第十六話
文字数 6,102文字
馬車で運ばれて二日。途中で馬車と馬を替えて進んでいる。ここはどの辺りだろうか?
ローグシーの街で俺を誘拐するなど不可能だ。俺が誘拐されたのはウィラーイン領から王都へと向かう道中。
ゼラとアルケニー監視部隊は一度、王城へと顔を出すように言われている。かつてのメイモント戦でのゼラの活躍に、王が直々に蜘蛛の姫と黒蜘蛛の騎士に褒美を与えたい、とのこと。
アルケニー監視部隊の再編を終えて、俺達は王都に向かっていた。このついでに囮誘拐作戦を決行した。
ウィラーイン領に来ていたエルアーリュ王子は先に戻る、と、見せかけて今もハガクの隠密隊とゼラと行動を共にしている筈。一国の王子が何をしているのか、とも思うが俺を誘拐しようというのが、アプラース第二王子の派閥の者。
王国議会でもエルアーリュ王子とアプラース王子の二つの派閥に分かれている。エルアーリュ王子が王を継ぐ前に、反対派を抑えておきたいところ。
アルケニー監視部隊の移動の情報を掴んだ相手はまんまと乗ってきた。
俺は誘拐されて脱出防止に縛られてはいるが、食事は与えられるし、今のところ尋問も無い。食事のときと用を足すときは、目隠しは外される。もちろん監視つきだが。
馬車の外で剣を持った男に見張られながら用を足すのは、落ち着かない。俺を見張る男が驚いた震える声で言う。
「な、なるほど、剣のカダールと呼ばれるだけは、ある……」
「お前、何処を見て言っている?」
こいつ、人の股間を見て失礼なことを言う。俺はここのサイズで剣のカダールと呼ばれている訳では無い。無い筈だ。だいたいこれで剣の、とか言うなら槍のエクアドはどうなる? どっちが剣でどっちが槍という話では無いだろうに。いや、エクアドのモノと俺のモノを大きさをちゃんと比べたことなど無いから解らんが。
見張りの男は自信を無くしたような顔で項垂れる。なんなんだいったい。
馬車の中で見張りのお喋りな男と少し話をしたりする。ずっと同じ馬車の中なので、少し打ち解けたような。
「お前はなんで誘拐なんてしてるんだ?」
「なんでって、雇われたもんは上の言うことに従うもんだろ。でなきゃ金にならねえ」
「金の為に悪事に手を染めるのか?」
「知らねえよ。だいたい金を稼がなきゃ生きていけねえだろ」
「もっとマシな生き方がありそうだが」
「俺には解らんね、そーいうの。なぁ、ぼっちゃんはどうやってアルケニーを操ってるんだ?」
「ぼっちゃんはやめろ。俺がゼラを操っている訳じゃ無いからな」
「じゃあ、アルケニーが嫁になりに来たって噂は?」
「それはまあ、その通りだが」
「マジか? そんなバカな話があるわけねーだろうよ」
「バカはお前だ。ゼラの魅力も知らないのか?」
「魔獣なんだろ? ぼっちゃん、まさか本気で魔獣と結婚するつもりなのか? 魔法で頭をなんかされてんじゃ無いのか?」
「いいか良く聞け。ゼラとは俺が知る中で、最も純粋で素直な女の子だ。ちょっと負けず嫌いなところもあって、一度決めたら全力で、人の喜ぶ笑顔が好きな優しい女の子だ。寂しがりなところもあって、不意に甘えてくる仕草など、たまらないものがある」
「魅了の魔法でもかけられてんじゃねーのか?」
「むう、お前のような男にも解りやすく伝えるには……、そうだ、ゼラはおっぱいが大きい。王国一の巨乳だ」
「何ッ!?」
「しかもあの大きさで、重力に逆らうようにツンと上を向き、張りの良さ、瑞々しさ、まろやかさ、全てを兼ね備える最強のおっぱいだ」
「マジか? いや、アルケニーって言やあ、美しい女の姿で男を惑わすって、」
「男ならば誰もがついそこに目が行って離せなくなってしまうのだ。まるで蝋燭の火に向かう羽虫のように、」
ゼラと離れて、俺も寂しいのか、ゼラが恋しい気持ちが高まり、つい見張りの男にのろけてしまった。いかんいかん。
俺は食事と用を足すとき以外は、目隠しをされているので男がどんな顔で話しているのか解らない。声だけ聞けばお調子者のようだが、どうやら巨乳好きらしい。
「着いた。降りろ、黒蜘蛛の騎士」
ようやく到着か。目隠しを外され足に鎖をつけられる。小さい歩幅なら歩けるようになる。ここまで警戒されるのは、誘拐されるときに抵抗するのにやり過ぎたからかもしれん。
馬車から降りればまばらに木が生える林の中。緑の匂いが薄い。嗅ぎなれた魔獣深森の中なら、もっと匂いが濃い。ならば魔獣深森から離れた王都に近い方の林か。
木々の中、切り開いたところに白い館がひとつある。貴族の別荘というところだろうか。
館の中へと案内され、広間の中、ポツンと置かれた椅子に座らされる。壁際にはズラリと男達が並ぶ。馬車の中の見張りもいる。装備と格好から見て騎士でも無く兵士でも無さそうだ。いざとなれば切り捨てることのできる私兵というか、手下というか。
そういう者を配下にして誘拐を企む者もまた、同じような小物なのだろう。そいつを捕らえて、バカな計画を唆した上の奴を引き摺り出したいところだが。
「ようこそ、黒蜘蛛の騎士」
扉を開けて入ってきた男が口にする。暗い顔をした細身の男。
「手荒い呼びつけ方をしたことを、悪く思わないで欲しい」
「身勝手なことを言う。誘拐して悪く思うな、など無理だろう」
「それもそうか。しかし、ままならんものだ、世の中とは」
疲れた顔で首を振り、その男は俺と相対するように椅子に座る。その男を護衛するように二人の男がその左右に立つ。
椅子に座る男は、隠密ハガクの持って来た資料、そこにあった似顔絵の顔に似ている。
「ベレンド男爵、ロジマスか?」
俺が訊ねると暗い顔の男は少し驚いたように顔を上げる。
「黒蜘蛛の騎士に名を憶えて貰えるとは、光栄だ」
ロジマス=ベレンド男爵、資料には三十、何歳だったか? 確か三十代。しかし似顔絵と比べて目の下には隈がありやつれている。元気が無い。ロジマス男爵は苦笑する。
「経緯はともあれ、我が別荘に黒蜘蛛の騎士を迎えられるとは、ベレンド家にとって誉れというところだろうか?」
「誘拐したことを誉れなどと言うのは、どうかしているのではないか?」
「あぁ、まったく、どうかしている。だがどうしようも無い」
「ロジマス男爵、なんのために俺を拐った? 誰に唆された?」
「尋問したいのはこちらなのだが? 拐われ縛られた身でも豪胆とは、流石英雄、剣のカダール殿だ」
椅子に座り足を組み、手は指を組み合わせ、暗い顔に笑みを浮かべるロジマス男爵。
「他に何も手が無く、
「何の希望か解らんが、それで男爵家の悪名となることを犯すのは、王国の貴族としてどうなのだ?」
「貴族などと言っても、下の男爵など上の貴族の顔色を伺うことでしか存在できない。そして私など、都合良く使われるだけの木っ端貴族だ」
「己を木っ端と言うのか?」
「事実、そうでしか無い。しかし、アルケニーという魔獣を手にできれば、二万のアンデットの軍勢を駆逐できる力があれば、我がベレンド家も建て直せるやもしれない」
「そんなことで俺を拐ったのか? ロジマス男爵、スピルードル王国の貴族としての誇りは無いのか?」
「そんな誇りなどあるものか。位の高い貴族のご機嫌を伺い、頭を下げその靴を舐めるように仕えるのが木っ端貴族の宿命だろう?」
「ゼラ欲しさに悪事に手を染めるなど、家名に傷をつけるだけだ」
「くく、家名を守るだけの力も才覚も無い、愚図の私しか跡取りが居なかったのが、我がベレンド家の不幸なのだろう」
ロジマス男爵が笑う。その笑みは卑屈に自嘲する嗤いで見ていて気分が悪くなる。どうにも奇妙な感じだ。俺を誘拐し上手くいったと喜ぶでも無く、逆に絶望したような顔をしている。
諦めて自棄になったような薄い笑みを浮かべて話すロジマス男爵。
「なんとかしてアルケニーを手に入れろ、などと命じられても、私の立場では、はい承りました、としか言えん。失敗して切り捨てられても、やっぱりそうか、としか思えん。近々、我がベレンド家も終わることだろう。なので、黒蜘蛛の騎士よ、憐れと思うなら魔獣を使役する方法を教えてくれないか?」
「そんなものが在るわけが無いだろう」
「ならばどうやってアルケニーを使役している? 闇の神を奉ずる輩には、魔獣を支配する邪術があると噂に聞くのだが?」
「そのような邪術など知らん」
ルボゥサスラァの瞳の力で魔獣を操る、その魔術は知ってはいる。だが見たことがあるだけで、具体的な手法は邪神官の死と共に喪われた筈だ。それを伝えたであろうラミアのアシェンドネイルが広めていなければ。
「魔獣を使役する手段は、魔獣研究者に魔術師が研究しているが、見つかってはいない。そんなことは知っているだろう?」
「魔獣を支配することができれば、人は魔獣に怯える暮らしから解放される。民の平穏の為に、王国の平和の為に、カダール殿、その方法を教えてはくれないだろうか?」
「ロジマス男爵、俺には貴殿がそれを本気で口にしているとは思えないのだが」
「なに、結果そうとなればいいだろう? 王国の貴族ともなれば、そういうお題目の為に行動するものではないのか?」
「その言い方は貴族と王国を馬鹿にしているとしか思えん」
「くく、私にその馬鹿をやらせた者もまた、馬鹿にされて当然だろう。私としては、こうも簡単にカダール殿を捕獲できるとは思わなかった」
「計画して実行した当の本人の言うこととは思えんが?」
「やってはみたが失敗した、私には無理だった、という展開の方が私には都合が良かっただろうか? カダール殿が英雄気取りでは無く、本物の英雄だというのが誤算か。こうして大人しくここまで来てしまうとは。その結果、私の逃げ場も無くなった」
ロジマス男爵は暗い顔で卑屈に笑う。どうにもこの男の言ってることが解らない。
「あとはカダール殿を人質に、アルケニーに言うことをきかせるぐらいしか無い。それも私にはできる気がしない」
「いったい何がしたいのだ? ロジマス男爵?」
「何も、私は何もしたくないのだよ、カダール殿。やりたくも無いことを、言われるがままにやらされるだけだ」
「その結果に悪事を働き、罪人として名を残すことになってもか?」
「立場により選べることなど限られる。カダール殿、誰もが貴殿のように力と意志で道を選べるものでは無いのだよ」
「どうにも、その卑屈な言い様が気に入らない。この誘拐はロジマス男爵が指示したものでは無いのか?」
「くく、卑屈もまた己の人生を諦めた者の処世術だよ、黒蜘蛛の騎士。まあ、凡夫の心情など英雄には理解できないものだろうし、世の中とはそれでいいのだろう」
「己の選択の結果に責任を感じないのか? 男爵ともなればその行いの結果、家族に家臣、民に害が及ぶ。それも解らん訳では無いだろうに」
「解ったからと言って、この非才の身に何ができようか? なるほどカダール殿の言はまことに騎士として正しく立派だ。しかし、私はカダール殿ほどに理不尽に抵抗する力も意思も無いのだよ」
ロジマス男爵が椅子の背もたれから背を離し、俺の方へと身を傾ける。暗い顔に少しの興味を目に浮かべて。
「あぁ、まさかカダール殿が、この愚図の話を真面目に聞いてくれる誠実なお方とは。誘拐など企む小悪党と侮蔑されるだろうと思っていたが、やはり敬意をもって語られる騎士の鏡、ドラゴンスレイヤー、剣のカダールと呼ばれるお方は格が違う」
「ロジマス男爵、ひとつ尋ねたい」
「私に応えられることなら」
「貴殿の己を卑下する理由は解らんが……、ロジマス男爵、貴殿に守りたいものは無いのか?」
「ふむ……」
ロジマス男爵は目を閉じて上を見上げる。暫くそのまま、何かを思い出すようにして。
「無いな。何ひとつ無い。昔はあったような気もするが……、なるほど、僅かな会話でそこを突くのか……」
「俺には貴殿が何を考え、何をしたいのか、それが解らん。だがこれで少し理解はできた」
「くく、意外に楽しい会話だった。理の通じる会話など、実に何年振りだろうか……、カダール殿、会えて良かった……」
指を組みそこに額をあて俯くロジマス男爵。守りたいものが無ければ守るべき誇りも無い。何に絶望しているのかは解らないが、この男からは気迫も感じない。
「ロジマス男爵、脅されてこのような愚行を為したというなら、その首謀者は誰だ?」
「調べはついているのではないのか? いや、証言と証拠が欲しいのか。そんなもの捏造すれば良いことだろうに真摯なことだ。カダール殿、こちらからもひとつ尋ねたい」
「なんだ?」
「本当に魔獣アルケニーを従える手段は無いのか? それとも
「アルケニーを従える手段、か……」
ロジマス男爵が俺を見る。下から見上げるような目は、先程よりは熱がある。やつれた枯れ木のような表情の中で面白がるような目で俺を見る。自棄になって破滅を期待しているのだろうか? ロジマス男爵に言っておく。
「アルケニーを従える手段を知りたければ、絵本『蜘蛛の姫の恩返し』を読むといい。そこに書かれている。第二章まで出ているが、第三章が近日出版予定だ」
「……絵本、か。はは、なるほど、この世はその絵本以下か、くく、実にくだらない、くくく……」
暗く笑うロジマス男爵。いったい何がおかしいのか。ロジマス男爵の脇に立つ男が目を剥き大声を出す。
「絵本だ? ふざけたこと言ってんじゃねえぞ、蜘蛛男が!」
大柄な男は怒気も
「さして実力も無え貴族のボンボンが、たまたまアルケニーの主人になったからって調子に乗ってんじゃねえぞ!」
ロジマス男爵が慌てて、やめろと言っているが、顔に傷跡のある男は止まらない。むう、俺がゼラの威を借る男呼ばわりとは、反論したいが端から見たらそう見えても仕方無いのか? だが、
「ここでグダグダと説明しても、『蜘蛛の姫の恩返し』第一章と、内容があまり変わらないのだが。先ず、俺が怪我をしたタラテクトを見つけたところから始まって、」
「ふざけろ! この野郎!」
顔に傷跡のある男が俺の胸を蹴りつける。後ろ手に縛られて椅子に座る俺には、避けることもできない。筋肉を絞めて衝撃に耐える。
椅子ごと蹴り飛ばされて後ろに倒れる。
俺が床に倒れた直後、ドゴンと爆発するような音を立てて、広間の壁が破砕する。館が揺れる。壁に開いた大穴から、外の光が射し込み、
「カダールー!!」
聞きなれた、耳に心地好い甘く高い声が、俺の名を呼ぶ。