第二十五話◇◇◇アプラース王子 主役回後編

文字数 6,492文字

 ほう、聖剣士団、団長クシュトフはスピルードルのことを心配してくれているのか?

「クシュトフ殿は昔話のように、スピルードル王家があのアルケニーに魔法で操られている、とでも?」
「アルケニー、半人半獣とは目撃例も少なく、またスピルードル王国に現れたアルケニーは、伝承の進化する魔獣とも聞いております。目的もその力も不明となれば警戒して当然かと」
「ふむ、あのアルケニーは誰も進化するところを見た訳でも無く、今も王立魔獣研究院の魔獣研究家が調査中だ」
「その資料を総聖堂に開示していただきたい」
「そこは兄上と話して欲しい。だがクシュトフ殿、調査の為にアルケニーを刺激することは慎んでいただきたい。かのアルケニーは生きた災厄、灰龍すら討ち滅ぼす存在。とくに騎士カダールを害するようなことでもあれば、機嫌を損ね何をするか解らない」
「魔獣の機嫌を伺いますか? 盾の国の王族であられるのに?」
「盾の国に住む者であるからこそ、危険な魔獣を侮りはせぬ。スピルードルでは中央とは違い魔獣深森が近いのだから、魔獣への警戒は中央よりも深く考えている。聖剣士クシュトフ殿であろうとも、あのアルケニーには勝てぬだろうし、王国を危機に晒すような真似はして欲しく無い」
「どんな生き物にも弱点はあります」
「ゼラを討伐するつもりか?」
「ゼラ、と呼ばれているようですな、そのアルケニーは。人に害を為す魔獣であれば、光の神々に仕える聖剣士として、如何なる犠牲を払おうとも戦わねばなりますまい」

 聖剣士クシュトフは険しい顔で言う。これは一筋縄ではいかないか。

「聖剣士団団長として、私はそのアルケニーの正邪を見極めねばなりません」
「そのためにスピルードル王国を危機に落とすのは認められない。私で無くとも、国王も兄上も、聖剣士団がスピルードル王国西方に向かうことは許さぬだろう」
「スピルードル王家がアルケニーをかばいだてすると?」
「では総聖堂がアルケニーに拘る理由はなんだ? アルケニーの力を教会のものとするつもりではないのか?」

 私が睨むと聖剣士クシュトフは静かに私の目を見返す。気迫では私はこの男に勝てぬか、しかし教会の聖剣士団といえどこの国で好きにはさせん。
 聖剣士クシュトフは、ふむ、とひとつ息を吐く。

「アプラース王子、総聖堂の実情を話せば、アルケニーを総聖堂が管理すべし、と言う者もいます。聖獣と認定する代わりに教会の力としようとも。スピルードル王国の教会はアルケニーを聖獣に認定すべしと言言い出し、総聖堂でも前例が無く意見は割れています。しかし、光の神々の信徒として教会が魔獣の力を扱おうなど、私は認められません」
「……ゼラが見せた力は強大過ぎる、か」
「メイモント国のアンデッド軍団をたった一体で押し返す、そのような魔獣、放置することもできません」
「クシュトフ殿、私はアルケニーのゼラと話したことがある。私にはゼラが邪悪な者とは思えないのだ。それにゼラはその魔法で幾人もの人を救っている。この国ではゼラを黒の聖女と呼び敬う者もいる」
「だからこそ、そのアルケニーを調べねばなりません」
「聖剣士団に許したのは、総聖堂の神官と良からぬことをしでかした一部の者の調査のみだ。先ずはそちらを片付けてはどうか?」

 団長クシュトフは茶を飲み干して立ち上がる。

「解りました。ですがアルケニーが災いを呼ぶとなれば、我らは信徒を守る為に動きます」
「またれよ、クシュトフ殿」

 どうにも頑固な御仁のようだ。仕方無い、これを手離すのは惜しいが、懐から守り袋をテーブルの上に置く。光を受けて守り袋の周囲に虹の陽炎が立つ。

「これは?」
「アルケニーのゼラの作った守り袋だ。その袋の生地はゼラにしか作れないプリンセスオゥガンジー。袋の中にはゼラの体毛が入っている」
「拝見してもよろしいか?」

 私が頷くとクシュトフ殿は、恐る恐ると袋を手に取る。

「む、光を受けて虹を出すとは面妖な代物……、そしてこの黒い毛がアルケニーの体毛?」
「そのプリンセスオゥガンジーはゼラの手から産まれた糸で編まれている。更にゼラの蜘蛛の背のその体毛は、身につけているだけで自然治癒力が上がるという奇跡の品だ」
「信じられませんな。しかし、それが本当であれば、アルケニーとは聖獣一角獣に並ぶ力があるということですか。何故、これを私に?」
「私はこれでも光の神々の信徒。クシュトフ殿がゼラの聖邪を調べたいのであれば、その守り袋をクシュトフ殿に預けよう。これを総聖堂に持ち帰り調べてみれば、ゼラのことが少しは解るのではないか?」
「なるほど、この守り袋はスピルードル王国に出回っているのですか?」
「ゼラがその手から渡した者以外に持つ物はまずいない。ゼラが黒の聖女と呼ばれ人気の高まる中、その守り袋を欲しがる者はいくらでも金貨を積むのではないかな? できればその守り袋は人目につかぬように扱って欲しい」
「解りました。これはお預かりします。総聖堂にて魔獣に詳しい者に調べさせましょう」
「その結果が出るまでは、ゼラを刺激するようなことは慎んでもらいたいのだが」
「私は魔獣が人の為に動くなど信じられませんが、アルケニーのことはこれまでに無い事態。慎重に事に当たることはお約束します」

 団長クシュトフはゼラの守り袋を、丁寧にハンカチで包み懐へと入れる。少し悩むようにして口を開く。

「アプラース王子は中央の混乱をご存知か?」
「聖獣一角獣が御言葉を発した、という話だろうか?」
「そうです。まだ民には報せぬようにとしていますが、遷都について総聖堂でも揉めているところです」

 クシュトフ殿は呆れたように言う。

「正しき信徒であれば御言葉に従い、早々に遷都するべきなのですが」
「大きな組織ともなれば軽々と動くともできぬか」
「至蒼聖王家に遷都せよ、とは、これは中央にて未曾有の災厄が起こる予言かと恐れる者もいます。それなのに遷都に反対するものは、ならば未知の災いに対抗するために、アルケニーを総聖堂に従えさせよ、と言い出す者もいます」
「中央で何があろうと、ゼラもカダールも教会に仕えることは無いだろう。兄上も二人を手離したりはしない」
「黒蜘蛛の騎士を教会の聖剣士に、そしてアルケニーを聖獣に、その代わりに二人を総聖堂の配下に、などという意見もあります。アプラース王子がアルケニーを刺激したくないというのであれば、この者達にお気をつけ下さい」
「クシュトフ殿も総聖堂の者であろう?」
「私は魔獣アルケニーを教会に入れることには反対です。しかし、そんな話をする前にアルケニーの事を調べねばならないと考えています」
「そうか、クシュトフ殿、総聖堂の内情を教えてくれたことに礼を言う」
「いえ、アプラース王子が正しき信徒として、聖剣士団に協力していただいたことの礼としては、たいしたことではありません」
「これは王族としての務めでもあるし、私が見るに聖剣士を束ねる信仰篤きクシュトフ殿は信頼できる。ゼラについて私が調べて解ったことは、クシュトフ殿に秘密裏に伝えよう。どうやら聖剣士団についてきたあの狐のような神官とクシュトフ殿とは、意見が違うようだ」

 険しい顔で固まったような団長クシュトフの口が微かに笑む。

「しがらみに囚われ、信仰をおざなりにするのは本末転倒なのですが」
「それだけ教会が大きくなってしまった、ということだろうか」
「アルケニーについてもうひとつ伝えることがあります。あのアルケニーの背に乗って現れた怪人物がおります。その者は蜘蛛の仮面で顔を隠し、怪傑蜘蛛仮面と名乗りました」
「怪傑蜘蛛仮面? いったい何者だ?」
「解りません。男の二人組でアルケニーとは親しい様子でした。アプラース王子も知らない者ですか?」
「初耳だ、こちらでも調べてみよう」

 怪傑蜘蛛仮面? 顔を蜘蛛の仮面で隠すとは面妖な。ゼラと親しい様子となれば、アルケニー監視部隊の者か?

「アルケニーが中央の総聖堂に来ないとなれば、総聖堂は代わりに説明する者を呼ぼうとするかもしれません」
「いざとなれば兄上か私が総聖堂へと赴くとしようか」
「王族自ら、ですか?」
「ゼラについてはそれだけの大事だということだ」

 団長クシュトフが一礼し私の執務室を出る。緊張を解いてひとつ深呼吸する。
 団長クシュトフ、まるで動かしにくい大岩か山のような男だ。そして中央の教会も一枚岩では無いか、ややこしいことだ。いや、スピルードル王国の議会も他所のことは言えないか。
 私ひとりしかいない城の中の執務室、私の背後から唐突に女の声が聞こえる。

「いいの? 大切なお宝を渡しちゃってさ」
「ササメ、か」

 いつの間にか背後に立つ女、ササメ。兄上に仕えるハガクの隠密隊のそのひとり。

「いつから部屋にいた?」
「最初から、聖剣士に私の隠身術がどこまで通用するか、試すついでにね」

 ササメは女にしては背が高く、私と同じくらいある。東方人らしい灰色の髪を長く伸ばし、身体の線を強調するような肌の露出の多い東方着物。やたらと色気を振りまくような女。
 このプロポーションでどうして私の影武者が務まるのか? 東方のシノービの技とは実に不可解だ。
 兄上の指示で私の補佐をする、隠密ハガクの配下、東方のシノービの女。今の私の数少ない信頼できる有能な部下。
 私の背後から回って私の正面へと、ゆらりと揺れるような不思議な歩き方をする。

「あれは肌身離さず持ってた、大事な大切な守り袋なんじゃないの?」
「あぁ、手離したくは無かった。しかし、これで聖剣士団を止められるならば。それにあのクシュトフ殿は頑固そうだが、味方になれば頼もしい御仁だろう。それに……」

 右手を自分の胸に当てる。そこにあった守り袋は、もう無い。だがそこには今も熱がある。

『アプ王子はゼラの英雄なの』

 ゼラの赤紫の瞳にあどけない微笑み、濡れたような赤い唇からの言葉を思い出すだけで、胸の奥に暖かな火が灯ったような気分になれる。

「記念の品は失せても、今の私には小さな誇りがある。私はこれでも、ゼラの英雄なのだから。ゼラを守る為に聖剣士団が、ゼラをただの魔獣と扱わぬようにせねば」
「エルアーリュ王子もうちの隠密隊も、蜘蛛の姫が大好きだけど、アプラース王子も?」
「あぁ、兄上と共にお伽噺を作ると決めたのだ」
「蜘蛛の姫と黒蜘蛛の騎士のお伽噺、ね」
「優しく正しい者が幸福を得る。その姿を見、自分もあのようになれたらと、あのようになりたいと、そう思える英雄。本来ならば王族こそが、その背で民に手本として見せねばならぬ物だ」
「それを追いかけて、誰もが同胞の幸福の為に生きられるのなら、それは楽園なのかもしれないけれど。そんな夢みたいなことは、届かない理想郷なんじゃないの?」
「しかし、叶わぬ理想だと諦めてしまえば、小狡い者が悪さをして得をすることを認めるようなものだ。そんな国に産まれ生きても誇りは無い。このスピルードル王国に産まれたことを、民が誇りに思い、その力を生かせる国とするには、理想のお伽噺が必要だ」
「ゼラちゃんとカダール様をその見本にしようって? あぁいうのは極端な例外だろうにさ」
「その例外が生きてそこに在る。その奇跡が目に見えてそこにいる。互いに想い合い尽力する姿が、人としての幸福を呼ぶのであれば、つまらん目先の利などに誘われず、正しくあることに誇りを感じられるだろう」

 そんな国を創る為に、私も王族としてその役に立つ為に。

「せっかくゼラがスピルードル王国に来てくれたのだ。この蜘蛛の姫のお伽噺、つまらぬ結末など許しはしない」
「それで、そのためにアプラース王子は道化を演じるって?」
「フッ、背伸びしたガキの悪名を使い、兄上の邪魔になるものを引き摺り落としてくれよう。今のスピルードル王国は中央の動乱に巻き込まれる訳にはいかない」
「アプラース王子はそれでいいの? それじゃ歴史には、愚弟のポンコツ王子って残っちゃうよ?」
「あながち間違いでもないだろう。そしてこれも、私にしかできない王族の務めなのだろう」

 未来には愚弟の王子の暴挙と呼ばれることになる、か。しかし、この胸にある蜘蛛の姫の英雄という誇りがあれば、

「私は愚王子の仮面を被り、道化として踊ってみせよう。それで私が好いた者が幸福になり、王国の未来が明るくなれば、それでいい」

 ササメは髪をかきあげ人指し指で私の顔をピッと指す。何が楽しいのかクスクスと艶然と笑っている。

「うふ、道化を演じるには、その目はちょっと凛々し過ぎるんじゃあない? アプラース王子をボンクラ扱いしてた奴が警戒するぐらい、今の王子はいい顔してるよ?」
「む? そうか?」

 右手で顔を撫でる。私はこれまでどんな目をしていたというのか? 頼りなくて調子に乗ってしまうボンクラ王子とは、どんな表情だった? 今の私はどんな顔をしている?

「アプラース王子、まだ若いのに国の為に生け贄になろうっていうの?」
「犠牲になるつもりなど無い。王族としての務めを果たし、明るく暮らせる国で穏やかに過ごせるようにしたいだけだ。私を含めて、誰もが笑って暮らせる国の為に、できることをするだけだ」
「そんな夢みたいな国を作るだなんて、どうかしてると思わない?」
「フッ、英雄と蜘蛛の姫が住むところが、つまらない国という方がどうかしている。ササメ、聖剣士団とあの狐顔の神官から目を離さないようにしてくれ」
「その仕事の前に」

 ササメが私の右手を取る。椅子に座る私の前にササメが両膝をつき、私の右手を両手で捧げるように持つ。私の右手の甲をササメの額に押し当てる。ササメが目を閉じ、何か祈るように。

「我が身、我が息、我が血、これ全て、我が主の為に」

 厳かに儀式のように囁く。声が止み静かになる。顔を伏せたササメの表情はわからない。

「……ササメ、これはなんだ?」
「東鬼の末裔、尽くすに能う主を得たり……。このササメが、これからはアプラース王子を主にする、ということよ」

 顔を上げ、からかうように微笑むササメに尋ねる。

「ハガクの隠密隊は、兄上に忠誠を誓ったのでは無いのか?」
「ハガクの姉貴はね。エルアーリュ王子もおもしろくていい男なんだけど。主とするにはアプラース王子もなかなかに楽しそうだしね」

 言いながら立ち上がり私の座る椅子の手摺に腰を乗せるササメ。猫が甘えるように身体を擦り付けてくる。

「ササメ一人くらいは、道化の王子様につきあってあげるわ」
「私についてきても、名誉も出世も無いぞ」
「そういうのよりも、ササメを楽しませてよアプラース王子。東鬼流のクノイチの技を存分に使えるような事を、そして理想郷を現世に興そうなんて無謀を見せて」
「裏方の面倒事ばかりになるぞ」
「くふふ、まるで英雄物語の舞台裏みたい。この裏方がキッチリこなしてこそ、舞台は華やかになるというもの」

 歌うように囁くササメ。ハガクの一団はかつての主君に愛想を尽かし、仕える主を探して東方から流れて来たという。
 何が楽しいのかササメは笑いながら言う。

「ふふ、レングロンド公爵がそろそろ来るんじゃない?」
「では、迎える準備をしなければ」

 右手を額に当て、ゆっくりと顔を撫で下ろす。顔に道化の仮面を被るイメージで。

「ササメ、これでいいか?」
「もう少し眉間から力を抜いてね」

 過去にどんな功績があろうとも、その血筋を誇ろうとも、貴族と王国議会に乗っかるだけで民のことを思慮せぬ者は、この王国に必要無い。

 胸に抱くは小さな灯火、誇りの明かりが先を示す。この身にできることなど限られているが。
 レングロンド公爵、共に踊ってもらうぞ、この道化の愚王子と。
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登場人物紹介

ゼラ

もとは蜘蛛の魔獣タラテクト。助けてくれた騎士カダールへの想いが高まり、進化を重ねて半人半獣の魔獣アルケニーへと進化した。上半身は褐色の肌の人間の少女、下半身は漆黒の体毛の大蜘蛛。お茶で酔い、服が嫌い。妥協案として裸エプロンに。ポムンがプルン。しゅぴっ。

カダール=ウィラーイン

ウィラーイン伯爵家の一人息子。剣のカダール、ドラゴンスレイヤー、どんな窮地からでも生還する不死身の騎士、と渾名は多い。八歳のときに助けた蜘蛛の子と再会したことで運命が変わる。後に黒蜘蛛の騎士、赤毛の英雄と呼ばれる。ブランデーを好む、ムッツリ騎士。伝説のおっぱいいっぱい男。

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