第二十六話

文字数 5,917文字


 王都にある西方貴族の領主館、そこに俺とゼラとアルケニー監視部隊は滞在している。ここはスピルードル西方の貴族が共同で使う、王都にある大きな館。

 王国西方の貴族はなかなか王都に顔を出せない。ウィラーイン領の領主である俺の父上など尚更だ。ウィラーイン領兵団の勇猛さは王国で知られている上に頼られてもいる。近隣の領地で魔獣被害があれば援軍へと駆けつける。
 魔獣から王国を守る為には、魔獣深森に近い西方の貴族は己の領地から離れ難い。王都への報告なども代理として息子や娘、信頼できる家臣などを送る。

 そうなると王都に館を建ててもほとんど利用する機会が無い。なので西方領主が共同で使える館が王都にある。もとはトーレトマ伯爵家が王都に作ったもので、ウィラーイン家を含め西方の領主が王都で過ごすときに、宿代わりに使わせてもらっている。
 
 王都での用事が終われば、すぐにウィラーイン領へと戻る予定だったが、

『王都の教会の大神官と一度、会って欲しい』

 と、エルアーリュ王子が言う。

『大神官ノルデンがゼラと話がしたいという。この大神官はスピルードル王国の光の神教会の長で、中央の総聖堂とは立場が少し違う。カダールとゼラと会い踏ん切りがつけば良いのだが』

 人の悪い顔をしてエルアーリュ王子がこう言った。

「エルアーリュ王子は何を企んでいるのやら」
「カダール、そうは言っても教会を敵に回すのは得策では無いだろう」
「だがエクアド、スピルードル王国の教会は中央の総聖堂とは違い、こちら側ではないのか?」
「それでも総聖堂から指示や要請があれば、王国の教会は従うのではないか?」
「その辺りも聞くにはいい機会か」

 館のホール、楽団が使う大きな建物、音楽堂。ゼラの身体が大きい為、俺とゼラはここで寝泊まりしている。今、歌劇場で『蜘蛛の姫の恩返し』ミュージカルを行う楽団が練習用に使っている音楽堂だ。
 この西方領主館と音楽堂を設計したのがトーレトマ伯爵婦人。母上の友人であり、裏の守護婦人(ファイブガーディアン)の一人だったりする。ミュージカル『蜘蛛の姫の恩返し』のために、王都の歌劇場用に豪勢な楽団を用意してくれた立役者でもある。

 俺とゼラが教会に行くのは目立つので、こちらに大神官に来てもらうことになった。王都ではゼラの姿はなるべく見せないようにしている。
 できれば王都でゼラを連れて、茶葉やアクセサリーなど売っている店を覗いて見たかったのだが、住民が驚くだろうということで自粛している。王都はウィラーイン領ほど、ゼラを受け入れる下地はまだできていないから。

 母上の宣伝工作もあるが、スピルードル王国東方の王都と魔獣深森に近い西方との差もあるところだろうか。歌劇場でミュージカルが始まり、蜘蛛の姫グッズも絵本も売れてきてると聞いているので、時間の問題かもしれない。

「こうして黒蜘蛛の騎士と蜘蛛の姫にお会いできたこと、この光栄に感謝します」

 長い白い髭、深く皺の刻まれた顔。大神官ノルデンは高齢のはずだが、その目は力強い光がある。お忍びで来たので神官服は着ておらず、ちょっと裕福な商人のような服装。帽子を取り一礼すると総白髪の髪が溢れる。
 出迎えてこちらも挨拶する。

「わざわざご足労頂きありがとうございます。ほら、ゼラも挨拶して」
「こんにちわ、ゼラです。よろしくです」

 ゼラを見上げて目を細める大神官ノルデン。

「ゼラ様、その癒しの魔法で、多くの信徒をお救いいただいたことに御礼申しあげます。ゼラ様に光の神々の御加護があらんことを」

 その場で指で聖印を切り手を組み、ゼラに祈る大神官ノルデン。大神官についてきた者も同じように、まるでゼラを光の神々の使いのように拝みだす。平服だが大神官の後ろの三人も神官だろうか。
 教会の大神官がいきなりゼラを拝むのに驚いてエクアドと顔を見合わせる。ゼラはンー?と首を傾げている。大神官が祈りの聖句を唱え、膝を着きそうになるので慌てて止める。

「大神官、あの、こちらに椅子とテーブルが用意してありますので」
「おぉ、そうですか。……ではお前たちは下がりなさい」

 大神官が後ろの三人に言うと、その三人は一礼して出ていく。大神官ノルデン一人を残して。

「カダール様、内密の話がありますので、お人払いをお願いいたします」
「内密、ですか? ゼラと私に? エクアドは役目上ゼラの側を離れることはできず、また私とゼラはアルケニー監視部隊が常に見守っているのですが」

 大神官ノルデンは顔を近づけて、俺にだけ聞こえる小声で言う。

「……闇の母神に関わることであり、極秘としたい話があります」
「闇の母神、それは、エルアーリュ王子より聞いたのですか?」
「……市井に広める訳にいかぬ事、これは事情を知る者だけにしていただきたいのです」

 闇の母神、ルボゥサスラァ、この世全ての魔獣の母。ゼラの母だという、闇の神の一柱。大神官ノルデンは何処まで知っているというのか? 皺深い顔に苦悩を滲ませる大神官。

「どうか、お人払いを」
「大神官、少しお待ちを」

 エクアドと話し警備と監視態勢を変える。音楽堂の中は俺とゼラとエクアド、そして大神官ノルデンだけに。音楽堂の周囲をアルケニー監視部隊が警戒し、大神官ノルデンのお付きの三人は別室で休息してもらう。

 闇の母神、魔獣、深都、古代魔術文明と、いつの間にか俺達は大っぴらにできない話をいろいろと知ってしまった。その内容によっては、アルケニー監視部隊にも聞かせたくは無いものがある。

 大神官ノルデンに椅子を勧め、俺とエクアド、大神官の三人で丸テーブルを囲む。ゼラはいつも通り俺の背後に。
 大神官ノルデンが手にする包みをテーブルに置き、厳かに包みを開く。

「大神官、これは?」
「これは、エルアーリュ王子より、これならゼラ様が好むだろうと、王都で人気のある店に注文して作らせたもので」

 ゼラがテーブルの方に身を乗り出すと、俺の頭にポムンがふにゅんと乗る。ちなみに今日のゼラは若草色の袖無しワンピースだ。包みの中から現れた物を見てゼラが声を弾ませる。

「黒いケーキ! チョコ?」
「はい、ゼラ様。私はあまり菓子に詳しくは無いのですが、中央より仕入れたカカオを使い、甘くしたものが人気のようです」

 黒いケーキに目を輝かせるゼラ。大神官が人払いまでして、何を包みから出すかと緊張したが、手土産のケーキとは。

「他にも最近、王都で売り出された蜘蛛の姫クッキーも持って来ました。歌劇場での公演に合わせた新商品とのことで」

 蜘蛛の姫と赤毛の英雄と、ミュージカルの登場人物をディフォルメしたクッキーが並ぶ。王都でもグッズ展開を広める気満々ですね、母上ェ。これから何の話をするのかと緊張していたが、いきなり力が抜けた。
 クッキーの赤毛の英雄を見て可愛いと、はしゃぐゼラに頼む。

「ゼラ、お茶を淹れてくれないか」
「ウン、任せて」

 左手をしゅぴっと挙げて茶器の準備をするゼラ。その様子を孫でも見るように目を細めて見る大神官ノルデン。
 ゼラに淹れてもらった赤茶を飲みつつ、大神官の手土産のチョコケーキを食べながら、話をする。うむ、甘い、そこにほのかな苦味があり、層になったケーキの中にはブランデーの香りがするクリーム、この菓子は手の込んだ品のようだ。

「大神官、中央からの輸入品のカカオを使ったケーキとは、値の張る高級品ではないですか?」
「エルアーリュ王子より、ゼラ様がチーズと甘いお菓子を好むと聞いております。いかがですか? ゼラ様?」
「ウン、おいし!」

 左手にケーキの乗った皿を持ち、右手にフォークを握るゼラがニコニコとケーキを食べる。

「ほらゼラ、お礼を」
「ありがとうございます、だ? だい神官様」
「お喜びいただけて良かったです。メイモントとの戦闘、そして王国西方での支援活動と、数多くの信徒をお救いいただいたゼラ様に、御礼をしたかったのです」

 エクアドもケーキを食べつつ。

「そのことで教会にお訊ねしたいのですが、ゼラの治癒の魔法での出張治療院で教会にご迷惑となっていませんか?」
「ふむ? 迷惑ですか?」
「教会といえば治癒の魔術での治療に、回復薬(ポーション)の販売ですから」
「確かに教会では治癒を専門としてはいますが、独占しているわけではありません」

 光の神教会は治癒の魔術の素質のある者を神官として抱え、治癒術を応用した回復薬(ポーション)上級回復薬(ハイポーション)を販売している。過去に遡れば治癒術を神の奇跡としていたこともある。教会にとって治癒術と回復薬(ポーション)は、資金源のひとつであり教会の権威にも繋がる物だ。

 ゼラの治癒の魔法は教会の商売の邪魔になってしまうのでは、という懸念がある。支援活動の出張治療院のときは、現地の教会に一言挨拶はしているのだが、回復薬(ポーション)を売っている方から見たら、おもしろく無いかもしれない。
 大神官ノルデンは髭にチョコケーキのクリームがつかないように気をつけながら食べる。

「中央と違い魔獣との戦闘の多いスピルードル王国で、教会が治癒を独占するのは、信徒の為になりません。ですから教会と無関係な治癒術師に、回復薬(ポーション)の販売も、教会は口出ししておりません」
「では、今後もゼラの出張治療院は続けても構わないと?」
「もちろんです。部位欠損を治せる程の治癒術の使い手に、上級回復薬(ハイポーション)の作り手は限られております。特に負傷することの多いハンターが、その怪我を治せるならば、スピルードル王国の民は魔獣より守られることとなるでしょう」
「大神官にそう言ってもらえると安心できます」
「ゼラ様が聖獣と認められれば、そのような不安も無いのですが」

 大神官ノルデンは眉間の皺を深くする。

「中央の総聖堂では、至蒼聖王家の一角獣の他に、聖獣を認めたくは無いでしょう」
「光の神々の使い一角獣が、聖王家にしかいないことが権威になるから、でしょうか?」
「その通りです。中央から見てスピルードル王国の教会は警戒されていますから」
「大神官、それはどういうことですか? 王国の教会が警戒されている、というのは?」
「これは中央と盾の国の違いでもありますが、スピルードル王国の光の神教会は、中央の教会よりも緩い、と噂で聞いたことはおありですか?」

 噂、というかわりとよく聞く話だ。中央の教会は厳しく、盾の国の教会はおおらかだ、というのは。エルアーリュ王子の隠密ハガクとその配下、ウィラーイン諜報部隊フクロウのクチバ。この東方から流れてきた者達も中央が住み難いと、スピルードル王国まで流れてきた。彼女達の場合、中央で良い主君が見つからなかったというのもあるが。

「中央では教会の教義が厳しく、それを嫌って盾の国に流れる者がいるのは知っています」
「そうです。裸婦画に裸婦像などにも厳しく、それを嫌った自由な芸術家が、スピルードル王国やジャスパル王国へと、流れて来ました」
「そのおかげで蛮人の国と呼ばれたスピルードル王国の芸術が発展したとも」

 今では王都に歌劇場があり、地方でも紙芝居に貸本屋がある。西方の端になるウィラーイン領にも演芸場がある。
 王国の識字率が年々上昇しているのは、貸本屋を支援する政策もあるが、もとは芸術家に旅芸人が増えたことと関係があるらしい。歌に詞に楽譜を書き残そうとする者が増え、それに興味を持ち読み書きを憶えようという者が増えたという。

「中央ほどうるさく言わないスピルードル王国に、中央から自由な芸術家が来て、王国は発展したとも」
「そうですカダール様。また、もともとの風習からか、スピルードル王国では同性愛にも寛容な土地柄です。そのため、やや行き過ぎのような芸術作品もありますが。その、お二人がモデルの『剣雷と槍風と』のような」
「あれはどうかと私も思うのですが」
「あの本は教会でも議題に上がりましたが、そこを許す気風が、スピルードル王国のおおらかさなのです。もともとはこの地にて、光の神々の教えを広めた教会の神官が、北の祖霊信仰、南の精霊信仰とも争わぬようにとしたものです。魔獣深森に近いこの地では、人と人が争う余裕などありません。スピルードル王国の民に受け入れられるようにと、神の教えを説きつつ、対立や締め付けとなる教義を緩めた。それがこの地にて広まった光の神教会が、中央と比べて緩いと言われる由縁でもあります」

 もともと蛮人の国と呼ばれたスピルードル王国。神に祈る前に武器を振れ、生き残る為に、という風土でもある。信仰に対する考えが中央と盾の国では少し違うのだ。スピルードル王国で光の神教会が広まったのも治癒術が便利だから、という実利的なものもある。

 俺もエクアドも含め、スピルードル王国の貴族とは光の神々の信徒だ。これは光の神の使い一角獣を守る至蒼聖王家、これが各地の王に統治を任せるという形になっているからだ。
 北のメイモント王国は祖霊信仰が根強く、今では中央と対立している。南のジャスパル王国では精霊信仰が一般的だが、光の神教会を受け入れ協調している。
 かつてのスピルードル王国には明確な信仰は無かったという。中央から放逐された者は恨みからか闇の神の信徒となる者もいて、この王国では闇の神信仰が他の国よりも多かったとか。
 大神官ノルデンが険しい顔をする。

「スピルードル王国の教会は、難しい立場にあります。エルアーリュ王子が中央との対立路線を選ぶならば、教会も選択しなければなりません。このまま総聖堂を頂とするか、北のメイモント王国のように光の神教会は中央に引き上げるか、もしくは光の神教会、盾の国会とでも名乗り独立するか、です」
「それは、大事(おおごと)ですが、エルアーリュ王子も中央と完全に対立することは無いのでは?」
「輸出入に関税と、中央に対して強く出ようとするスピルードル王国。食料など盾の国からの輸入に頼りながら、盾の国を属国のように扱う中央。この軋みはいずれ訪れたものでしょう。そこで、ゼラ様にお聞きしたいことがあります」
「ング?」

 急に名前を呼ばれたゼラが、クッキーを喉に詰まらせて変な声を出す。難しい話になって途中からケーキとクッキーに集中していて、油断してたのか。
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登場人物紹介

ゼラ

もとは蜘蛛の魔獣タラテクト。助けてくれた騎士カダールへの想いが高まり、進化を重ねて半人半獣の魔獣アルケニーへと進化した。上半身は褐色の肌の人間の少女、下半身は漆黒の体毛の大蜘蛛。お茶で酔い、服が嫌い。妥協案として裸エプロンに。ポムンがプルン。しゅぴっ。

カダール=ウィラーイン

ウィラーイン伯爵家の一人息子。剣のカダール、ドラゴンスレイヤー、どんな窮地からでも生還する不死身の騎士、と渾名は多い。八歳のときに助けた蜘蛛の子と再会したことで運命が変わる。後に黒蜘蛛の騎士、赤毛の英雄と呼ばれる。ブランデーを好む、ムッツリ騎士。伝説のおっぱいいっぱい男。

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