第五話

文字数 4,086文字


 久しぶりに戻ってきた、いつの間にか住み慣れた倉庫の中で。

「――ついに朝日が上り、妖精の騎士にかけられた呪いは解かれたのです」
「ウン、王女様、がんばった!」

 夜、寝る前にゼラに絵本を読む。ゼラは俺の膝の上に頭を乗せて、眠い目を擦って絵本を見ている。

「――妖精の女王が騎士にかけた呪いは無くなり、騎士と王女は共に国へと帰りました。二人は結ばれ、末長く幸せに幸せに暮らしました」
「結婚式、幸せ、むふん」

 ……なんだろう、この絵本。男の騎士の方が、妖精の女王に拐われたヒロインで、王女が囚われの騎士を助けに来た英雄みたいだ。読んでいて、身につまされる。俺とゼラの関係も、この絵本の二人に似ているような。
 ゼラを見るとさっきまで楽しそうだったのが、眉を顰めて困ったような顔をしている。

「どうした? ゼラ?」
「ンー、人間、村とか、町とか、国とか、皆がいっぱいで一緒に暮らす。ふしぎー」
「人は群れて暮らす生き物だから。一人一人は弱いが手を取り合い協力することで、一人ではできないことをする。そういう種族なんだ」

 ゼラも俺以外の人間に興味を持つようになり、エクアドの名前を憶えた。ルブセィラ女史もルブセと愛称で呼ぶ。人のことについて、疑問があれば母上かルブセィラ女史に聞いてみたりする。
 そのことで俺もルブセィラ女史に少し聞いてみた。

『ゼラさんはこれまで人の社会を遠くから眺めていて、まるで無知という訳では有りません。しかし、ものの考え方は人とは違うのでそこを理解しないと伝えるのが難しいですね』

 そんなに違うものか? ゼラは子供のように知らないだけでは、とも思うが。そこを踏まえてゼラに解りやすくなるように話してみる。こういうことを考えてみたとき、自分が当たり前と考えていたことを、意外と深く理解してはいなかったのか、と、思い知る。

「ゼラ、アリとかハチとか、知ってるよな?」
「ウン、いつもうじゃうじゃしてる」
「人間の社会はアリとかハチに近いんだ。それぞれに役割があって、女王とか王に仕えて、皆で協力する。巣を作るのが得意だったり、敵を追っ払うのが上手だったり、子育てが好きだったり。皆が自分の役割をこなすと群れの皆が安心して暮らせる」
「ふーん」

 ルブセィラ女史の言っていたことを思い出す。

『蜘蛛は独特の社会性のある生物です。そうですね、ドラゴンなど強い魔獣は群れることはありません。単独で生きる個体優先型、とでも言いますか、個人主義といいますか。子孫を作ろうとツガイと暮らすとき以外は群れることは無いです。蜘蛛もまた個体で生き、群れを必要とはしません。一体で王であり、兵であり、狩人であり、と個体で完結します。蜘蛛型の魔獣の場合、王種誕生から異常に増えたりしますが、これを群れというには蟻型、蜂型とは少し違いますね。ゼラさんも個体で生きる力を持つ魔獣。群れについて、社会について、感覚的に理解することは難しいでしょう』

 ゼラにとってツガイと親子、以外の集団というのは、よく解らないものらしい。だが、ゼラは半分人の身体を持つアルケニーとなり、こうして人語を解して会話ができる。人の思考を理解してきて、絵本もフェルトぐるみもあやとりも人の子供のように楽しむ。
 俺の膝に頭を乗せて何やら考えているゼラの頭を撫でる。

「人は一人ではできないことも多い。それを皆が集まって協力すると、できるようになる。だから、人は村や町で集まって暮らすんだ」
「ウン」
「中には他人と上手くやれなかったり、一人でじっくりと研究したいとか、悪いことして追放されたりとかして、群れから離れて暮らすのも、たまにいるが」
「結婚式して、ツガイになって、子供ができる。家族も、群れ?」
「群れの最小単位か。そうだな、家族がいっぱい集まって人の社会になる」
「ウーン」
「ゼラ、何を悩んでいる?」
「ンー、ゼラ、カダールの結婚式、無しにした」

 あのときのことか、俺とフェディエアの結婚式。聖堂の天井のステンドグラスを破ってゼラが乱入した、俺がゼラと再会したときの。

「カダールの家族作るの邪魔した。フェ? フェディ? も、カダールと結婚式できなくなった」
「そうだな。だが、あれは政略的なもので、しかもバストルン商会がラミアに操られていたようだし」
「結婚式、幸せ。だけどゼラ、カダールの結婚式、邪魔した」
「そんなこと気にしてたのか?」
「気にしてなかった。だけど、なんだか、気になってきた。ゼラが邪魔して、カダールとフェディ、幸せになれない?」
「結婚式だけが人の幸せじゃないんだが」

 絵本のせいか? 結婚式がハッピーエンドというのが多かったか? これは他にもゼラに読み聞かせる本を見繕わないと。結婚式だけが人の幸せでは無いのだから。

「ゼラのおかげで俺は幸せだ」
「ンー、じゃあ、フェディは?」
「フェディエアは……」

 フェディエアはラミアのアシェンドネイルのせいで酷い目に遭っている。この酷い目、というのも男の俺では女の悲惨は想像しきれないのかもしれないが。

「フェディエアとバストルン商会がラミアに利用された不幸な被害者というのは解った。父上と少し話したが、もとバストルン商会の者にはウィラーイン家ができるだけのことをする」
「ゼラが結婚式、ダメにしたから、カダールとフェディ、幸せじゃない?」
「俺は幸せだし、フェディエアのことはゼラのせいじゃ無くて、ゼラが気にすることじゃ無い」
「ンー、でもでも、カダール、人間で、フェディ、人間で、ゼラは魔獣」

 悲しそうな顔になってきたゼラの頬を両手でうにうにとする。目を細めてされるがままになるゼラ。

「むにぃ。人間、社会? いろいろ難しい。カダールとフェディ、結婚、必要なの?」
「バストルン商会の資金を当てにした結婚だったのが、問題の灰龍がいなくなったから、必要では無くなった」
「カダールの幸せなら、ゼラ、がまんする」
「何をがまんするって?」
「ンー、フェディも、ツガイなること?」
「ゼラ、泣きそうな顔でがまんするとか言ってもだな。ゼラにそんな顔をさせてたら俺が幸せになれない」

 ゼラのほっぺをさらにうにうにとする。うむ、柔らかい。ちょっと変な顔になっても可愛い。

「俺はそういうところは器用にできない。フェディエアだって気の無い俺と結婚しても、幸せにはなれないだろう」
「ンーむぅ、フェディ、カダールと結婚式しない?」
「俺はゼラとしかする気は無い」

 ゼラは少しホッとした顔をする。だが、まだ眉を顰めている。

「ゼラ、フェディエアのことを気にしてるのか?」
「ンー、よくわかんない。なんだかモヤモヤするの」

 驚いた。ゼラもエクアド、父上、母上、アルケニー監視部隊と仲良くなってきたが、俺以外の人のことも心配するようになってきた。母上のことを心配してローグシーまで走ってきた。だが母上だけで無くフェディエアのことも心配だとは。これはゼラも、ゼラ自身が人の群れの一員と思うようになってきた、ということだろうか。
 ゼラの頭をぐしぐしと撫でる。

「フェディエアのことは父上が戻ってから皆で相談しよう。フェディエアがこれからどうしたいのかも聞いてみて、考えようか。今日はもう寝よう。ゼラ、明かりを消して」
「ウン、ぬー」

 ゼラの作った魔法の明かりの玉がフッと暗くなり消える。

「おやすみー、カダール」
「おやすみ、ゼラ」
「ちゅー」

 ゼラが顔を近づけて、薄く光る赤紫の目が細められる。柔らかな唇に唇を重ねる。
 その、ゼラと二回目をして以来、キスはツガイのする挨拶のようなもの、と教えてから、ゼラはキスが好きになった。これも人前でするのは恥ずかしいとも教えてある。

「ちゅーは誰も見てないところでするんだよね?」
「人に見せびらかすものじゃ無いんだ」
「ンー、チチウエとハハウエは?」
「あの二人は例外、ということで」

 互いに舌を舐めあうような深いのをすると、またムラムラモヤモヤして眠れなくなってしまうので、軽いのに止めておく。ちゅ、と小さな音を立てて唇を離す。
 いつものように横になった俺の胸を枕にする位置に、ゼラはモゾモゾと動いて俺の心臓の音を聞くように耳を胸にあてる。

 ゼラも人の中で暮らしていくうちに人のことを考えるようになったのか。半人半獣の魔獣、アルケニーのゼラ。
 それは人に近くとも人では無く、魔獣であってももはや完全な魔獣では無い。ある意味では人でも魔獣でも無い存在。
 どちらからも外れた仲間のいない生き方。
 ゼラにそれを選ばせたのは俺か。

 ゼラと同じ進化する魔獣、ゼラの姉を名乗るラミアのアシェンドネイル。
 人を駒のように弄ぶアシェンドネイルのしたことは許されない。赦すことはできない。
 だが、アシェンドネイルの俺を見る目を思い出す。遠く懐かしいものを見るような物悲しい目をしていた。あのラミアはいったい何をしたかったのか? 何を考えていたのか? それが解らないし、それが気になる。その意図が読めないから、次に何をしてくるかも不明。
 こちらが気づかぬ内に人の精神を操作する。
 人に化けて王の側室となり、国を滅ぼしたというアルケニーのお伽噺。それもあのアシェンドネイルなら簡単に出来てしまえそうだ。
 そんな危険なラミアだというのに、フェディエアにしたことは許せることでは無いのに、何故か敵とは思えない。
 不適に微笑みを浮かべていたが、あの赤い瞳は泣いているようにも見えて。
 俺はまたおかしな精神操作でもかけられているのだろうか?

 父上が戻ったらフェディエアとその父、それとバストルン商会の者について相談しよう。
 ラミアへの対策も考えねば、エルアーリュ王子と教会にも報告しなければ。
 フェディエア、一度は俺と結婚することになってた娘。
 気丈に振る舞っていたがどうなのだろうか。

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登場人物紹介

ゼラ

もとは蜘蛛の魔獣タラテクト。助けてくれた騎士カダールへの想いが高まり、進化を重ねて半人半獣の魔獣アルケニーへと進化した。上半身は褐色の肌の人間の少女、下半身は漆黒の体毛の大蜘蛛。お茶で酔い、服が嫌い。妥協案として裸エプロンに。ポムンがプルン。しゅぴっ。

カダール=ウィラーイン

ウィラーイン伯爵家の一人息子。剣のカダール、ドラゴンスレイヤー、どんな窮地からでも生還する不死身の騎士、と渾名は多い。八歳のときに助けた蜘蛛の子と再会したことで運命が変わる。後に黒蜘蛛の騎士、赤毛の英雄と呼ばれる。ブランデーを好む、ムッツリ騎士。伝説のおっぱいいっぱい男。

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