第四十七話
文字数 5,496文字
「ゼラの身体についてなんだが」
クインとアシェンドネイルに聞いてみる。クインはゼラの頭を撫でながら言う。
「すぐに元通りとはいかない。あたいもアシェも治癒は苦手だし」
アシェンドネイルは、ゼラの抱く黒い子の、蜘蛛のお尻を撫でがら。
「私とクインが補助して、ゼラの治癒の魔法で再生していくのがいいわね。こうして産まれたから胎児の保護と育成に使ってた分を再生に回せるから、五日くらい?」
「ンー、そのくらい?」
「そのあと元通りに動けるように調整とリハビリで、合わせて十日くらいかしら。ゼラが魔法を使えるようになったら、赤毛の英雄の怪我も治してしまえるわね」
クインがゼラの頭をポンポンと叩く。
「ゼラ、この双子がちゃんと育つまでは、また自分を改造して赤んぼ作ったりするなよな」
「ウン」
ゼラの身体は十日でもとに戻るらしい。ホッとした。エクアドが父上に訊ねる。
「ハラード様、館にいる五人の聖剣士達はどうします? このまま同じ館にいれば、クインとアシェンドネイルと顔を会わせることになりますが」
「そのときはゼラの姉と紹介すれば良いであろう」
「彼らは中央出身で魔獣に慣れてませんから、そこは気遣わなければ」
母上が扇子をパチンと閉じる。
「聖剣士の団長に話したいことがあったから、丁度いいわね。クインとアシェはしばらくこの館の一階にいてもらっていいかしら? 二階の聖剣士達と出会う場を準備するまで、彼らを脅かさないようにね」
「どうして私が人に気を遣わねばならないのかしら、英雄の母?」
「アシェ、ゼラのように母上と呼んでくれて構わないのよ? それにこの館に今は赤ちゃんが三人。騒ぎを起こして怪我でもさせたら、私も怒るわよ」
「赤毛の英雄を危機から救った者に、恩を返そうと思わないのかしら?」
「あら、寝床も着替えもお風呂も食事もエプロンもお酒も用意してるのだけど、まだ足りないものがあったかしら?」
クインがアシェンドネイルの肩を掴む。
「おいアシェ、揉めるとまたお姉様に怒られるぞ」
「解ってるわよクイン。大人しくするわよ。早く本命の外交官役というか、大使が決まらないかしら」
「いいじゃねえか。それまでこの子達の乳母をやっていれば」
「また、お姉様達に羨ましがられそうね。そしてこの子達会いたさに、また脱走者が出るかもね」
「あ、そうか、そういうこともあるかも……、深都にゼラの子のことを隠すのは」
「もう、手遅れよね。ゼラの出産シーンから見てしまっているから……」
「あー、考えたら頭痛くなってきた……」
クインとアシェンドネイルが顔を寄せて、何やらボソボソと話している。なんの話だろうか? 二人にゼラの手助けをよろしく頼むと、お願いする。
ゼラと子達の世話はクインにアシェンドネイル。母上、医療メイドのアステ、アルケニー調査班に、アルケニー監視部隊の中からエクアドが選抜した育児班に頼むことになる。
母上が聖剣士クシュトフに何の話があるのだろうか? 母上、父上、と共にエクアドに肩を借りて二階の聖剣士達のところに。今は屋敷の者が見張り、彼らが一階に降りないように監視している。
「聖剣士団、団長クシュトフ、ここで一度死んでみては?」
母上の第一声にざわつく聖剣士達。母上いきなり何を言い出しますか? ベッドの上の聖剣士クシュトフだけは落ち着いている。
「私は既に一度死んだも同然の身。私を治療したウィラーイン家が、死ねと言うならば死にましょう」
「言い方が悪かったわね、クシュトフさん。神前決闘で胸を刺され、あの場にいたものはほとんど皆、クシュトフさんが死んだと思っているのでは無いかしら?」
「おそらくは、私も生きているのが不思議です」
「あなたの命が助かったことは、ここにいる者しか知らないことよね」
母上は聖剣士クシュトフの部下の聖剣士四人を見る。団長の治療の為に代表で残った四人。
他にも団長の側に居たがる聖剣士もいたが、本隊が撤退しそこから離れる訳にはいかない聖剣士団。涙を飲んで代表のこの四人を残し、離れていった。と、エクアドが教えてくれる。
「カダールが気絶していたときのことだ。聖剣士団団長クシュトフの人望の高さを見た」
「つまり母上が言いたいことは、ここの聖剣士達が総聖堂に『団長クシュトフは治療したが間に合わず死亡した』と、報告すればクシュトフが死んだことになる、ということですか?」
母上がニコリと笑う。聖剣士クシュトフはそれを訝しみ。
「何故、私を死んだことに、と?」
「総聖堂の中で、あなたの信仰が保てるのかしら? 私には総聖堂の内部事情なんて解らないけれど」
「……」
「いっそ総聖堂から離れて、名も無き一人の剣士として中央に戻り、魔獣災害に立ち向かうのも良し。魔獣戦闘になれたローグシーのハンターギルドからハンターを雇うも良し。この街で対魔獣戦闘について、訓練場で学ぶのも良し。実は生きていた、として総聖堂に戻るも良し。好きなものを選びなさいな」
「私に、総聖堂と聖剣士を捨てよ、と?」
「クシュトフさん、あなたが聖なる剣士として生きるのに、必要な物は何? 総聖堂の後ろ楯? 聖剣士の看板?」
「むう……」
父上が金の髭を撫でる。父上と聖剣士クシュトフとは同じくらいの歳に見えるが、父上は聖剣士クシュトフに諭すように言う。
「剣に迷いが無ければ、カダールが負けておったところだろう。どうやらクシュトフには悩む時が必要なようだ。その怪我を治す為にも、しばし養生せよ。ふむ、ササメよ」
「はい、ハラード様」
いつの間に父上の側にいたのか、フラリと現れたアプラース王子の隠密ササメが、手紙を父上に渡す。あれは聖剣士クシュトフが撤退する部下に宛てて書いたもの。
父上はそれにさっと目を通す。その手紙を成り行きを見ていた聖剣士の一人に渡す。
「聖剣士団団長が、どこに立てば良いか考えて書き直すといい。クシュトフは総聖堂の中で、その力を活かせるのか? と」
「書けたら呼んでね。このササメが届けるわ」
聖剣士達は顔を見合わせ、聖剣士クシュトフは胸に手を当てて考え込む。母上は悩む彼らに言う。
「それと、我が館はゼラの為に変わった作りになっているから気をつけて。一階に下りる用事があるときはメイドに声をかけて、館の者と離れないで一緒に行動してね」
聖剣士クシュトフに四人の聖剣士は、しばらくこの館で傷が癒えるまで滞在してもらうことにして。
廊下に出た母上が父上に尋ねる。
「あなた、撤退する総聖堂聖剣士団の方は?」
「フクロウの隊員とシウタグラ商会の商人で、噂を届けさせた。あれだけの部隊、途中の町で物資を買う必要もある。そこでそこの商人から中央の情報を伝えさせての。これで中央の危機を知り、一大事と急いで戻ってくれたら良いが」
ローグシーに来た総聖堂聖剣士団は中央の異変を知らなかった。
聖剣士クシュトフが言うには、
『総聖堂の一部神官とスピルードル王国貴族との密取引、この調査が粗方終わりロジマス男爵からも聴き取れることは聞いた。それで総聖堂に戻る途中、総聖堂から来る部隊と合流した。
アルケニーのゼラを総聖堂に迎える、その為だけに四千の兵を並べた部隊。司祭の持つ総聖堂の使令には逆らえず、合流した部隊の指揮をとることになった。総指揮官は私だが、部隊の目的を定めたのは司祭だ』
その結果、聖剣士クシュトフは守り袋を持ち帰れぬまま、肌身離さず持ち歩くことになり。
南方ジャスパルを経由して移動する間に、中央で魔獣災害が起きた。
母上は唇を尖らせて不満そうに言う。
「聖獣一角獣の御言葉、その預言がどこまで正しいのか、どこまで詳細なのか解らないもの。それを耳にした限られた神官が何をするか。災厄の預言を細かく聞いたなら、なんとしてもゼラを取りに来るかと考えたのよ」
母上の推測は当たっていた。総聖堂聖剣士団はゼラを総聖堂に迎えるつもりだったが、その移動中に魔獣災害が起きてしまった。
このローグシーに来たあの聖剣士団の神官が何処まで知っていたかは解らない。だが、聖剣士クシュトフも隊員達も、中央の異変を知らぬまま来てしまった。
ゼラの“
母上の推測は当たっているのだろうが、先を読みすぎた、ということのようだ。母上の話で俺もそうかと思い込んでいた。
これで撤退した聖剣士団が中央の事を知って、どう動くのか。
「あとはワシらに任せて、カダールは傷を癒せ。クチバとフクロウはこれから忙しくなるが、頼りにさせてもらうぞ」
父上が笑みを見せ、クチバは頷きウィラーイン諜報部隊フクロウが動き出す。
ゼラが魔法を使えるようになれば、俺も聖剣士クシュトフも直ぐに全快するだろう。
「総聖堂聖剣士団は、これでなんとかなりそうだ。これでゼラも安心だ」
「ウン、でもカダール、もう危ないことしたらダメだから」
「それは、約束できない。ゼラとその子達が危ないとなれば、俺は我慢できない」
「ンもう、カダールってば、ムー」
「ゼラだって、俺のこと言えないくせに」
ゼラの寝室でゼラと話す。俺の為にと昔から、進化する前から身体を張って俺を守ってきたゼラ。その為に無茶をして怪我をしたのを見たこともある。
そのゼラがにこやかに言う。
「ゼラはいいの、カダールはダメ」
「理不尽だ」
ゼラとお喋りしながら赤ちゃんを見る。少し離れてクインとアシェンドネイルがボソボソ話しながら、こちらを窺っている。
ゼラの寝室、ゼラは双子の赤ちゃんにおっぱいをあげている。
右手に褐色の子、左手に白い子。
二人ともゼラのおっぱいに口をつけ、夢中になって飲んでいる。
蜘蛛は多産だが、ゼラが妊娠の参考にしたのはフェディエア。そのフェディエアがフォーティスと名付けた我が子に、おっぱいをあげているのをゼラは見たこともある。
どうやらゼラは、おっぱいが二つだから双子にしよう、と考えたらしい。三つ子以上だとおっぱいが足りないから、と。
産もうという数を管理できるからこそ、という発想でもあるらしい。
「カダール、あのね」
「なんだ、ゼラ?」
「ゼラのおっぱい、カダール専用じゃ、無くなっちゃった」
「それは、仕方無い」
これがおっぱいの正しい使い方だ。赤ちゃんが大きくなるための、大切な栄養源。子供を育てる為の母乳の出るところ。
それを本来の使い方とは違うところに価値を見出だすというのは、人の
本質を見誤るような、価値の感じ方、間違った物の使い方。本来のおっぱいの在り方を歪めるような、ものの見方。欲に流され間違った使い方をし、そして羞恥心でそれを隠すようになる。
子育てとは、恥ずかしいものでは無いはずなのに。だが、俺がゼラの褐色の双丘に惹かれてしまうのも、世の真理だ。それは人の本能深くに刻まれた、抗えぬ欲望なのだろうか。
「赤ちゃんが大きくなる為には、おっぱいとは赤ちゃん専用のものであるべきだ」
「そうなの?」
「赤ちゃんがいて、母乳が出る間は、そうすべきだろう」
ゼラが医療メイドのアステに教わって、赤ちゃんの背中をトントンと叩く。むう、この左手が治れば俺もそれができるのに。ケプッ、と口から小さな音を出す赤子。一人ずつ順番にゲップさせるゼラ。
お腹がふくれたのか、二人とも目を閉じ、うとうととする。うむ、可愛い。
「運ぶぜ」
待ってましたと笑顔のクインと、私は嬉しくなんて無いわよ、のポーズのアシェンドネイルが来る。
二人に揺りかごまで運んでもらい、そのあとゼラの治療だ。クインとアシェンドネイルが小さなアルケニーに触れ、一人ずつ大切な宝物のように、そうっとゆっくりと揺りかごまで運ぶ。
二人とも子供を抱くと優しい笑みを見せ、クインとアシェンドネイルの慈母の微笑みという、珍しい横顔が見える。
「ねぇ、カダール」
「なんだ? ゼラ?」
「ゼラのおっぱい、飲んでみる?」
「……いや、その、何故?」
「カダールも、ちっちゃい頃、おっぱい飲んでたんでしょ?」
「そのはずだ」
「ハハウエと違うかどうか、比べてみて」
「ゼラ、俺が憶えていない。その、昔過ぎて、母乳の味なんて、記憶に無い」
「ンー、そうなの?」
「それに、赤ちゃんのご飯を横取りするような真似は」
「いっぱい出るから、大丈夫。カダール、飲んでみたくない?」
「……それじゃ、その、少しだけ」
ゼラの褐色の双丘に顔を近づける。その薄桃色の頂点から、白く滲むのは赤ちゃんの為の生命の水。ううむ、いけないことをしてしまうようで、動悸が高まる。心の中で二人の子に謝罪する。
そろそろと顔を近づけると、ゼラに後頭部を抱えられ、ムニュンとポムンに顔を埋めてしまう。口の中にじわりと広がるゼラの味。
「カダール、おいしい?」
「……不思議な、味がする……」
これは後の話になるが、ゼラがこの母乳を使ってチーズを作れないか、と試すことになる。
それにフェディエアが付き合わされ、俺とエクアドは、ゼラとフェディエアの作ったチーズを試食するという、奇妙な体験をすることになる。