第七話
文字数 6,172文字
倉庫の中でエクアドと書類を見る。手元の書類を見れば、王都の騎士訓練校で見知った顔もある。
「アルケニー監視部隊に転属希望がこれほどいるとは」
俺の呟きにエクアドがニヤリと笑う。
「ゼラの活躍が噂になるエルアーリュ王子直轄の部隊。血筋を問わない実力優先。なによりこの部隊に入れば、王国で話題の蜘蛛の姫と黒蜘蛛の騎士の一味になれる」
「これも母上の絵本とミュージカルの効果か?」
「対メイモント戦のやらかしぶりに、支援活動が上手く行き過ぎたのが噂になっている」
ゼラも書類を持って読もうと頑張っているが、まだスラスラと文字は読めない。
「い、いかなる、なん? な?」
「如何なる難敵にも」
「いかなるなんてきにも、き? み? ひ?」
「怯まず立ち向かう勇気有り」
「ンー、どういう意味?」
「どんな敵が相手でも俺はがんばれます、と、アピールしているんだ」
「なんでわざわざ難しく書くの?」
「難しく書くと、格式高くてカッコ良さげだから、かな?」
「ムー、解りやすく書いてくれないと、どんな人か解んないー」
「それもまた真理だな」
むくれるゼラの頭を撫でて、ゼラが読めないところを教えつつ、アルケニー監視部隊に入隊希望する者の書類を見る。
「まぁ、ここでこれを見たところで本人に直接会ってみなければ、どんな奴かは解らん。それにクチバとハガクが調べてくれているんだろう?」
テーブルに腰かけるクチバがお茶を飲み頷く。
「そーですね、そこはしっかりと。とは言っても現在アルケニー監視部隊が望む人員は、建築、土木、治癒術士といった専門家。戦闘要員はカダール様、エクアド隊長の顔見知りの騎士か、今の隊員の知り合いのハンターを入れるので、調べる数は少なくて助かります」
「アプラース第二王子の派閥の者は入れたく無いところだ」
「それと教会ですね。ところで、いつまでアルケニー監視部隊なのでしょう?」
「どういう意味だ?」
「もはや監視も必要無いのでは? 蜘蛛の姫近衛隊などの名称はどうでしょう?」
エクアドと顔を会わせる。隠密ハガクがウィラーイン諜報部隊フクロウの教導に来たときは、ゼラちゃんを見守り隊とか珍しく冗談を言っていたが。エクアドがクチバに、
「対外的には俺達はゼラが暴走したときに対処する部隊で、名称を決めるのはエルアーリュ王子だ」
「それに絵本とミュージカルの影響でゼラは蜘蛛の姫なんて呼ばれるが、王家の者で無い者に姫とか近衛隊というのは、部隊の名前としてはよろしくない」
俺も続けて説明する。それに研究対象として今もゼラの監視は続いている。これはルブセィラ女史とアルケニー調査班の魔獣研究に役立つ、らしい。
ルブセィラ女史が王都の王立魔獣研究院には秘密にしてることも多く、それで王立魔獣研究院から一度ゼラを調べさせて欲しい、と言われているが無視している。
クチバはお茶を飲み、ふうん、と息を吐く。
「ゼラちゃんが教会に聖獣認定されたら、監視部隊の名称も変わりそうですが。あぁ、教会の方もこちらを探る手が増えていますね」
「教会に限らず、ゼラを取り込もうという貴族も多い。支援活動でゼラの有用性を宣伝してしまったからな」
エクアドが言う通り、治療に井戸堀り、防壁作りとゼラができることは多い。ゼラが俺の言うことを聞く、と思う輩は俺の誘拐計画なんぞを考えてるところもあるらしい。
ゼラがクチバの湯飲みに緑茶のお代わりを注ぐ。
「ンー? ゼラ、褒められてる?」
「ゼラはどこでも人気があって、俺は誰かにとられないか心配だ」
「ゼラはカダールとずっと一緒、むふん」
俺もゼラにお茶を入れてもらう。ゼラが淹れるお茶は少し濃いめで、ゼラに注いでもらうと一段と美味しい。クチバが手にする湯飲みをしげしげと見る。
「かつてのウィラーイン家では考えられませんね。高級なお茶が気軽に飲めるようになるとは」
「ルブセィラ女史もエルアーリュ王子も、ゼラの為に茶葉を送ってくるが、既にゼラ一人では飲みきれんほどあるから」
ゼラはお茶が好きだが、ゼラにとってはお茶は酒と同じなので、量を飲ませる訳にはいかない。泥酔すると危険なので、ほろ酔いで留めないと。
俺達が飲んでるお茶はゼラへの贈り物を分けてもらったものだ。この辺境で上質の茶葉が各種類揃うというのも珍しい。
クチバが湯飲みを置いて立ち上がる。
「ここで緑茶が飲めるのは嬉しいですね」
「お茶の木栽培が上手くいけば、ウィラーインでも茶は庶民が飲めるようになるかもしれん。ところで、遺跡の方は?」
「手がかりも無く、アシェンドネイルの足取りも追えません。レグジートの仲間の四人は今も行方不明です」
「またウェアウルフなど造られてはかなわん」
「ハガクがレグジートと仲間の四人の身元を探っています。それと魔獣深森深部の調査は難しいですね。ウィラーイン家より未発見の遺跡を発見した者に賞金が出る、ということでハンターギルドは頑張ってくれていますが」
「それで無理をされてハンターに被害が出るのも困るところだ」
「あの事件から一ヶ月、残る四人もアシェンドネイルが後始末してくれたのなら、憂いは無いのですが」
探索の為に俺達を使っていたアシェンドネイルは、何も言わずに姿を消した。ルボゥサスラァの瞳に呼び掛けても何も返事は無い。
俺達では赤い宝石の使い方は解らず、俺が握っても、もう赤い光は出てこない。今はルボゥサスラァの瞳はルブセィラ女史に預けてある。
「もうアシェンドネイルがメイドに化けて潜入しに来ることも無いだろう」
「ウン、もうゼラは騙されないから」
胸を張って宣言するゼラ。頼もしい。軽く握った拳で任せてという感じで自分の胸を叩く。
ゼラはこういう人の仕草も憶えて真似するようになった。トンと胸を叩くとポムンがプルンとする。今日のゼラの衣装は赤いビスチェに巻きスカートだ。これはこれでカッコいい。小さなおへそが見える。
「えーと、カダール様? 午後の来客の前では顔を引き締めて下さいね?」
「う、む、気をつける」
そうだった。これから教会の神官が来るのだった。
「午後にこちらに来る神官は問題は無いようです。以前、ゼラちゃんを聖獣申請した王軍の治癒術士、その弟子にあたる方ですね。教会の中でも中央派では無く盾派です」
「教会の内部事情についても、少し教えて欲しいところだ」
母上、エクアド、俺とゼラが揃い来客を迎える。庭にテーブルセットを用意して。
神官の服に身を包んだ女性、このローグシーの街の教会の女神官を迎える。
「お久しぶりです」
「お久しぶりとは? 申し訳無いがあなたとは初対面では?」
女神官はショートカットの銀の髪を揺らして微笑む。人当たりの良さそうな感じだ。
「私も対メイモント戦の治療部隊にいたのですよ。ゼラ様の治癒の魔法を見せていただきました」
「アンデッド戦のときですか」
「はい、あのときは治療部隊の隊長の我が師のお手伝いを」
椅子に座り果実水を飲みつつ、対メイモント戦のことを話す。ゼラは俺の背中にくっつくように、いつものポジションだ。む、ビスチェ越しだと後頭部に触れるポムンの感触が違う。
女神官は落ち着いて微笑みながら果実水を飲む。その目がチラチラとゼラを見る。
「あのとき、ゼラ様の治癒の魔法は、あれは神の奇跡にしか見えない、と我が師と同僚、皆が興奮して語りあったものです」
「それは人の魔術では届かぬ魔法の領域のことですから」
「いいえ、確かに魔獣の使う魔法は人の域を越えるものです。ですが、ゼラ様の魔法は聖獣の加護と呼ぶに相応しいものです」
「随分と持ち上げますね」
「魔獣の魔法が人を癒し、人を死の淵から救うなど、ありませんから。まるで人に恋した白毛龍のお伽噺のようです。ですから我が師はゼラ様を聖獣に、と」
俺の頭の上からゼラが、
「ゼラ、せいじゅうになれる?」
「ええ、人を癒し、救い、また支援活動で多くの村と町を回り人を助けた黒の聖女が、聖なる者で無ければなんだというのでしょう」
ゼラが、せいじゅー、と口にして母上がそれを見て微笑む。
「中央の教会、総聖堂でも同じなのかしら?」
「それは、我が師が総聖堂にゼラ様を聖獣と申請したのですが」
母上の言葉に女神官は顔を曇らせる。
「光の神教会は中央と、このスピルードル王国とで、少しズレてきてますから。魔獣の少ない中央と、魔獣深森に近い盾の国とは、そこに住む人達の生活も違いますもの」
「魔獣は闇の神の尖兵、というのが教会の教えですものね」
「人を襲う魔獣は人の天敵です。ですが、スピルードル王国では魔獣素材で作られた物を日常で使うこともあります。魔獣である長角牛、グリーンラビットの肉も口にします。魔獣との距離が、中央と盾の国では大きく違います。かつて光の神教会は中央からスピルードル王国に来ましたが、時と共にスピルードル王国に住む人達の暮らしに合わせたものへと、少し変化しました」
「盾の教会は緩い、中央の教会は厳しい、と噂で聞きますわね」
女神官は果実水を一口飲み目を細める。
「光の神の教えは変わりません。人を幸せに導き、人の生き方を指し示すものです。それ故に土地柄で、暮らし方の違いで教えの見方、解釈も変わります。南のジャスパル王国では精霊信仰が根強いですが、光の神は光の精霊の仲間、という感じで受け入れられてますね」
「なんだか、神官の口にすることでは無さそうな」
「私も我が師も、現実的な盾派ですから。理想的な中央派はこの地のことを知らないのですよ。魔獣を全滅させるなど、できることではありません」
「教会の中でも派閥がありますか」
「組織が大きくなれば出てくる問題でしょうね。もうひとつ、教会では至蒼聖王家の一角獣を神が遣わした聖獣としています。中央から見て西の辺境に聖獣の存在を認めるのは、中央の権威が落ちると嫌がっているようですね」
どうにも政治的なものが絡んできた。話が難しくなってきて飽きたのか、ゼラは俺の髪の毛を指で摘まんで遊びだした。
女神官は申し訳無さそうに、
「教会の中にはゼラ様の噂を聞き、ゼラ様を聖獣と認定する代わりに中央の教会、総聖堂に取り込もうと言い出す者もいます」
「それは教会の要請でも認められないな。ゼラが住むのはこのローグシーだけだ」
エクアドの言う通りだ。ゼラと中央に引っ越しして教会の言いなりになるなど御免だ。だが、これで教会とスピルードル王国でゼラの取り合いとか始められても困る。
「私達、ローグシーの教会の者にとっても、ゼラ様はこの街にいて欲しいと願っています。我が師が中央の総聖堂から戻れば、ゼラ様の聖獣認定についてを聞けるでしょう」
「ゼラが聖獣となることで教会から束縛される事態は、望まないのですが」
「私も同じ思いです。何者にも囚われることなく、ゼラ様がカダール様の為にと自ら行うからこそ、尊いのです」
女神官は手を組みゼラを見上げて祈るように。
「一途な想いを胸に、行う献身をこそ喜びとする。神に仕える者として理想の姿です。見習わねばなりません」
祈られたゼラは、キョトンとしている。この女神官は、大げさに言っているが目が本気だ。
「ローグシーの教会はゼラ様を中央に売り渡すような真似はしませんとも」
「その為に中央の教会と対立、などとなるのは困りものでは?」
「如何な者が数を揃えて喚いたところで、ゼラ様を捕らえるなどできますまい。教会としてもゼラ様と対立など望みません。それでですね、私をアルケニー監視部隊の一員に雇ってみませんか?」
「はあ?」
「ローグシーの教会から出向という形で。治癒術と
これまでゼラが支援活動をしたことで、ゼラのことを滅ぼすべき魔獣とは教会も言えなくなっている筈。母上の宣伝工作もあり、ゼラを敵にするのはローグシーの街を敵に回すようなものになっている。いや、この街でここまで蜘蛛の姫人気が高まるとは。ゼラの純粋さは見れば解るということだろうか。
エクアドと目を合わせる。これは隊長に言ってもらった方がいい。
「えー、アルケニー監視部隊に迎える件については、すぐに返事はできない。が、前向きに検討させてもらう」
「よろしくお願いします。あ、それと不躾なのですが、私からお願いがありまして、」
女神官は二冊の本を取り出して、少し恥ずかしそうに言う。
「あの、ウィルマ=テイラー様のサインをいただけないかと……」
「あら? 私のファンだったの?」
母上が小さく驚く。ウィルマ=テイラーとは母上のペンネームだ。女神官が手に持つのは絵本『蜘蛛の姫の恩返し』一巻と二巻。絵本で顔の下半分を隠した女神官は頬を赤くしている。
「絵本も好きですし、ミュージカルも観ました。愛する人を想う心が皆を幸せにする、すっかり蜘蛛の姫のファンです。今日はゼラ様に間近で会えると興奮して、昨日の夜は眠れませんでした」
女神官が持ってきた絵本に母上がサラサラとサインを入れる。母上がペンをゼラに渡して、
「ゼラもサインを書いてあげて」
「サイン?」
「ゼラの名前を書くの」
「ウン、どこに?」
ゼラが絵本に大きくゼラと書くのを、女神官は聖なる儀式を崇めるように真剣に見つめている。エクアドが俺に近づいて小声で囁く。
(ローグシーの教会はこちら側か)
(そのようだ。王都の方はどうだろうか?)
(あちらでも絵本は売れているとクチバが言っていた。問題は大陸中央の総聖堂か)
(そのうち聖獣か魔獣かと、正式に調べに来るのではないか?)
「ン、書けた。これでいい?」
「上手いぞゼラ。ちゃんと名前を書けるようになった」
「カダールと結婚したら、ゼラ=ウィラーインって書くんだよね?」
「そうだ。もう
「せいじゅうになれたら、聖堂で結婚式できるんだよね?」
女神官が嬉々としてゼラに言う。
「そのときは是非ともローグシーの聖堂で! 天井のステンドグラスは新しく作り、今は正面扉をゼラ様が入れるようにと、大きく作り直しています」
「ア、そうだ。天井、壊してゴメンナサイ」
「いえいえ、ゼラ様が割ったステンドグラスは聖堂の中に展示したところ、参拝する人が増えまして。今では蜘蛛の姫が降り立った聖堂と、ローグシーの街の名所のひとつになってますから」
展示してたのか、ゼラの割ったステンドグラス……。
「割れたステンドグラスに祈ると、片想いの恋が実ると評判になりまして。なので色つきガラスでお守りを作ろうかという話も出てます。ゼラ様が正式に聖獣認定となれば人気が出そうです」
庭で神官が生き生きと語る。
ローグシーの街は神官もたくましい。