第二十二話

文字数 4,043文字


 銀のサークレットの男、ダムフォスに続いて地下迷宮を歩く。他の黒ローブの態度を見ても、このダムフォスがここの頭で間違い無い。
 地下迷宮のここの区画は人が住めるように改造されている。小部屋の扉などは作り直され、居住区となっているようだ。換気もそれなりにはされている様子だが、魔術研究だろうか? 何やら薬品の匂いが微かに漂う。

「手の空いている者は全員、聖堂に呼べ。黒蜘蛛の騎士を見せてやろう」
「はっ」

 ダムフォスの後ろを歩く黒ローブが返事をして列から離れる。ダムフォスのすぐ後ろを俺は歩いているのだが、周りにはダムフォスの側近らしい黒ローブが囲んでいる。俺を連れて黒蜘蛛の騎士という戦利品のお目見えでもする気か。
 一際大きな空間に出る。奥には祭壇がありその向こうには女神像? が、立っている。疑問に感じたのは、俺はこんな像は見たことが無いからだ。
 教会の聖堂では光の神の像がいくつも並ぶ。直接名を呼ぶのは畏れ多いとされ、太陽の神、月の女神、星と幸運の神、商運と契約の神、剣の戦神、知恵と魔術の女神、と、呼ぶ神々の像が立ち並ぶ。
 神の像は何れも美しいか、雄々しいか、又は可愛らしい子供のような姿だったりと、人と同じ姿の光の神。光の神信仰はその神の中で縁を感じたもの、又は加護を願う神を選んで信仰する。

 だが目の前の女神像は教会の聖堂では見たことが無い。
 暗い灰色の石でできた像はわりと新しい。ダムフォスと黒ローブがここにアジトを構えるようにしてから、新しく作ったものだと思われる。
 目を引くのはその女神像の顔。鼻も口も無い。目の部分は眼帯か、鉢巻きを目の位置にずらしたように目の部分を隠している。眼帯の真ん中には大きな一つ目の目玉模様。
 頭からは三本の捻れた角が生えている。渦巻きのような巻き毛が頭から大きく広がり、肩を覆い腕を隠している。
 上半身は裸で、ゼラほどでは無いが立派な胸をしていて、これで女神らしいと解る。
 腰から下だけはスカートを履き、裾が大きく広がるドレスのようだ。下半身がどうなっているかは見えない。
 女神像はさして大きくも無く、等身大の人と同じくらい。一段高いところに立っているので見上げるようになる。
 不思議な存在感から目が離せない無貌の女神。目隠しをされて腕も髪に隠れて見えないので、拘束された女のようにも見える。遺跡迷宮の奥に立つ不気味な顔の無い女。

「どうした? ついて来いカダール」

 ダムフォスに呼ばれて我に帰る。どうやら俺の身体を動かしている模倣人格(シャドウ)も、女神像に気をとられてしまい足を止めていたようだ。このあたり俺と同じなのか。
 ダムフォスに続いて祭壇の前に。

「カダールよ、足下の陣に入れ」
「はい」

 女神像に気をとられていたが、足下を見れば大きな魔術陣がある。入れ、と、言われるまでも無く既にその陣の中だ。
 集団魔術用の魔術陣か? 教会の治癒術用、回復薬(ポーション)製作用、砦の拠点防衛用の対攻撃魔術の防御陣は見たことがあるが、そのどれにも似てはいない。
 魔術陣というよりも絵に近いか? 所々に魔術の文言が彫られ図形があるので魔術陣らしいが。大きな五芒星の中央に半分閉じた目が大きく描かれている。
 魔術陣はかなり大きく祭壇前のところを広く、石畳に直接彫り込まれ灰色の塗料がその溝に流されている。
 祭壇前の灰色の神官服、ダムフォスが女神像を見上げてから振り向く。

「カダールよ。その陣から出ないように」
「ここから出ないように、とはいつまで?」
「我がいいというまで、そこにいろ」
「では、トイレは? 食事は?」

 俺の身体を操る模倣人格(シャドウ)が当然の質問をする。ダムフォスはチッと舌打ちをして、

「必要ならおまるでも何でも持って来させる。カダール、しばらく喋るな。まったく、スケルトンと違い融通は利くが、服従と言う割には態度が悪い。“精神操作(マインドコントロール)”など、この程度か」

 この男はこの程度などと言うが、搦め手として“精神操作(マインドコントロール)”ほど恐ろしい魔術は無さそうだが。このダムフォスの使い方が下手なんじゃないか? しかし、おまるか。おまるなのか。こんな広いところで、黒ローブが見てるところで、おまる……。
 嫌な想像にうんざりしている中、ダムフォスが聖堂と呼んだこの広間に人が集まってくる。やはり正装なのか全員が黒ローブだ。不気味な女神像に黒ローブの集団。ここまで解りやすく異教徒のように振る舞うとは。それともこの雰囲気に酔っているのだろうか? 町から離れた遺跡迷宮の中だから何の遠慮もいらないというのか。
 ゾロリと囲む黒ローブはざっと見て二十六人。祭壇の前に立つ一人だけ灰色の神官服を着たダムフォスが朗々と声を上げる。

「我が同胞よ! ここに黒蜘蛛の騎士カダールが新たに我らが仲間となった!」

 いや、俺は仲間になったつもりは欠片も無いが。俺の心の呟きなど意にも解さず、黒ローブはざわめきダムフォスは調子良く続ける。

「これで一軍を壊滅する魔獣、アルケニーが我らが物に。この力で我らは飛躍する。ここに我らが国を興し、闇の母神のもと、身分も差別も無い真に平等たる社会をこの現世にもたらす」

 真に平等というなら偉そうにしているダムフォスよ、お前は何者だ? ここにいる黒ローブはダムフォスのことを大神官でも崇めるように見ているが。誰も彼もダムフォスの言葉に熱狂している様子。

「人の作りしくだらぬ欺瞞も愚かな虚飾も、全て剥ぎ取る。闇の母神とその子らの前では、王も貴族も平民も、なべて等しく餌に過ぎんのだ。我らが魔獣を従えて、それを人に知らしめなければならない。そして地上をボサスランの世に!」
「「ボサスランの世に!!」

 黒ローブが唱和する。ボサスラン、というのがこの集団の名前か? それとも無貌の女神、闇の母神の名だろうか?
 ボサスランの世、人は全て魔獣の餌として、身分も差も無い平等の世界らしい。そんな世を望むというのは、ここの黒ローブ達はよほど今の世に不満があると見える。

「世に真の姿を!」
「ダムフォス様と共に!」
「闇の母神の祝福を!」
「全てをボサスランの世に!」

 声を上げ女神とダムフォスを讃える黒ローブ達。祭壇の前ではダムフォスが手を広げ、信徒の声を受け止めるように目を細めて頷いている。いつの間にかそのダムフォスの斜め後ろに青いドレスの白髪女、アシェがいる。俺と目が会うと無表情だった顔に小さく笑みを浮かべる。
 何だ? このアシェという女が解らない。この青いドレスの女は“精神操作(マインドコントロール)”をゼラが解呪したことには気がついている。そして俺の記憶を模倣人格(シャドウ)に話させた。しかし、聞くのはゼラと俺のことばかり。この作戦のこと、俺がわざと誘拐されて黒幕のアジトを突き止める策については何も聞かなかった。まるで、聞かずとも解るという顔で。このアシェが黒ローブに話していれば、フェディエアの“精神操作(マインドコントロール)”が解呪されていたことも、この潜入作戦のことも知られているはずなのだが。
 アシェの赤い瞳が俺を見る。何かを期待するような目で。

 バゴォン、と、広間の扉を蹴破る音が響く。熱狂する黒ローブの声が止まる。
 振り向き見れば、倒れる扉の上に砕かれたスケルトンの骨が散らばり、それを踏みつけて現れたのは懐かしい姿。長い黒髪、赤紫に輝く瞳、褐色の肌に映える赤いブレストプレート、右の前足が一本欠けた、七本足の大きな黒蜘蛛の下半身。蜘蛛の爪がスケルトンの頭蓋骨を踏み砕く。

「カダール!」

 必死な感じで俺の名を呼ぶ声。五日離れていただけなのに、何故か随分と久しぶりのように感じるのは何故だろう? 毎日、俺の名前を呼ぶ甘い声を再び耳にしてホッとする。
 ゼラ、と名前を呼びたくとも俺の口は俺の自由にはならない。黒ローブが突然現れたゼラに、下半身大蜘蛛の美少女が扉とスケルトンを一緒くたに蹴破って現れたことに、ポカンとしている。
 一見、頼もしく見えるゼラだが、その目は俺を見つけて喜んで、すぐに心配そうに眉を下げる。だが、来るのが少し早くはないか?
 
「カダール、無事か!?」

 言いながらゼラの背から飛び下りるのはエクアド。フルフェイスの兜は外して顔を見せている。愛用の緑柄の槍を構え、ゼラと並んで黒ローブを牽制する。

「すまん! ゼラと伯爵を止めきれなかった!」

 申し訳無さそうに言うエクアド。俺に何かあればゼラを止めきれない、というのは予想の内だが、伯爵?
 ゼラの蜘蛛の背からもう一人、エクアドの反対側に飛び下りる人物。右手に長剣、左手に小剣を構える二刀流は、――父上?

「このワシが息子の窮地に息子の嫁だけ行かせるものかよ」

 ザッとカッコ良く着地して、立ち上がりビシッと決めるのは、父上、だった。

「我が領地で何を企むか不届きな輩よ。このウィラーイン伯爵、ハラードが直々に成敗してくれよう」

 いや、あの、父上? ちゃんと地上の遺跡迷宮は抑えて来たのですか? 場所を突き止めて出入り口を確保しなければ逃げられるかもしれないのでは? ゼラがいればなんとかなるって考えてるのは父上の方ではないですか?
 堂々と名乗りを上げて黒ローブを脅す父上をエクアドが横目で見て、

「決めたら突っ込むってウィラーイン家の家風なのか? やっぱり親子だな」

 呆れたように言うが、今この場にいるエクアドには言われたくは無い。エクアドもここまで来てるだろうが。

「ゼラ、雑魚は任せろ。カダールを頼む」
「ウン! カダール!」

 ゼラの蜘蛛の脚に力が入り高くジャンプする。黒い髪をなびかせて、慌てふためく黒ローブを飛び越えて。
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登場人物紹介

ゼラ

もとは蜘蛛の魔獣タラテクト。助けてくれた騎士カダールへの想いが高まり、進化を重ねて半人半獣の魔獣アルケニーへと進化した。上半身は褐色の肌の人間の少女、下半身は漆黒の体毛の大蜘蛛。お茶で酔い、服が嫌い。妥協案として裸エプロンに。ポムンがプルン。しゅぴっ。

カダール=ウィラーイン

ウィラーイン伯爵家の一人息子。剣のカダール、ドラゴンスレイヤー、どんな窮地からでも生還する不死身の騎士、と渾名は多い。八歳のときに助けた蜘蛛の子と再会したことで運命が変わる。後に黒蜘蛛の騎士、赤毛の英雄と呼ばれる。ブランデーを好む、ムッツリ騎士。伝説のおっぱいいっぱい男。

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