第九話

文字数 6,225文字


 倉庫の中ではゼラがハウルルを抱き抱え、母上とアステが笑顔であやしている。ハウルルはゼラが腕を治したことが解るようで、ゼラを見る目がキラキラとしている。母上と医療メイドのアステにしかなつかないと聞いていたが、大人しくゼラに抱っこされてる。
 それを横目に護衛メイドのサレン、エクアド、ルブセィラ女史と俺で話をする。

「サレン、ウェアウルフを返り討ちにした、ということだがそのウェアウルフは白い首輪を着けていたんだよな。その首輪は?」
「残っていません。燃えてしまいました」
「母上の火系魔術か?」
「いいえ、ウェアウルフが死亡したとき、首輪から炎が出ました。その後、ウェアウルフの肉体はグズグズと崩れて溶けていきました。後には骨も残らず首輪も炭に」

 ルブセィラ女史が目を細める。

「証拠隠滅ですか? 徹底していますね。しかもそんな技術となると、今の魔術では無理ですね。首輪はともかくウェアウルフを骨も残さずとは、そのウェアウルフも普通の魔獣ではありませんか」
「普通の魔獣でなければなんだ? ダムフォスの使ったボサスランの瞳のように、何者かが操る魔獣か?」
「あのスコルピオの身体を見たところ、どうやら研究に使われたようです。逃げたした実験体、スコルピオをウェアウルフに追わせた、というのが推測できるところです」
「そうなるとハウルルもウェアウルフも、何者かに手を加えられた魔獣ということか」
「その場合、スコルピオをこの屋敷に送り込むのが目的、というのも考えられます。スコルピオ自身にはゼラさんのような力は無さそうですが、操られているのかもしれません」

 ハウルルはと見ればゼラの胸を枕にうとうとしている。ゼラは可愛いと喜んでいるが、ハウルルの奴、ゼラのおっぱいを枕に……。
 保護してからこれまでのハウルルを見ていたサレンが言うには。

「ハウルルがおかしなことをする様子はありません。とは言ってもベッドで寝たきり状態でしたし。奥様もハウルル自身は良い子だと」
「ルミリア様が言うならそうなのでしょうが、ある時突然、操る者の指示通りとなるかも」
「もちろん警戒しています。ハウルルの監視は怠っていません」

 エクアドが腕を組み唸る。

「ハウルルを取り戻そうとウェアウルフの群れがローグシーの街を襲うことも有り得るか」
「そこも街の警備、特に夜間の見張りを強化しています。アルケニー監視部隊に屋敷の警備をしてもらえれば、領兵団とフクロウを街に回せます」
「カダール、ゼラの罠を屋敷の周囲、それとローグシーの街壁に仕掛けられるか? 捕らえるものと感知できるものを」
「ゼラと話してやってみよう。アバランの町で仕掛けたものを応用して。しかし、また異端の闇の神信徒か? 未知の魔獣研究となると、古代魔術文明を復活させようという古代妄想狂か?」
「いずれにしろ魔獣研究者としては、あのような無様をする者と私を一緒にして欲しくは無いですね」

 ルブセィラ女史が苛立つように口にする。珍しい、怒っているのか?

「あれは対象を調べようというものでは無く、やたらと手を出してもとの在り方を歪めるような研究。魔獣本来の生物としての不可思議さを調べ、その命の在り方と起源を知ろうという魔獣研究とは違います」
「ルブセィラ、ハウルルの身体の刺青について解るか?」
「古代文字を解読すれば詳しくは解るでしょうが、そのためには私がハウルルと仲良くならねばなりませんね。安心して裸身を晒してもらえるように。カダール様、先程は止めていただきありがとうございます」
「そうですね。私もツンツンしてから警戒されるようになったようです」

 サレン、お前は何をやってるんだ? 男の子の大事なとこを玩具にするんじゃ無い。ルブセィラ女史は眼鏡をキラリと光らせる。

「私もゼラさんのおかげで学びました。対象を深く識ろうという興味が、愛と呼べるほどに高まってこそ、対象はその神秘を教えてくれます。ハウルルにあの刺青を入れた者にはその真摯さが感じられません」
「最近はゼラもルブセィラに気を許して、友人のようになってきているか」
「深い思い入れを持ちつつ愛を抱いて見つめ、また、それに引き摺られないように冷静な観察眼でも同時に物事を見なければ、一流の研究者とは言えませんね」
「それが解っているなら興味に負けてツンツンするな」
「溢れる好奇心はなかなか止められませんが、自重します。これでも以前よりは、少しはマシになったかと」

 反省する顔で言うルブセィラ女史。自重できるようになって、ゼラに好かれようと頑張ってきたから、ゼラも気を許して仲良くなっているのだが。初めて見るスコルピオを前にしたわりに、ルブセィラ女史にしては大人しかったか。

「ハウルルはゼラさん、クインと比べると下半身のサソリ体はそんなに大きくありませんね。私でも抱えて運べそうです」
「思い返せばラミアのアシェンドネイルの黒い蛇体も大きかったか。でもそれは子供だからでは?」
「進化する魔獣の子供の頃は、ゼラさんならタラテクト、クインならハイイーグルですよ。子供の半人半獣というのが謎です」

 言われてみればそうか。と、なるとハウルルは進化する魔獣では無く、スコルピオという種の子供なのか? ゼラもクインも人の姿を求めた半人半獣で、進化する魔獣以外にもハウルルのような者がいるのか? これまで話でしか聞いたことが無く、それも物語のような話や歌でしか聞いたことの無い魔獣なのだが。
 だからこそ珍しいと研究材料にでもされていたのか。何者か解らないが取り返しに来るかもしれない。

「警備体制の見直しとしよう。ゼラ、ここにウェアウルフが襲ってくるかも知れない。その子と母上の護衛をしてもらえるか?」
「カダール、しー、ハウルルが起きちゃう」
「む、すまん」

 ゼラが抱っこしてるハウルルは、ゼラの胸に顔を埋めて、安心してすやすやと寝ている。むぐ、ゼラの胸は顔を埋めると、なんとも言えない安らぎを感じるのだが、ゼラもゼラのおっぱいは俺専用とか言ってたのに。なんだろう、なんだかモヤモヤする。
 エクアドが眠るハウルルの様子を見る。

「治癒の痛みに耐えるのに疲れたのか?」
「大怪我をしてから体力がまだ完全に回復してないのかもね」

 母上がハウルルを見る目は穏やかだ。

「ハウルルの守りについては、私とアステとサレンで。ハラードが森で手がかりのひとつでも見つけてくれるといいのだけど」

 母上の言葉にエクアドが頷く。

「ゼラとアルケニー監視部隊も屋敷の防衛についてもらいましょう。おい、カダール、俺達は領兵団とハンターギルドに行くぞ」
「あ、あぁ、そうだな」

 ゼラは眠るハウルルを抱っこしたまま、母上と医療メイドのアステと話をしている。子供の頃の俺が母上とアステにどんな風に甘えていたか、という内容で。

「ハウルルの甘えんぼなとこを見てると、小さい頃のカダールを思い出すわ」
「ン? カダールは今もゼラのおっぱいに顔をつけて目を細めるよ?」
「いつから恥ずかしがるようになったのかしらね? カダールはなかなか離れてくれなくて、胸から離したら泣き出したりしてたのに」

 ここには身の置き所が無い。なんだか恥ずかしい。ルブセィラ女史もサレンも、やっぱりか、という顔で聞いてるし。ぐぅ、幼い頃のことなんて憶えて無いぞ。いや、母上とアステの胸は微かに記憶にあるような。でも、子供とはそういうものでは無いのか? 
 ハウルルを観察する、というルブセィラ女史を残して、俺とエクアドは倉庫を出る。
 ゼラの胸で眠るハウルルは無垢な寝顔を見せて、ほんわかした雰囲気の中でゼラも穏やかに微笑んでいる。俺とゼラの間に子供ができたら、こんな感じだろうか?

 ゼラを倉庫に置いて、エクアド、経理のフェディエア、合流したフクロウのクチバとローグシーの街を回る。ハウルルとウェアウルフの一件は大っぴらにはしていないが、街の見回りなど警備について、ハンターギルドなど回る。

「お帰りなさいませ。アルケニー監視部隊の活躍の噂はローグシーの街にも届いておりますよ」

 青い髪を肩まで伸ばす美青年、シウタグラ商会の商会長パリアクスに迎えられる。ここは俺とゼラの新しい屋敷の建設予定地。パリアクスは楽しそうに話す。

「エルアーリュ王子より良いものにしろと資金は頂いてますので、大きく作ります。基礎工事が終わったところで、完成はまだ先ですが」
「まさかローグシーの街壁の外に屋敷を建てるとは」
「ローグシーの街は住人が増え、街壁を一回り大きく作る工事も進んでいます。ここは街から少し離れてますが、建設予定の第二壁の内側になりますね」
「街壁工事も進んでいるようだ」

 シウタグラ商会はローグシーの街で、中央からの輸入品などの販売が好評らしい。職人達が働いているのを横目に、パリアクスが笑みを浮かべて設計図を広げる。

「街壁の外に屋敷を作るなんて、私はウィラーイン伯爵の正気を疑いましたが、伯爵は『一番安全なところで守られている領主に民がついてくるものか』と仰られまして。それで壁の外に建て始めましたら街の住民も『流石、我らが無双伯爵』『ウィラーイン領の猛者の頭』と、喜んでます」
「ウィラーイン家とはそういうもので、盾の国の貴族とは、そうあらねばならないのではないか?」
「吹っ切れてますね。カダール様もウィラーイン家なのですね。これで街壁工事の方も、『俺達で伯爵様の家を守る街壁を作るぞ』と、盛り上がって人も集まり、驚く速度で工事が進んでます」

 パリアクスの出した設計図をエクアドとフェディエアと見る。俺とゼラの新居、隣にはアルケニー監視部隊の宿舎、反対側の隣にはルブセィラ女史とアルケニー調査班の研究所と。随分と規模が大きくなった。

「パリアクス、この図面で見ると屋敷がかなり大きいようだが」
「伯爵夫妻より、ここを新たな領主館にするとのことで。完成したら前の屋敷は伯爵家に用のある客人を泊める建物にすることになりました。今後、ウィラーイン家に訪れる者も増えるでしょうし、そこで領主館より少し離したところに宿泊施設を。蜘蛛の姫を探らせないようにしようかと」
「なるほど、賓客を迎える宿泊所にすると」
「ですが、エルアーリュ王子より『私だけは領主館に泊まれる部屋をひとつ作って欲しい』と、お願いされてます」
「王子は領主館を別荘にでもするつもりか?」
「蜘蛛の姫と黒蜘蛛の騎士はエルアーリュ王子とは親密な間柄、とするにはエルアーリュ王子が来訪することも増えるでしょうね。あの人は蜘蛛の姫に会いたいだけでしょうけれど」

 うむぅ、俺とゼラの新居なのに、王子の為の一室って。だが資金を出してもらっているし、文句は言えんか。王子の連れてきたシウタグラ商会で、街の第二壁工事は順調だし。
 父上と母上もこの新領主館で暮らす予定。そうなると養子予定のエクアドもここに住むことになるか。ん?

「バストレードも領主館建設に関わっているんじゃないのか?」

 フェディエアの父、バストレードならローグシーの街の流通を知っているし、土地についても詳しい。パリアクスに聞いてみると、

「バストレードさんよりいくつかアドバイスも頂いてます。バストレードさんには領主館の場所とその周りの道作りに案を出して頂きました。本人はお茶の木栽培にローグシーの近くの村へと」
「あのお茶の木か。上手く行きそうか?」
「中央とは気候が違うので難航してますね。ですがルミリア様が居られるのでなんとかなるのでは?」
「母上が何を?」

 パリアクスが、おや? と片眉を上げる。

「ウィラーインの博物学者、ルミリア様ならば良い解決法があるのでは?」
「パリアクスは母上をなんだと思ってるのか」
「知る人ぞ知る万能家。かつてはプラシュ銀より不純物を取り除く新たな精製法を発明されたと」
「母上は思い付きでいろいろと手を出すが、側で見てると失敗したものも多いのだが」
「それは失敗もあるでしょう。ですがプラシュ銀鉱山より純度の高いプラシュ銀を採掘できるようになり、しかも混ざってた不純物は銅。ウィラーイン領の鉱山を、純度の高いプラシュ銀と取り除いた銅が取れる鉱山に変えた、錬金術使いと呼ばれてますよ」

 母上が考えついてやったことは、凄いものもあり尊敬もしているが、俺は世に出なかった訳の解らないものも見ている。母上は頭の回転が常人とは違う天然、なのだと思うのだが。
 パリアクスは嬉々として。

「ルミリア様がアイディアを出し企画開発して、ハラード様がその人脈から専門家を呼び援助して、成功させる。目端の効く商人ならばウィラーイン伯爵夫妻のすることは、気になってしょうがない。ローグシーの街に商会を置かせて頂き、こうして近くで話も聞かせてもらえることに、感謝しております」
「大げさなことを言う」
「『蜘蛛の姫の恩返し』に纏わるぬいぐるみ、刺繍入りハンカチ、アクセサリーなどのグッズも予想外に売れてまして。シウタグラ商会も新しい商売を楽しませてもらってます」
「ゼラと俺をネタにして稼いでいるのか」
「もちろんこの利益はウィラーイン領に還元させていただきますとも。ローグシーの第二街壁には力を入れてますよ」

 それでパリアクスは楽しそうなのか。

「しかし、ウィラーイン領は灰龍の被害があったとは思えませんね。人的被害は少なかったとは聞いてますが、来てみれば人々は明るいし元気です」
「もともと魔獣深森が近くて、逞しい者が多い土地柄だからな」
「ウィラーイン家がそのように育んでいるのでしょう。人も増え、地方の村も大きくなっているでは無いですか」

 領主館を建てるのに働く者を見る。遠くには建設途中の第二壁。ローグシーの街を含めウィラーイン領では人が少しずつ増えている。これも領民が魔獣に対抗できるようにと、ウィラーインの祖先から政策してきた結果だ。
 しかし、人が増えれば魔獣の王種誕生が増える。クインの話では、闇の母神ルボゥサスラァが魔獣を産み出している。その目的は人類を守るため。そのために人の数を減らすという。
 人が増えればその数を減らそうと魔獣が増える。現にここ数年、変異種の発見が増えている。
 
 人の繁栄が、文明の発展が人の滅日に近づく。それを防ぐために魔獣は人を襲う。
 盾の国、スピルードル王国が強くなり魔獣を押さえたことで、中央もまた人が増えている。このまま人の数が増え続ければ、次はどのような魔獣被害が起きるのか。
 古代魔術文明は、今から見れば信じられない程に様々な技術が進歩していたという。にも関わらず、滅んでしまった。
 魔獣のいない世界では、人は簡単に滅ぶという。それが俺にはいまいち信じられない。しかし、現に滅びた跡が遺跡として森の中に残っている。

 人類が滅日を迎える、本当の原因とはなんだ?
 明るい日射しの下、街が大きくなり、そこで働く職人達。街は発展し採掘の復活したプラシュ銀鉱山のおかげで景気もいい。
 光があれば闇もある。繁栄の背後に蠢く影を覗き見てしまったような、寒気が少しある。


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登場人物紹介

ゼラ

もとは蜘蛛の魔獣タラテクト。助けてくれた騎士カダールへの想いが高まり、進化を重ねて半人半獣の魔獣アルケニーへと進化した。上半身は褐色の肌の人間の少女、下半身は漆黒の体毛の大蜘蛛。お茶で酔い、服が嫌い。妥協案として裸エプロンに。ポムンがプルン。しゅぴっ。

カダール=ウィラーイン

ウィラーイン伯爵家の一人息子。剣のカダール、ドラゴンスレイヤー、どんな窮地からでも生還する不死身の騎士、と渾名は多い。八歳のときに助けた蜘蛛の子と再会したことで運命が変わる。後に黒蜘蛛の騎士、赤毛の英雄と呼ばれる。ブランデーを好む、ムッツリ騎士。伝説のおっぱいいっぱい男。

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