第四話◇エルアーリュ王子主役回、後編

文字数 5,756文字


 私の手足のひとつ。諜報部隊を任せている女、隠密のハガク。東方流れの女で独自の隠身術を使う。部屋を出入りするのに、いちいち扉を開け閉めするのが面倒だと冗談を言い、こうしていつの間にか人の背後に立つのが得意の女だ。
 ハガクが来たということは、

「私のお楽しみを持って来たか」
「ルブセィラ女史とエクアド隊長の報告書はこちらで。できたら俺にも茶を一杯、いただきたい」
「このエルアーリュに茶を淹れろ、と言うか。ハガクは緑茶が好みだったか」
「ええ、故郷の茶に似てるので」

 緑茶の茶葉の包みを開ける。ふむ、ゼラは赤茶を飲むときは実に妖艶な感じで口をつけて、その様を見るだけでゾクリとしたが、緑茶だとどうなるのだろうか?
 隠密ハガクが椅子に座りラストニルが訊ねる。

「ウィラーイン領の諜報部隊フクロウの教導はどうだ?」
「筋がいい、というよりはあれはウィラーイン領の気風か? 嫌らしく無い馴れ馴れしさがある。技術とずる賢さが足りないだけで、そこを教えればいい。あれなら何処にでもしれっと潜れそうだ」

 スピルードル王国では魔獣深森に近い地域ほど、たくましいお人好しが多いようだ。協力しあわねば魔獣の脅威に対抗できないから、そのように育まれるらしい。
 次はシャルイーが、

「アルケニー監視部隊の方はどうです?」
「どうって、あれはなんと言えばいいのか」
「何か問題が?」
「問題と言えば問題になるのか? もともとが実戦経験のあるハンターに魔術師、魔獣に怯まない肝の太い奴らに、騎士カダールとエクアド隊長が信頼する騎士の先輩後輩という集団。クセ者揃いではあるが、今ではすっかり『ゼラちゃんを見守り隊』だ」
「はぁ?」
「もしくは『副隊長をイジリ隊』」

 隠密ハガクに緑茶のカップを渡す。手が少し震えて溢しそうになってしまう。いかん、可笑しくて手が震える。くくく。文官シャルイーは不思議そうな顔をしているが。ゼラを見て、直接話をした私には解ってしまう。
 下半身は大蜘蛛だが上半身は可憐な少女。そして人語を解するアルケニー。
 この半分でも人に近い見た目が会話をしやすくする、というのもあるが。
 話してみれば無邪気な子供のようで、それでいて一途にカダールに恋する乙女。照れもせず、恥じらいもせず、愛する人の為ならなんでもしようという純粋さ。そこには駆け引きも企みも無く、ただ好きと思い、ただ好きと言う。
 そんな蜘蛛の姫が、騎士カダールの側にいるだけでこの世は楽園と幸せな笑みを見せる。見てる方も毒気を抜かれて、胸が暖かくなるような二人。そうか、『ゼラちゃんを見守り隊』か。くくくくく。

「アルケニーのゼラは求心力も只ならぬものがある、か。くくく」
「笑ってる場合ですか? これではいざというとき、アルケニー監視部隊はエルアーリュ王子に従わないかもしれないのでは?」
「シャルイー、それでも構わんだろう。アルケニー監視部隊が従わないものは、私の命がゼラの為にならんと判断したもの。逆にゼラと王国の為になるとならば、なんでもしてくれるだろう。騎士エクアドならば舵取りを誤らぬ。見てきたハガクはどう考える?」
「騎士エクアドに騎士カダール。物語のモデルになるだけあってよく言えば騎士の鏡、悪く言えば未熟なお人好し。しかし、こういう純な奴らでないとアルケニーのゼラ穣の世話はできないんじゃないか」
「ゼラについては?」
「魔獣が何を考えてるかは不明。だが、どう見てもあれはカダール好き好き、だけにしか見えない。二人を見てると微笑ましいし笑えるのだが、たまに胸焼けしそうになる」
「ハガクが苦笑するほどか」

 ラストニルが私を見て怪訝な顔をする。

「エルアーリュ王子はアルケニーのゼラを見て以来、よく笑うようになりましたな。そんなに気に入りましたか? まさか、惚れましたか?」
「ラストニル、あの二人に惚れない者は何処か病んでいるのではないか?」
「それは言い過ぎでしょう」
「そうか? アルケニーのゼラ。命を救われた恩義からカダールに恋をし、人を食わぬと誓い、ただ想い人に近づく一心で魔獣と人の壁を越え、世の律すらねじ曲げ、タラテクトから人の半身持つアルケニーとなる。これはただの好いた惚れたでは無く、その想いを貫く為に力を得た乙女。灰龍すら食い殺す、災厄を越えた圧倒的な力を持って、その願いは只ひとつ、カダールが欲しい、だ。ゼラは想い人の幸せの為なら世界すら滅ぼしてしまえよう」
「それはアルケニーのゼラが、伝説の進化する魔獣だからでは?」

「そう、ゼラが伝説の進化する魔獣。そのゼラが小さいタラテクトのとき助けたのは八歳の少年カダールだ。我々はカダールに感謝しなければならん」
「どういうことですか?」
「もしもゼラが人に殺されかけたそのときに、カダール少年が助けなかったら? どうなったと思う?」
「ゼラは進化する前にタラテクトのまま死んでいたかと」
「そこでもしも、自力で生き延びていたら? 人に対して復讐心を持つ進化する魔獣となっていたら? 今ごろあのゼラの“灰塵の滅光(ディスインテグレーター)”が、怒りと恨みでスピルードル王国の町や村を焼き払っていたかもしれん」

 私の話にラストニル、文官シャルイーが顔を青くする。隠密ハガクまで口を閉じて目付きが険しい。
 この可能性は有り得ることだ。ゼラが進化する魔獣に覚醒したのはカダールの血と関わりがあるかもしれない。だが、もともと進化する魔獣であったならどうなるか。
 ゴスメル平原の大地に爪痕を残すゼラの魔法。あれがスピルードル王国の民を襲うことになっていたやもしれん。

「タラテクトのゼラを助けたのは、当時八歳の少年カダール。命を救われたゼラがその恩義を感じ、人も家畜も襲わずに生きてきた。恋心ひとつで魔獣の本能を捩じ伏せて。ハンターに襲われても、相手を殺さないように気を使う魔獣など、聞いたことも無い。そして、人類領域最大の災厄になったかもしれない進化する魔獣、アルケニーのゼラ。その心を捉えたのは八歳の少年、カダールの想い。魔獣でもなんだか可哀想と思う優しさ」

 カップの茶を飲み干す。初めてゼラを見たときは下半身大蜘蛛の姿に驚きはした。だが一心にカダールを想い、そのために灰龍をやっつけたというその忠心に胸が震えた。
 その後、ルブセィラの報告書で読んだ二人の過去に胸を打たれた。

「我々がこうして平穏に茶を飲んでいられるのも、当時八歳の少年の、瀕死の魔獣を助けたいと思う優しさのおかげかもしれんのだ。まるでお伽噺のようだが、これを知ったときの感動を、さてなんと言えばいいのか」
「騎士カダールがこの国の滅亡を防いでいたと、それも子供の頃に知らぬ間に?」
「ラストニル、その可能性もあったかもしれんのだ。そしてカダールの優しさに救われたゼラが生きた災厄、灰龍を討伐した。私が二人を英雄と呼ぶのも解るだろう」

 三人ともあったかもしれないスピルードル王国の危機を想像したのか、無言になり考え込む。私は隠密ハガクから袋に入った報告書を受け取る。

「私はこれから自室でこれを楽しむ。暫く一人にさせて貰うぞ。あとは頼んだ」

 このルブセィラと騎士エクアドの報告書が今の私の楽しみのひとつ。王子という立場で無ければ、私もアルケニー監視部隊に入りたいところだ。
 ゼラとカダールに出会えたことで私の理想が明確となった。
 父の後を継ぎ王となることを義務と思いはしても、正直に言えば面白味を感じられなかった。だが、今では王となりこのスピルードル王国をどんな国にしたいのか、理想が、目的ができた。

 アルケニーのゼラ、想い人に尽くす姿が、それを見る人の胸に暖かさをもたらし。
 黒蜘蛛の騎士カダール、子供心の優しさが国の滅びを防ぐ。
 その心美しき者が目にする者の幸せを願い、そのために尽力する。それが幸福を呼ぶ。民が幸せに暮らす王国とは何か。
 心根善き者が正しく優しく生きること。王はそれを守らねばならない。まるでお伽噺のようだ、と笑ってしまう。人はそう単純では無い。権威権力利権、資産に縁戚、様々なものが絡み、奪い騙す者が得をする。勝てば良し負ければ終わり、これもまた世の理でもあるだろう。
 だが、実在する英雄を目の当たりにしては、目先の小さな損得を奪いあう者が小さく見える。真に幸福を得る生き様とは。国が栄えるということは。人が生きるということは。
 具体的な方策は未だ無く、終わりの見えぬ理想。故にやり甲斐はあるというものだ。
 アルケニーのゼラよ、黒蜘蛛の騎士カダールよ。私に善政をやらせたいなら、私にロマンを見せてくれ。

 自室で一人、楽しみにしていた報告書を読む。エクアド隊長の報告書は親友であるカダールの恥ずかしい部分について、ぼかすように書いてある。
 王子として同年代の気を許せる友人、互いに深く理解しあう親友というのは、羨ましいものがある。私には対等な同年代の友人というのはいないのだから。
 カダールとエクアドがモデルという『剣雷と槍風と』は、私も愛読している。最近のは熱い友情が、暑苦しい友情過ぎた別物になってて、なんか違うと思うが、文官シャルイーはそっちの方が好きらしい。
 まぁ、エクアドが頑張ってぼやかしてもルブセィラの方の報告書でバレバレなのだが。
 ルブセィラの報告書を読む。毎日、楽しくやっているようだ。途中の一文で目が止まる。

『ゼラさんとカダール様が性交を成功させました』

 なんだと? 性交を成功? できるのか? できたのか? やっちゃったのか? そうか、できるのか。だが、どうやって? ルブセィラのこれまでの報告書でアルケニーのゼラの身体のことは少しずつ解ってきた。人間に似ている、酷似している部位があることも。だが、本当に成功したのか?
 アルケニーのゼラ。初めて見たときには裸に白いエプロンで騎士カダールを抱えていた。白いエプロンを下から盛り上げる二つの小山が実に立派だった。直接見たことは一度も無いが、あの大きさの胸はゼラの他に見たことは無い。
 ルブセィラの報告書でも、『極大サイズで垂れないのは重力に関与する魔法が働いている可能性あり。女から見ても至高の造型美と言えます』と書かれていた。
 その胸を直に好きにしたというのか? 騎士カダールよ。だが、どうやって性交を成功させた?

『エクアド隊長の配慮により、覗きは禁止された為に詳細は不明』

 不明か。ルブセィラでも解らずか。いや、カダールにしても他人には知られたく無いこともある。エクアドの親友を思う友情であるか。

 しかし、いったいどのように? アルケニーのゼラの姿を思い出す。下半身は漆黒の大蜘蛛であり、人の女性器に似た部位はその蜘蛛の身体と人の身体の境目にあるという。
 対面座位か?
 それならば頬に触れる近くでゼラの胸、極大の至高の造型美を見ることができる。それとも、
 騎乗位か?
 それならば真下から魅惑の褐色の果実の踊る様を愛でることができよう。
 あの大きさの芸術作品を意のままに、好きに弄び、ときには挟んだりしたのか、騎士カダールよ。うむ、このエルアーリュ、王子として手に入らぬ物は少ない。この私が心底羨ましいなどと浅ましく思ってしまうとは。
 だが性交を成功させた、ということは。
 カダールの夜の剣はどうだったのか?

 アルケニーのゼラは上半身は美少女だが下半身は漆黒の大蜘蛛。あの蜘蛛の足の大きな鋭い爪を見たときは背筋がヒヤリとした。
 性交、となればその蜘蛛の脚、蜘蛛の腹、蜘蛛の体毛に肌が触れてしまうことだろう。それはどれだけ剛胆な男でも萎えてしまうのでは無いか? ヒュッとしてしまうのでは無いか?

 だが、この報告書には性交を成功させた、とある。ということは、つまり、
 カダールの夜の剣は役目を終える最後まで、雄々しく立っていたということだ。なんということだ。流石、剣のカダールと呼ばれた男。その夜の剣もまた、不死身の騎士であったのか。
 それほどゼラへの想いが深いのか。これも愛の成せる奇跡なのか。
 黒蜘蛛の騎士カダール。まこと勇者と呼ぶに相応しき男よ。感服した。

 私があの至高の豊乳を直接見たり触ったりとか、してはみたいが私にはその資格は無い。ゼラの全てはカダールの為にある。
 私はこの二人を余計なものから守っていきたい。この二人の行く末を見届けたい。
 故にゼラの胸については報告書からの想像で我慢するとしよう。商会の件について一度ウィラーイン領に行くので、そこでまた裸に白いエプロン姿を見せてもらえるかもしれない。
 だが、アルケニー監視部隊はゼラの蜘蛛の背に乗せてもらったという。ならば私にもそれぐらいは許されるのではないだろうか?
 しかし、私がカダールにそう言えばこれは王子からの命令ということになってしまう。王子の命令だからと渋々ゼラの蜘蛛の背に乗せて、後でカダールの不満になることは望まない。そういうのは違うのだ。

 これが子供ならば簡単なのか? 私からチーズや茶葉を差し入れしてカダールに、
『ゼラちゃんの背中に乗せてー』
 と、頼み。
『しょうがないなぁ、ちょっとだけだぞ』
『わーい♪』
 というぐらいのノリが良いのだが。
 これはもう少しカダールと親密になり、カダールが私に持つ警戒心を和らげた方が良いのか。私はゼラに惚れてはいるが、それはカダールとゼラというお伽噺のような二人に惚れているのだ。アルケニーのゼラの一番の笑顔はカダールに向けられているのだから。
 たまに爆ぜろ、とか思ってしまうのは許して欲しい。
 しかし、性交が成功、か。
 ……子供はできるのか? 産まれるのはアルケニーか? それとも人間か?
 もしも無事に産まれたとして、だ。
 ゼラに似た可愛い女の子として、だ。
 私が今、十九歳だから歳の差は二十になるのか。
 二十歳差、これは有りか? それとも無しか?
 あの二人を見守る楽しみがまたひとつ増えた。


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登場人物紹介

ゼラ

もとは蜘蛛の魔獣タラテクト。助けてくれた騎士カダールへの想いが高まり、進化を重ねて半人半獣の魔獣アルケニーへと進化した。上半身は褐色の肌の人間の少女、下半身は漆黒の体毛の大蜘蛛。お茶で酔い、服が嫌い。妥協案として裸エプロンに。ポムンがプルン。しゅぴっ。

カダール=ウィラーイン

ウィラーイン伯爵家の一人息子。剣のカダール、ドラゴンスレイヤー、どんな窮地からでも生還する不死身の騎士、と渾名は多い。八歳のときに助けた蜘蛛の子と再会したことで運命が変わる。後に黒蜘蛛の騎士、赤毛の英雄と呼ばれる。ブランデーを好む、ムッツリ騎士。伝説のおっぱいいっぱい男。

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