第十話

文字数 5,442文字


 ゼラの入浴については何も問題は無かったようだ。ゼラがお風呂で水系の魔法で何かしたようで、それが楽しかったのか、長湯した女性陣が少しのぼせた。
 風呂上がりの果実水を飲む母上は上機嫌だ。

「新しい大きなお風呂で、お湯の玉が宙に浮かんで、噴水があって、ゼラとお風呂に入るとまるでお湯の遊技場ね」
「それは、良かったですね」
「ところで、カダールはどうして疲れているの?」

 新領主館の外でぐったりと座り込む俺を、湯上がりほかほかの母上が見下ろす。ルブセィラにアルケニー調査班の研究員は、ゼラの身体検査を。ゼラが溺れたり具合がわるくなったり、という話は聞いていない。検査して何も問題無ければ、ゼラとの入浴は可能ということに。

 新領主館の庭で疲れて座ったり寝転んだりしてるのは、俺だけでは無く、ここにいる隊員達だ。
 連続組手はなんとか勝ちきった。危ないところもあったが、向かってくる隊員全てから、ゼラとの混浴を守りきった。
 父上と執事グラフトとエクアドが参加しなかったから助かったのだが。この三人まで相手にしたならば、敗北していたろう。……父上も執事グラフトもニヤニヤしながら審判をしていたのが、ちょっとだけイラッとしたが。

 だが、これでも俺はウィラーイン剣術を継ぐ剣士で、無敵の双剣士と呼ばれる父上を師として鍛え、王都では剣のカダールと呼ばれたこともあるのだ。一対一で簡単に負けたりするものか。
 エクアドが俺に果実水の入った水筒を差し出す。受け取り口をつける。うむ、勝利の水の味は旨い。己の力で守りきったという達成感がある。

「訓練にはなったが、引っ越しはどうする?」
「新領主館に荷を運ばなければならないか」

 エクアドが聞いてくるが、既に俺と隊員達の約半数が体力切れだ。庭にぐったりと寝転び動けない者もいる。全力を振り絞るほどにゼラとお風呂に入りたかったのか? まったく。

「慌てることも無いだろう。隊員宿舎に研究施設も引っ越しで、すぐには終わらない」

 なんでこうなったのか、父上ェ。そのうち、ゼラとの混浴権勝ち取り試合第二回とか、第三回とか、面白がって言い出しかねん。
 アルケニー監視部隊の宿舎、アルケニー調査班の研究施設も見て回る。どちらも一階にはゼラが入れるところが作られている。ゼラ用の大きな玄関扉がある。こうしてゼラが入れる建物ができるというのはありがたい。

「ゼラに任せて、ゼラ力持ち」

 翌日からゼラがやる気満々に、ふんすと拳を握る。赤色の作業用のチョッキは腕は出ているが、肩に荷物を担げるように肩当て付きだ。ロープを肩にかけても、肌に食い込まない作り。
 腰から下は厚手の前掛け。腰のポーチ付きのベルトは、ゼラが第二街壁工事を手伝っているときに、職人から貰ったお古を改造したものだ。これが最近のゼラの作業着姿。
 
 新領主館はローグシーの街、第一街壁の外にある。完成が近い第二街壁の近くになる。前の館からはローグシーの街中を通り、第一街壁の街門を抜けて来なければならない。
 新領主館の引っ越しは、ゼラが荷を乗せた馬車を引いて、鼻歌しながら街の大通りを進むことになった。新領主舘で暮らすことを楽しみにしたゼラが、馬車を引いて往復する。走って事故を起こさないように、俺がゼラと並んで歩き、速度を上げないように気をつける。
 
「ただの引っ越しが祭りのようになってしまってないか?」
「ウン、楽しい」

 子供達がはしゃいで後をついてきたり、ゼラを見るために出てくる住人がいたり。遠目に観察する者もいれば、堂々とスケッチを始める芸術家もいたりする。
 引っ越し自体は特に問題無く終わり、ハウルルの墓も新領主館の新しい花壇へと移した。
 新領主館での暮らしは、慣れるまで少しトラブルはあったものの、これはたいしたことは無く。
 ゼラが入れる台所で料理に興味を持ったゼラが、料理人に教えてもらいながら野菜の皮剥きを手伝ったりする。

「ン、なんだか懐かしい」
「ゼラ、ニンジンの皮なんて食べなくても」

 ニンジンの皮をモソモソ食べながら俺を見るゼラ。くわえるニンジンの皮を取り上げようと摘まんで引っ張ると、ンー、と言いながら顔を近づけてくる。ニンジンの皮をくわえて離さないから釣りのようになって、釣られたゼラは楽しそうだ。ゼラがタラテクトのときに、こうして野菜の皮をあげていたことがあったか? 
 新領主館の一階は、広さと天井の高さに人が慣れる方が時間がかかったか。この台所でも、通路の広いところが料理人には使いにくいらしい。
 料理長が俺とゼラを見る。

「ゼラ様が料理に興味をお持ちになるとは。お菓子はともかく、食べ物は生が好きなものだと思ってましたが」
「ウン、生が好き。だけど、カダールが美味しいっていうの作れるようになってみたいの」
「それはまた、ごちそうさまです」
「?何も食べてないのに、ごちそうさまなの?」
「胃袋と違うとこがいっぱいになりましてな。では、カダール様もゼラ様も食べられるチーズでも作ってみますかね?」
「チーズ! ゼラにも作れるの?」
「そんなに難しいものでも無いです。ただ、私からお願いがひとつあります」
「なに?」
「台所でいちゃつくのは、ほどほどに」

 いやその、すまん。仕事の邪魔になってしまったか。こうしてゼラが料理人に教わりながらチーズ作りに挑戦することに。お料理するなら、と、ゼラがまた裸に白エプロン姿になり、料理人の男が目のやり場に困ることに。

「いやその、料理をするときはエプロンをつけるものですがね?」
「裸よりは大事なところが隠れている分、マシだと考えてくれ」
「台所で裸は、跳ねた油で火傷してしまいますな」
「ンー? エプロン外してもいいの?」
「……台所に変な空気をもちこまんでください。あと、ひとりものには目の毒ですな」
「ウン、毒は食べ物に混ぜちゃダメ」

 料理長が半分困って、半分嬉しいニヤケ顔という、複雑ですがるような顔で俺を見る。ゼラが料理に興味を持つ間は、よろしく頼む。

 新領主館でも俺とゼラの監視体制に大きな変化は無く。これは骨折騒ぎなど起こしてしまった俺の身の安全を守るため、というのが大きい。
 領主館の一階は隠し部屋、隠し通路があちこちにある。そこからアルケニー監視部隊が身を潜めて観察できる作りになっている。まぁ、俺の方は倉庫暮らしから、いろいろ見られることにも慣れてきてしまった。

 最後の抵抗としてゼラの新しい寝台は天蓋寝台だ。特注のゼラ専用寝台は広く大きい。これまでは布団とクッションを並べて重ねていたのが、これからはちゃんとベッドになる。ゼラの下半身、蜘蛛の身体の大きさを測り、段差のあるベッドというもの。人が五、六人余裕で横になれる特大サイズ。
 血がついても染みを誤魔化せる、濃いめの赤色の寝台は、色といい大きさといい形といい、怪しい邪教の祭壇のようにも見える。
 これをカーテンで覆い、ムニャムニャだけは見られ無いようにする。いろいろと麻痺してきたのかもしれんが、それでも見られて恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。

「ここも、ゼラの部屋?」
「寝室以外もこの領主館の一階は全て、ゼラの部屋だ。明日には書斎にゼラ用の机も入る予定だし」

 ゼラの書斎、というか学習室というか。本棚は絵本が多いが他にも本が入っている。俺と母上、ルブセィラ女史でゼラの学習を。これまでと同じように人のことに、読み書き、算数、歴史に社会と、ゼラが興味を持つ分野をあれもこれもと教えている。

 母上がゼラにお金を教える為に、ゼラのはじめてのお使いも計画中だ。母上、また絵本のネタにしようとしてませんか?
 寝台に乗り弾むようにして柔らかさを確かめるゼラ。むふん、と鼻を鳴らして振り向いて、艶めいた流し目で俺を見る、そんな仕草もゼラは憶えてきた。

「カダール、使ってみよ」

 と、言ってゼラは手から糸を出し、プリンセスオゥガンジーを編み始めた。う、むむ、そうだな。使ってみて不具合があれば寝台を改造しなければいけないし。これはさっそく試してみなければ。
 新しい寝台はクッションも良く弾み、ムニャムニャも段差を使った今までできなかった体位を試してみて、ゼラが頬を染めて目を潤ませて、げふんげふん。

 新領主館の生活に少し慣れた頃、ゼラがおめかしして赤いドレスを纏う。会計のフェディエアがゼラの顔に薄く化粧をし、髪を結い上げる。
 ゼラは珍しく強ばった顔で不安そうに眉尻を下げる。

「ふうぅ、カダールぅ」
「緊張しているのか? 大丈夫だゼラ、母上に教えてもらった通りにすれば」
「ちゃんと上手にできるかな?」
「そのために練習してきただろ? 母上もこれなら良しと言っていたし」

 新領主館のお披露目ついでのお茶会を、母上が決めた。新領主館の喫茶室で客人を迎えることになった。
 母上とゼラが客人の相手をすることになり、不安を感じたゼラが俺の手を握って離さない。

「それに今日の客人は母上の友人だけだ。ゼラ、もっと気楽に構えて、何かあっても母上が側にいる」
「ウン、カダールも後で来るんだよね?」
「そうだ。だから心配無い。ほらゼラ、笑顔だ、笑顔」
「ウン、笑顔、ニッコリ」

 ゼラの黒髪に銀の三日月の髪留めをつけるフェディエアが言う。

「ゼラちゃんが緊張するなんて、初めて見たわ。そんなに怖い?」
「フェディ、えっとね、ゼラが失敗して母上がガッカリするかもって考えたら、怖いの。こんなの初めて」
「失敗してもいいじゃない」
「フェディー」

 泣きそうになるゼラにフェディエアがクスリと微笑む。

「子供の頃から礼儀作法なんて無縁のゼラちゃんだもの。ルミリア様も解っているわよ。ゼラちゃん、礼儀の一番大事なことって解る?」
「えっと、相手に失礼なことしないように?」
「それもそうだけど、客を歓迎すること。その人が楽しく気楽に過ごせるように気をつかうこと。ゼラちゃんはカダール様が楽しくしてたら嬉しい?」
「ウン、嬉しい」
「それと同じように、迎える人を楽しませることが嬉しい、という気持ちを形にするのが礼儀なのよ。その気持ちが無くて所作だけ完璧だと嫌味な感じになってしまうわ」
「そうなの? じゃ、どうすればいいの?」
「今日のお客はルミリア様のお友達。お客が喜べばルミリア様も嬉しいでしょうね」
「ウン、ハハウエに喜んで欲しいの」
「ゼラちゃんなら大丈夫よ。ルミリア様に教えてもらった通りにして」
「フェディ、ありがと。それと、この前はゴメンナサイ」
「あれは、もういいわよ。悪いのはエクアド隊長とカダール副隊長なんだから」
「おっぱいを気軽に男の人に触らせたらダメ、も礼儀のうち、なんだよね?」

 うぐ、酒に酔ってやらかしたときのことか? あのあと俺とエクアドとゼラは、このフェディエアに説教されてしまった。人のことをゼラに教えて、アルケニー監視部隊の規範となる隊長が、ゼラのおっぱいに顔を埋めるとは何事かと。それを副隊長がそそのかすのは如何なものかと。
 そのときのエクアドの頬が赤くなっていた。エクアドがフェディエアに正直に話したところ、フェディエアにビンタされたという。
 ゼラが泣きながらフェディエアに謝ると、今度はフェディエアが言い過ぎましたごめんなさい、とゼラに謝りだして収拾がつかなくなった。
 そのあとゼラとフェディエアが二人きりで話をして、この件では二人とも納得したようではあるが。それ以来、ゼラとフェディエアの距離が縮まったような。
 今もゼラがフェディエアの耳元でコソコソと小声で話している。何を内緒話を? フェディエアは頬をポッと赤くして、ゼラにウンウンと無言で頷く。いったい何を理解しあっている? フェディエアの考えるおっぱいに対する規律の問題か? 部隊での新規ポムンルールなのか?
 いや、そっちの話は後回しで、ともかく準備ができたところでゼラを促す。

「ゼラ、そろそろいいか?」
「カダール、ちょっと待って」
「深呼吸して」

 ゼラが、すーはー、と大きく吸って吐いてと繰り返す。ゼラの唇の両端を両手の人指し指でチョンチョンと触れる。口紅が落ちないように気をつけて。笑顔、ニッコリと囁くと、触れた唇が弓の形へと。

「可愛いぞ、ゼラ」
「ウン、笑顔、ニッコリ」
「ゼラも母上の友人と話してみたいだろう?」
「ウン、それは楽しみ。だけど失敗せずにできるかな?」
「それなんだが、ゼラは何が失敗だと思う?」
「えと、お客様に失礼なことをするとか、お茶をこぼすとか」
「失礼をしてしまったら、謝ればいい。お茶をこぼしたら、清潔魔法で綺麗にして、あとはアステとサレンに頼むんだ。それでお客が最後に笑顔でいれば、何をしても成功なんだ」

 手を伸ばしてゼラの背中をポンポンと。

「側に母上がいるから、心配無い」
「ウン、でも母上に頼らないで、ゼラがちゃんとできたら、ゼラは立派なウィラーイン家の娘、なんだよね」
「既にゼラはウィラーイン家の一員なんだが」
「がんばる」

 メイドのサレンが先導し、赤いドレスのゼラが胸の前で手を重ね、おしとやかに喫茶室に向かう。
 新領主館で初めて客を迎えるお茶会が始まる。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

ゼラ

もとは蜘蛛の魔獣タラテクト。助けてくれた騎士カダールへの想いが高まり、進化を重ねて半人半獣の魔獣アルケニーへと進化した。上半身は褐色の肌の人間の少女、下半身は漆黒の体毛の大蜘蛛。お茶で酔い、服が嫌い。妥協案として裸エプロンに。ポムンがプルン。しゅぴっ。

カダール=ウィラーイン

ウィラーイン伯爵家の一人息子。剣のカダール、ドラゴンスレイヤー、どんな窮地からでも生還する不死身の騎士、と渾名は多い。八歳のときに助けた蜘蛛の子と再会したことで運命が変わる。後に黒蜘蛛の騎士、赤毛の英雄と呼ばれる。ブランデーを好む、ムッツリ騎士。伝説のおっぱいいっぱい男。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み