第三十一話

文字数 6,024文字

「無事にお生まれになりました。男の子です」

 護衛メイドのサレンの言葉に、喫茶室にいる男一同が揃って安堵の息を吐く。

「慣例に従えば男性がフェディエア様とお子さまに会うのは、一日おいた明日になりますが、エクアド様いかがなさいます?」
「フェディエアの様子は?」
「初産とは思えぬ程にスムーズだったと、メイドのアステが言っておりました。今は疲れて休んでおります」
「それなら休ませた方がいいか? 無事だと解れば明日を待つとしようか」

 男はすぐに会えぬからとそれでワインを呑んでいたわけだし、酒臭いまま出産したばかりのフェディエアと子供には顔は会わせられない。
 ルブセィラ女史の言うように殺菌消毒をすればいいのだろうが、エクアドがこれまでのスピルードル王国の慣例に従うとなれば、俺達も合わせよう。
 エクアドが俺達に向き直る。

「夜遅くまで付き合っていただき、ありがとうございます」
「なに、ワシらもフェディエアと子の無事を聞かねば、安心して寝られん」

 父上が片手にワインのグラスを掲げる。

「では最後の一杯、エクアドとフェディエアの息子の健やかなる成長を願って、」
「「乾杯」」

 グラスを鳴らして飲み干す。エクアドとフェディエア、二人の息子。これでエクアドが一児の父となるのか。エクアドを見れば、ようやくワインの味が解ったかのように美味そうに飲んでいる。
 この夜はこれで解散、ゼラはフェディエアに付き添っているとのことで、俺は久しぶりにゼラと離れて寝ることに。
 領主館二階の一室でベッドに横になると、腹と胸の上にゼラの重みが無いと落ち着かないことに気がついた。寝るときはゼラが乗っているのが当たり前という状態に、すっかり慣れてしまった。一人寝を寂しいと感じるとは。

 翌日、昼食後にエクアドの子に会うことに。エクアドが待ちわびた、俺達も待ちわびた、新しい家族との対面。
 エクアドを先頭にゼラの寝室へと入る。父上は顔を緩ませて、バストレードはもう泣きそうになっている。ぞろぞろと人が入り広いはずのゼラの寝室に人がいっぱいに。

「フェディエア」

 エクアドがベッドの上に身を起こしたフェディエアに近づく。フェディエアが胸に抱くのは昨日産まれたばかりの小さな赤子。

「フェディエア、その、よくやった」
「エクアド……」

 エクアドはフェディエアが胸に抱く子に気をつけて、フェディエアをそっと抱く。エクアドの胸に額をつけるフェディエアは満足気な笑みを浮かべる。
 フェディエアが胸に抱く赤子はほっぺがぷくぷくとしていて可愛らしいが、正直に言うとエクアドとフェディエアのどちらに似ているか解らない。すやすやと寝ていて、この子が俺の甥になるのか、俺が叔父さんになるのかと不思議な気分になる。

 ゼラを見ると、む? 赤ちゃん可愛いとはしゃぐかと思っていたが、何故かフェディエアの後ろで肩を縮こませて隠れるように。いやゼラは下半身の蜘蛛体が大きくて、ベッドの向こうに隠れるのは無理だが。
 フェディエアが赤ちゃん産むところを見たい、と半ば強引に立ち会ったゼラが、なんだか申し訳無さそうにしている。なんだ?
 俺の視線に気がついたフェディエアが言う。

「あの、カダール、ゼラちゃんを怒らないで、ね?」

 フェディエアはエクアドの妻となったので、俺の姉で家族になる。俺を様付けで呼ぶのはやめるようにさせた。まだ言い慣れないようだが、そこでは無くて、フェディエアがそう言うということはゼラが何かしてしまったということか?
 見れば母上も医療メイドのアステも微妙な顔をしているような。フェディエアの言葉に男達が疑問を感じていると、ルブセィラ女史が代表で説明を始める。

「今回のフェディエア様の出産でひとつだけ言っておかなければならないことがあります」
「どういうことだ? この子に何かあるのか?」

 エクアドが驚いて聞くが、ルブセィラ女史は落ち着いて眼鏡の位置を指で直す。

「産まれた男の子には何も問題ありません。身長、体重はやや小さいですが個体差の範囲内で、呼吸にも脈拍にも異常は無く、身体にも、おかしなところはありません」
「では、フェディエアに何か?」
「医療メイドのアステから見ても、また三人のお子さんを産み育てたエクアド様のお母様、イアナ様から見ても、驚く程にスムーズな出産だったと。出血と疲労はありますが、フェディエア様にも何も問題はありません」
「それじゃ、いったいなんだ?」
「それをこれから説明します」

 ルブセィラ女史が一同を見回す。

「この子は産声を上げずに産まれてきました」

 フェディエアの抱く男の子は安らかに眠っている。周囲に大人が集まっているが気にして無いようだ。

「通常、産まれたばかりの赤子は自立呼吸を始める際、大声で泣きます。これがいわゆる産声です。産声を上げずに産まれてくる例としては、仮死状態で産まれてくることが多いのですが」
「それでは、この子は仮死で産まれてきたと?」
「落ち着いてくださいエクアド隊長。この子は仮死状態ではありませんでした。そうですね、その状況を始めから話した方が良さそうですね」

 ルブセィラ女史が昨夜のことを話し出す。

「フェディエア様の陣痛が始まり、先ずはこのゼラさんの寝室に運びました。前から話していたように、ゼラさんがフェディエア様の出産を見たいと、フェディエア様もゼラさんが側にいてくれるといいと言ってましたので。
 ただし、人の出産のことをよく知らないゼラさんには、治癒の魔法などはフェディエア様にかけないように、と言っておきました。
 ゼラさんがフェディエア様の手を握り、この部屋はゼラさんの魔法の明かりで明るく照らし、ルミリア様、イアナ様、私に医療メイドのアステを始めとした治癒術師と揃い、これはスピルードル王国でも最高の環境と言えるのではないでしょうか。
 そして陣痛の始まったフェディエア様が苦しみ出し、その手を握るゼラさんが、つい我慢できなくなって魔法を使ってしまったのです」

 うつむき気味に上目使いでおどおどと俺を見るゼラ。魔法を使ってしまった? ゼラが?

「……ゼラ、見るだけだって言ったじゃないか」
「あにゅ、ごめんなさい」
「いったい、何をしたんだ?」
「フェディエアに、うぃーく、と、すとれん……」

 身体を縮こませるかのようにうつむき小声になるゼラ。
 ゼラの言う、うぃーく、とは“身体弱化(ウィークネス)”、すとれん、とは“身体強化(ストレングス)”だ。どちらもルブセィラ女史が見せて教えたもの。ゼラの魔法は目に見えて派手に変化するのが得意なようで、ゼラの“身体弱化(ウィークネス)”と“身体強化(ストレングス)”は、効果もイマイチだったりする。ただ、ゼラの魔法としてはイマイチという水準で、人の魔術と比べると充分に実用できる。
 しかし、

「強化と弱化、相反するものを同時にフェディエアにかけたのか? どういうことだ?」
「順に説明しましょう。先ず、妊娠とは赤子が成長するまでお腹の中で守り、外に出さないようにすることです。赤子が充分に成長したら、胎外に押し出す、これが出産です。ですが人の身体とは、外に出さないようにすることから、急激に外に出すように変わるものではありません。その為の練習もできませんので、初産が難産になるのはその為です。
 ゼラさんはフェディエア様の身体に局所的に“身体弱化(ウィークネス)”を使用。これはゼラさんの“身体弱化(ウィークネス)”は、ムニャムニャの為に脱力をメインにされたもので、人の“身体弱化(ウィークネス)”とは少し違います。この“身体弱化(ウィークネス)”で産道回りを緩めて拡張。フェディエア様の腹筋に微弱な“身体強化(ストレングス)”を使用し、フェディエア様の出産を後押しした。
 これが今回の出産で使われたゼラさんの魔法です。これは今までに存在しない、出産補助魔法とでも名付けるものでしょうか」

 出産補助魔法。これまで聞いたことも無い、全く新たな魔法がフェディエアの出産で誕生して使用された、らしい。ゼラ、何をしてしまったんだ。

「そして赤ちゃんがフェディエア様の母胎から出るときに、ゼラさんが部屋の魔法の明かりを暗くしました」
「ゼラ、どうしてそんなことを?」
「えっと、フェディエアのお腹の中って、明かりが無くて暗いと思うの」
「まぁ、人の身体の中が明るいと聞いたことは無いか」
「それでね、真っ暗なとこからいきなり明るいとこに出たら、赤ちゃん、ビックリするかなって」

 ルブセィラ女史がその時のことを思い出すように。

「この部屋の明かりが暗くなって私達も驚きましたが、ゼラさんの話を聞き薄暗い中で赤ちゃんを取り上げました。手もとが見える程度の明るさはあり、作業に問題はありませんでした。
 赤ちゃんは母胎から出ると口と鼻から羊水を吐き出し、泣かないまま静かなまま自立呼吸を穏やかに開始。その後ゼラさんは部屋の明かりを徐々に明るくして、アステが赤ちゃんを産湯に浸けました。その間も赤ちゃんは静かなままでした。
 小さい声で、あー、と言うくらいで、息のついでに漏れるような感じですね。こうして産声を上げずに産まれてきたのです」
「カダールが産まれた時は、旧領主館に響き渡るくらい大声で産声を上げたものだけど」

 母上が言い、続けてエクアドの母、イアナが言う。

「私の三人の息子も産声を上げて産まれて来たので、こんなに静かな赤ちゃんは初めてです」

 ルブセィラ女史が頷いて手のメモを見る。

「私とルミリア様、イアナ様、アステと話し合い、今回の件からひとつの仮説が産まれました」

 赤ちゃん以外に誕生したものが、ゼラの出産補助魔法の他にもあるらしい。

「産声に限らず、赤ちゃんが泣くのはどういう状況でしょうか?」

 赤子とはよく泣くものだが、その泣く理由としては。父上が答える。

「何か不愉快なことがあるときではないかの? おしめの中が気持ち悪い、背中が痒い、ぶつけて足が痛い、とか」
「そうです。言葉の話せない赤ちゃんが泣くのは、痛みや苦痛、不快を訴え解消してもらおう、というものです。そして産声もそうなのではないかと。つまり、産まれるときに何も苦痛も不快も感じず、驚くことも怖いことも無ければ、赤ちゃんは産声を上げずに産まれてくることもあるのではないかと」
「そんなことがあるのか? 元気な赤ちゃんは産声を上げて産まれてくる、と思っていたが」
「母胎から出て初めて自立呼吸を始めるときには、産声を上げるものだと私も認識していました。ですが産声を上げずに自立呼吸を始めた赤ちゃんを目撃した以上、間違った認識は改めねばなりません。産声を上げさせる為に赤ちゃんを叩いたりするのはやめた方が良さそうです」

 皆でフェディエアが抱く子を見てしまう。産声を上げずに静かに産まれてきた赤ちゃん。
 エクアドが不安な顔で俺に聞く。

「カダール、カダールは産まれてきたとき、痛かったり怖かったりしたのか?」
「エクアド、自分が産まれた瞬間のことなど憶えていないし、なんで産声を上げたかも俺は知らないぞ。エクアドは自分が産まれたときのことを、憶えているのか?」
「いや、憶えていない。産声を上げた記憶も無い」

 ルブセィラ女史が眼鏡を光らせて生き生きとする。

「自分が産まれた瞬間のことを憶えている人は、まずいないでしょう。これを調べるのはとても困難です。しかしこの出産補助魔法は母体と赤ちゃんの負担を軽減し、新しい安全な出産方法に繋がるかもしれません。ローグシーの街の妊婦で実験に協力してくれる女性を募って」
「待てルブセィラ。街の住人で実験をするな。先ずはこの子の成長経過を観察してからだ」
「カダール、俺の子を実験動物のように言うな」
「すまんエクアド」
「あにゅ、ごめんなさい」
「カダール、ゼラちゃんを叱らないで。ゼラちゃんは私を手伝ってくれたのよね、ありがとう」
「フェディー」
「いや俺は怒ってないぞ。でもなゼラ、するときにはあらかじめフェディエアとルブセィラに説明するとか」
「産声が大きいほど元気な赤ちゃんと思っていたのだけど」
「それも間違いでは無いでしょう。だからと言って産声を上げさせる為だけに叩いたり威かしたりする方が、産まれたばかりの赤子には危険なのでは無いでしょうか?」
「不快無く産まれてきたら産声を上げない、なんて実際に目にしてなければ、信じられないでしょうね」
「この仮説はこれまでの赤ちゃんの出産への思い込みがあれば、受け入れられる人は少ないかもしれませんね。その為にもサンプルが必要です」
「ゼラ、次もがんばる」
「いや待てゼラ、まだ頑張らなくていい。これは慎重にして、」
「蜘蛛の姫の産婆さん? これはおもしろいのかしら?」
「母上、絵本のネタにするつもりですか?」
「産声を上げなかったことで、俺の子に何かあったりするのか? 声が出せないとか?」
「声が出ない訳では無いみたいだけど」
「ふや、」

 周囲の大人達がザワザワと騒ぎ、それが気に障ったのか、

「ふやああああああ!」

 フェディエアの胸に抱く赤ちゃんが大声で泣き始めた。母上とイアナとアステが慌ててベッドの上のフェディエアを囲む。ふやあ! ふやああ! と泣き止まない。

「……声が出ない訳では無いようだ」
「まるでエクアドを安心させようと泣き出したようじゃないか」
「気を使わせてしまったのか? まさか、」

 医療メイドのアステが仕切る。

「赤ちゃんを驚かせ無いように、話を続けるなら寝室の外でお願いします」

 エクアドを寝室に残して、男は一旦、寝室の外へと。ルブセィラ女史と母上も寝室の外に出て、バストレードと父上に赤ちゃんのことを話す。
 エクアドとフェディエアの息子、産声を上げずに産まれたちょっと変わった赤ちゃん。ゼラの出産補助魔法? とやらを使えば、泣かずに産まれる赤ちゃんが増えるのだろうか?
 産声を上げずに産まれたから、静かな赤ちゃんなのかと思ったが。

「……子供の夜泣きとは、驚くものだな」

 後日、元気な夜泣きに夜中に起こされるエクアドが、寝不足の目をこすりながら嬉しそうに言う。
 赤ちゃんの名前の方はと言うと、父上に母上にバストレードにイアナがいろいろ候補を上げて、どれを選べばいいかとエクアドとフェディエアは頭を悩ませている。
 そしてゼラは赤紫の瞳をキラキラさせて。

「カダールー」
「どうした、ゼラ?」
「ゼラも赤ちゃん欲しい」
「じゃあ、作ろう」
「ウン」




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登場人物紹介

ゼラ

もとは蜘蛛の魔獣タラテクト。助けてくれた騎士カダールへの想いが高まり、進化を重ねて半人半獣の魔獣アルケニーへと進化した。上半身は褐色の肌の人間の少女、下半身は漆黒の体毛の大蜘蛛。お茶で酔い、服が嫌い。妥協案として裸エプロンに。ポムンがプルン。しゅぴっ。

カダール=ウィラーイン

ウィラーイン伯爵家の一人息子。剣のカダール、ドラゴンスレイヤー、どんな窮地からでも生還する不死身の騎士、と渾名は多い。八歳のときに助けた蜘蛛の子と再会したことで運命が変わる。後に黒蜘蛛の騎士、赤毛の英雄と呼ばれる。ブランデーを好む、ムッツリ騎士。伝説のおっぱいいっぱい男。

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