第二十三話
文字数 3,566文字
「しゅぴっ!」
宙に高く跳び上がり天井すれすれで、ゼラが腕を振るう。その手から蜘蛛の巣状の投網がいくつも飛び黒ローブに巻き付く。魔術で迎撃しようとしていた黒ローブ達は詠唱を止められ、印を切る手も動かせなくなり蜘蛛の巣に巻かれて地面に倒れてもがく。
「む、ワシの出番が無いではないか」
父上、剣に自負があるのは解りますが、相手を侮り過ぎてませんか?
「カダールー!」
ゼラが落下してくる。俺の目の前に。姿形は変わってもゴブリンの時も
蜘蛛の脚を石畳に着けて着地するゼラ。右手を真っ直ぐに俺の額に伸ばす。俺の身体は棒立ちのままだ。邪神官ダムフォスか白髪女アシェが俺に指示を出すでも無く、俺を人質にとるでも無い。そんな暇を与えない位にゼラが速かったのか。
ゼラの褐色の腕が伸びる。親指が中指を抑えて。
「ぬっす!」
ゼラの中指の爪に小さな緑の光が灯る。その指が俺の額をパチン! と打つ。
「いったぁ!」
細い腕とは思えない痛みが額を打つ。頭が揺れてクラクラする。二歩後ろによろけて下がり、倒れぬように踏ん張って。だが、これで“
「“
「カダールー!」
がっしとゼラにタックルされて抱き上げられる。胸にゼラの頭突きが、そして絞められて息が苦しい。だが、この苦しさも何か心地好い。目に涙を滲ませて頬を擦り寄せるゼラを抱き返す。カダール、カダール、と、名を呼ぶゼラ。応えるように背を撫でて親指でゼラの目尻の涙を拭う。
「ゼラ、来てくれてありがとう」
「ウン、カダール、さみしかった」
ゼラの額に俺の額を重ねる。今の俺はゼラの側にいると肌に触れて感じてもらう。ゼラにも俺の無事が解ったようで、しがみつく腕から力が抜ける。
「……ゼラにカダールを任せて、残りは俺が、と考えていたんだがな」
エクアドがポツリと肩に槍をかついで言う。黒ローブは全員、蜘蛛の巣投網でモガモガしている。あっさりと終わったものだ。後は牢の中の者とフェディエアの無事を確保しなければ。
祭壇の前に立つ邪神官ダムフォスはこれで観念したかと見れば、奴は堂々と立ったまま口を歪めて笑う。
「ククッ、かかったな愚者め! 唸れボサスランの陣よ! イルアルア、フムド、ボサスラーン!」
ダムフォスの声が響き足下の魔術陣が灰色に光る。
「あああ!?」
ゼラがベシャリと地に伏せる。蜘蛛の腹を地面に着け、両手を石畳につける。
「ゼラ!?」
「あ、う、重い?」
灰色に光る魔術陣の中、ゼラは見えない重石を乗せられてそれに耐えるように地に伏せ腕を着く。
「カダー、ル、動けない……」
「ゼラ! 何だ、これは?! ゼラ!」
かろうじて顔だけ上げるゼラ、その身体は細かく震えている。同じ魔術陣の中にいるのに、俺には何も無い? ゼラだけが動けない?
勝ち誇るように笑うのはダムフォス。
「クハハハハ! ボサスランの陣に抗える魔獣などいない!」
「貴様!」
武器を手にする余裕も無く、素手でダムフォスを殴りつけようと祭壇前へと駆け出す。そのダムフォスの前に白髪女アシェがスッと立ち告げる。
「動くな、カダール」
「ぬう!?」
動くな、と言われただけで俺の身体は動かなくなる。手も足もピクリとも動かず、その場に立ちすくむ。首から上しか動かせない。これは、魔術の“
「「カダール!」」
父上とエクアドの声、二人は灰色に光る魔術陣を回り込みダムフォスとアシェに向かう。
ダムフォスが懐に手を入れ叫ぶ。
「ゼンドル! ボルマ! 我を守れ!」
祭壇の奥、無貌の女神像の後ろの暗がりから影が動き、父上とエクアドの前に飛ぶ。二人の足が止まる。
父上の前にいるのは、
「マンティコアだと!」
獅子の胴体にサソリの尾、老人の顔を持つ魔獣。遺跡迷宮の奥に潜む、魔法を使う魔獣。
エクアドの前には、
「何故ここに四腕オーガが!?」
こめかみから二本の角を生やす大柄の赤い体躯。一つ目四腕の異形の大男。魔獣深森の深部に住む人食いの亜人型魔獣。
マンティコアも四腕オーガも熟練のハンターでも苦戦する魔獣。それがダムフォスの声に従い父上とエクアドを阻む。
「この幻影も、もういらないかしら?」
灰色に輝く魔術陣。その外に立つ白髪女、アシェが手で自分の青いドレスを撫でる。その青いドレスは揺らめき青い煙のように漂い消える。
全裸の白髪女がそこに立つ。腰まで届く長い白い髪、暗い赤色の目は薄く輝き、真っ白な肌に小振りの胸。
そして腰から下は、黒い鱗の大蛇。
「ラミアか!」
「あら、知ってるの? 私はそんなに有名だったかしら?」
ラミア、目撃例は少ないが凶悪な魔獣と伝えられている。知能は高く狡猾で魔法を使いこなす。アルケニーと似た伝承の魔獣。アルケニーと同じく女の上半身で男を誘惑して食らうという、下半身が大蛇の人食いの魔獣。
白髪女、アシェ、その正体はラミア。
ルブセィラ女史が言っていた、人の魔術で人の精神支配が成功したという話は聞いたことが無い、と。だが“
ラミアは腰に手を当てて立ち、身動きできない俺を見る。その隣、邪神官ダムフォスが懐に入れた手を出す。
「黒蜘蛛の騎士カダールよ、魔獣を支配できるのがお前だけだと思ったか?」
笑みをうかべるダムフォスの手が握るのは拳大の血色の宝石。脈動するような輝きを放つ奇妙な赤い石。
「我が血の力とこのボサスランの瞳があれば、このラミアも、マンティコアも、四腕オーガも我の忠実な下僕となる」
「魔獣を人が支配するだと?」
「ふん、何も知らずにアルケニーを従えていたのか? 愚物めが。お前を囮にアルケニーをボサスランの陣に引き込むことができればそれで良い」
ダムフォスが右手に赤い石を掲げ持ち勝ち誇る。左手を真横に伸ばす。ラミアがダムフォスの左手の袖を捲り、爪でダムフォスの左手を切る。ダムフォスの腕から血が垂れ落ちて石畳に落ちる。
「これでアルケニーを従えることができる。ククク、さあ、アルケニー。このボサスランの瞳を見ろ!」
「やめろ! この野郎!」
唸り叫んでも俺の身体は動かない。くそ。父上はマンティコアのサソリの尾の一撃を剣で受け、エクアドは四腕オーガの拳から身をかわす。二人とも足止めされて近づけない。
ダムフォスは左手から血を流し、右手に赤い石を掲げ、灰色に光る魔術陣に足を踏み入れる。首から上しか動かせない俺の横を通り過ぎてゼラの前へと。
「あう、ヤだ……」
弱々しく首を振り身動きのできないゼラに、ダムフォスは輝く赤い石を突きつける。
「抵抗は無駄だアルケニー。このボサスランの瞳の輝きを目に映せ。そして我の忠実な下僕となれ」
「ヤぁ、カダールー!」
「そこの間抜けな騎士よりも我がお前を有益に使ってやろう。このダムフォスに仕える至福に酔うがいい」
顔の前にある赤い石を見るゼラ、そのゼラの瞳が光を失なっていく。
「やめろ邪教徒! ゼラ! ゼラー!」
「……カ、ダール……」
ゼラの口が力無く俺の名を呟いて、ゼラの表情が消える。脈動するように輝く赤い石に意識を奪われて、彫像のように身動きが止まる。
「クハハハハ! 灰龍すら滅ぼす最強の魔獣が我のものに! さあ、アルケニーよ、我の血を飲め! 血の約を交わし我に仕えよ!」
ダムフォスの血に濡れた左手がゼラの顔を撫でる。頬から口へとその血を擦り付けて。
「ゼラに触るなクソ野郎! その手を離せ! ゼラー!」
「ハハハ! イルアルア、ドゥエル、アレート、ボサスラン! 我が血の味を憶え、その血の命に従えアルケニー!」
ダムフォスの詠唱と共に赤い石、ボサスランの瞳の輝きが強くなる。視界が赤い光に覆われる。ダムフォスの耳障りな哄笑を聞きながら、その手に持つ赤い宝石に意識が吸い込まれ、視界全てが血のような赤に染まる。
ゼラ――