第四十三話
文字数 5,465文字
「クシュトフ、今、中央で未曾有の魔獣災害が起きていることを、知らないのか?」
「なんだと? ぐ、神前決闘の中で、相手を惑わす嘘を吐くとは」
「嘘では無い。クシュトフは魔獣災害に対抗するために、ゼラを使う気ではなかったのか?」
「戯れ言を、聖獣一角獣の居られる中央に魔獣災害など無い」
「ならば、一角獣の御言葉とはなんだ? 遷都の目的は?」
「ぬ、惑わされんぞ!」
激昂する聖剣士クシュトフが、ぶつかり合う肩を離す。俺の剣を抑えていた長剣を引き、横凪ぎに俺の首を狙う。こんな隙の作り方をするつもりはなかったが。
身を深く沈め右手の長剣を離す。右手をそのまま聖剣士クシュトフの足の間へと。肘を地に着くほど上体を倒し、首を狙う剣を身を沈めて避け、聖剣士クシュトフの股の間をくぐるように、右足を大きく前に一歩。身体を進ませながら、立ち上がる。
「るぅオオッ!」
「ぬあ!?」
右手で聖剣士クシュトフの腰鎧を後ろから掴み、聖剣士クシュトフを右肩に担いで立つ。
俺の剣の師は父上だが、俺の無手格闘術の師は、我が家の拳骨メイドだ。
「アーレスト流無手格闘術、
「おおお!」
俺は左に倒れるように、聖剣士クシュトフを頭から落下させる。左手が折れて使えないから、完全には決まらない。
聖剣士クシュトフは右手から長剣を離し頭を庇い、足で暴れて脳天から落下するのを防ごうと足掻く。地面に激突。鎧と盾の重量を加えた人体が、地面に叩きつけられる音が大きく響く。
落とした長剣を拾い、立ち上がる。息が切れる、左手は動かない、痛みが腕の中から走る。身体中あちこち血が滲む。
相手は魔獣を相手にしたことが少ない中央の剣士、平和な中央の剣術と思っていたが、聖剣士クシュトフは強い。
聖剣士クシュトフを頭から地面に落としたが、彼もふらつきながらも、手を着き起き上がる。俺の左手が動けば首を固定して頭から落とすところが、不完全にしか決められなかった。
聖剣士クシュトフは左手の盾を捨て、今まで片手で持っていた長剣を両手で握る。
俺も剣を構え聖剣士クシュトフに尋ねる。
「まだ、やるか」
「無論、聖剣士団を背負う者に、敗北は無い」
聖剣士クシュトフが長剣の切っ先を俺に向ける。俺もふらつきそうになる足に力を入れる。右手の長剣を脇に構えなおす。
聖剣士クシュトフの繰り出す斬撃を、右の長剣で跳ね返す。
打ち、払い、突き、捌き、斬り、弾き。こちらは右手しか使えないが、聖剣士クシュトフの剣には重みが無くなった。首を痛めたのか、握力が弱ったのか。それを補う為に盾を捨て、両手で剣を握り振るう。
十合、二十合、剣を打ち合わせる音が鳴る。これ程の武人と競えるとは。だが、
「クシュトフ、何故ゼラに拘る?」
「私の使命は、アルケニーを連れて来ること。そしてその聖邪を見極めること」
「何をもって聖邪と断じる?」
「光の神々の、教えに従うかどうか」
「ならば、魔獣は?」
「魔獣は全て、闇の神の尖兵」
「ならば、人は? 光の神々が造りし人の中にも、ときに邪があるのだが」
「正しき道を見失う者もいる」
「ならばゼラは? 魔獣であっても人を殺さぬと誓い、治癒の魔法で人を救ったゼラは」
「それを見極める為に」
「心を見極めるには、その者の行いを見るしかあるまい。お前は、その目でゼラを見定めたのか、クシュトフ」
「剣撃の中で、賢しく囀ずりおって」
聖剣士クシュトフの打ち下ろす長剣を、真横から俺の剣で叩いて払う。重い鎧の分、聖剣士クシュトフの方が体力を消耗している筈が、まだ動く。気迫と意地が聖剣士クシュトフを動かす。俺も血を流しすぎたか朦朧としてきた、右手の長剣が重い。
互いに意地を張り合う先は、どちらかが死ぬことになる。それでも負ける訳にはいかない。
「黒蜘蛛の騎士、お前は何の為に、戦う?」
「ゼラの為に、決まっている」
「アルケニーに、たぶらかされたか?」
「それはどうも、俺とゼラの、お互い様らしい」
俺はゼラに惚れている。だが、先にゼラを惑わしたのは俺のようだ。
聖剣士クシュトフの長剣の突きを打ち下ろし、返して横凪ぎに振る。聖剣士クシュトフの右肘に当たる。チェインメイルの上からの衝撃で、聖剣士クシュトフは右手から剣を離す。
「ぐ、魔獣に色香で惑わされ、何処に正義がある」
聖剣士クシュトフの、左手一本の長剣の突きを、右前に一歩出て避ける。避けきれず俺の左の肩が裂ける。血が
ふらつきよろけ、落ちそうになる右の長剣を握り直す。まだ戦える。
互いに前に出、聖剣士クシュトフとすれ違うようになり、
「光の神々は、俺の正しさを認めるだろう」
「何を、」
「妻と子を守ろうという想いが、」
俺は振り返りながら、渾身の突きを放つ。
「正しく無い訳が無い!」
同様に右回りに振り返りながら、聖剣士クシュトフの横凪ぎの斬撃が、俺の右の脇腹に。長剣が横から、右のあばらの下へとめり込んで来る。
その聖剣士クシュトフの一撃よりも、俺の突きの方が僅かに速い。全体重を乗せた俺の長剣が、聖剣士クシュトフの鎧を貫き、胸に刺さる。
「この鎧を貫く、か?」
魔獣の甲羅や鱗を切り裂くウィラーイン剣術ならば、この程度の斬鉄はできる。俺は右の脇腹の熱に、熱した鉄をあてられた火傷のような痛みを堪え、聖剣士クシュトフに尋ねる。
「クシュトフ、何故、途中で止めた?」
「止めたつもりは、無い……」
聖剣士クシュトフの口から血が溢れる。
「……だが、妻と子と聞いて、鈍った」
聖剣士クシュトフの手から力が抜ける。
できればこの男を殺したくは無かった。信仰に生きる誠実で、それを総聖堂に使われたような、不器用な生き方。殺したくは無かったが、手加減し殺さずに勝てる余裕は、俺には無かった。
聖剣士クシュトフの胸に刺さった剣は、何処まで深く入ったか。背中へと貫通はしていないが、このままでは致命の傷。俺は剣を手から離す。このまま抜かずにおいた方が出血を抑え、治癒が間に合うかもしれない。
俺の右の脇腹から、ズルリと聖剣士クシュトフの長剣が抜け落ちる。そこから血と共に、力も気力も抜けそうになるのを、根性で堪える。サラシがほどけて無ければ、内臓は溢れない筈。
「……この決着が、光の神々の、意志、なのか……」
聖剣士クシュトフは、呟き目を瞑り、ゆっくりと仰向けに倒れていく。剣が手から離れ、どう、と両手を開き空を受け止めるかのように倒れる。その胸から俺の長剣が生えるように立つ。
俺はこれを光の神々の意志とは思えん。ただの、俺と聖剣士クシュトフの意地の張り合いだ。教会を背負い負けられぬ筈の聖剣士クシュトフが、俺の背負ったゼラとゼラの子に、僅かに怯んだ。勝敗を分けたのは、ただ、それだけ。
俺は右の拳で天を衝くように高く掲げる。無言の勝利宣言。
白づくめの聖剣士達がざわめき、ローグシーの街壁の上から、一際大きい歓声が上がる。街の門が開き、父上を先頭にウィラーイン領兵団が、こちらへと進んで来る。
「聖剣士クシュトフに、治療を」
俺が言うと聖剣士達が、一斉に倒れた団長へと群がる。
「……あんなに偉そうにしておいて、何が神前決闘不敗ですか。あっさり蛮人に負けるなんて」
苦々しげに呟くのは狐のような顔の神官。いつもの笑みが崩れている。負けたことを認めたく無いのは解るが、一人戦った総大将を愚弄するとは。俺は神官へと一歩近づく。
「神前決闘の決着の宣言を」
俺が、黒蜘蛛の騎士が、神前決闘にて勝利。
これでゼラを総聖堂に送らぬことは、光の神々の意に背くものでは無い、ということになる。
聖剣士団もこれで引く理由ができる。争うことも無く、教会に逆らう者もいない。
ウィラーイン家は一度敵となった者には容赦はしないが、まだ敵で無い者には寛容だ。
後の交渉は父上に任せよう。俺も限界だ。
神官の口の端がつり上がる。
「此度の神前決闘の勝者は、聖剣士クシュトフ様!」
「何?」
高らかに宣言した狐のような顔の神官。耳を疑う。この神官は何と言った?
狐顔の神官は冷静さを取り戻したのか、もとのように笑みのまま固まったような顔で言い放つ。
「黒蜘蛛の騎士は決闘中に虚言を弄し、聖剣士クシュトフ様を動揺させた。神聖なる神前決闘において、かように卑怯な手段を用いるのは、光の神々への侮辱です。よってこの神前決闘、勝者は聖剣士クシュトフ様!」
「俺が虚言を弄したと? ふざけたことを」
「私は神に使える神官として、正しく判断したまでです」
この神官の言うことに怖気が走る。目的の為には、体面を保つ為には、自分の目で見たものすら否定するのか? 人が命懸けで意地を通そうと戦ったことを、その結果を蔑ろにするのか? 俺は全身の痛みに耐え、言葉を紡ぐ。
「神官よ、その言、本気で言っているのか?」
「もちろんですとも。神に使える神官が偽るなど有り得ません」
「神官の決断は、総聖堂の決断。誤ったことを宣言すれば、教会が信を落とすことになる」
「私は総聖堂の神官としての役目があります。己の立場で言うべきことを言ったまでです」
なんだ、この神官は? はっきり言って気持ち悪い。目にしたものを無かったことに、事実を捻じ曲げ、総聖堂を守る。
いや、この言い様はまるで、己の言ったことさえ立場上、仕方無かったと、その責を総聖堂に投げるような。
勝ち誇るように胸を張る神官。かつて、ロジマス男爵に感じたものと似たような不気味さを、この神官から感じる。ロジマス男爵よりも暗い、不気味で気持ちの悪いものを。
こんな男が神に仕える神官でいいのか?
「神前決闘の勝者は聖剣士クシュトフ様! さあ、ここにアルケニーのゼラを連れて来なさい!」
神官の宣言に聖剣士達も戸惑い動揺する。父上とウィラーイン領兵団が近づいてくる。なんだこの神官は? こんな輩に決闘の結果を歪められるのか?
詰めが甘かったか、こんな男が総聖堂で神官の地位にいるとは。これでは戦った聖剣士クシュトフも浮かばれない。結果を歪めた勝利などで武人が喜ぶものか。
これでは、このまま、ウィラーイン領兵団と総聖堂聖剣士団が、争うことになるのか? 聖剣士団の力は今こそ中央に必要なときに。目の前が暗くなる。血を失い過ぎて目眩がする。
神官は嬉しげに声を張る。
「おお、ウィラーイン伯爵ハラード様。ちょうど良いところに、たった今、神前決闘の決着が……?」
暗い、ポツリと雨が降る。--雨? 空気の匂いが変わる。空を見上げれば雲ひとつ無かった空に、突然黒雲がわき上がる。ポツポツと降る雨は勢いを増し、すぐに大地を打つ豪雨に変わる。白い稲光が走り、耳をつんざく雷鳴を響かせる。
異常な天気の急変動。うねる黒雲は生き物のように蠢き、不気味な影を見せる。辺りは突然に薄暗くなり、勢いを増した水を被るような雨に全身を打たれる。
なんだ? この雨は?
「……神が、お怒りか?」
一人の聖剣士の呟きが、周囲に伝染する。聖剣士達は空を見上げたり、狐のような顔の神官を睨みつけたり、倒れた聖剣士クシュトフが雨に打たれぬようにマントをかけたりと、騒然となる。その中で、奥の聖剣士団の陣からラッパの音が聞こえてくる。
「撤退? 何故? この時を逃すのですか?」
狐顔の神官が狼狽し喚く中、離れた聖剣士団の陣を見る。雨のせいで見えにくいが、その中央の奥。頑丈そうな馬車の上、豪勢な神官服の男が椅子に座ったまま何か言っている。馬車の下へと指示を出しているようだ。
豪勢な神官服を着た男の近くには、お付きの四人の神官がいる。む? 四人? 三人では無かったか?
お付きの神官の一人が椅子に座る男の耳に何か囁く。男は頷き手に持つ杖を振り、馬車の下の者に何かを告げている。
女の神官が身を少し屈め椅子に座る男に囁く、その女神官に奇妙な既視感を感じる。顔にかかる雨を右手で拭いながら見ていると、女神官が顔を上げてこちらを見る。
遠くてよく解らないが、その目が赤く光る。見覚えのある赤い光。
……アシェンドネイル? 神官に化けて何をしている?
撤退のラッパが鳴り響き、奥の陣が動き出す。豪雨から逃げるように離れていく。
狐のような顔の神官はこちらをひと睨みすると、置いていかれないようにと走り去っていった。
聖剣士クシュトフを抱え、この場を離れようとする聖剣士達を止める。
「聖剣士クシュトフの手当てをするなら、ローグシーに運べ。こちらの方が近い」
戸惑う聖剣士達に重ねて言う。
「早く治癒すれば助かるかもしれん。それに、治らなければ行軍は無理だ」
「頼ってもいいのか?」
「同じ光の神の信徒だろう。神前決闘も終わった。父上、この男を頼みます」
「カダール、先ずはお前の治癒が先だ」
「それもお願いします。では、」
「カダール?」
「傷の痛みがだんだん鈍くなり、血が足りないせいか、眠くなってきました……、父上、あとはお願いします」
「カダール!」
気が遠くなる中、心配がひとつ。
こんな怪我をしてしまって、ゼラを泣かせてしまうか、と。