第三十話

文字数 6,689文字


 父上が砦の建設現場から戻ってきた。

「黒コボルトは従来のコボルトより勇ましい感じか。勝てぬと判断すればすぐ逃げるところは変わらんが。数を異常に増やし森から溢れるということも無し」

 コボルトの王種誕生の徴候は無く、砦の建設は順調だという。
 ローグシーの街では緩やかに時が過ぎる。
 ウィラーイン領からは王都は遠く、中央は更に遠い。あちらで何が起こるかと気にはなる。
 ウィラーイン諜報部隊フクロウの隊員が王都に潜み、母上は裏の守護婦人(ファイブガーディアン)の人脈を使い調べている。

「聖剣士団はまだ王都でうろちょろとしている。あらかた調査も終わった筈なのだが」

 ローグシーの街に来た隠密ハガクが呟く。領主館の庭、ゼラと母上が庭師と共に、花壇に花の種を植えている。それを見ながら隠密ハガクが話を続ける。

「聖剣士団のことはエルアーリュ王子とアプラース王子に任せておくといい」
「総聖堂はゼラを連れてこいと煩いのではないか?」
「再三要請はあるが、エルアーリュ王子が突っぱねている。それよりも魔獣深森の魔獣が強化しているというのはどうなんだ?」
「少しばかり強い変異種が増えているが、今のところは大きな被害は無い」
「だが、その魔獣の強化は今後はどうなる? 何処まで強くなるのか、強化された魔獣の王種が誕生すれば、どれ程の脅威となるかまるで読めない」

 隠密ハガクにはルブセィラ女史の報告書を渡し、ここ暫くの魔獣深森の様子を伝えたところ。東方人の特長の灰色の髪、灰色の眉の隠密ハガクはあまり表情を動かさないが、魔獣深森の異変に不安を感じているようだ。
 父上が椅子に座り、花壇に手を入れるゼラと母上を見て目を細めている。俺と隠密ハガクの話を聞いていた父上が、隠密ハガクに顔を向ける。

「なに、この西方では訓練場も増え民も強くなっておる。それにハンターギルドも警戒しながら魔獣深森を調べておる。ちょっと強い個体が増えても問題無い」
「問題は魔獣の強化だ。もしや、古代妄想狂の残党が何かしでかしたのか?」
「行方不明のドラゴン擬きの仲間のことか? ルブセィラとルミリアがコボルトの変異種、黒コボルトを調べたが、人造魔獣のような改造では無いようだ」
「まったく、行方不明に原因不明というのがタチが悪い。調べても何も出てこないというのが、また不気味だ。いっそラミアのアシェンドネイルが来て説明してくれると有り難いくらいだ」
「あのラミアが来ると別の騒動が起きそうだがの」
「魔獣深森についてはウィラーイン伯爵に頼むしか無いが」
「王都に中央で何が起ころうと、ウィラーイン領でワシのすることはあまり変わらぬ。あぁ、ハガクよ、エルアーリュ王子に言伝てを頼みたいのだが」

 男前な女シノービ、隠密ハガクが父上に頷く。

「構わないが、手紙では無く書面に残せない話か?」
「なに、ウィラーイン領のプラシュ銀鉱山の鉱石を、王都に回す量を減らしたくてな」
「エルアーリュ王子は中央への輸出を絞りたいから、理由があれば良いだろう」
「プラシュ銀製の武装を、ウィラーイン領含めた西方で少し揃えようかとの」
「なるほど、王国西方の武装強化か。解ったエルアーリュ王子に伝えよう」

 魔獣が強化するならこちらも強くなるしかあるまい。プラシュ銀合金の武器に鎧は性能が良い。中央への輸出を減らした分をこちらで使うと。
 隠密ハガクが俺に向き直る。

「さて、都合良くハラード伯爵がいるところで、カダールに俺から頼みがあるのだが」
「なんだ? エルアーリュ王子では無く、ハガクの頼みか?」
「あぁ、エルアーリュ王子より聞いたが、カダールに試合で勝てば、ゼラ嬢と新領主館の大浴場で混浴できると。それに俺が挑戦してもいいだろうか?」
「ハガク、ゼラとの混浴権を賭けた試合は、アルケニー監視部隊の男隊員がするものだ。女隊員はゼラが希望すれば構わない。ハガクは女だろう?」
「俺はカダールの部下では無いし、男より女が好きだと前に言ったことがあるから、男同様に警戒されているのかと思っていたが。いいのか?」
「ちょっと待て、ハガク、ゼラと混浴して何をするつもりだ?」
「それはもちろん、ゼラ嬢のように可愛らしい娘と混浴となれば、ちょっと触ったりとかするつもりだ」
「……ちょっと触るだけか?」
「ちょっと舐めたりしても良いのか? 心が広いのだな、黒蜘蛛の騎士カダールは」
「それは許さん。俺の目を盗んでそういうことをしようとする鍛冶師に女隊員はいたが、堂々と言ったのはお前が初めてだ、ハガク」
「流石に駄目か、そう睨むな」

 隠密ハガクが珍しく苦笑して、広げた手のひらを俺に向ける。
 話を聞いていた父上が、笑って椅子から立ち上がる。

「ははっ、ではこのハラードが立ち会おう。双方、武器を構えよ」
「父上ェ、ちょっと、」
「カダール、東方のシノービ、それも王子に仕える一流と技を競える機会はなかなか無いぞ」

 隠密ハガクが父上を見る。

「半分冗談で言ったのだが……」
「と、いうことは半分本気なのだな、ハガクよ。カダールに勝てたならば、ゼラとゆっくり我が館の自慢の浴場を使うといい」
「ほう」

 隠密ハガクが腰を沈め、両手に短刀を構える。

「流石は無双伯爵、話が解る。それでは久し振りに全力で挑ませてもらおうか」

 可愛い女の子が好きだ、と平然と言い放った女シノービが本気の目で俺を見る。父上は俺を鍛えるつもりで言っているのだろうが、俺のゼラにやらしいことなどさせん。俺は右手に長剣、左手に小剣を構え迎え撃つ。この試合、負けられん。

「カダール、がんばってー!」
「おう!」

 ゼラの声援を受けて力がみなぎる。期せずして挑む者が増えて、俺の修練に役立つことに。
 ゼラとの桃色生活で鈍ったとか言われるのも癪なので、有り難いと言えば有り難いのだが。
 ゼラと混浴したりちょっと触ったりとか許しはしても、やらしいのはダメだ。堂々と舐めると言った潔さは認めてもいいが、実行は許さん。

 ローグシーの街のハンターギルドと合同で魔獣深森の調査に出掛けたり、父上と共に建設中の砦へと赴き、ゼラが砦建設を手伝ったりして時が過ぎ。
 エクアドの家族、オストール男爵家がローグシーの街へとやって来た。

 夜の領主館、喫茶室。ランプの明かりの中、大きな窓からは白い満月が見える。領主館の男がここに集まる中で、黒髪に黒い口髭を綺麗に整えた伊達男がワインのボトルの栓を抜く。

「オストール家で作ってるワインだが、まだまだ改善中で味の方はイマイチなんだけど、味見してみてくれないか?」
「いただこう、ロンビア」

 エクアドの兄、オストール家の三兄弟の長男ロンビア。我が家に来たのはエクアドの兄のロンビアと、エクアドの母、男爵婦人のイアナ。
 ウィラーイン伯爵家を前にして、ここに来たときはガチガチに緊張していた二人。父上と母上が気楽にして欲しいと言い、この領主館に逗留して十日経つ。今では二人とも口調を改め、気楽に砕けて話ができるようになった。

「ウィラーイン伯爵家は敵に回すと恐ろしい、なんて聞いていたからさ」
「スピルードル王国の貴族とはそうではないのか?」
「その中でウィラーイン家は盾の中の最も堅き盾、というじゃないか。ハラード様もおひとつどうですか?」
「もらおうか。ふむ、ウィラーイン家は猛者が揃うとも呼ばれるから、一部では怖れられたりもするかの」

 そうでなければ魔獣深森の近くの領地を統べることなどできまい。……このワイン、辛口だかなんだか、ハッキリしない。風味も弱いような。
 ロンビアがエクアドに声をかける。エクアド一人が椅子に座らず、少し離れて落ち着き無く同じところを往復して歩いている。

「エクアド、お前も座って一杯付き合えよ」
「いや、俺はいい」
「いいから座れって。落ち着かないのは解るが、男の俺達にできることは無いぞ」
「兄貴はそう言うが、頭で解ってもどうにもならん」
「俺も初めて子供が産まれるときは、似たようなもんだったけどな」
「私も落ち着きませんよ。ですがこれで私もハラード様も孫ができるのですな」

 ワインを口にして言うのは、フェディエアの父、バストレード。いっときはゲッソリと痩せていたが、今は少し腹が出てきて以前のふくよかな感じに近づいている。
 エクアドは諦めたのか椅子に座りグラスを手に取り、そのグラスにロンビアがワインを注ぐ。男五人で月を見ながらワインに口をつける。

 領主館、一階の俺とゼラの寝室には、今、領主館の女性陣が集まっている。母上にルブセィラ女史、ゼラ、医療メイドのアステは母上の出産のときに俺を取り上げた乳母だ。ルブセィラ女史の配下、アルケニー調査班には治癒術師もいるし、そこに三人の息子の出産経験を持つエクアドの母イアナもいる。

 フェディエアがいよいよ出産。夫のエクアドは、はぁ、と息を吐く。

「万全の準備をしてもらったのは有り難いが」
「ルブセィラが言うように、エクアドが立ち会っても良かったのではないか?」

 スピルードル王国では出産の場に男は入らない。子供が無事に産まれたなら、男は子供を産んだばかりの母と、産まれたばかりの赤子と、丸一日は同じ部屋に入らない。これは夫であってもだ。ルブセィラ女史曰く。

『出産の為に母体か赤子が危険な状態となれば例外ですが、男は出産の場に近づかない。これはかつて、女は家を守り、男は外で魔獣を狩る、としていた時代の名残です。魔獣と戦う男の衣服に肌、そこに魔獣の血や唾液、体液体毛など付着し、そこから雑菌、病原菌が広がることを経験的に知っていたのでしょう。抵抗力の弱い赤子と出産で弱る母体を病気にしないようにと、男は出産の場に近づかないようにしました。これが受け継がれ今も妻の出産に夫は立ち会わない。無事に子供が産まれても丸一日は男は妻にも子供にも会えないということに。ですが殺菌消毒を丁寧に行えば、男であっても出産の場に立ち会っても問題は無いのです』

「ルブセィラに理屈は説明されて理解はしたが、これまでの習慣に従うことにした。フェディエアも俺には外で待ってろ、と言うし」
「俺達にできることは無事を祈ることだけか」

 父上がワインを飲み口を開く。

「たまには逆となるか、夫が戦いに出るのを妻は無事を願い祈る。出産は妻と子が無事であることを夫が祈る、と」
「ハラード様はどうでした? カダールが産まれるときなどは?」
「執事のグラフトが心配するほどにウロウロしとったの。ワシとルミリアにはなかなか子ができなかったし、心配で仕方なかったわい。エクアドもフェディエアが初産で不安になるのも解るの」

 俺もゼラに子供ができて出産となれば、エクアドのように不安を感じるのだろう。ゼラの出産というのがちょっと想像しにくいが。
 そのゼラが今はフェディエアの近くにいる。

「エクアド、ゼラがフェディエアの側にいるのが不安か?」
「いや、ゼラがフェディエアにおかしなことなどしないだろう。逆にゼラの治癒の魔法があるというのが、安心材料だ。そこは心配してはいないが、そう言えばゼラが見守る中での出産というのは、これが初めてのことか」

 ゼラが『フェディが赤ちゃん産むところ見たい!』と言い出して、そこは遠慮させようとしたのだが、フェディエアの方が良いと許した。

『何かあればゼラちゃんの治癒の魔法に頼りたいので』

 それでゼラが入れる部屋で、フェディエアが出産することに。ゼラの清潔にする魔法も使い、ゼラの寝室にベッドを運び入れた。隠し部屋から中を監視できる造りになってはいるが、これまでの慣例に従い男は近づかないようにしている。

「中の様子はサレンの報告待ちになるが、今のところ異常は無いというし」
「俺もこれほど落ち着かない気分は初めてだ。これならカダールと戦場にいた方がまだマシだ」

 いつもは泰然と構えるエクアドがこうなるとは珍しい。エクアドの兄ロンビアが笑む。

「ま、これで母さんも長年の不安が払拭されて、安心している。孫が無事に産まれたら万々歳だ」
「兄貴、母さんの長年の不安とはなんだ?」

 エクアドの母、オストール男爵婦人の長年の不安? 初耳だ。ロンビアを見れば言いにくそうに片手で口髭を摘まんでいる。

「あー、エクアドもカダールも、気を悪くしないで欲しいんだが、誤解だと解ったんだから」
「兄貴、母さんが何を誤解してたって?」
「それは、まぁ、貴族の子女に人気の物語『剣雷と槍風と』が、二人をモデルにしてるって話があるだろ? 男と男の暑苦しい友誼が行き過ぎた、あれ」
「あれを俺とカダールに重ねられても困るんだがな」
「エクアドは女にモテるのになかなか結婚の話も無かったし」
「結婚を考える相手と巡り会わなかっただけなんだが」
「それで『剣雷と槍風と』を見てしまった母さんが、エクアドは女よりも男が好きなのかと言い出してしまって。そこでいきなりエクアドがウィラーイン家の養子になった。母さんはこれを、その、エクアドとカダールの偽装結婚ではないかと疑っていて」

 俺とエクアドの偽装結婚? 男と男で結婚できないから、養子縁組で家族になると思われていた? 俺とエクアドがまるで夫婦だとでも? 背筋に寒気が走る。このままワインを呑んでも酔える気がしない。
 俺とエクアドの顔を見た父上とフェディエアの父、バストレードが揃って声を上げて笑う。これまで俺とエクアドがネタにされたことはあるが、エクアドの母には俺とエクアドが結婚するほどの仲と疑われていたのか。

「……カダール、すまん」
「いや、エクアドは悪くない」

 ロンビアはグラスを揺らしながら言葉を続ける。

「エクアドが女と結婚すると聞いて、母さんは驚いたが同時に安心もした。ローグシーに来てエクアドとフェディエアが仲のいいところを見て、エクアドとカダールの疑惑も晴れて、喜んでいる」
「勝手に疑って、勝手に安心して、酷くないか兄貴?」
「いや、エクアドにとってカダールは親友というのは解るが、二人は仲良し過ぎる気がして、俺もちょっと疑ってた。二人で死地を切り抜けて、深く絆を結んでしまったのかもしれないとか」
「騎士訓練校の同期で、共に戦う機会が多かったからこうなっただけなのだが……。もちろん信頼して背を預けて戦うのにカダール以上の男はいないが」

 俺もエクアドに続けて、

「常に競い会い、気心も知れて、共に戦場に立つのにエクアドほど頼りになる男はいないが、断じてそんな仲では無いぞ」
「二人ともそういうことをさらりと口にしてだな、ゼラちゃんが側にいても、食事も一緒、お風呂も一緒ってのはおかしくないか?」

 むう? それはエクアドがアルケニー監視部隊隊長で、俺とゼラから目を離せないからなんだが。それで側にいることになってしまうだけだ。
 執事グラフトが酒のツマミを持ってくる。焼いた腸詰め肉にゼラが作る練習をしてるチーズをテーブルに置いて、俺とエクアドに言う。

「私はお二人が解った上で、その手のファンにサービスしていたのかと考えていたのですが、違うのですか?」
「「違う」」
「そうですか、ではそちら方面は天然だったのですね。カダール様とエクアド様の深い仲には、フェディエア様も時おり嫉妬しそうになる、と溢しておりました」

 何故、俺とエクアドがおかしなサービスなどしなければならないのか。勝手に盛り上がって失礼な話じゃないか? それでフェディエアに嫉妬されてた? 俺が?
 エクアドが俺に向き直る。

「カダール、フェディエアと産まれる子供に勘違いはされたくない」
「そうだなエクアド。この件は少し対策を考える必要がある」
「既にいろいろと手遅れではないでしょうか? 今やお二人は兄弟で離れられない仲です」

 執事グラフトの言うことに父上とバストレードとロンビアが揃って笑う。ぐぬ、この酔っぱらいめ。
 いや俺は同性愛を否定する気は無いが、俺とエクアドでそれを想像して楽しんで盛り上がるというのが解らん。
 エクアドがフェディエアと結婚して子供ができたのだから、この噂もいずれ消えるだろう。たぶん。
 護衛メイドのサレンの報告を待ちながら、男達だけで盃を重ねる。

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登場人物紹介

ゼラ

もとは蜘蛛の魔獣タラテクト。助けてくれた騎士カダールへの想いが高まり、進化を重ねて半人半獣の魔獣アルケニーへと進化した。上半身は褐色の肌の人間の少女、下半身は漆黒の体毛の大蜘蛛。お茶で酔い、服が嫌い。妥協案として裸エプロンに。ポムンがプルン。しゅぴっ。

カダール=ウィラーイン

ウィラーイン伯爵家の一人息子。剣のカダール、ドラゴンスレイヤー、どんな窮地からでも生還する不死身の騎士、と渾名は多い。八歳のときに助けた蜘蛛の子と再会したことで運命が変わる。後に黒蜘蛛の騎士、赤毛の英雄と呼ばれる。ブランデーを好む、ムッツリ騎士。伝説のおっぱいいっぱい男。

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