、アシェンドネイルを警戒している。ゼラはしがみつくハウルルに目を細めて頭を撫でて、見つめるアシェンドネイルは白いエプロンに黒い目隠しに黒い首輪。衣装も魔境か。
ルブセィラ女史は並ぶ三人を見て、興奮を隠しきれず鼻息が荒い。
「その子、ゼラにはなついているのね」
アシェンドネイルの言うことに説明しておく。
「ハウルルは人見知りするようだ。ハウルルの怪我を治して看護をした、ゼラと母上、メイドのアステにしかなつかない」
「ふうん、ハウルルと名付けたことは聞いたけれど、この子、自分の名前を名乗らないの?」
「言葉が解らないようだ。話さないしこちらの言うことも解ってないようだ」
「そういうこと。身を委ねるのは三人だけ、そしてその三人は、」
アシェンドネイルはゼラ、母上、医療メイドのアステを順に見る。そしてアシェンドネイルは自身の胸を見下ろして右手で触れる。ペタペタと。
ゼラと母上、アステと比べると細みのアシェンドネイルの胸は大きくは無い。呪布の黒いベルトがかろうじて胸の頂点を隠しているので、裸エプロンでもサイドポロリの心配は無さそうだ。
「もしかして、おっぱいの大きい女にしかなつかないのかしら? この子、髪の色も赤くて似てるし、子供版の赤毛の英雄、というところかしら?」
「アシェンドネイル、俺は豊乳マニアじゃ無い」
「今更、何を言っているの? おっぱいいっぱい男のくせに」
「ぬ、あれはだな、男の深層心理とはそういう面もあるだろう。俺だけが異常でも無いはずだ」
「違う意味では異常なのだけど。あの状況で怖れも怯えも無く、おっぱいばっかりというのは」
「人を勝手におっぱいマニアのように言うな」
確かに好きか嫌いかで言えば、好きだ。否定はできない。あのときは、その、欲求不満があって。しかし、俺はただのおっぱい好きでは無いと断言できる。確信がある。これは言っておかねば。
「アシェンドネイル、あの赤い世界にあったのは、全てゼラのおっぱいだ。他の女のおっぱいはひとつも無い。俺はおっぱいであれば誰でもいいという、相手構わずのおっぱい好きじゃ無い。ゼラのおっぱいだから好きなんだ」
「……なんて返せばいいのかしらね。この真性おっぱいいっぱい男には」
疲れたような声のアシェンドネイル。話を聞いていたエクアドが首を傾げる。
「カダール、そのおっぱいいっぱい男というのは、なんだ?」
「エクアド、それはあの赤い宝石で、その、人のいないところで説明する……」
「またネタになるようなことでも仕出かしたのか?」
「良くも悪くも、それで闇の母神に気に入られたらしい」
「その結果にアシェンドネイルがウィラーイン領に悪さをしないとなれば、カダールがウィラーイン領を守ったことになるのか?」
「その話は後にしよう。先にハウルルの治療を済ませようか。ゼラ、ハウルルを倉庫に」
「ウン、ハウルル、今日もがんばってね」
「はう、」
ゼラが倉庫の中にハウルルを抱っこして運ぶ間、ハウルルの手はずっとゼラの胸を触っている。む、もう睨まない、睨まないぞ。ハウルルも心細いのだろう。身体を治してくれて、守ってくれるゼラから離れたく無いだけで。
ハウルルはゼラを母か姉のように慕っている、それならば胸にしがみついたりもするだろう。そう考えればいつも不安そうなハウルルに嫉妬するとは。男として余裕を持たなければ、またゼラに注意されてしまう。
倉庫の中、寝床の上にハウルルを仰向けに寝かせる。今回は尻尾なので、服は着たまま。水色のドレスの中から赤いサソリの身体が出て、途中で千切れた赤いサソリの尻尾がニュッと伸びる。
ハウルルの左目は再生して、顔の怪我はあったのかも解らないくらいに傷あとも無い。
無くなっていた左手、左の赤いサソリの鋏、失った三本の脚も再生した。母上がご飯を食べさせて、頬も少しふっくらとしてきた。
ハウルルから手を離したゼラが、拳をキュッと握る。
「ウン、最後は尻尾の先だけ」
いつもの治療のようにハウルルの口にハンカチを噛ませる。ゼラの治癒の魔法は再生する部位に依るが、腕一本など再生箇所が大きいと、火傷するような痛みがある。
俺とエクアド、護衛メイドのサレンでハウルルの身体を暴れないようにそっと抑え、母上がハウルルの手を握る。準備良し。
「ウン、いくよー」
「ちょっと待ちなさい、ゼラ」
アシェンドネイルがゼラを止める。
「
「ペインレス?」
「治すのに痛み止め無しだったの? スパルタなのね」
アシェンドネイルが手を伸ばしハウルルの額に触れる。ハウルルはアシェンドネイルを見たまま、ビクリと身体を震わせる。
「痛いことはしないわよ。ちょっと眠るだけ。スゥラ」
「うぅ、」
「あら、
アシェンドネイルはハウルルの目蓋に手をおろす。そっと優しく目を閉じさせると、ハウルルの身体から力が抜けて、呼吸も安らかな寝息に変わる。
「アシェンドネイル、魔法で眠らせたのか?」
「そうよ。深く眠らせたから、今なら痛みを感じないわ」
ハウルルの口からそっとハンカチを取るアシェンドネイル。
「ゼラはこういう魔法は苦手みたいね」
「アシェ、ハウルルには優しい?」
アシェンドネイルはゼラの言うことに少し考えて、
「同族、みたいなものだからかしら? 同じ半人半獣ならゼラと同じ妹になるわね」
「ハウルル、男の子だよ?」
「じゃ、弟ね」
スヤスヤと眠るハウルルの尻尾にゼラが触れる。
「なー! だ!」
手を白く光らせてハウルルのサソリの尾を治していく。