第十一話
文字数 5,551文字
ゼラの出す糸の可能性に母上が目を輝かせる。
「素敵な布ができそうね。ゼラ、細くて柔らかくて肌触りが良くて光沢の綺麗な素敵な香りのする布を作ってみましょう」
「ンー」
ゼラは考えているが、あまり興味は無さそうだ。母上はゼラにニッコリと微笑んで。
「ゼラの作った素敵な布で、ゼラとカダールの結婚衣装ができたら、とっても素晴らしい結婚式になりそうね」
「!結婚衣装!」
ゼラのやる気に火がついた。拳を握ってふんす、と鼻息が。相変わらず母上は結婚をエサにゼラをその気にさせるのが上手い。そこにルブセィラ女史も加わりどんな糸がいいか、どんな出来映えの布がいいかと話が始まった。
このゼラの糸で布を作ろうというのが、アルケニー監視部隊の女性達も興味を持って、試しの実験のはずが話が大きくなってきた。
アルケニー調査班がゼラの糸を調べて、糸車に機織り機を開発することに。アルケニー監視部隊とウィラーイン領諜報部隊フクロウの中から、工作の得意な奴が試作品を作る。
アルケニーの糸、開発計画が始まってしまった。
「エクアド、どうする?」
「今のところは好きにさせてみてもいいんじゃないか? 糸を織って布にするだけなら何処にも被害は出ないだろうし」
それもそうだが、ゼラの糸の性能を聞いてしまうとこれは何か騒動の種になってしまうのか、という心配がある。
アルケニー監視部隊で釣り糸の方はどうだったか聞いてみると、
「釣り糸として使えますよ。細い割りに簡単には切れない。だけどこの切れないのが問題で」
「切れないのが問題?」
「並の刃物じゃ切れません。そのぐらい頑丈で。ナイフで切るのを諦めて火で炙りました」
聞いていたルブセィラ女史が眼鏡をキラリと光らせて。
「これは専用の鋏も開発しないとダメですね」
そしてやる気を出したゼラが集中すると、速いというか凄いというか。母上のドレスを何着も顔を埋めるようにして見たり、ルブセィラ女史がいくつか香水を持ってきたのを、眉間に皺を寄せながら香水の匂いを嗅いだりと。
爪くらいのサイズの布をいくつか作り、母上とルブセィラ女史、アルケニー調査班がいろいろと注文をつけたりダメ出ししたり。
そしてできた布がお披露目となった。
「うわぁ……」
庭で洗濯物を干す竿にぶら下がる、大人の腕くらいの長さの正方形の白い布。目にしたアルケニー監視部隊も父上も言葉を無くす。
光沢がある、どころじゃなくて布そのものが発光してるのではないかという輝き。言葉を失うのはその表面。
「まるで、虹を纏っているみたいね」
母上が言うように、布の表面、布から少し離れたところに虹というか七色の陽炎、オーロラと言うべきか? ユラユラと布の周囲に七色のオーロラが揺らめいている。
「ルブセィラ、この光は?」
「ゼラさんに凄くキラキラした糸を、と、お願いしたところ、異常に光の反射率の高い布ができました。今の太陽光など明るいところではご覧のように布の回りに虹ができます」
「虹ができるって、なんだその布?」
「プリズムのように光を分解し散乱させるので、七色の反射光ができ、布が風に揺らめくと周囲にオーロラが揺らめく、というもののようですね」
布に近づいて宙に浮く七色の陽炎に触ろうとしても触れない。布の表面に手を置くと、その部分の反射光が無くなる。
オーロラが周りに浮く布って聞いたことも無い。顔を近づけてみると、爽やかな香りがする。スッとするような、若葉のような薬草に似てるような。
「ルブセィラ、この香りは? ゼラの言ってた獲物を引き寄せる匂いか?」
「そのままだとゼラさんにとっての獲物、狼とかゴブリンとかですか? が、寄ってきてしまいますので、そこは改良してもらいました。この香りは虫除けの効果があります」
「虫除けの香り? こんなに爽やかな香りが?」
「えぇ、実験もしてみました。糸そのものがこの香りを出しています。何度も洗濯すれば匂いは薄れて消えますが、糸そのものがこの香りを出していますので、簡単には消えません。この布で服を作れば虫が離れて、虫に刺されることも無いでしょう」
キラキラ光って周囲にオーロラが浮いて、肌触りが良くて爽やかな香りがして、虫避けにもなる布ができてしまった。
ゼラを見ると俺を見る顔に、褒めて褒めて、と書いてある。
「ゼラ、がんばった!」
「ゼラはがんばると凄いのができてしまうんだな」
頭を差し出すゼラの黒髪をワシャワシャと撫でる。目を細めて嬉しそうにするゼラ。俺はドレスのことはよく解らないが、この布がとんでもない価値のものというのは解る。この布で作ったドレスは貴族が奪い合って争いになるかもしれない。
だが、これで作った花嫁衣装を着たゼラの姿は見てみたい。
「むふん、ふふー。でも、疲れたー」
「疲れた? ゼラが? 大丈夫か?」
「ンー、目が疲れて、肩が重いの」
「ルブセィラ、これはゼラの体調に異変が?」
ルブセィラ女史は眼鏡を指で上げて。
「ゼラさんの糸は細すぎて従来の機織り機では上手くいきません。メイモント国の絹織りの技術が欲しいところですね。なのでこの布はゼラさんの手編みです。細かい作業で目が疲れて肩こりの症状が出てますので、カダール様がゼラさんのマッサージをしてはどうでしょうか?」
「肩こりと目の疲れだけなのか?」
ゼラを見ると何時もより元気が無いような、ひとつ仕事を終わらせて満足そうな顔をしているが、疲れているような。
「それもこれから調べてみようかと。なにせこの布、糸の一本一本にゼラさんの魔力が込められていて、その上魔力隠蔽までされています。そのためどんな効果が隠されているかも不明です。キラキラしているのも糸の表面に微細な刻印があり、その凹凸が散乱光を生み出しています。しかもこの刻印、魔術刻印に似ていますが小さすぎて、拡大鏡でも読めないのです」
ルブセィラ女史が両手の手首に魔術発動補助のブレスレットを装備する。
「皆さん、その布から離れて下さい」
両手で魔術印を切り呪文を唱える。ルブセィラ女史がこうして攻撃系の魔術を使うところを見るのは初めてか。
「先ずは、“
ルブセィラ女史の手から飛ぶ風刃が布を狙う。口笛のような音を立てて飛ぶ魔術の風の刃が布の表面に。布に当たる前に、パチンと弾ける音がして風刃が乱れて散る。風に煽られた布がはためいて、その周囲の七色のオーロラがクルクルと踊る。まるで七色のオーロラがルブセィラ女史の風刃を食べてしまったかのように。白い布は切り裂かれることもなく平然とはためいている。
「このくらいの魔術防御はありますか」
「ウン、だってこの布でカダールの服を作る。それならカダールを守る力のある服にする」
……ちょっと待ってくれ。え? 攻撃魔術対策? 風刃を完全無効化するほどの対投射魔術防御陣? あの白い布にそんな力が? いや魔術刻印を刻んで攻撃魔術対策する鎧とかあるにはあるが。魔獣素材で魔術防御の高い装備とかあるのだが。攻撃魔術がひとつパチンと音を立ててかき消えるって。
「次は“
これもまたパチンと消える。いや、弾けた水の飛沫が白い布を濡らしているか。布は破れもせず切れてもいない。
「……今のは分解されないように密度を高め、制御率も上げたのですが、これも消しますか。この布を盾や鎧の内張りにすると、高水準の魔術防御装備ができますね」
ルブセィラが呆れたように言う。それならと次に立つのは母上。
「確かゼラの糸は火には弱いのよね? それなら私が」
母上が扇子を開いて構える。実戦からは離れて久しいが母上は火系を得意とする魔術師。特注で作った魔術発動補助具の扇子をヒラヒラと動かして呪文を唱える。
「“
母上の炎槍も白い布の表面で弾けて消える。辺りに弾けた火の粉が飛び散る。弱点であったはずの火にまで耐性がある。
「では耐久時間はどうかしら? “
庭に炎の柱が立ち布を包む。パチンパチンと布は炎を弾いているが、少しずつ炎の柱に押されていく。今度は布の回りのオーロラが炎の柱に食われるように消えていく。
「母上の炎柱にもかなり耐えているが、流石に炙られ続けると耐えきれ無いか」
「そのようですね。耐火布とまでは行きませんが、それでも並の布よりは魔術の炎には燃えにくいようです」
「……いいのか? 布の周囲に火がついてるみたいだが」
「そうですね……、あぁ! 貴重なサンプルが! ルミリア様、止めて下さい! 水! 水!」
ルブセィラ女史が慌てて、ゼラが布に向けて手を伸ばす。
「すいっ!」
ゼラの出した水がバシャリと炎柱に、布についた火が消える。物干し竿も焼けて、落ちた布を拾い表面の煤を手で払ってみると。
「焼けたのは外周部分で中央は残ってる。煤を払ったら光沢も復活したぞ」
「なんだこの魔術攻撃に異常に強い布は? カダール、そっちを持って引っ張ってくれ」
「こうか?」
エクアドと二人で布を持ちピンと張る。エクアドが片手でナイフを持ち。
「ゼラの糸は刃物で簡単に切れないということだが、布はどうだ?」
言って布にナイフを振り下ろす。当てて引く。刃先をつけてグリグリと押す。切れない、穴が開かない。俺も試してみるがナイフを振って当てても切れない。刃を当ててノコギリのようにゴリゴリゴリと何回も往復させて、ようやく少し切れ目ができる。エクアドと顔を見合わせる。
「この布で服を作ったら、防刃服として最高水準になりそうだ」
「それでいて軽くて手触りは絹のように柔らかい? ありえんだろうこれは。古代魔術文明の遺産か?」
エクアドと並んでゼラを見る。この布を作ったゼラは少し不満顔。
「ンー、丈夫にしたけど、火には弱い? ハハウエの火に負けちゃったー」
「いや、ゼラ。母上の火魔術に炙られて燃え残る布って、そうそう存在しないから」
母上含めて女性陣の綺麗な布を作ってみよう、という思いが、なんだかとんでも無いものを産み出してしまった。
「この布いろいろと利用できそうで怖いぞ」
「ですが欠点もあります」
「ルブセィラ、欠点とは?」
「当然作れるのはゼラさんだけ。そしてゼラさんもカダール様の服の為に、と全力を込めて糸を作り編んだのもありますが、この大きさの布を作るのに半日かかります。今もかなり疲労しているようです」
「量産は無理ということか」
綺麗な布を作るという糸の使い方に慣れてないというのもあるが、ゼラがぐったりと疲れるほどこの布にはいろいろなものが込められているということか。糸の一本一本にゼラの魔力と俺を守りたいという気持ちが込められて作られていると。
……ん? 糸に魔力が込められて? ゼラがぐったりと?
「ういーくっ!」
ゼラの声が聞こえてゼラを見る。白いキャミソールの胸に手を当てたゼラが、俺を見る。
「カダール! ういーくがかかった!」
「ういーくがかかったって、まさか、“
母上がゼラを見てゼラの手を取って握手する。ゼラは手に力を入れているようだが、母上は平然としている。
「疲労した状態で“
「いっぱい」
つまり、糸に魔力を入れすぎて魔力枯渇に近づいて疲労状態に。抵抗力が落ちて“
「カダール! これならムニャムニャできる!」
「あ、あぁ、そのようだ、な」
父上が何か納得するような顔で布を手に取る。
「つまり、ゼラがこの布を作る程にゼラとカダールの愛は深まると」
何を言ってますか父上?
「素敵ね。布の枚数が二人の愛の日記になるのね」
母上、詩的に言ってますが何か違う気がします。
「愛の日記というのはいい呼び方ですが、布の枚数がお二人の閨の回数記録になる訳ですね」
ルブセィラ、お前はもう少し歯に衣を着せる言い方をだ。
「そうか。とてつもなく美しい布なのは、愛とか愛したいとか、いろいろと込められているからなのか」
エクアドまで釣られて訳の解らないこと言ってんじゃ無い。
「カダールー♪」
歌うように名を呼んで近付いて抱きついてくるゼラ。いつものように持ち上げようとして、できなくなってる。本当に弱体している。
微笑んで可愛く小首を傾げて。
「しよっ♪」
「あー、ゼラ? そういうのは人前で言うことでは無くてだ」
「カダールは、したくない?」
「もちろん、したい」
つい口にしてしまい慌てて周りを見るが、どいつもこいつも何を今更という顔で見てやがる。ぬぐぐ。
諜報部隊フクロウのクチバまで頷きながら。
「そーですね。東方の昔話に、恩返しに機を織るという話が有りましたが、実はけっこうエロい理由だったんですね」
東方の昔話なんて知るか。だが、この日以来、ゼラはムニャムニャしたくなると昼間に半日かけて特級品質の布をつくるようになってしまった。
そしてゼラが布を作ると、アルケニー監視部隊は、そうか今晩はその日か、などと呟くようになる。
……いや、まさかこんな方法で解決するとは。