第三十七話

文字数 6,225文字

 ゼラが俺の後ろからしがみつく。俺の頭の上で、むー、と唸ってクインを睨む。クインは溜め息ついて、

「まだ先の話でもそういうこともあるって知っとけ。あたいらと人間じゃ生きる時間が違うんだよ」
「一緒だもん! ずっと!」

 ひし、とくっついてくるゼラ。そのゼラの手に触れる。ずっと一緒と言ってくれるゼラ。その想いは嬉しい。しかしクインの言うことも真実だ。なるべく穏やかになるようにとゼラに言う。

「俺はまだ死なない。それにゼラが守ってくれるなら、俺は簡単には死なない」

 目の前で俺とゼラを見るクインにも、

「それとクイン。クインが守ることも無駄じゃないぞ。クインがアバランの町を守ったからエイジスはひ孫が産まれるまで生きた。リアーニーもアバランの町で一番長生きした」
「それでも先に死んじまったろうが」
「その死ぬまでの間、エイジスもリアーニーも長生きした。その家族もまた、エイジスの町で暮らすことができた。その時を作ったクインの行いは無駄じゃ無い。無駄じゃ無かったから、リアーニーは安らかな顔をしていたし、リアーニーを送る葬式も宴会のように賑やかになった」
「まったく、変な葬式だったな」
「クインが守ったものの結果だ」

 クインはそっぽを向いてグラスに口をつける。クインの想いがエイジスとリアーニーを幸福にした。それを見るクインは複雑だったのだろうが、クインは守ることを選んだ。ならばあの一家を見続けたクインも、それを見ていたいと、壊したく無いと願っていたのだろう。
 遠くから見続けるクインが感じていたのは、嫉妬だけでは無いはずだ。好いた男の幸せを守るという矜持。エイジスとリアーニーの生涯を見守ったことは、悔しさと悲しさだけではあるまい。

「エイジスとリアーニーは幸福に生きたことだろう。それはクインのおかげだ」
「そうでないと、あたいが何やってたんだか解んねえや」
「俺もゼラが守ってくれるならリアーニーくらいに長く生きられるかもしれん。シワクチャの爺になっても」
「ンー」

 ゼラが頭を下ろして俺の肩に乗せる。その頭に手を置く。

「それでも俺がゼラより先に死ぬことには違いないか」
「カダールは死なない。だって不死身の騎士だもん」
「だからゼラ。先の話かもしれないが俺が死んだなら、」
「ヤだ! そんな話ヤだ!」
「もしも俺が死んだら、ゼラ、俺を食べてくれ」
「ヤー! ゼラは人間食べない! カダール食べない!」
「そうしたら俺の血肉はゼラのものになる。こうして話をすることも、頭を撫でることもできなくなるが、俺の魂はゼラの中に入る。そうすれば、ずっと一緒だ」
「カダールの死んだあとの話なんて聞きたく無い! ゼラはカダールのことぜったいに食べない!」
「それでも俺の方がゼラより先に死ぬことになるだろう。嫌な話でも憶えていて欲しい」
「カダールの意地悪ー! カダールが死んだらゼラも死ぬー!」

 ゼラが泣き出して俺の首に回るゼラの腕に力が入る。こういう話をするのは早かったか? だがいずれはする話だ。昼間の葬式がこういうことを考えるいい機会だ。ゼラの腕を優しく撫でながら落ち着かせる。
 だが、首が絞まる。極ってる。ゼラの腕がいいところに入ってる。ゼラ、ストップ。タップ、タップ。苦しい。息が。

「カダールの意地悪ー! 死んだらぜったい許さないー!」
「ぐう、う、く、苦し、死ぬ……、」

 慌てたエクアドがゼラの腕を取り、ゼラに、カダールはまだまだ死なないから落ち着け、と宥めて、俺は解放される。ぜはー、の、喉が。ちょっとゼラにお茶を飲ませ過ぎたか? 振り向くとゼラの赤紫の瞳からはポロポロと涙が溢れる。

「あええ、カダール、死んだらダメえ、あええええん、ばかああああ」
「悪かった悪かった。よーしよしよし」

 ゼラの頭を胸に抱えるようにしてワシワシと髪を撫でる。

「……ずいぶんと覚悟を決めたド変態だ」

 そんな俺達を見ながらクインは苦笑して酒を飲む。その青い目は優しげに細められて。
 ゼラを宥めてチーズをあーんとして食べさせて、もぐもぐしながらゼラがやっと泣き止んだ。その間エクアドはクインと話をして。
 クインはまた俺のことをド変態と笑いながら言い、エクアド、なんの話をしてた? ゼラが、カダールはド変態じゃないもん、とクインに噛みつく。
 ゼラとクインが言い合いのようなやり取りをしてるのを見ながら、俺とエクアドはグラスを傾ける。
 ラミアのアシェンドネイルがゼラのことを妹と呼んだ。ならばクインとゼラも姉妹なのだろう。二人は進化する為に倒した魔獣が、どっちが強いかなんていう言い合いを初めている。その中には聞いたことも無いような魔獣の名前が出る。二人とも負けず嫌いなのか、ゼラの方がスゴい、あたいの方が強い、と言っている。
 エクアドはクインのグラスに酒を注ぎ、追加の豆を茹で、俺はゼラにお茶を淹れる。あと二杯くらいなら大丈夫か?

 酔い潰れたクインがパタリと横になり、後を追うようにゼラも前のめりにパフンと倒れる。ゼラはクインの獅子のお腹に顔を埋めるようにして、クインの緑の翼がフワリとゼラの肩を包むように下りる。二人のシルエットは合体した新種の魔獣のようだ。
 エクアドがポツリと呟く。

「こうして見ると恐ろしい魔獣には見えないな。可愛いものだ」
「そうだな。見てるとこっちまで眠くなってきそうだ」
「手を伸ばして撫でてみたくなる」
「それをすると起こしてしまう」

 本来は人が触れてはならぬものなのだろう。そんなことを言ってもとっくに手遅れだが。

「カダール、クインの話ではこれから王種誕生が増えると」
「魔獣深森に近いウィラーイン領には頭が痛い話だ」
「スピルードル王国だけで無く、盾の三国にとっても危機だ」
「しかし、エクアド、これはどうすればいい? 人の数が増えればそれに合わせて魔獣が増える。王種の発生率を減らすには、人の数を減らさねばならん」
「人を守る為には本末転倒だ」
「ならば、深都に行くか? クインのお姉さま達と母神ルボゥサスラァに会いに」
「それが切っ掛けで魔獣が活性する。クインの話では危険地帯を探索できる程の技術を人間が示すのも、魔獣が増える要因になると」
「文明の終着からの終焉と滅日を防ぐのが、魔獣を産み出す母神ルボゥサスラァの役目か。文明が発展することの邪魔が目的となると」
「それにあのラミアのアシェンドネイルをお仕置きするお姉さま達とはなんだ? 人がどうにかできるとは思えない」
「エクアド、ゼラもクインも人がどうにかできると思うか?」

 エクアドとりんごブランデーを呑みながら、小さな寝息を立てるゼラとクインを見る。くっついて寝てるところは仔猫のようだ。

「もともと俺達が力でどうにかできるものでは無い」
「カダールが最初にやったこと、怒らせないようにご機嫌をとるくらいしかできないか」
「言葉が通じる。話ができる分、やりようはある」
「上手くいくか? 触らねば相手も怒るまい。それに深都の正確な場所も方角もクインは教えてはくれなかった」
「ひとつだけ方法はある」
「なんだ?」
「俺とゼラは、深都のお姉さま達が注目しているらしい。ならば俺とゼラの関係が上手くいっていれば、向こうから興味を持って出てくる。ラミアのアシェンドネイルのように」
「出てこられても困る」
「いったい何を期待しているのかは解らんが、俺とゼラが新しい人と魔獣の関係を作れるのなら、変わるのかもしれん。魔獣と争うことを減らし、人と魔獣が共に生きる在り方へと」
「そのためには己の死体を食え、と? 変なことを言い出してゼラを泣かせるなよ」
「あれは俺の願望だ。それに簡単に死ぬ気も無い。ただ、クインを見て心配になった。俺が死んだ後、ゼラはどうなるのか、と」

 エクアドも眠る二人を見て薄く笑う。ゼラが寝ながらクインの獅子のお腹をもみもみして、クインが、ぴう、と寝言を口にして身を捩る。

「カダールがリアーニーのように己の生を全うすれば、ゼラもクインのように受け入れるだろう」
「もしかして、スピルードル王国が魔獣深森に近くとも栄えているのは、クインのように守ってくれる者がいるからかもしれん」
「人知れず、報酬も無く栄誉も無く、か。騎士の鏡だ。なぁ、カダール」
「どうしたエクアド?」
「俺がクインを口説く、というのは有りか?」
「クインに惚れたか?」
「いい女じゃないか。それとカダールとゼラが人と魔獣の新たな関係を作るというなら、俺とクインもそうなれるかもしれん」
「うむ……」

 かなり酒が入ってきた頭で考える。クインとエクアド、悪くは無いとは思うが。

「エクアド、打算が透けて見えると警戒されるぞ。ゼラもそうだがクインもこちらの心情に鋭いところがあるみたいだ」
「クインを人の側に、という打算もあるが。打算だけでは無いのだがな」
「本気なのか?」
「この先どうするのか気にはなる」
「クインは深都に帰ると言うが」
「またアバランの町に来るだろう。エイジスとリアーニーの子孫がいるのだから」
「それなら次に会ったときに口説いてみるといい。クインが起きたら次に会う約束でもしてみてはどうだ?」
「俺もクインに変態と呼ばれたから、これは少し脈がある、と考えてもいいのか?」
「むう、スケベ人間とか罵って恥ずかしがってはいたが、ゼラと話をしてるときはムニャムニャに興味がありそうだったし」

 俺がゼラの背に乗り、エクアドがクインの背に乗り、ダブルデートというのも有りか? 眠る二人を肴にエクアドと酒を呑み話をする。
 王種誕生が増えると聞いても俺達が出来そうなことは、魔獣深森付近の防衛強化くらいだ。
 エクアドがクインを口説き落とすというのも面白そうだと、いくつか案を出す。口では人間嫌いのようなクインだが、話しやすい。恥ずかしがりなところは注意して。豆と酒が好きなら贈り物はそれでいいか。エロい話にならないように気をつけて、先ずは呑み友達から。
 そんな話をこそこそと眠る二人を起こさないようにして。


 ゴソゴソと音がして目が覚める。テーブルに突っ伏して寝てしまった。顔を上げれば同じようにテーブルに突っ伏してイビキをかくエクアドがいる。朝まで起きてるつもりがこれまでの疲れもあって、二人して寝てしまったようだ。
 ふと横を見ると白いパンツ?
 クインがズボンを穿いているところだった。人化の魔法で人に変化して服を着ているところだった。
 振り向いたクインと目が会う。クインの頬が赤くなり俺は慌てて目を逸らす。なんでこう、タイミングが悪いんだ? 人に変化したスラリとした二本の足に白いパンツに包まれたお尻がキュッとしてて、
 
(おい、スケベ人間)

 寝てる二人を起こさないようにクインが小声で呼ぶ。せめて名前で呼んでくれ。
 振り向くとクインの右手が迫る。俺の頭を正面から捕まえて、こめかみが左右から親指と小指でギリギリギリと締め付けられる。うおお、痛い痛い痛い頭が割れる! すまんクイン。だが事故だ、事故なんだ。あいたたたた!
 声を出さないように我慢してお仕置きに耐える。ぬぐぐ。

(ほんとに、この、ド変態は、おっぱいだけじゃねえのかよ)
(う、おおお、すまん、だが、今のは俺が悪いのか?)
(男が言い訳すんな)

 気がすんだのかようやく解放された。頭を押さえてテーブルの上を見れば、大きな緑の尾羽根が五本ある。クインの尾羽根は翼の羽より大きく、エメラルドのような緑に艶のある黒の縞模様が美しい。

(クイン、これは?)
(礼だよ。とっとけ)
(礼というなら俺達の方がクインに礼をしなければならないのだが)

 寝てる二人を起こさないように顔を近づけてヒソヒソと話す。

(こっそり出て行くつもりだったのか?)
(目が覚めたらもういない。そこには尾羽根だけがあった。なんていうのがお前ら好きなんじゃねえのかよ)

 ニヤリと笑うクイン。その目論みは俺が目を覚まして失敗しているが。

(カダールは本当に間が悪い奴だ。それとも狙ってんのか?)
(狙ってどうして痛い目に会わなければならない? エクアドがクインと話したいことがあるから、起きるまで待ってくれ。朝食を食べてからでもいいだろう?)
(ズルズルと居たらなんか離れにくくなっちまうだろうが。あたいは馴れ合わねえんだよ)

 そう言ってクインはテントの外に出ようとする。

(本当に変な奴等だ。カダールだけじゃなくて他の奴等も友達みてえに近づいて来やがる)
(アルケニー監視部隊はゼラで慣れているから、今さらクインの正体程度でおたつかん)
(それがおかしいっての。おい、カダール)
(なんだ?)
(ゼラを、妹をよろしく頼む)

 プイと顔を背けて俺の顔を見ないままクインは告げた。返事をする前にテントを出てしまう。追いかけようとテントから顔を出したときには、クインの姿はもう無かった。魔法で姿を眩ませたのか、見渡しても何処にもいない。まったく妙なところで恥ずかしがりな女だ。
 外の見張りにクインが出たことを告げる。ルブセィラ女史が悔しがるだろうか。俺とエクアドはもう少し寝ると伝えてテントに戻る。エクアドもまた、機会を逃したと残念に思うのか。いや、クインにはまた会える気がする。

 テーブルの上のクインの尾羽根をひとつ手に取る。緑と黒の縞模様の大きな尾羽根。人に恋した鳥の魔獣。そしてその恋心に守られた人と町。羽を残して彼女は去る。それはまるでお伽噺のような。
 うつ伏せに眠るゼラの蜘蛛の背にそっと横になる。黒い体毛がふわふわの蜘蛛の背ベッド。寝ぼけたゼラが、

「――んに?」
「ゼラ、まだ寝ててもいいぞ」
「ンー、カダール? クインは?」
「また会えるさ。ゼラ、ここで寝てもいいか?」
「うにゅ、いいよー」
「おやすみ、ゼラ」
「おやすみー」

 ゼラの蜘蛛の背に寝転がり手のクインの尾羽根を見る。大きく綺麗な鳥の羽。散々ド変態、スケベ人間と罵ってくれたが、ゼラが俺を抱きしめるのを何かを願うような目で見ていた。クインが叶えられなかった願いを、ゼラと俺に見ていたのだろうか。
 俺はあとどれだけ、このゼラの蜘蛛の背に居られるのだろうか。まだまだ先のことと思いたい。だが人はいつどうなるか解らない。
 そのときまで俺はゼラに何ができるのか。俺とゼラがこの世界に何をできるのか。俺とゼラの在り方を深都に住む者はどう見ているのか。何を考えているのか。

 俺にできることなど限られている。ゼラを幸せにする。そして俺が先に死んでもそれでゼラが絶望しないように、いろいろと教えたりしなければ。
 何れ命の火が消える。誰しも寿命には逆らえない。その時に後悔しないように、今を大切にして、できることをするだけだ。
 目をつぶり片手で蜘蛛の背を撫でる。ふわふわの体毛に指を滑らせて、その下のゼラの温かさを感じる。

 ゼラの未来の為に、俺の未来の為に、人と魔獣との新しい在り方の為に、
 目が覚めたらゼラといっぱいイチャイチャしよう。
 テントの外はまだ暗く、それでも夜明けは近づいている。

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登場人物紹介

ゼラ

もとは蜘蛛の魔獣タラテクト。助けてくれた騎士カダールへの想いが高まり、進化を重ねて半人半獣の魔獣アルケニーへと進化した。上半身は褐色の肌の人間の少女、下半身は漆黒の体毛の大蜘蛛。お茶で酔い、服が嫌い。妥協案として裸エプロンに。ポムンがプルン。しゅぴっ。

カダール=ウィラーイン

ウィラーイン伯爵家の一人息子。剣のカダール、ドラゴンスレイヤー、どんな窮地からでも生還する不死身の騎士、と渾名は多い。八歳のときに助けた蜘蛛の子と再会したことで運命が変わる。後に黒蜘蛛の騎士、赤毛の英雄と呼ばれる。ブランデーを好む、ムッツリ騎士。伝説のおっぱいいっぱい男。

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