第九話◇ルブセィラ女史、主役回、後編

文字数 5,389文字


 ウィラーイン家の屋敷、その一室。私が寝泊まりしているその部屋で報告書を纏めます。王立魔獣研究院に送る報告書はさっさと書いて、スポンサーでもあるエルアーリュ王子に送る報告書はじっくりと書きます。
 政治的な問題含めて、王立魔獣研究院に全て教える訳にはいきません。二通の報告書を書き上げて防水の皮筒袋に入れて出来上がり。

「ふう、」

 背伸びをして固くなった背中を軽くほぐして一息。机の中から一冊の本を取り出します。教会には渡さずに手元に残した本。灰色の背表紙の、闇の女神信仰の教典。
 闇の母神ボサスランについて書かれたものです。パラパラとめくりながら、今日の昼間、ゼラさんとした話を思い出します。

『人と魔獣が子供を作った例はいくつもあります』
『そうなの?』
『えぇ。ハーピィはメスしかいない種族で人間など他種族のオスを拐い、子供を作ります。産まれた子供は全てハーピィで、ハーピィから人間が産まれたという実例はありません。また、オークはメスが極端に少なく、他種族のメスを拐い、子供を産ませます。ここで産まれるのもオークですね』
『ンー、アルケニーだと、どうなるの?』
『すみませんが、解りません』

 魔獣の中には他種族の異性を使って繁殖するものがいます。この対象になるのは人間が多いですね。また魔獣にとって人間の肉は美味しいのか、人間を襲う魔獣は多いです。
 また王種誕生ともなれば、その種は爆発的に増え、その後魔獣深森から出て人間領域を攻めてきます。魔獣研究者として思うのは、魔獣とは何か? 独自の魔法を使ったりブレス、毒液など特殊な攻撃手段を持ち、只の生物としては過剰な戦闘能力があります。
 知恵があり独自の言語を持つゴブリン、コボルトなど、その言語を研究し会話をしようという試みも失敗しています。
 彼らにとっては人間は敵だと決まっているかのように。
 生物として不自然な存在、魔獣、異形の怪物。
 まるで人間を敵として、殺す為に作られたような存在。何者かが人間を殺す為に意図的に産み出したかのような生物。他の生物を越えた、この世界に生きる者。

 そして人間もまた独自に知恵を発達させ、農耕で食糧を増やした生物。武器に魔術を発展させて、天敵ともいえる魔獣に対抗する力を得て、異常ともいえるほど数を増やした、不自然な生き物。
 見方を変えれば、まるで世界を食い潰すために何者かが意図的に作り上げたような怪物と言えます。

 教会は神が人と世界を造ったと説きます。何故、神は人だけを特別に造ったのか? そして光の神に反抗する闇の神は、何故、魔獣を産み出したのか?
 教会は神話と教えで説きますが、それを理解はしても謎は残り納得にはほど遠い。
 神という超常の存在が人を世界を造ったとして、教会の語る神話は人間に都合が良すぎるところが気に食わないところです。この世界に生きるのは人間だけでは無いのですから。
 かつては神の奇跡と言っていたものも、魔術研究が進めば只の治癒術と判明します。今もその名残で、教会は治癒術に治癒術を応用した回復薬(ポーション)作成において、技術力は高いですが。

 手に持つ灰色の本には、闇の母神の教えが古代語で書かれています。つまり、今は滅びた古代魔術文明でも、闇の母神への信仰が人々にあったということに。
 そのわりにこの古書が保存状態が良いのか、それとも原典の写本なのか、しっかりとしたものです。
 ボサスラン、闇の母神、この世全ての魔獣の母、捻れた三本角の無貌の女神。
 人を食らうという魔獣を産み出して、それを人に崇められ信仰される、奇妙な女神。
 進化する魔獣を名乗るラミア、アシェンドネイルが母と呼ぶ、魔獣の母。
 パラパラとめくる教典のひとつのページに目が止まります。

『闇の母神は人の心を守る為に、この地に魔獣を産み落とした』

 引っ掛かるのは『人の心を守る為』
 人を守るのでは無く、人の命を守るでは無く、守るのは人の心と。
 邪教と呼ばれる闇の神信仰では、増えすぎた人が世界を食い潰して、人が世界を滅ぼす。そうならないように、神は人が増えすぎないように天敵として魔獣を遣わせた、というのが多いです。
 なので『世界を滅日から守る』というのなら解るのですが、この人の心を守る為、というのが解せませんね。

 ですがここのところ、ゼラさんに人のことを教えている中で、改めて人について考察していると気がついたことがあります。
 人の社会は蜂や蟻に似ている。これは狼のような群れる獣と比べても、その構造は虫の方が近い。獣の群れで人に近いものとしては、山羊や羊。それも人に飼われ家畜となったものに似ているのではないでしょうか。
 人は群れて生きる獣。もしも魔獣のいない世界で、人が増えていき、人の理想とする社会が完成したならば?
 人の社会の行き着く完成形とは。

 教典の古代語を解読して更に調べます。
 人は知恵と工夫で道具を発達させ、効率を良くし、他の生物が使わない貨幣を発明し、売買から商取引と発達させて、その先にあるのは人が暮らしやすい社会。社会は秩序を求め、群れの害となる個体を法で排除する。
 特殊な個体、特別な個体は社会に不必要と排除、または処分とされる。やがて人は一律化し平らに(なら)されていく。
 
 この世界、中央の方が盾の国より、文化は洗練されています。この盾の国から見る中央の国々、その先に人の社会の完成形が推測できるとしたら、
 そのおぞましさに身震いがします。
 盾の国と違い中央では魔獣の脅威が少ない。中央からは盾の国は野蛮と言いますが、盾の国から見れば、中央の人々はひ弱で高貴さを鼻にかけていやらしい。そしておとなしく飼われる家畜のようだとも。
 これも盾の国より、法が厳しいからではないでしょうか。罪人として排除されることを恐れて、秩序を守るためにおとなしくして堪える。

 法を秩序を乱す最大の敵は? 魔獣のいない人だけの社会では、人の敵は人しかいないことになります。社会の中で生きようとするとき、邪魔になるものとは?
 人の欲です。犯罪とは欲から起きるもの。人の欲は人の心から生じ、行為への原動力へと。
 一部においては欲の満たされた人々、一部では社会からの排除を恐れて、欲を殺す人々。
 盾の国から見て人の社会の完成形に近い中央、そこで暮らす人々は、盾の国よりも元気が無い。逞しさが無い。
 ではその先にある、人が理想とする社会とは?

 人が全て、欲を産み出す心を無くし、個人としての意思を無くし、社会の為に群れの為に滅私と働く。群れの存在を個より優先し、社会の維持と社会への貢献こそを第一と考えて、それ以外は考えない人々の集団。
 蜂のように己の役割に忠実に、疑問を感じることも無く真摯に務めを果たして。
 人が理想とする社会に最も不必要なものとは、人の心。心が無ければ欲も無く、社会を乱す犯罪も、人を恨む事件も無い。人が人の幸せを願い作る社会には、その幸せを感じる心すら必要無い。むしろ邪魔でしか無い。
 人の社会の完成形とは、人が全て無欲に無感動になり、アンデッドのように暮らす社会。

 魔獣の不思議を解き明かし、生命の神秘に感動を憶える私の興味も、探究心も、完成した人の社会では不必要なものとなるのでしょう。
 個人の想いの完全なる否定。それを人が知らぬままに求めているというのは、恐ろしいものを感じます。

 その社会の完成を防ぎ、人の天敵と立ちはだかる魔獣。なるほど、確かに人の心を守る存在と言えるでしょう。
 魔獣研究の中でこんなものを発見してしまうとは。神が人を造ったというのなら、何故、遠回しに緩慢に、他の生物を巻き込む自殺のようなことを、知らぬままに望む生物を造ったのか。

「ルブセ、元気無い?」
「そんなことはありませんよ。でもちょっと疲れましたか。昨日は遅くまで調べものをしていまして」

 翌日、屋敷の庭で花を見ていると、ゼラさんに心配されます。ゼラさんとカダール様はいつもペタペタと一緒にくっついてるようにいますが、今は珍しくゼラさんひとりです。とは言っても、アルケニー監視部隊がこっそり見張っているでしょうが。

「ゼラさん、どうしました? また何か、私に聞きたいことでも?」
「ンー、ルブセ、あのねー」

 ゼラさんが眉を寄せて困ったような顔で近づいて来ます。小声でこそこそと。

「ゼラ、最近、変なの」
「何か体調に問題が? 具合が悪いのですか?」
「身体じゃ無くてね。あのね、ルブセ、どうしよう?」
「話してみてください。いったいなんでしょう?」

 ゼラさんから聞いた話を纏めてみると、

「つまり、カダール様以外にも好きになった人がいると」

 これは驚きです。カダール様を想い、カダール様を求め続けたゼラさんがこんなことを言うとは。なるほど、カダール様に聞かせずに相談したくて、それで一人で私と相談したかったのですね。今頃カダール様はゼラさんを探しているかもしれません。

「カダール様のことが一番好きなことは変わらないのですね?」
「ウン、カダールが大好き。愛してる。カダールが一番大切。だけどね、ハハウエもチチウエも好きになってきたの」
「カダール様の両親が好き、というのはどのように? カダール様のように、ですか?」
「ンー、ムニャムニャはカダールとしか、したくない。だけど、ルブセ。これって浮気? 裏切り?」
「そうですね……」

 少し考えてみれば、この好きというのは恋愛では無く、家族への好き、ということなのでしょう。

「ゼラさん。これは浮気でも裏切りでもありませんよ。カダール様が一番好きで、そのカダール様が大切に想う人も、ゼラさんが好きになってきたということです。恋人と家族友人は違うのですよ」
「そうなの?」
「そうですよ。カダール様以外にツガイにしたい、と思う男がいたら、それは浮気になりますが」
「ン、それは無い。じゃあ、この好きは浮気じゃ無い? カダールに嫌われない?」
「浮気にはなりませんね。それで浮気になってしまうと友達も作れなくなったしまいます。カダール様もこれでゼラさんを嫌うことはありませんよ」
「よかったー」

 ゼラさんがホッとした顔で息を吐きます。まだまだいろいろと教えないといけませんね。ですが、人の知識でゼラさんを毒してよいのかと、不安になることもあります。
 私もいつの間にか、ゼラさんのことを只の研究対象とは見れなくなってきました。
 ゼラさんが私を赤紫の瞳で見ます。この瞳を綺麗と感じるのは何故でしょう。

「ルブセ、この好きは言ってもいいこと?」
「はい。問題ありませんよ」

 私が言うとゼラさんは飛び付くように私を抱きしめて持ち上げて、私の頬にゼラさんが頬を擦り寄せて、何事?!

「ルブセ、ありがと! 好きっ!」

 え?
 ゼラさんは私を抱き上げたまま、クルクルと三回、ダンスのように回ります。私を庭にそっと下ろすと満面の笑みで、

「ハハウエとチチウエにも言ってくるー!」

 言うと振り向いて凄い速さで行ってしまいました。私は驚きで庭にペタリと座ります。なんですか? 今の可愛いゼラさんは? ゼラさんの好きの中に、私が入っているのですか? いつの間に?
 ずり落ちた眼鏡が膝の上にポトリと落ちました。
 心から生じる行いを、美しいとも醜いとも判じるのは、これも心。個人の想いを失う社会をおぞましいと感じるのも、私の心。
 そして想い人を一途に追いかけるゼラさん。その想う心の在り方を美しいと感じるのも、私の、感情。
 人の心が人に不要であったとしても、それを素晴らしいものであって欲しいと願うのは、私の願望で、私の欲。
 ゼラさんに抱きしめられて、好きと言われて、驚いて嬉しくなってしまったのも、これは――
 何も結論が出ないまま、頭の中でグルグルと混乱する思考。庭の中でぼんやりと赤紫の花を見続けていました。ゼラさんの瞳に似た色の花弁の花を。

 翌日、カダール様に呼び出されました。

「ルブセィラ、ゼラに何を吹き込んだ?」
「吹き込んだ、とは、何のことですか?」
「昨日からゼラが少しおかしくてだな」
「何かありましたか?」

 カダール様は少し苛立っているようにも見えます。ゼラさんの少しおかしいこととは、何でしょう?

「ゼラが父上、母上、エクアド、アルケニー監視部隊の皆に抱きついては、好きっ! と、言って回っていて。父上はヘニャリとだらしない顔をするし、エクアドは勘違いしそうになるからやめろ、と慌てるし。ルブセィラ、ゼラに何を教えたんだ?」
「……えぇと、ですね」

 ゼラさんには少しばかり訂正しておくことにしました。
 ゼラさんは素直に頷いて理解してくれました。

「ゼラさん。口と口のちゅー、は恋人だけです」
「ウン」
「なので、抱きついてホッぺにちゅー、までなら大丈夫です」
「解った。ルブセ、ありがとう。ちゅー」

 ゼラさんに抱きしめられて、頬にゼラさんの唇を感じます。
 心が震えるというのは、なかなか良いものですね。

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登場人物紹介

ゼラ

もとは蜘蛛の魔獣タラテクト。助けてくれた騎士カダールへの想いが高まり、進化を重ねて半人半獣の魔獣アルケニーへと進化した。上半身は褐色の肌の人間の少女、下半身は漆黒の体毛の大蜘蛛。お茶で酔い、服が嫌い。妥協案として裸エプロンに。ポムンがプルン。しゅぴっ。

カダール=ウィラーイン

ウィラーイン伯爵家の一人息子。剣のカダール、ドラゴンスレイヤー、どんな窮地からでも生還する不死身の騎士、と渾名は多い。八歳のときに助けた蜘蛛の子と再会したことで運命が変わる。後に黒蜘蛛の騎士、赤毛の英雄と呼ばれる。ブランデーを好む、ムッツリ騎士。伝説のおっぱいいっぱい男。

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