第四十五話

文字数 5,678文字

 
「怪我人は大人しくしていろ」

 と、俺は二階の部屋に押し込まれた。ベッドに横になり上体を起こす。
 落ち着かない、下の階ではゼラが出産。ゼラに子供が産まれる。俺とゼラの子が。ここでじっとはしていられない。
 
「奥様からカダール様を安静にさせろ、と命じられました」

 護衛メイドのサレンがこの部屋で、見張るように側にいる。

「だが、サレン。落ち着いてはいられない。深都の住人も出産はしたことが無いという。ゼラが子供を産むのは、何が起きるか解らないと、クインもアシェンドネイルも言っていた」
「そこにカダール様がいても邪魔なだけでは?」
「男でも殺菌消毒すれば、同じ部屋にいても良いとルブセイラが」
「そのルブセイラが男は入れるな、と。それにゼラちゃんの寝室は、クインとアシェンドネイルが対毒、対病、対呪の結界を張り、出入りは最小限にと聞いてます」
「しかし、だな、」
「カダール様、あまり我が儘を言うと拳で眠らせますよ?」

 ぬう、この拳骨メイド。今の俺の状態ではサレンに勝てない。大人しくするしか無いが、心配だ。ゼラが心配だ。下半身の蜘蛛体の中に子供がいるというが、いったい蜘蛛体の何処から産まれてくるのだろうか? ゼラが自分の身体の中を改造して、ゼラ以外、誰も解らない。
 ゼラはフェディエアの妊娠と出産を参考にしたというが、それで子供ができるというのも謎だが。
 とにかく無事であって欲しい。こんなとき人は神に祈るのか。心配と不安が喉を締め付けているようで、焦燥だけが高まる。胸が苦しい。

「カダール様」
「なんだ? サレン」
「カダール様が一人で突っ込んで行くときに、見守る人の気持ちが、少しは解りましたか?」
「むぐ、心配させているのは解るが、それはそうしなければならない時であって」
「それを扇子で一発叩いて済ませて、良くやった、と褒める奥様は流石ですね。武人の母の鏡です」
「母上は肝が太いというか、天然というのか」
「私も子ができたなら、奥様のような母となり育てたいものですね」
「サレン、結婚するのか? 相手がいるのか?」
「未だ私より無手格闘の強い未婚の殿方に、なかなか巡り会えませんね。ローグシーの街なら猛者の中にいそうなものですが」

 サレンとの会話で気をまぎらわす。サレンが扉の前に布団を敷き、俺が出られないようにそこに寝る。

 一睡もできぬまま翌日の朝。朝食も取らずに一階のゼラの寝室前に。エクアドに肩を借りてヨロヨロと歩く。
 寝室の扉から出て来たのは母上。

「母上、ゼラは? 子供は? 明け方に赤子の鳴き声が聞こえたのですが」
「おはようカダール。朝の挨拶くらいしなさい」
「おはようございます、母上」

 眠れぬまま夜が明ける頃に、下から元気な泣き声が聞こえてきた。フェディエアとその子フォーティスは同じ二階にいるので、フォーティスの夜泣きでは無い。それなら、その泣き声は。
 母上は寝不足の目を擦りながら言う。

「子供は無事に産まれてゼラも無事。かなり血が出たけれど、今は出血も止まっていて、ゼラは眠っているわ。アシェとクインがゼラに魔法をかけているけれど、それがどんなものかまでは詳しく解らないわね」
「そうですか」

 ホッとして力が抜ける。倒れそうになってエクアドに支えられる。ゼラも子も無事、安心した。

「では、ゼラと産まれた子に会っても?」
「それはダメ」

 え?

「何故ですか母上?」
「ルブセィラが、まだ会わせられないと言うのよ」

 母上はやや不満そうに扇子を手で弄ぶ。

「私はルブセィラの心配は、無用な不安だと思うのだけどね」
「どういうことですか? 何故、俺がゼラと子供に会えないんですか?」
「ルブセィラの意見はアシェンドネイルもクインも賛成してて、とにかく産まれた子は丸一日カダールにも他の男にも見せないことになったのよ。スピルードル王国の習慣通りにね」
「母上、その理由を教えて下さい」

 母上はしばらく考えて、扇子を広げたり畳んだりして悩む。俺の顔をじっと見て。

「理由は、秘密にしましょうか」
「なんでですか、母上ェ?」
「丸一日、明日の朝まで考えてみなさい。ゼラの寝室を覗いても無駄よ。監視部屋の覗き窓も塞いで、ベッドのカーテンで隠して、クインもアシェンドネイルも隠蔽を手伝ってるから」
「どうしてそんな意地悪なことを?」
「どうしてかしらね。ルブセィラがその不安を感じて、クインもアシェンドネイルも同じ不安を抱いてしまって。でもその不安を感じさせたカダールにも、ちょっとは責任があるから」

 俺に、責任? どういうことだ?

「明日になれば会えるわ。でも明日の朝までこの部屋の中のことは秘密。さて、この部屋のアルケニー調査班にアステと、クインとアシェンドネイルの食事を運ばせないとね。ゼラには肉お粥で」
「母上、ちょっと母上」
「大丈夫、明日の朝には全て解るから。あ、無理にゼラの寝室に入ろうとしたら、クインの結界に吹き飛ばされるから、やめておきなさい」

 そう言って母上は調理場の方へと行ってしまった。あと一日待て? なぜだ?

「どういうことだ、エクアド?」
「いや、俺にも解らん。部屋に入れず中も覗けずでは」
「ルブセィラに何か聞いてないのか?」
「なにも無い。ルブセィラの不安? なんのことだ?」

 エクアドも首を傾げる。後ろについてきた護衛メイドのサレンが言う。

「とりあえず、朝食にしてはいかがですか? 内蔵にダメージがあるカダール様はお粥ですが」

 俺はわき腹の傷が治るまで禁酒にお粥だ。味気無い。ゼラ用の肉お粥を味付けして俺にも作ってもらおうか。朝食を食べながらエクアドと話してみたが、

「ゼラの産んだ子供が、カダールに見せられない姿、とか?」
「だったらそう言えばいい。それに俺も少しは考えた。ゼラの産む子はどんな姿かと」
「ゼラはもともとがタラテクト、だったな。産まれたのが卵だった、とか」
「それなら卵が孵化するまで、大事に見守らなければ」
「産まれたのが、タラテクトだった、というのは?」
「ゼラは強い魔獣をやっつけて食べて進化したという。ならばその子が進化できるように、父として手伝うまでだ」
「産まれたばかりのタラテクトが逃げまどい、今、皆で捕まえようとしている、とか?」
「それは、有り得るのか? 明日の朝までに寝室の皆で捕獲すると?」

 同じテーブルについてパンをモグモグ食べる護衛メイドのサレンが、盛大に溜め息を吐く。

「カダール様もエクアド様も、論ずるところがどんどんズレてませんか?」
「それなら、サレンには解るのか?」
「明け方に、ふぎゃあああ、と聞こえてきたので、口と喉は人に近い形なのでは?」
「「あ、」」

 確かに、あの泣き声は人の赤ちゃんのようだった。ゼラが妊娠出産の参考にしたのはフェディエアだ。

「ならば産まれた子は人の形、か?」
「私にはルブセィラ様の不安は理解できませんが、女が子供のことで夫に心配するのは、夫がその子を自分の子と、認めるかどうかでは?」
 
 サレンの意見に、脳天に稲妻が走ったような錯覚を覚える。その発想は無かった。産まれた子が、俺の子では無いかもしれないだと?

「とは言ってもゼラちゃんが不倫などする訳が無く、アルケニー監視部隊が見守る中、カダール様以外とゼラちゃんがムニャムニャしたことなど、無いのですが」
「そ、そうだ。その筈だ」

 ゼラには常にアルケニー監視部隊がついている。不倫など不可能。そんなことは疑ってもいなかった。エクアドがパンにチーズを挟みながら考える。ゼラがチーズ作りを始めてから、我が家のチーズの量が増えた。

「その線で合っているんじゃないか? カダールが自分の子と認めるかどうか不安だと」
「何を言うエクアド。俺はゼラの産んだ子なら、卵でもタラテクトでも、父親として育ててみせる。具体的にどうすればいいかは、ルブセィラに聞くしかないが」
「ルミリア様はカダールがそういう男だから、無用の心配と言ったのだろう。だが、ルブセィラはあれでカリアーニス公爵家の娘。貴族の血筋だ血縁だ、という中で育ってる。そういうのが心配なのかもな」
「ルブセィラとはそういう話をしたことは無いが、過去に何かあったのか?」
「公爵家の娘がこう言ってはなんだが、嫁ぎ遅れで研究一筋。実家で何があったか聞けないが、事情は何かありそうだ」

 言われてみれば、ルブセィラ女史が我が家に来た頃に王立魔獣研究院のことを聞いたら、男の年寄りは痴漢する役立たずのように言っていたか。
 ルブセィラ女史は過去に歳上の男と何かあったのか? これまでルブセィラ女史とは色恋の話はしたことが無い。俺がゼラと具体的にどう接触してどう感じたとか、そういうエロい話をしたことはある。ルブセィラ女史は研究者然として、ほうほう、と頷きメモを取りながらだが。

「つまり、俺の態度はルブセィラにそういう不安を与えていた、ということか?」

 チーズサンドパンを食べながら、サレンが頷く。

「アシェンドネイルとクインも同意した、というのはカダール様が産まれた子を受け入れて愛せるか、不安になった、ということかもしれませんね。アシェンドネイルは人間嫌いのようですが、ゼラちゃんのことは心配でしょうがないみたいですし」
「そこは姉妹の絆、だろうか」

 と、なれば明日の朝まで大人しく待つしか無いのか? そこで俺の態度で答えを見せるしか無いか? あと一日、ゼラとゼラの子に会えないのか。溜め息が出る。
 エクアドが席を立つ。

「俺はアルケニー監視部隊の戦闘班と、ハラード様のところに行ってくる。カダールは大人しくしていろよ」
「父上は街壁か?」
「ウィラーイン領兵団と一応警戒体制だ。撤退した聖剣士団はフクロウが後を追っている」

 父上もウィラーイン諜報部隊フクロウも今は忙しい。俺は怪我で療養しなければならんが、中央のこと、総聖堂のこと、撤退移動中の聖剣士団のこと、気になることばかりだ。

「カダール様、食べ終わったらお部屋に。私が側で見てますから」
「どうしてサレンに監視されて監禁されるようなことに」
「怪我が治るまで大人しくしてください」

 部屋に戻る前に聖剣士団団長クシュトフと話をする。出会ったときは黒蜘蛛の騎士として格好をつけることになり、少々居丈高になってしまった。
 そのことを侘び、優れた武人としての敬意をもって話をする。俺達がこれまで掴んだ中央の話などを伝える。
 その顔から険しさが少し取れた感じのクシュトフ。ときおり胸に手で触れる。ゼラの体毛が入っている辺りを。

「撤退した私の部下が、すぐに中央に帰還すれば良いのだが」
「その方が中央にも総聖堂にも良いのだろう」
「何か部下に伝える方法があれば」
「では、一筆書いてくれ。その手紙を届けさせよう」
「かたじけない。頼めた義理では無いのに」
「それは、構わない。問題は総聖堂の内部の腐敗の方だ」
「うむ……、昨日から考えていたが、私には中央の魔獣災害が、安寧に委ねて同胞の足を引っ張りあうことへの、罰と警告なのではないかと思えてきた」

 少し顔色の良くなった聖剣士クシュトフは、指を組み光の神に祈りを捧げる。
 聖剣士達とも少し話をし、ゼラがいかに素晴らしいか、愛らしいか、伝えておく。彼らはまだゼラに会っていない。アシェンドネイルとクインにも。
 同じ館の中でどう会わせないようにするか。魔獣に慣れて無い彼らとゼラを会わせる場を、どうセッティングすればいいのか。

 部屋に戻っても暇なので、ハイラスマート領から伝令に来た、いとこのティラステア、アプラース王子の隠密のササメとお茶を飲む。左手を首から吊り下げる俺がお茶を淹れられないので、ティラスに頼む。
 お茶を淹れるティラスが呆れて言う。

「なんで茶葉がこんなにあるの?」
「エルアーリュ王子とルブセイラから贈られてくるんだ」
「しかも、一流品ばかり……、ちょっとお土産にもらっていってもいい?」
「いいんじゃないか? 後で執事グラフトに聞いてみよう」

 俺を見張るサレンと四人で赤茶を飲む。一息ついてティラスが俺を見る。

「カダール君、また無茶なバカなことして」
「無茶かもしれんがバカとは、では他に何かいい方法でもあったか?」
「聖剣士団の団長に一騎討ち挑んで、勝ったあとの決闘に文句つけられたら、神の怒りの雷雨が襲うなんてとんでもない作戦、思いつく訳無いでしょう。何処の紙芝居なの」

 赤茶に口をつけるアプラースの王子の隠密ササメが妖艶に微笑む。なんだかやたらと色気を振りまくような仕草が気になる女だ。

「しかもそんな策が上手くいってしまうなんてね。くふふ、しかも誰一人死なずに、教会の敵になる者もいない。有り得ないほどに英雄譚よね」
「中央に異変が起こる中で、人同士が争う理由を作ってどうする」
「だからって、そんなにボロボロになっちゃって、くふふ、アプラース王子がまた惚れ直しそう」
「そうだ。ササメ、アプラース王子のところに戻る前に、頼みがある」
「何? 黒蜘蛛の騎士様?」
「聖剣士クシュトフの手紙を聖剣士団に届けて欲しい。神官に見つからないようにして。王都に戻る前に様子見に行くのだろう?」
「それぐらいいいわよ。だけど、明日ね」
「何故、明日なんだ?」
「くふふ、蜘蛛の姫の赤ちゃんを拝んでから行くに決まってるからよ」

 ササメの言葉にティラスが天井を仰ぎ見る。

「神前決闘が終わったら、ゼラちゃんに子供が産まれるって、カダール君の人生って、ほんとデタラメよねえ」

 これまでお伽噺とか英雄譚とか言われたことはあるが、そのデタラメというのが、一番しっくりくる気がする。
 明日が待ち遠しい。ゼラの顔が見たい。
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登場人物紹介

ゼラ

もとは蜘蛛の魔獣タラテクト。助けてくれた騎士カダールへの想いが高まり、進化を重ねて半人半獣の魔獣アルケニーへと進化した。上半身は褐色の肌の人間の少女、下半身は漆黒の体毛の大蜘蛛。お茶で酔い、服が嫌い。妥協案として裸エプロンに。ポムンがプルン。しゅぴっ。

カダール=ウィラーイン

ウィラーイン伯爵家の一人息子。剣のカダール、ドラゴンスレイヤー、どんな窮地からでも生還する不死身の騎士、と渾名は多い。八歳のときに助けた蜘蛛の子と再会したことで運命が変わる。後に黒蜘蛛の騎士、赤毛の英雄と呼ばれる。ブランデーを好む、ムッツリ騎士。伝説のおっぱいいっぱい男。

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