第八話

文字数 5,358文字


「ハハウエ! できた!」
「ゼラは糸を扱わせると天才ね、可愛いわ」
「むふん」

 ゼラが手にするハンカチには、絵本の蜘蛛の姫と赤毛の王子が花に囲まれて手を繋いでいる。母上がゼラに刺繍を教え、ゼラがハンカチに刺繍の練習をしている。
 ゼラの作る布、プリンセスオゥガンジーが裁断できるようになった。それで母上と医療メイドのアステがゼラに裁縫を教えて、一緒に結婚衣装を作りましょう、という話に。
 刺繍はその練習のひとつ、らしい。

「ちょっと教えるだけで、ゼラは簡単にできてしまうわね」
「ンー、でも針を使うのはまだ難しい」
「ゼラの場合、直接糸を操作した方が良さそうね。針を使わない刺繍なんて、ゼラにしかできないわ」

 庭で盛り上がるゼラと母上とアステ。護衛メイドのサレンが側で果実水を用意する。
 ハウルルの件で落ち込み、熱を出して寝込んでいたサレン。少しずつもとの調子に戻ってきた。
 暖かな日差しの庭で、日除けの布のあずまやの中、楽しそうに笑うゼラ。それを見ながらエルアーリュ王子の隠密、ハガクが口を開く。

「古代妄想狂の一件では、間に合わなくてすまなかった」
「いや、王都から駆けつけてくれたのは有り難い。ウィラーイン領が王都から遠いのだから、仕方無い。それでその後の調査は?」
「レグジートという古代文明研究家、その一味。いずれも中央出身のようだ。魔獣深森の焼失した遺跡を調べてみたが、灰と瓦礫しか無い。あれでは死体も見つからん。そこで焼け死んだか、それとも逃げだして何処かに潜伏しているか、不明だ」
「その後の足取りが解らんというのは厄介だ」
「アシェンドネイルというラミアが始末してくれていたなら、それまでだが。それすらも解らん」

 隠密ハガクがゼラを見て、ふう、と息を吐く。

「アルケニーのゼラの魔法が金龍のブレスの如く。そして、ラミアのアシェンドネイルがあの遺跡を焼いたというのなら、クチバの見た天を衝くような炎の竜巻は黒龍のブレスの如く、だ。金属が溶けて歪んでいた。あれはその気になれば国ひとつ滅ぼせる力だ」
「アシェンドネイルは人の敵とはならないだろう。目的は人を滅ぼすことでは無いようだから」

 だが、人を滅ぼさぬように数を減らそうとはするか。ウィラーイン領に手は出さない、となったようだが、変わりに別の土地で何かするのかもしれん。ハガクに言っておく。

「深都の思惑は解らない。人という種を守る為に、ときに人の間引きを企む、ということらしい」
「良からぬことはしでかすが、敵に回すことだけは避けなくては。深都、か……」
「何処にあるかも判らぬ都で、調査するのも止めた方がいい」
「迂闊に踏み込めば、踏むのは虎の尾では無く祖龍の尾となれば、王国が滅ぶ」
「あのアシェンドネイルがお姉様と呼ぶような、オーバードドラゴンがぞろぞろと住むところだという」
「人が相対する域を越える。寒気しか感じない。……間引きか、まるで人類領域を管理する超越者か、神の使いとでもいうのか」

 ゼラの持つ真っ白なプリンセスオゥガンジーに日が当たると、七色の陽炎が浮かぶ。母上がゼラと頬をくっつけるようにして、ゼラに刺繍を教えている。プリンセスオゥガンジーに糸を通す二人は親子のようにも、姉妹のようにも見える。

「ゼラ姫が刺繍の練習か」
「プリンセスオゥガンジーはどんな塗料にも染まらず、白しか無いから刺繍で色味を出そうかというところだ」
「見てるのは布じゃ無い」

 目を細めて隠密ハガクはゼラを見る。母上とアステがゼラに教え、ゼラはコクコクと頷いて、母上のお手本を見ながら手を動かしている。

「ゼラ姫に慣れたウィラーイン家だからこそ、恐るべきラミアに未知の半人半獣、カーラヴィンカとも上手くやれたか。(いたずら)に怖れるだけの者であれば、対応することもできなかっただろう。ひとつ間違えればどんな事態となっていたか」
「アルケニー監視部隊には肝の太い者が揃っている」
「あの部隊を蜘蛛の姫を見守り隊にしたのは、カダールとエクアド隊長だろうに」
「そんなつもりは無かったのだが」
「組織の長の見せる姿勢が組織の色になる。ウィラーイン出身が多いというのもあるが、それも無双伯爵の民だから、だろう」

 隠密ハガクが顔を寄せて声を潜める。東方人らしい灰色の髪で目付きの鋭いハガク。男前な話し方をするが、近づくと女らしさにドキッとしてしまう。

「間に合わなかった言い訳ついでだが、情報がある。中央がおかしな動きを見せている」
「中央が? 何かあったのか?」
「至蒼聖王国が中央南西の街に物資を送っている。そちらを調べていたために、ローグシーに来るのが遅れた」
「む? 何の為に?」
「物資の種類から見て、門街キルロンに砦か城でも作る様子」
「位置的には、スピルードル王国かジャスパル王国への警戒を強めると?」
「エルアーリュ王子とパリアクス商会長が言うには、門街キルロンの拡大ではないかと。スピルードル王家には至蒼聖王国より使者が来ている。スピルードル王国との関係を密にし、貿易含め、通りをよくするために道の建設をしたいという」

 中央から見て南西。スピルードル王国とも南のジャスパル王国とも近い。至蒼聖王国に入る為の門の街、門街キルロン。他にも至蒼聖王国に行く方法はあるが、光の神教会総聖堂への巡礼者の為に、門街キルロンから中央総聖堂へと道が整備されている。
 中央では魔の森、魔の海から遠いところほど神の恵みがあるとされている。そのため至蒼聖王国から遠く離れるほどに野蛮な地と言われる。

 かつて光の神々が一角獣を聖王に遣わした。一角獣の言葉を聞きこの地を治めよ、と。以来、蒼い髪を持つ聖王家の一族が一角獣を守り、大陸を治めている。
 昔から中央で伝わる昔話だ。
 至蒼聖王国が大陸全てを支配している訳では無い。様々な国があり国を治める王がいる。なかには王がいない国もある。だが、いずれの国も、至蒼聖王国よりその地を治めることを任された、ということになっている。なので支配というよりは宗教的、精神的な支柱というのが至蒼聖王国となる。

 大陸の国々はもとは聖王家に仕える家臣の国。中央の国々では聖王家の者を嫁に迎えたりなど、その血筋に聖王の血が入る程に高貴な血筋となる。
 スピルードル王国はもとは蛮人の地と呼ばれ、かつては中央の罪人が追放される地、という歴史がある。今ではスピルードル王家は聖王家よりこの地を任された王国となっている。

 中央では光の神信仰と至蒼聖王国が重要なもの。しかし、辺境ともなれば話は違う。盾の三国、北のメイモント王国は死霊術師を抱え、祖霊信仰が根強い。今では中央とは仲が悪い。光の神信仰では死霊術師は人の霊を弄ぶものとしているから、対立が起こる。
 南のジャスパル王国では精霊信仰が根強いが、教会は精霊も光の神の祝福を受けたものとしている。ジャスパル王国では、光の神々は数多ある精霊の中のひとつで、人が都合で呼び名を変えているだけ、と受け入れている。

 スピルードル王国では光の神信仰が一般的だが、北では祖霊信仰があり、南では精霊信仰があり、いろいろとある。スピルードル王国はその辺り寛容だ。

「もともと蛮人の国スピルードルでは、力信仰以外はうるさく言わずにいろいろとあるようだ」
「ハガク、力信仰とはなんだ?」
「戦って生き残る力こそ讃えるもの、というのが、東方から来た俺から見るスピルードル王国だ。それ以外は大雑把で、魔獣という敵相手に団結して戦えるのならば、主義主張なぞ後回し。これが何でも来いと受け入れるお人好しに見えるのだろう」
「教義の違いなどと小さなことでケンカして、それで魔獣に殺されたくは無いだろう?」
「魔獣深森に近いウィラーイン領はそれが強い。ときに味方になるなら魔獣でも歓迎、というのは、中央では考えられんのだろう」
「それはうちだけじゃ無いぞ。隣のハイラスマート領では、守護獣緑羽を讃えて木彫りのグリフォンとか売ってるし。最近じゃグリフォンの卵というお菓子も人気だという」
「堅苦しい中央からこの地に来る者がいるのも解る。俺もそのクチだし。話が逸れたが、至蒼聖王国から使者がスピルードル王国とジャスパル王国に来るなど、これは滅多に無いことだ」
「中央で何が起きている?」
「それを調査中だ」
「もうひとつ、スピルードル王国の人口だが」
「ウィラーイン領兵団が魔獣深森を抑えてくれるから、少しずつ増えている」

 人が増えれば魔獣も増え、強い変異種の誕生も増えるという。ウィラーイン領では一年訓練場の建設に、領民の訓練の義務化で魔獣に対抗できるようになり、昔よりは安全となってきた。
 だが、この先はどうなるのか? アシェンドネイルは魔獣の増加を防ぐ為に、人の数を人同士で争わせて減らそうとしていた。
 俺達で手に負えない魔獣が現れたときはどうする? それこそ灰龍クラスが来たときには、避難するしかできることが無い。もしくはゼラに頼むしかない。情けないことだが。
 隠密ハガクが俺の肩をポンと叩く。

「黒蜘蛛の騎士一人を悩ませはせん。ウィラーイン領の真似をして訓練場は各地に増えている。これからますます領主はその力を試されるだろう。民に武器と力を与え、その上で反乱を起こされぬように信を得なければならない。それができれば、魔獣被害を減らして栄えると、ウィラーイン領が手本を見せてくれたおかげだ」
「代々のウィラーイン家と、ウィラーイン家を支えてくれた領民のおかげだ」
「それを誇りと共に口にできる者こそ、俺達の主に相応しい」

 隠密ハガク、東方の特殊部隊シノービの出身と聞いている。ろくでもない主に仕えるのは誇りが許さないと、この西の辺境まで流れて来たという。
 俺の肩を掴むハガクの手に力が入る。

「クチバを頼む」
「同じ東方出身だからか?」
「クチバは同じ里の同胞だ。まぁ、親戚というか俺には妹のようなものだ」

 あまり感情を顔に出さない隠密ハガクが、真摯に口にする。

「俺達の力は、おもしろい主のもとでこそ発揮できる」
「クチバにはいつも助けられている。見限られぬように努める」
「ムー、カダール何を話してるの?」

 ゼラがこっちに来た。少しむくれている。唇を突き出すように、ムー、とするゼラも可愛い。

「なんでハガクとくっついてるの? 浮気?」
「違う違う。ちょっと内緒の話をしてたんだ」
「ナイショ? 難しい話?」
「そんなところだ。ゼラ、刺繍はどうだ?」
「できたの。これ、カダールに」

 ゼラがハンカチを広げる。プリンセスオゥガンジーのハンカチにはデフォルメされた蜘蛛の姫と赤毛の王子。二人は頬と頬をくっつけて仲良くにっこりと微笑んでいる。

「カダール、どう?」
「可愛らしい。丁寧にできてて、これは見てるだけで優しい気分になれる。これを俺に?」
「ウン、使って」
「これで汚れを拭いたりとか、勿体なくてできない……」

 隠密ハガクが横から覗き込む。

「これはエルアーリュ王子が手にしたら、国宝扱いしそうだ」
「ンー、ハガク、さっきからカダールに近いけど、カダールのこと好きなの?」
「安心しろゼラ姫、俺は男より女が好きだ」
「ン? ハガクって女じゃないの?」
「そういう女もいる」
「ウン、ハガクも女の人が好きな女、わかった」

 ゼラの視線が近くにいるアルケニー監視部隊の隊員の女騎士をチラッと見る。女騎士はゼラの視線を受けて、ついっと顔を逸らす。おい、お前ゼラに何を教えた?
 隠密ハガクが、ククッと笑う。

「スピルードル王国では同性愛にも寛容なところがいい。中央では教会がやかましく言う」

 中央では同性愛には厳しいらしい。しかし、魔獣相手に戦うのに異性愛者も同性愛者も関係無いだろうに。
 だが、

「それで俺とエクアドの仲を捏造されるのは、どうかと思うのだが」
「それも有名税か?『剣雷と槍風と』の最新巻では、剣雷に横恋慕し槍風に嫉妬する邪王子が、ついに剣雷を誘拐して、監禁して、緊縛して、自分の言いなりにしようと薄暗い地下室でいやらしい責めを、」
「やめてくれ、詳しく説明するな。なんだ邪王子って? モデルは誰だ?」

 ゼラが拳を握って隠密ハガクに顔を近づける。

「いやらしい責め? どんなの?」
「ゼラが興味を持つのは、まだ早いんじゃないか?」
「これは人の学習にならないの?」
「人には、その、いろいろな性格とか、様々な面がある、というか」
「ウン、だから、ゼラ、いろいろ覚えるの。いろいろ知ってカダールが満足できる妻になるの」

 ゼラ、俺の為に、なんて愛しい。

「それでハガク、いやらしい責めって? 邪王子って?」
「あぁ、邪王子とは、『剣雷と槍風と』に登場する人物で、独占欲が強い上に加虐趣味のある男だ。最新刊では拐った剣雷を椅子に縛り上げてから、エッチな気分が昂る薬を無理矢理飲ませて、」
「やめろハガク、説明するな! ゼラに妙なことを教えるな!」

 


 
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登場人物紹介

ゼラ

もとは蜘蛛の魔獣タラテクト。助けてくれた騎士カダールへの想いが高まり、進化を重ねて半人半獣の魔獣アルケニーへと進化した。上半身は褐色の肌の人間の少女、下半身は漆黒の体毛の大蜘蛛。お茶で酔い、服が嫌い。妥協案として裸エプロンに。ポムンがプルン。しゅぴっ。

カダール=ウィラーイン

ウィラーイン伯爵家の一人息子。剣のカダール、ドラゴンスレイヤー、どんな窮地からでも生還する不死身の騎士、と渾名は多い。八歳のときに助けた蜘蛛の子と再会したことで運命が変わる。後に黒蜘蛛の騎士、赤毛の英雄と呼ばれる。ブランデーを好む、ムッツリ騎士。伝説のおっぱいいっぱい男。

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