第三話◇エルアーリュ王子主役回、前編
文字数 4,244文字
「この数字はおかしくないか?」
側にいる側近、文官のシャルイーに書類の数字を示す。メイモント王国との戦闘。ゴスメル平原での対アンデッド戦、ラグラン砦奪回、二つの戦いでの王軍の物資についてなのだが。
「この部隊の銀の武器の総数、何故、総人数で持ち運ぶのも難しい量になっている?」
「水増し請求ですか? 部隊長を呼び出しましょう」
女性文官のシャルイーに書類を渡す。シャルイーは冷たい半目で書類を見ている。その書類を書いた部隊長をどう抉ってやろうかという目だ。シャルイーも笑えば可愛らしいのだが、滅多に笑顔を見せない。
「なんでこんな訳の解らない数字に……」
「誤魔化すならバレないように上手くやれと言っておいてくれ。それができないなら真面目にやれ、と」
「文官を一人派遣して監督させましょう。よろしいですか? エルアーリュ王子」
「そうしてくれ、シャルイー」
私はエルアーリュ。スピルードル王国の二人の王子の兄の方だ。今は王族として城の執務室で政務中。長く伸ばした髪をかき上げ、次の書類に目を通す。
私は長髪なので後ろ姿は女に間違われることも多いが、私には長髪が似合うのだから仕方が無い。短くしてみようとしたこともあるが、シャルイーが髪を切ることに反対する。なんでも私が髪を短くすると、仕事のやる気が減少するらしい。髪をパサリと払って横目で見るとシャルイーも城のメイドも、何故か喜ぶのだ。部下の労働意欲が上がるなら、この髪型でよかろう。
執務室の扉の外から声が聞こえる。
「ラストニル、戻りました」
「入ってくれ」
戻ってきたのは壮年の騎士、ラストニル。彼は私の側近であり信の置ける片腕でもあり、軍師としては私の師匠。王軍編成時にはよく将軍をやってもらっている。壮年の貫禄がありウィラーイン伯爵と互する剣士でもある。
「レングロンド公爵は追い返しました」
「彼は暇なのか? こちらは忙しいというのに」
「レングロンド公爵に余裕を作ったのはエルアーリュ王子でしょう?」
「では、
「それはろくでもないことになりそうです」
「で、レングロンド公爵は何と?」
「アルケニーのゼラを王都に呼び出し、王立魔獣研究院に管理させよ、と」
「まだ言ってるのか。ゼラを利用しようというのが透けて見える」
王立魔獣研究院にはレングロンド公爵の縁者も多い。レングロンド公爵が魔獣研究院の出というのもあるが、そんなところに蜘蛛の姫を任せられん。事前にルブセィラをこちらに引き込めたのは僥倖か。
ルブセィラから王立魔獣研究院に報告書は送らせている。しかし、その報告書は肝心なところは秘してある。
黒蜘蛛の騎士カダールの血に何があるのかは未だに不明だが、重要なことについてはアルケニー監視部隊、ウィラーイン伯爵家、そして私の側近しか知らない。
そのルブセィラの曖昧な報告書に不満があるのか、私がアルケニーのゼラを使い何か企んでいると考えているのか。レングロンド公爵は度々、アルケニーのゼラの身柄を王立魔獣研究院に、と要請してくる。これを相手にするのは面倒だ。
文官シャルイーが心底、バカにしたように口に出す。
「ようやくアルケニーのゼラと良い関係ができたのにそれを壊そうなどとは。いち伯爵家になど任せてはおけないとか言ってましたが、ウィラーイン家のことを解ってませんね」
ラストニルが椅子に座る。
「プラシュ銀鉱山で潤い、黒蜘蛛の騎士カダールがアルケニーのゼラに乗り武名を上げる。ウィラーイン伯爵家が羨ましいのだろう」
「プラシュ銀鉱山はウィラーイン家が三代に渡り開拓したものですよ。今ではスピルードル王国がその恩恵を得ている。それを羨ましいから奪おうというのは浅ましい」
ウィラーイン伯爵の知略でメイモント軍を誘い、その長子カダールがアルケニーのゼラに乗りアンデッドの軍勢を蹴散らした。メイモント軍を早期に撃退し、王国への被害を減らした。
灰龍被害からの復興にウィラーイン伯爵に援助をした貴族も多い。これはウィラーイン領兵団の助けを得た貴族が借りを返そうとしたものだ。
魔獣深森に隣接するウィラーイン領の兵は猛者が揃う。近隣の魔獣被害にもウィラーイン領兵団が援護に駆けつけ、義の貴人ハラードと慕われている。民を守ることを第一とし、あまり王城に顔を出さないがウィラーイン伯爵夫妻の人望は侮れないものがある。
何より、このウィラーイン伯爵家の行いと成果を賞してこそ、王家は貴族の忠信を得られよう。
「この王国では役に立たない者が家名を名乗り、貴族の身分であることだけで偉そうにしていたりしますが」
文官シャルイーはその実力を見込んで側近にしている。私が身分を問わずに採用することを依怙贔屓と言う者もあるが、シャルイーは成果で有能さを見せてくれる。それもあってシャルイーは貴族の身分を傘にする者には手厳しい。
ラストニルが文官シャルイーを見る。
「家名にも血統にも誇るべきものはある。己が血筋の末に相応しき者として、躾と教育を行い、民の上に立つ力と知恵を備わせる。正しく家名を誇る者に後を継がせてこそ貴族、なのだが」
「その実力が足りない者が家名を頼りに、貴族としていいかげんにやってるのがいますが?」
「民を守るに相応しく無い者、いいかげんな者に家名を名乗らせたならば、親はその責任を取り、子を殺して自害しなければならん。それが嫌なら家名を返上して市井に落ちるべき、なのだが」
「その責任を感じない者ほど利権は手離したく無いようですね」
シャルイーが言うことには同意だが、言い方が辛辣か。ラストニルが言うのも正しいが厳しいか。ふむ、厳しさ。
「やはり私は厳しいのだろうか?」
私の問いかけにラストニルは何を今更、という顔で見る。文官シャルイーは軽く頷いて、
「エルアーリュ王子はそれで良いかと。上に立つ者は厳しくあらねば」
「だが、これで無能と相手にしなかった者が、今、弟アプラースを担いで派閥となってしまった」
私の弟、アプラース第二王子には面倒なことになってしまっている。アプラースも無能な男では無いのだが。王族とは如何に在るべきかと問い努力する男だ。ただ、私より器用では無いだけで。昔から要領良く物事をこなす私と比べられて鬱屈してしまったところはあるか。兄弟であるのに最近はろくに話もしていない。
ラストニルが私を見る。
「エルアーリュ王子は有能と見れば重用しますが、役に立たぬと見れば厳しいですから。人の上に立つ者となれば無能な者も上手く制御できねばなりません。もしくはさっさと追い出すか」
「その手の輩ほど保身には頭が回る。なかなか尻尾を掴ませてくれん」
「世の中には血筋と家名しか頼る者が無い、という者もいるということです」
「このスピルードルで王族、貴族、などと言って血筋を誇ったところで、強さが無ければ意味が無い」
私の言うことに文官シャルイーは怪訝な顔をする。ふむ、少し休憩にするか。ついでにアルケニーのゼラに贈る茶葉の味見としようか。
いつものように茶を淹れる。シャルイーに任せることもあるが、自分ですることが多い。王族が自ら茶を淹れるのは臣下を労い信頼を見せるというものだ。その所作を優雅に行うのも王族の嗜み。シャルイーとラストニルはそのときの為の練習台として付き合ってもらっている。
茶を淹れながら続きを話す。
「スピルードルの王族はその祖を辿れば、魔獣深森の魔獣相手に戦う蛮族の王。この地に住むのは昔、中央より罪人と追放された者の
「中央の真似をした結果に貴族という構造の悪い面も出て来てしまいました」
「本来、群れの長とは全力全能を持って群れを守る。それができるからこそ特権がある。その点でアルケニーのゼラは実に良い」
シャルイーに白茶を淹れたカップを渡す。
「ありがとうございます。それでアルケニーのゼラの良いところとは?」
「魔獣であるアルケニーには王族の威光も貴族の権威も通用しない。前に立てばただの一人の人間として試される。おもしろいことではないか」
ラストニルにも一杯渡し、私も椅子に座り一口茶を飲む。白茶は爽やかさがあり書類仕事の合間に飲むのはなかなか良い。
「アルケニーのゼラに言うことを聞かせられるのはカダールだけだ。そしてこの王都で二人の信を得て御せるのは、私しかいない。アルケニーのゼラへの対応、ひとつ間違えればこの国も“
「そんなことを楽しまないでください。恐ろしい」
「この国を守る為にも、アルケニーのゼラと黒蜘蛛の騎士カダールに手出しをする者は厳罰とする」
「それでは現状の体制を強化するということですね。アルケニーのゼラはウィラーイン伯爵家に預かってもらい、エルアーリュ王子の直轄部隊が監視を続ける」
「王立魔獣研究院からもルブセィラの研究班が出向している。これで口出しはさせん」
アルケニーのゼラの力は人の扱える枠を越える。スピルードル王国が討伐を躊躇した灰龍、生きる天災を骨に変える力は、人が使えるものでは無い。
だが、他所からは自在に使えると思わせておく。使わない最強の力がスピルードル王国に在る、ということにしておくが良策だろう。
王都よりも魔獣深森に近いウィラーイン領にゼラがいてくれるのも良い。カダールのナワバリを荒らす者に蜘蛛の姫は容赦しないだろう。
この二人に愛想を尽かされて他国に逃げられるのが最悪だ。カダールとゼラには、この私の目の届くところに居てもらわねば。
ラストニルが茶を飲み、思い出したように口を開く。
「いくつかの貴族がカダールに娘を嫁がせようとしているようですが?」
「そこは私からは口を出しにくい分野か。だが、ウィラーイン伯爵ならば上手くやるだろう」
「何やら楽しげな話になってるようで」
急に背後から聞こえる女の声。
「確かに騎士カダールには見合いの話が増えてるところ。だが、アルケニーのゼラ嬢に怯まない剛胆なご令嬢が、さてどれだけいるか」
「ハガク、来たか」