第三十五話

文字数 4,604文字

 クインの話を聞きながら、クインのグラスが空になる度に俺とエクアドが酒を注ぐ。既に正体を出しているなら、酔って人化の魔法が解ける心配も無い。なのでクインはぐいぐい呑む。
 ゼラはお茶を飲み過ぎ無いように果実水のグラスに変えてある。テーブルの上の炭コンロにはクインが好みという空豆を小鍋で茹でている。
 豆をつまみ酒を飲むクインの話はいくらか予想できたものだが、それを語るクインの七十年という歳月は重い。

 一途に想い、報われること無くとも想い人とその妻の為に町を守ったクイン。聞いているだけで胸が痛む。クインは軽く話してはいるがその胸の内はどうなのだろうか。

「これがあたいがアバランの町を守ってやろうかって、そう気まぐれを起こした理由だ」
「気まぐれ、では無いだろう。クインの想いの深さゆえのことだ」
「うるっせーな。もう豆は煮えたんじゃねえの?」
「豆は生よりも茹でた方が好みなのか?」
「これもエイジスが好きな奴なんだよ」

 炒り豆をひとつ手に取り指で上に弾いて、落ちてくる豆を口に入れる。

「エイジスが豆を投げて、それをあたいが食ってたんだ」

 それで豆が好き、なのか。ゼラがチーズが好きなのも同じなのだろうか? 空豆をザルに入れて湯を切っていると、ゼラがフラフラとクインに抱きついていく。

「クインー、クインはがんばったんだー、えぐ」
「なんでゼラが泣いてんだよ。おい、引っ付くな」
「クイン、もう寂しくないよ。ゼラがいるよ」
「お前、本当に茶で酔っぱらってんのな。おい離れろ。はーなーれーろー」
「くーいーんー、えぐ」

 クインに抱きつこうとするゼラ。その顔をクインが手で押さえて近づけないようにしてる。頬がむにゅんとして変な顔になってるがそれでもゼラはクインに抱きつこうとしてる。
 エクアドはグラスを傾けて、ふう、と息を吐く。

「実らぬ恋を胸に秘めて、されど彼の為に戦わん、か。情の深いことだ」
「なんだようるせぇよ、言っとくけどな、ゼラが珍しいんだからな」

 ゼラがキョトンとしてクインに訊ねる。

「そうなの?」
「そうだよ。カダールには笑わせてもらったぜ」
「む? どういうことだクイン。俺がいつ笑わせるようなことをした?」
「そりゃ、わかんねーだろうよ。こうして会う前のことなんだから」
「クインは俺と会う前から俺のことを知っていたのか? それはアシェンドネイルから聞いたのか?」
「くくっ、ヒントはボサスランの瞳」

 ボサスランの瞳、邪神官ダムフォスが魔獣を操る為に使っていた赤い宝石。闇の母神の名を冠する謎の魔術具。それがいったい何を?

「ボサスランの瞳は我らが母に繋がる。そのついでにボサスランの瞳に映るものは、深都のお姉さま達にも届くのさ」
「お、おい、それはまさか」
「くくく、心の底までゼラのおっぱいがいっぱい、だなんてな。お姉さま達も大爆笑だ。あたいも笑わせてもらったぜ」

 ぬぐ、アレを、アレを見られていたのか? その深都のお姉さま達というのがどんな奴等か知らないが、そいつらにアレを見られていたのか? 全部? う、おおお。

 ゴスンとテーブルに額を打つ。顔が上げられない。アレが俺の心の底とは俺自身、認めたくは無い。いやゼラのおっぱいは好きだが。大好きだが。だからと言ってゼラのおっぱいのことしか考えてない訳では無いのだ。俺はゼラのおっぱいだけが好きな訳では無いのだ。おっぱい以外にも、一途なところとか、いつも一所懸命なとことか、いつも元気で明るくて、見てると活力が湧いてくるような笑顔とか、敏感でくすぐったがりなとことか、おへその回りをコチョコチョしたら身悶えする可愛いとことか。

「?ゼラのおっぱいがいっぱい? カダール、何のことだ?」
「エクアド、それは、ボサスランの瞳の中で、その、後で説明する……」
「いや、精神に傷をつけそうなことを無理矢理聞き出すつもりは無いが」

 思い出したのかクインがにやにやと笑っている。うぐぐ。

「アレでお姉さま達は蜘蛛の子の想い人が凄い、只者じゃ無いって注目してる。まぁ、それでアシェのやったことがちょっと酷くない? と、アシェがお仕置きされることになったんだけど」
「深都の事情はよく解らんが、先程のクインの話では深都は魔獣深森の深部にある、と?」
「そうだけど、人間が辿り着くのは不可能だ。やめとけ」
「深都、とはなんだ?」
「イカれた魔獣が住む都のことさ。だから人間は手を出すな。そしたらお姉さま達も人間に手を出さない。滅日を招いて自滅したいなら好きにしな」
「お姉さま達、というのは?」
「深都の住人にして、我らが母を守る者」
「では、業の者とは?」
「あたいにアシェを見てるなら予想はつくか?」
「その予想通りなのか?」
「どうだろうね」

 グラスを傾け旨そうに酒を飲むクイン。

「逆に、この世に業を持たずに生まれる者なんているのかね」

 そう言われると意味が違ってくる。はぐらかされているのか。エクアドが茹でたばかりの空豆を食べて、

「クイン、ラミアのアシェンドネイルは何が狙いだ? 奴は何をしようとしている?」
「アシェはアシェで好きにやってるさ。あたいもまた好き勝手にやってる」
「互いに干渉はしてないと?」
「あたいはアシェの陰険なとこは嫌いなんだよ。アシェがやってるのは、物語の蒐集(しゅうしゅう)さ。深都のお姉さま達を楽しませる、そんな喜劇を集めてる」
「喜劇だと? その喜劇の為に要らぬ災難を被る者がいる」
「はん、知ったことかよ。なら人間の暮らしの為に狩られる魔獣の災難はどうするんだ? お互い様ってものだろ」
「そこはクインは人の側では無いのか?」
「あたいが気に入った奴の側ってだけだ」

 クインはグラスを持ったままの手でエクアドを指差す。

「あたいがハイイーグルだった頃、金目当てに追い回してくれたのも、人間だ」

 ゼラが空豆をひとつとりクインの口に入れる。

「クイン、人間にもいろいろいるよ?」
「もぐ、そんなのは知ってる。あたいの方がゼラより長く生きてんだ」
「カダールもエクアドもいい人だよ」
「いい人というか、変態だろ。下半身蜘蛛でもいいなんて言う男はよ」
「クインは男とムニャムニャしたことないの?」
「あー? なんでそうなる?」
「エイジスとはそういうの無かったの?」
「あるわけねぇだろ。エイジスは浮気するような男じゃねえんだよ」
「ンー? クインは処女?」
「いや、その、人間に化けてるときに酒場でナンパされて、それで人間の男に引っ張られて、そういうことしたら、エイジスのこと、忘れられるんじゃねえかって」

 クインが手にするグラスに視線を落とす。グラスを両手で無駄にクルクルと回しながら、

「そいで、酔ってるとこで、宿に連れ込まれて、まぁいいかって、その男に服を脱がされそうになったときに、人化の魔法が解けて。そいつは悲鳴を上げて逃げ出して」

 うむう、その男も根性の無い奴。いやいきなりクインのような女が下半身グリフォンの魔獣という姿となれば、驚くか。しかし悲鳴を上げて逃げるというのは、自分から誘っておいて失礼な男だ。クインは何故か俺を睨む。

「なんでこんな話になった? そうだよ、あたいは処女だよ。それがどうした? 人間の男ってのはあたいらみたいなの見たら怯えるんだよ! そっちが普通の人間って奴だ。そこのカダールがド変態ってだけなんだよ。ゼラ、お前の想い人ってのは人並み外れたスケベ野郎なんだよ!」
「カダールはスケベ野郎じゃ無いもん! ゼラのこと好きって」
「好きだ惚れたってだけでできることかよ」
「好きならできるもん!」
「いいや、イカれたド変態だ!」
「カダールはド変態じゃ無いもん!」

 ゼラが庇ってくれるのは嬉しいが。目の前でド変態呼ばわりを連呼されるのは、辛い。グラスの酒を飲み干して。

「二人ともその辺で勘弁してくれ。頼む。……エクアド、俺はド変態なのだろうか?」
「カダール、人の言うことなど気にするな。これまで前例の無いことに好き勝手に言う輩はいるが、ゼラへの想いが正しいと信じるなら胸を張れ」
「ありがとうエクアド。少し持ち直した」

 エクアドが俺のグラスにお代わりを注ぐ。氷を浮かべ口にする。ゼラとクインはまだ言い合っている。

「カダールは優しくて、ゼラのこと大事にしてくれるの」
「だからそんな男ってのが珍しいんだって。そうそういるか、こんなド変態」

 もうド変態と言うのはやめてくれないだろうか。エクアドがクインに言う。

「慣れというのもあるだろう。俺もカダールもゼラの姿を初めて見たときには驚いた。俺も正直に言えば、初めの頃はゼラのことを怖れていた。だが、慣れてしまえば俺もアルケニー監視部隊も、今ではゼラと触れ合うことができる」
「慣れるまでずっと側にいるってのが、ありえねえんだよ」
「そうかもしれん。ゼラで半人半獣を見慣れた俺達はクインのその姿、カーラヴィンカ、か?」
「あの眼鏡がグリフォニアって命名したいんなら、グリフォニアでいいだろ。カーラヴィンカを知ってる人間もいないんだし」
「そうか、それでクインの下半身グリフォン姿というのも、俺もアルケニー監視部隊もゼラを見慣れているからあまり驚かない。こうして一緒に酒も飲める」
「……お前ら正体出しても平気なんだよな。頭大丈夫か?」
「心配されているのか? 大丈夫だ、と思うのだがな」
「そこのド変態ほどイカれてはいないか」

 クインはテーブルに肘を着きグラスの酒を舐めるように呑む。

「怪物でもかまわないって抱く男なんてのは、スケベ人間カダールぐらいか」

 滅茶苦茶に言われているが、少し見た目が違うくらいのことは、愛があればどうにかなる、のでは無かろうか。恥ずかしくて口にはできんが。クインの言葉にエクアドが返す。

「俺で良ければ相手になるが? クインのような美しく情の深い女に誘われたら断れん」
「はぁ? お前もド変態か?」
「アルケニー監視部隊は吹っ切れているぞ。クインとゼラに誘われたら喜んで飛び付くのがゾロゾロいる。だからヤケになって誘うのはやめて欲しい。クインも惚れてもいない男に抱かれたくは無いだろう」
「クソ、変態のくせにマトモなこと言いやがる」
「その言い方は一周して己を卑下しているぞ。クインは美しい、と俺は思うがな」
「口説いてんのかこの変態」

 エクアドはサラリと聞き流し酒を飲む。同い歳なのに余裕を感じるのはエクアドの方が俺より経験があるからか。エクアドはモテる男だからか。クインの方が落ち着かない様子だ。ゼラはクインに優しく言う。

「クイン、ムニャムニャは気持ちいいよ? 幸せだよ?」
「ゼラは羞恥心を学べ! このエロ娘が!」

 ゼラに怒鳴ったクインは俺を睨みなおす。

「で、ゼラをこんなエロ娘にしたお前はやっぱりスケベ人間のド変態だ」
「ぐむ、俺のゼラへの愛にやましいことなど」
「おっぱいがいっぱいだったくせに」

 お、おのれ、ボサスランの瞳。おのれ、アシェンドネイル。
 俺はこの先、クインと深都の住人には、おっぱいいっぱい男と呼ばれ続けるのだろうか?

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登場人物紹介

ゼラ

もとは蜘蛛の魔獣タラテクト。助けてくれた騎士カダールへの想いが高まり、進化を重ねて半人半獣の魔獣アルケニーへと進化した。上半身は褐色の肌の人間の少女、下半身は漆黒の体毛の大蜘蛛。お茶で酔い、服が嫌い。妥協案として裸エプロンに。ポムンがプルン。しゅぴっ。

カダール=ウィラーイン

ウィラーイン伯爵家の一人息子。剣のカダール、ドラゴンスレイヤー、どんな窮地からでも生還する不死身の騎士、と渾名は多い。八歳のときに助けた蜘蛛の子と再会したことで運命が変わる。後に黒蜘蛛の騎士、赤毛の英雄と呼ばれる。ブランデーを好む、ムッツリ騎士。伝説のおっぱいいっぱい男。

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