第十八話
文字数 5,155文字
スピルードル王国、王都スピンドウ。ただ王都と呼ばれたり鋼の王都などと呼ばれる街は、スピルードル王国の東寄りにある。
これは西に魔獣深森が在るためで、ウィラーイン領から王都に行くのは、王国を横断するのに近い。
「それじゃ戻ってくる前にフェディエアの赤ちゃんが産まれちゃう」
「ゼラ、そんなに直ぐには産まれないから」
フェディエアの妊娠が解ってから、ゼラはフェディエアとフェディエアのお腹の赤ちゃんが気になって仕方無いらしい。一日に一回はフェディエアに頼んでそのお腹を触らせて貰っていた。
身重なフェディエアを連れて長旅はできないので、今回フェディエアはローグシーの街に残ってもらうことに。
「順調に行けばフェディエアの出産前にはローグシーに戻れるから」
「ンー、ほんとう? 赤ちゃんが産まれるとこ見れる?」
「余裕で間に合うだろう」
結婚したばかりの二人には悪いが、エクアドは隊長としてアルケニー監視部隊を率い、フェディエアのことは母上に頼む。
そうしてローグシーの街を旅立ち、途中で俺が軽く拐われたりなどもして王都へと到着。
今は王都の歌劇場の観客席にいる。
「わー、広い、大きい、ローグシーの演芸場よりおっきい!」
「王国一大きく豪奢な歌劇場だから」
観客席の通路で天井を見上げたり、回りを見回してキョロキョロするゼラ。
王都の歌劇場は、もとは王国の政策のひとつとして演劇を取り入れていた。魔獣と戦い国を守る勇士の物語を見世物とし、王国の住人に税が国を守る為に使われると伝える為に。魔獣の被害が少ない王国東部に、魔獣深森に近い西部のことを解ってもらうために。
今では王都の住人の娯楽のひとつとして、魔獣退治の物語以外にも喜劇、恋物語と幅広く公演されている。
本日は公演日では無いので客席はガラガラだ。ここに居るのは俺とゼラとエクアド、エルアーリュ王子に隠密ハガク。王子の側近の騎士ラストニル。
歌劇場の中と周囲はハガクの隠密隊とアルケニー監視部隊が警備している。
「ゼラには窮屈な思いをさせてすまない」
「ンー、だいじょぶ」
エルアーリュ王子が言うことにゼラは軽く応える。魔獣深森から遠い王都では、ウィラーイン領と違い住人が魔獣を見慣れていない。ゼラが王都を歩けば混乱となるかもしれない。
ここに来るのもゼラが乗れる特大馬車を用意してもらい、なるべくゼラの姿が住民に見られないようにしている。
「だがこうして王都でも『蜘蛛の姫の恩返し』ミュージカルを公演し、絵本の販売も増やせば、いずれゼラが王都を自由に歩けるようになるだろう」
「ですがエルアーリュ王子、王都はローグシーから遠くゼラが王都に来れることはあまり無いかと」
「カダールよ、これは未来の為にだ。今回も本当はゼラに大通りをパレードして欲しかったところなのだが。カダールと共にゼラの蜘蛛の背に乗り、王都を進みたかった」
こういうところでウィラーイン領とは、スピルードル王国の中でも少し変わっているのかもしれない、と思うこともある。王子と話していると、
「ゼラちゃーん!」
ゼラを呼ぶ元気な女の声。赤いドレスの女性が満面の笑みでゼラに駆け寄ってくる。そのままゼラへとジャンプしてゼラがその胸に女を受け止める。
「ゼラちゃん、久しぶり!」
「アイシー、元気?」
「もちろん元気、ゼラちゃんは?」
「ゼラも元気」
ゼラに抱きついてぶら下がるようにしているのは、女優のアイシー。ミュージカル『蜘蛛の姫の恩返し』の主演女優だ。
以前、ローグシーの街でのこと。ミュージカルの練習をしていた女優アイシーが、
『アルケニーをどう演じていいか解らない、モデルに会わせて!』
と、半狂乱で単身ウィラーイン家に乗り込んで来て騒ぎとなった。仕方無く女優アイシーをゼラに会わせ、以来、演技の為にゼラを観察しに来るように。ゼラともいろいろと話をし、ゼラの仕草を真似したり、蜘蛛の七本脚の移動の様子など、熱心に研究していた。
ゼラもまた女優アイシーから、可愛く見える仕草とか、色気を見せる立ち方とか、自然に胸を強調するポーズとか教えてもらうなど、ゼラの破壊力増強に役立ってしまった。
「私が王都の歌劇場の舞台に立てるなんて、これもゼラちゃんのおかげよ。ありがとう」
「ンー? ゼラ、何もしてないよ?」
「ゼラちゃんが来てくれなかったら、ミュージカル蜘蛛の姫の恩返しは無かったもの。もう、本当に夢みたい。ゼラちゃーん!」
「アイシー」
二人でむぎゅっと抱き合い再会に喜ぶところは、少女が友情を確かめあうようで見ていて和む。女優アイシーは背も低く童顔で、肌の色は白いが胸も大きく、ゼラに少し似ている。女優アイシーの方がゼラに似るようにと、髪を黒く染めたりと工夫しているのは聞いたことがある。
ひとしきり話をして落ち着いたところで、女優アイシーは劇団の座長と並びこちらに一礼する。
「本日はようこそおいで下さいました。ローグシーでお見せしたものとは、代わり映えはあまりありませんが、ごゆっくりお楽しみ下さい」
明日からこの歌劇場にて、ミュージカル『蜘蛛の姫の恩返し』の一章と二章が公演開始となる。今日は最終チェックとして客は入れないが、本番同様の舞台となる。そこに俺達が見に来た。舞台監督と劇団の座長しかいない客席は、まるで貸し切りのようだ。
「では貴賓席に行くか」
エルアーリュ王子について貴賓席へと。バルコニーのような二階席、ゼラが入れるようにテーブルを隅に寄せる。
「人のサイズだとゼラには窮屈か?」
「ンー、でも入れるよ」
扉が通れないゼラは客席からジャンプして二階席へと。見てる人が少ないからできることで、客がいたらこんなことはできない。
椅子に座り用意された果実水を飲む。ゼラはいつものポジションと俺の真後ろで俺の肩に手を置く。舞台では裏方がセットを確かめたり、演者が舞台上で各々セリフに歌の練習などしたり、蜘蛛の姫の下半身担当が頭の無い黒蜘蛛の着ぐるみで彷徨いていたり。
母上の友人が用意した楽団は、ローグシーの演芸場より人数が増えている。本番前の最後の調整中で様々な楽器の音がする。ゼラはいろんな人が騒がしくしているのを珍しそうに眺めている。まだ本番まで時間がありそうだ。
ゼラが指差してあれは何? と、聞いてくるが舞台のセットの仕掛けとか楽器の種類とか、俺にも解らないものは答えられない。
「む、来たか」
エルアーリュ王子の声に振り向けば、フードで顔を隠した人物が貴賓席に入ってきた。その人物にエルアーリュ王子が話しかける。
「上手く誤魔化せているか?」
「影武者を置いてきた。つけられてはいないようだ」
「どうだ? 隠密ハガクの部下は?」
「東方のシノービとは、不思議な技を使う」
貴賓席に居るのは俺とゼラ、エクアド、エルアーリュ王子、そしてフードの男。隠密ハガクとエルアーリュ王子の側近の騎士ラストニルは扉の外で警備についている筈だ。
男はフードを外して顔を見せる。影武者を仕立ててこっそりと歌劇場に来たのは、この王国の第二王子アプラース。エルアーリュ王子の弟。
こうしてアプラース王子と顔を会わせるのは、
アプラース王子は席につかず、俺とエクアドに近づく。
「騎士カダール、そして騎士エクアド」
「なんでしょう? アプラース王子」
立ち上がり出迎える俺とエクアドを見、アプラース王子は深々と頭を下げる。
「
真摯に言うアプラース王子に面食らってしまった。これがあのアプラース王子? 俺達に礼を言い、その礼が遅れたことに詫びたい?
「手柄に逸る作戦にて、危うい目に遭わせ、それでもこの身を守ってくれたこと、感謝する」
「いえ、王国に仕える騎士として当然のことです」
アプラース王子は顔を上げ、俺を見て、エクアドを見る。ゼラに視線を移し、じっとゼラを見る。
「ンー?」
「こうして直に会い話をするのは初めてか、アルケニーのゼラよ」
「ウン」
「私がスピルードル王国第二王子アプラースだ」
「アプ王子?」
首を傾げて言うゼラにアプラース王子は眉を顰めて、エルアーリュ王子は明るく笑う。
「私もエル王子と呼ばれている。気軽に呼ばれるのは心地好いものだぞ」
「アルケニーに身分など無用のもの、か」
アプラース王子が席につき、俺とエクアドも椅子に座る。改めてアプラース王子を見れば金の髪はエルアーリュ王子と同じ色で、髪は短い。随分と背が伸びていて、兄のエルアーリュ王子よりも頭ひとつ背が高い。体格もがっしりとして鍛えられている。
エルアーリュ王子は髪は長く腰まで届き、細身で後ろ姿は女と間違われることもある。髪は金、瞳は青と色は同じだが、見た目は対称的な兄弟だ。
「ミュージカルが始まる前に、話を終わらせるかアプラース」
「ああ、兄上、鬱陶しいことは先に終わらせることにするか」
「中央の総聖堂から来た聖剣士団は、あれはなんだ?」
「兄上がウィラーイン領に行っている間に王都に来た。光の神教会を掲げられると無下にもできず、力を持った宗教とは厄介だ」
「それでロジマス男爵の身柄を渡したのか?」
「渡しはしない。尋問の許可を与えたが、その際は、こちら側からも立ち会いをさせる。また、ロジマス男爵をスピルードル王国の外に連れ出すことは許していない」
「ふむ、それでは聖剣士団が追うロジマス男爵の悪事とは?」
「中央の神官と中央の国の貴族との癒着、関税の誤魔化し、密貿易。これを中央の教会が本腰を入れて処断することにしたらしい。件の神官は捕まる前に中央からスピルードル王国へと逃げて来た。そいつがロジマス男爵の屋敷で見つかった」
「なんだ、その神官を追いかけてわざわざスピルードルまでやって来たのか。見つかったというその神官は? 誰が発見した?」
「聖剣士団が捜索して今は聖剣士団が確保している。それで奴らはロジマス男爵を捕まえ関係者を調べたいのだ」
「なるほど、身内を処断するための調査か。それで追い詰められたロジマス男爵は一発逆転を狙ってカダールを誘拐したのか? いや、これは順序が違うのか?」
「実質、件の神官を匿っていたのは中央礼賛のレングロンド公爵だろう。聖剣士団が人数揃えて来たことで危機を感じたレングロンド公爵が、神官をロジマス男爵に押しつけ切り捨てた、というのが私の推測だ」
「裏は取れないのか?」
「それが簡単にできるようだったら、兄上はとっくにレングロンド公爵を潰しているのではないのか?」
「そこは簡単に掴ませてはくれんか。まったく、保身の為にだけ頭を使う輩はどうして国の為にその悪知恵を働かせてくれないのか」
「フッ、それができる者なら兄上に無能の烙印を押されることも無いだろう」
二人の王子の会話に驚いてしまう。話の内容もそうだが兄弟王子が仲良くお喋りしている様子に驚く。エルアーリュ王子からアプラース王子とは内通している、とこっそりと教えて貰ってはいるのだが。
アプラース王子と言えば兄のエルアーリュ王子に負けぬようにと、手柄を立て武名を上げようと無茶をする者で、こんなに仲が良いとは噂にも聞いてはいない。噂の方では険悪な仲の筈。隣のエクアドを見ると、エクアドも驚いている。
驚いていないのはゼラだけだ。難しい話に興味を無くして本番前のミュージカルの舞台の様子に視線を戻している。大事な話だと解るようで静かにして、俺の背中にペッタリとついて俺の赤毛を指で弄ぶ。
エルアーリュ王子がアプラース王子と話をしながら、小さなテーブルに用意されたお菓子を摘まみ、チラリと俺達を見る。
「どうした? 食べないのか? このワッフルはなかなか美味いぞ」
「兄上、これは甘過ぎ無いか?」
「そうか? うむ、これはゼラも好むのではないか?」
「昔から甘党で菓子好きで、それでどうして細いのか」
「体質だろうか? できればもう少し筋肉をつけたいのだが。私には同じ修練でアプラースの方がムキムキになっていくのが謎だった」
「そう言われても、これも体質か?」
仲良し兄弟だ。仲良し兄弟がお菓子を食べながらお喋りしてるようにしか見えん。
アプラース王子、何があった?