第二十八話

文字数 5,713文字


 俺とエクアドが知ってしまったことは公にできないものがある。

 魔獣とは古代魔術文明の人々が滅日の前に、次代の人類が滅ばぬようにと造り出した、人造の天敵であるとか。闇の母神とはその魔獣を管理するために、過去の人間が造った人造の神であるとか。

 だが、人の数が増えればそれに対抗するように魔獣も数を増やし、王種の誕生もまた増える、というのは次期国王であるエルアーリュ王子は知っておいた方がいい。
 また人を弱体化させる技術が蔓延することも魔獣の増加と凶悪化を招くというなら、思いつきでいろいろと発明する母上に言っておかねばならない。

『道具とは扱う知識と技術があってこそで使い方次第だと思うのだけど。……なるほど、造る知識も扱う覚悟も無い者が、無知なまま簡単に扱える道具が広まれば、人はそれに溺れるということね』

 母上は納得したのかこう言った。俺とエクアドは父上、母上、ルブセィラ女史と話し合い、そこにはローグシーに来たエルアーリュ王子も交えて、この六人での秘密とした。
 深都の調査を考えていたエルアーリュ王子も、深都に人が近づけば何が起こるか解らないと、計画中の深都調査を止めることにした。

 エルアーリュ王子が大神官ノルデンにこれを教えたというのは、真実を伝えることで大神官を引き込もうという腹だろう。
 ただ、その衝撃が大きかったのか、大神官ノルデンは沈鬱な顔でこの世の苦悩を背負ったかのように項垂れている。

「魔獣が、人が滅ばぬようにと増え過ぎた人を間引き、人は魔獣に殺されぬようにと、強く逞しく成長する。魔獣も魔獣を産み出す闇の母神も、滅日を目前とした古代魔術文明が、次代の人が種として滅日を迎えぬように、造られたものだとは」
「ルブセィラは闇の神信仰もまた、闇の母神を守る為に古代魔術文明で作られた信仰、ではないかと言っています」
「闇の神も光の神々も、人の技術の発展を良しとはしておりません。と、なれば光の神信仰もまた、古代魔術文明に作られた信仰ではないかと。聖獣一角獣の御言葉も、もしや……」

 大神官ノルデンは苦渋に満ちた皺深い顔を上げ、俺とエクアドを見る。

「これまで信仰に身を捧げて生きて参りました。それが、この歳になって信仰が揺らぐ事態となりました。光の神々も闇の母神も、古代の人が造り上げたものではないかと。……人が滅ばぬようにという善意からでしょうが、それでは人は魔獣に食われることを、認めるということになってしまいます。カダール様とエクアド様は、これを知って、絶望されないのですか?」

 エクアドは少し考えて、大神官ノルデンに言葉を返す。

「それは、私が大神官ほどに敬虔な信徒ではないからでしょう。もちろん知ったときには驚き困惑しましたが、これまで自分の知っていた世界がひっくり返るような気分を味わいましたが……」

 エクアドは赤茶を一口飲む。アシェンドネイルの言葉を思い返しているのか、だが、知ったところで今が変わりはしない。エクアドは薄く微笑む。

「この地に産まれこの地で生きるなら、魔獣と戦うことに変わりはありません。殺されぬように抗わねば、生きてはいけませんから」

 エクアドに続けて俺も話す。俺から大神官ノルデンに言えることは、

「起源がどうであろうと、魔獣がこの世にいることは変わりません。そして食われることを認めることは、魔獣に抗い生きることを否定するものではありません。野の獣もより強き獣に食われますが、大人しく捕まったりはせず、生きる為に必死に逃げたり抗ったりします。人もまた同じではないのですか」

 そうやって盾の国で人は生きてきた。魔獣深森に魔獣がいるのは当然のこととして。だからと言って簡単に殺されてなるものかと、魔獣と戦い、今では一部の魔獣の肉を食い、魔獣の身体の部位を素材として売買し、ハンターという職もある。
 互いに命を奪い合う存在でありながら、これは既に共存している、とも言える。
 大神官ノルデンは感心したように俺とエクアドを見つめる。

「流石は誉れ高き騎士、どんな窮地からも生還する不死身の騎士と呼ばれなさるのは、その武勇だけでは無く、その志にありましたか」
「いえ、これはスピルードル王国の騎士であれば、同じようなことを言うのではないですか」

 大神官ノルデンはゼラに視線を移す。

「では、ゼラ様は何故、人を癒すのでしょうか?」
「ンー?」
「闇の母神の声を聞き、魔獣であるゼラ様が、人を治癒の魔法で救うのは、何の為にですか?」
「カダールが喜ぶから」

 ゼラは俺の両肩に手を置く。いつもの定位置と、椅子に座る俺の背後にピッタリとくっつくように。前に身を乗り出して俺の頭にポムンを乗せる。

「ゼラが治癒の魔法で人を治すと、カダールが喜ぶの。それにカダールが教えてくれたの」

 上を見上げれば、真上から見下ろすゼラの赤紫の瞳と目が合う。俺が何を教えたって?

「痛いとき、苦しいときに、優しくされたら嬉しいって」

 ゼラに手を伸ばす。ゼラは俺の手を握る。

「ゼラが治癒の魔法で皆を治したら、治した人がゼラにありがとうって言うの。そしたらね、胸の中がじわあってなって、嬉しくなるの。それでね、ゼラはゼラのこと好きって人に、何かしてあげたいの。優しいは嬉しいって、カダールが教えてくれたから」
「……お、おぉ……」
 
 ゼラの話を聞いた大神官ノルデンが椅子から立ち上がり、フラフラとゼラへと歩いてくる。目を見開いて震えている? ゼラの近くまで来て大神官ノルデンはゼラに手を伸ばす。

「ンー?」

 ゼラは俺の肩から手を離し、大神官ノルデンの震える手をそっと取ると、大神官ノルデンの目が潤む。

「……無垢なる慈愛、献身こそ喜び……、人の善き生き方を指し示すのが信仰、では何を善きというのか、何を悪しきというのか、それを知るは人の心、それを支えるのが信念と信仰……」
「ンー?」
「……その根は単純にして、明解、知っていた筈のことを、何故、今にして……」

 大神官ノルデンがゼラの手に額を押し当てる。小さく呟きながら。ゼラは小首を傾げて俺を見る。

「ゼラ、変なこと言った?」
「いや、ゼラが言ったことが大神官の憂いを晴らしたみたいだ。ゼラは俺がゼラを拾ったことを、そんな風に感じていたのか」
「ウン、あのときのこと、忘れない」

 赤紫の瞳を細めてゼラが微笑む。俺が小さなタラテクトだった頃のゼラを拾ったこと。死にかけたゼラを拾い、家に持ち帰り餌を与えたこと。
 子供心の同情、だが幼い頃は何が良くて何が悪いか、はっきりしていたようにも思う。ゼラを助けたいから助けた、ただそれだけのこと。
 そのときのことをゼラが憶えている。そのゼラが今は、優しくされることは嬉しいと、人を嬉しくしたいから優しくすると言う。あの頃の俺のしたことが、今のゼラの行動に繋がり、そして今になって俺に何が善いことかを改めて教えてくれるようだ。

 歳を経るとかつては単純に思えたことが、そうでは無いと解る。様々な人の思惑が絡む社会は大きく複雑になる。
 だがそれはまるで、簡単なものを自ら解り難くして、自分の手で自分の目を塞ぐようなものではないのか?
 ゼラの純粋さはその目隠しを払い、改めて大切な事を見せてくれる。気づかせてくれる。大神官ノルデンもこの気持ちを感じているのだろう。

「黒の聖女、ゼラ様、私はどうすれば良いのでしょうか?」
「ウン、ワカンナイ」
「そうですか、いや、そうですな。それは私が考えねばならないことでした。……我が教会は、ゼラ様を聖獣と認めましょう」

 大神官ノルデンの言葉に慌てて止めに入る。ゼラに感動するのは解るが短慮は良くない。

「大神官、中央の総聖堂と対立するおつもりか?」
「できれば避けたい事態です。ですからゼラ様を直ぐに聖獣と認定することはできません。ゼラ様を聖獣とするには、スピルードル王国の教会が中央の総聖堂から離れ、独立しなければなりませんから」
「ゼラを聖獣とするために、光の神教会を分けるのですか?」
「中央の総聖堂には、聖獣一角獣。盾の国の教会には聖獣ゼラ様を掲げ、これで釣り合いは取れるでしょう。エルアーリュ王子もスピルードル王国の教会が、中央の総聖堂の言いなりとならぬようにしておきたいのでしょう。私はそれに乗せられた、というところでしょうか。ですがスピルードル王国の信徒の為には、これが良いと思えます」

 顔を上げ、スッキリとした顔をした大神官はゼラの手を握ったまま言う。これはひとつ間違えればスピルードル王国と中央が、信仰の対立から戦争となるかもしれない事態となる。
 大神官ノルデンは憑き物が落ちたように晴れ晴れと言う。

「もちろん性急に事を進めたりはしません。スピルードル王国と中央の動静を窺いつつ、慎重に行います。私が教会の今後をどうするか、ようやく覚悟が決まりました」

 ついにゼラの存在が、教会を二分する事態の引き金となってしまった。

「直ぐに光の神教会が分裂とはなりません。総聖堂が無理を言うならば、スピルードル王国の教会は独立する、と暗に示していくとしましょう」

 それは総聖堂がゼラを寄越せと言い出したら、スピルードル王国の教会は独立して総聖堂に逆らうと脅すということか。
 大神官ノルデンは名残惜しそうにゼラから手を離し、椅子に座り直す。覚悟が決まった安心からか、明るい表情をしてクッキーをパクパクと食べ始める。

「ゼラ様はウィラーイン領でどのような暮らしをしておられますか?」
「えっとね、この前、新しいお屋敷ができたの。一階にはゼラが入れるように大きく作ってもらってね」

 ゼラと和やかに話を始める。俺とエクアドは重大な話を聞かされて、どうしたものか。大神官ノルデンはその重荷をこっちに投げて楽になり、俺とエクアドがそれを背負わされてしまったような。

「エクアド、何やら動乱の足音が聞こえてきたような気がするが」
「その一歩目に荷担したカダールが言うのか。しかしこれでゼラの聖獣認定が近づいたのか?」
「ゼラが聖獣に、それも一角獣に対する教会の御輿に乗せられる事態は、想定外だ」
「いや、これまで想定の中におさまったことがあったのか?」

 それもそうか。開き直って大神官ノルデンとゼラの会話に加わる。大神官ノルデンはゼラのことを知りたいようで、いろいろとゼラに尋ねている。話す二人はなんだか祖父と孫のようだ。

「いや、すっかり長居をしてしまいましたか」
「ではお連れの方をお呼びしましょう」
「その前に、最後にひとつお願いがあります」
「何でしょう? 大神官」

 テーブルに乗り出す大神官は、やや声を潜める。

「王都のとある商会の長なのですが、この者もその妻も実に敬虔な信徒でして、教会の慈善活動にもよく協力してくれるのです」
「はぁ、その夫婦が何か?」
「よく教会に祈りに来ますが、この夫婦、なかなかお子ができないことに悩んでおります。後継ぎの為に養子を取ることも考えていますが、妻の方ができれば自分の子を授かりたいと願っております」
「子は授かりものですから、欲しいからとできるものでは無いですからね」

 ゼラが赤ちゃん欲しいと、俺とゼラも頑張ってムニャムニャしているが、未だにゼラに妊娠の兆候は無い。
 
「その夫婦が子供が欲しいというのは解りましたが、それで大神官のお願いとどう繋がるのですか?」
「この夫婦、夫の方が歳のせいか、それとも身体の不調なのか、勃たないのです」
「は、はぁ」
「ルブセィラ先生の資料によれば、どんな男でも絶好調となる幻の秘薬、夜元気、があると」

 あの眼鏡、何を何処まで細かく書いた?

「その秘薬があれば、この夫婦も長年の願いが叶うかもしれません」
「大神官、あの薬は未だ不明の部分も多く、人体への影響がどれほどあるか」
「ですが今のところ、害は無いとのことではないですか。もちろんこの秘薬については、この夫婦にも口止めさせます。欲しがる者も多そうですが、商売にするつもりはありません。ただ、子を授かりたいと願う夫婦の望みを、手助けしてはいただけませんか?」

 真面目な顔で頼む大神官ノルデンの目を見て言う。

「大神官、その商会長は教会への寄付も多いのではないですか?」
「それは否定しません。ですが熱心な信徒の願いを叶えたいのも私の本心です。これでお子が授かれば、この夫婦もゼラ様に感謝することでしょう」

 寄付を得た上に味方をつけ、更にはゼラのファンを増やそうと? これであの夜元気が変に広まったりしてはどうなるか。最近では母上もゼラに夜元気をねだったりして、父上に飲ませているようだ。この歳で弟か妹ができるのかと不安に思ったりするのだが。

「秘薬、夜元気は一人分だけあればよいのです。どうかお譲り願えませんか?」
「その件については、ルブセィラと話し合ってから返答することで良いですか?」
「はい、よろしくお願いいたします。かの者もなかなか人に打ち明けられず、悩んでおりました」

 それはそうだろう。夜に勃たないと相談できる相手とは、少ないのではないだろうか。来たときとは違い好好爺とした顔で笑む大神官ノルデン。しっかりしているというのか、これが清濁会わせ飲む教会の大神官なのか。
 帽子を被り三人のお供を連れて音楽堂を出る大神官を見送る。

「素晴らしき一時(ひととき)でした。また王都に来られたときは、今度は聖堂においで下さい。ゼラ様に会いたいという神官も信徒も多いのです」
「ウン、大神官」

 ゼラを見上げてキュと握手する大神官とゼラ。いずれゼラが聖獣となったとき、大神官含め多くの神官と信徒がゼラを崇めるようになるのだろうか?

「チョコのケーキ、おいしかった」
「次は他のお菓子も用意しましょう」

 今は、お爺ちゃんと孫娘のような二人だが。

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登場人物紹介

ゼラ

もとは蜘蛛の魔獣タラテクト。助けてくれた騎士カダールへの想いが高まり、進化を重ねて半人半獣の魔獣アルケニーへと進化した。上半身は褐色の肌の人間の少女、下半身は漆黒の体毛の大蜘蛛。お茶で酔い、服が嫌い。妥協案として裸エプロンに。ポムンがプルン。しゅぴっ。

カダール=ウィラーイン

ウィラーイン伯爵家の一人息子。剣のカダール、ドラゴンスレイヤー、どんな窮地からでも生還する不死身の騎士、と渾名は多い。八歳のときに助けた蜘蛛の子と再会したことで運命が変わる。後に黒蜘蛛の騎士、赤毛の英雄と呼ばれる。ブランデーを好む、ムッツリ騎士。伝説のおっぱいいっぱい男。

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