第二十五話

文字数 6,787文字


 ハウルルが生きられる時間は、残り三ヶ月。実験に使われ身体を滅茶苦茶にされて、記憶も言葉も無くして、手足をもがれるような怪我をして、あと三ヶ月しか生きられない。ハウルルの過去は何も知らないし、解らないが、何故ハウルルがこんな目に会わなければならない? 理不尽だ。
 ようやく身体が治り、屈託無く笑うようになったハウルルがあと三ヶ月で、まだ子供なのに。この怒りは何処にぶつければいい?

「ひとつ、ハウルルが助かる方法があるわ」
「聞かせろ、アシェンドネイル」
「だから、私を睨まないで。私もゼラを泣かせたくは無いのよ。ハウルルを改造した研究施設ならハウルルの寿命を修正できるわ。その場所を突き止めればいいのよ。ハウルルの身体が保つ間に」
「場所が解っても古代魔術に詳しい者がいない。見つけたところでその施設を扱える魔術師がいない」
「そこは私が手を貸すわ」
「代わりにその研究者と施設の探索に手を貸せということか。やらかした後始末の手伝いを俺達にさせる為に、アシェンドネイルは大人しく協力しているというのか」
「私が目を離したところでおかしなことになってしまったわね。私が演出する舞台ならこんな無様にはしないわ。そこそこの古代魔術の産物で、いい気になって暴走する古代妄想狂が丁度良い悪役になる予定、だったのだけど」
「人を侮った結果だ。人はアシェンドネイルの思惑通りにはならん」
「そうね、人の願いと行動力、その迷走ぶりはいつも私の想定通りにはならないわね。だけど勘違いして欲しく無いのは、過去の遺跡を使って人体実験に人体改造なんてしてるのは、私じゃ無くて人なのよ」
「煽ったのはアシェンドネイルだろう」
「身に余る技術に踊らされる、人の意志の弱さは棚上げかしら?」

 ふふん、と鼻で笑うアシェンドネイル。ハウルルを改造したというのはイカれた研究者という奴であり、アシェンドネイルでは無い。ここでイラつかせようというアシェンドネイルに腹を立てても、無意味な八つ当たりか。
 アシェンドネイルの知識が無ければ、何も知らないままにハウルルが死ぬところだった。助かる見込みがあると知れたのは、彼女のおかげとも言える。

 ハウルルのことは父上、母上に話し対策を練ることにする。
 話を聞いた父上が髭を撫でて考える。

「ハウルルが人であったとは。そうなるとハウルルはもとはウィラーインの民か?」
「そこは不明です」
「フクロウに調べさせるか。子供で実験しようというなら、子供の行方不明、誘拐が増えたところがあるかどうか。そこから追えるかもしれぬ」
「それとハンターギルドに魔獣深森の深部探索、未発見の遺跡迷宮の探索を依頼しようかと」
「それならばワシがまた探索に行こうか」
「ウェアウルフがハウルルを狙うとなれば、街とこの屋敷の警戒を緩めるわけにもいきません。大規模に魔獣深森の調査をするのは、ハガクの隠密隊が来てからにした方が良いかと」

 フクロウのクチバがエルアーリュ王子に応援を依頼した。街の警戒体制を維持したまま、魔獣深森を広く探索をするには人手が足りない。それも深部を手がかり無しにだ。
 ウィラーイン領兵団はスピルードル王国でも強兵だが、魔獣深森の深部は危険だ。奥に行く程に凶悪な魔獣が増え、ここ数年、変異種の発見も増えている。魔獣深森の深部は熟練のハンターでも危ないところだ。
 隠密ハガクならば深部の探索調査に期待ができる。
 次に母上が、

「アシェンドネイルが研究者を連れて行ったという遺跡迷宮は? そこに手がかりになるものは無かったの?」
「その遺跡迷宮はアシェンドネイルが言うにはもぬけの殻だったと。おそらくはそこに他の遺跡迷宮の地図情報が隠されていたのでは無いかと」
「ふうん。アシェンドネイルはその遺跡迷宮に、地図が隠されてたのを見つけられないまま、古代妄想狂を案内してしまったのね」

 母上が聞いてくるが、母上の目が怖い。いつもの穏やかな表情で口元は薄く微笑んでいるが、目が笑って無い。瞳の奥から冷気がこぼれるような視線に、身が引き締まる。

「ウィラーインの領民の子であれば、ハウルルは私の子も同然。私のハウルルに手を出した報いを受けさせなければね。そうね……」

 母上は扇子で手のひらを叩くようにパン、パンと。母上が静かに怒っている。珍しい。

「ハンターギルドに調査依頼をして、未探索の遺跡迷宮を発見したハンターには報償金を出しましょう。私がハウルルを保護してからそろそろ一月。因定珠とかいう古代の遺産を狙うというなら、これだけの期間、放置するのが謎ね。ウェアウルフを軽く撃退したことで、警戒されているのかしら? アシェンドネイルを呼んでちょうだい。詳しい話が聞きたいわ」
「はい母上。それとハウルルの寿命の件ですが」
「……ゼラに聞かせられないわね。サレンとアステにも」
「研究者の潜む研究施設のある遺跡迷宮が見つかれば、ハウルルの寿命は治せるということです」

 ハウルルを弟のように可愛がるゼラに、ハウルルがあと三ヶ月で死ぬとは言えない。

「遺跡迷宮さえ見つけることができれば、寿命のことは話さずに済ませられます。ハウルルの寿命について知るのは、俺とエクアド、ルブセィラ、アシェンドネイル。今、話した父上と母上。この他には広めないほうが」
「そうね。サレンが耳にしたら一人でも森の奥に特攻しかねないわ。その研究者の動向が読めずに、拠点があるのも森の奥で調査もしにくいとなると厄介ね。いっそ攻めてくれば返り討ちにして、生け捕りから聞き出すこともできるのに」
「撃退から逃走するのを追うこともできます」
 
 エクアドがアシェンドネイルを連れて来た。

「私に何を聞きたいのかしら? 英雄の母?」
「アシェンドネイルが遺跡迷宮に案内したという研究者の規模ね」
「小さな集団よ。リーダーが一人、部下、というか同じ研究者が四人の計五人」
「因定珠が貴重というなら、何故、一月近く何もしてこないのかしら? 盗みに侵入してくるでも無いし」
「この街と館の警備が厳重過ぎるんじゃない? 戦力になるウェアウルフとか大量に作ってる、ということも考えられるけれど」

 アシェンドネイルが顎に指を当てて考えるような顔をする。相変わらず呪布の目隠しのせいで目が見えないので表情が解りにくい。

「可能性としては、研究者が自らを改造した、というもの。ハウルルの実験をもとにして、次は自分達の番と。ハウルルよりも丁寧に手を入れて安定させるのに時間がかかっている、これで動けない。私は研究者がその改造に取りかかり集中してる隙に、ハウルルが逃げ出して来たんじゃないかと思うわ」
「人体改造で人を越えた力を身につける、というのね。その改造には時間がかかるのかしら?」
「どれぐらい人から離れるかで変わるし、何より安定させる方に時間がかかるものよ。慣れたもとの人の身体からの変化だもの。安定作業とリハビリを丁寧にすれば一年はかかるわ」
「ふうん、とんでも無く強くしようとして人から離れる程に時間が必要と、それで研究者は動けないのかしら?」
「もうひとつの可能性として、改造の失敗。ハウルルと同じように記憶の混濁、喪失があれば、因定珠のこともハウルルのことも忘れてしまっているのかもね」
「それは何も憶えていない改造魔獣が、魔獣深森の深部で彷徨いているというの? ぞっとするわ」
「魔獣の因子を増やし過ぎて、魔獣の本能のままに暴れ出し、同僚の研究者を殺して、隠された遺跡迷宮を壊されるのが最悪のケース」

 聞いても未来が明るくなる要素が欠片も無い。イカれた研究者とはそこまでするのか? 研究以外は考えられなくなるのか? 人間を越える者になるのは、そんなに魅力的なことなのか?
 ルブセィラ女史は危ない研究者だと思っていたが、どうやらマシな方だったようだ。アルケニー調査班の女性研究者がルブセィラ女史を慕うのも、王立魔獣研究院の中ではルブセィラ女史がまともで、困ったときに頼りになるからだと聞いたし。
 アシェンドネイルが微笑む。なんだか優しげだ。

「ハウルルがいよいよ危ない、となればハウルルは私が深都に連れて行くわ。二度と会えなくなるけれど、死なせるよりはいいんじゃない?」
「ハウルルを深都に? それで助かるのか?」
「できればハウルルを改造したデータが欲しいところだけど、深都ならハウルルをもとの寿命まで生かすことは、できると思うの」
「アシェンドネイルがハウルルに優しい?」
「失礼ね。私でも可愛いものは可愛いと思うわよ。もと人間でもね。それにハウルルの身体の中にある因定珠は回収対象なのよ。今の人類が手にしてはならない技術の産物だから」

 アシェンドネイルから聞いたところ、深都では危険な古代魔術文明の遺産はこうして回収しているという。
 ここでも俺達は知らないところで守られていた。半人半獣のアシェンドネイルと深都のお姉様達に。俺が知らないままにゼラに守られていたように、人は深都の住人に危険なものから守られていたのか。

「我らが母の願いは、人が続くこと。私は我らが母の為にそれを手伝ってるだけで、人間の為では無いわ。勘違いして欲しく無いわね」
「それでも影ながら人を守ってくれていたことに感謝する。ありがとうアシェンドネイル」
「あら、私のしたことを赦してくれるのかしら?」
「それとこれとは別の話だ。フェディエアの復讐を受けることは覚悟しておくことだ」
「あの商会の娘はもっと私に突っ掛かってくるかと思ってたのに大人しいわね」

 エクアドが腕を組み溜め息を吐く。

「アシェンドネイル。フェディエアを挑発するのはやめろ」
「エクアド、フェディエアの様子はどうだ?」
「屋敷から離す為に街の警備に回ってもらっているが、イライラしてる」
「アシェンドネイルの情報が必要と解っていても、納得できることでは無いか」
「フェディエアは芯の強い女だ。隊員シグルビーがフォローしているし、俺も見ておくから心配はいらん」

 ハガクの隠密隊が到着次第、すぐに調査部隊を出せるように準備を進める。ハウルルの寿命を知ってしまうと、待つ為に流れる時間がもどかしい。
 ハウルルの為に俺は何ができるのか。
 これを我慢することがハウルルの為になるのだろうか。

「カダール、ごめんね」
「いや、ゼラが謝ることじゃ無い」

 倉庫の中、俺とゼラの寝床。ベッドは無く布団とクッションを重ねてゼラが寝心地良くなる高さに積み上げたもの。
 そこでゼラとハウルルと母上が並んで横になっている。ゼラと母上でハウルルを挟むように。

「こういうのもいいわね。カダール、一晩くらい、いいでしょう?」
「母上がそれで良ければ」

 ハウルルが寝つけずに泣き出したという。医療メイドのアステとアシェンドネイルが調べたところ、身体に異常は無い。
 アシェンドネイルいわく、人体改造の後、精神が不安定になることもあるという。その為に安定作業も必要だが、実験に使われたハウルルはその部分が手抜きされているという。
 母上とゼラに挟まれたハウルルは、大人しく横になり、目蓋が眠そうに重くなっている。
 ハウルルの手がゼラの胸にあり、モニュモニュしてる。どうやらこれで落ち着いたらしい。それで落ち着く、という気持ちは良く解る。解ってしまうのだが。ハウルルが人語を話せるようになれば、ゼラのおっぱいについて語り合うことができるかもしれない。
 母上がハウルルの鋏と尻尾の針に袋を被せてリボンで結ぶ。ハウルル専用のナイトキャップで、母上は今夜は倉庫で寝るつもりのようだ。

「ゼラはすっかりハウルルのお姉さんだ」
「ンー、ハハウエのお話聞いてると、ハウルルがちっちゃいカダールみたいに思えてきて」
「それならハウルルと母上を頼む。おやすみ、ゼラ」
「カダールは?」
「夜警の様子を見てくる。母上、おやすみなさい」
「侵入者が来たらすぐに起こしなさいね」

 こういう日もある、か。ゼラと母上のおやすみなさいの声を聞き、倉庫の外に出る。すると、とぐろを巻いていたアシェンドネイルが起きてついて来た。

「寝ないのか? アシェンドネイル」
「ちょっと外の空気をね。今晩はブランデーを飲み過ぎたわ」
「だったら腰を隠してくれ」
「解ったわよ」

 丈の短い巻きスカートを腰に引っ掛けたアシェンドネイルと並んで庭に出る。今宵は月が出ていない。星の見える夜空の下、屋敷の庭にはゼラの出した魔法の明かりがあちこちに灯り、夜でも明るい。

「……これじゃ侵入者も入れないわね」
「誘うには警備に隙を作った方が良かったか?」
「どうかしら? ハウルルが来てから一ヶ月。と、なると相手が来るのは期待できないかしら?」
「研究施設で何か異変が起こり、それでハウルルが逃げ出して来たことも考えられるか」
「情報が少なくて何とも言えないところね」

 アシェンドネイルもここの生活に慣れたのか、少し刺々しさが消えてきたような気がする。たまに片手で額を押さえてブツブツと独り言を喋ってるのは気になるが。

「ねぇ、赤毛の英雄」
「なんだ?」
「ここは、どうしてこうものんきなのよ?」
「のんき、か? ウィラーイン領の民はお人好しと呼ばれることはあるが、魔獣深森に警戒する土地なので他所から言われるほど、のんきでは無いと思うのだが」
「半人半獣と一緒に暮らして、夜も一緒に寝るのが赤毛の英雄だけじゃないなんて。のんき過ぎか危機意識が麻痺してるとしか思えないわ」
「アシェンドネイルは俺達がゼラとハウルルと仲良くしてるのが、おかしく見えるのか?」
「まさか、これをおかしく無いとでも言うつもり?」
「これまでには無かったことではあるか。珍しくはあるが、言葉が通じて敵意が無ければ、一緒にいられるだろう」
「ハウルルとは言葉も通じ無いじゃない」
「だが、ハウルルはこちらの言ってることは解ってるようだ」
「そういう問題じゃ無いのだけど」
「では、どういう問題だ? 俺達が魔獣相手に戦い続けることで、鍛えられて剛胆になったのか?」
「それもあるのかしら? 正直に言うと、ここの人達を見てると、胸がモヤモヤとして落ち着かない気分になるわ」

 アシェンドネイルは星を見上げる。白い肌が今は少し赤くなっている。

「それで今晩はやたらと酒を飲んでたのか?」
「あのブランデー、美味しくて呑みやすいわね」
「あれは母上が改良した蒸留器の新作だ」
「いろいろやってるのね、英雄の母は」

 星空を見上げて酔った息をふう、と吐くアシェンドネイル。魔法の明かりの照らす夜、闇に浮くような白い肌が酒精で火照るラミア。呪布の黒いベルトで目と胸を隠した姿は、下半身が黒い大蛇であることも含めて、

「異形であっても美しいものだ。だからこそ幻想的でもあるか」
「私を口説いてどうするつもり?」
「そんなつもりは無いのだが」
「そんなことを言ってゼラをたらし込んだのね」
「たらし込むとか、口説くとか、俺には苦手な分野だ。それにゼラは美しいが、どちらかと言うと可愛い、だ」
「可愛い? ……まったく、赤毛の英雄は何処から来たのよ? ほんとに絵本の中から出て来たんじゃないの?」
「俺から見れば、アシェンドネイルの方がお伽噺から出て来たように見えるのだが? 伝承の進化する魔獣だろうに」

 アシェンドネイルが俺を見下ろす。黒い蛇体は太く、アシェンドネイルが楽に立つ? と背は高い。ゼラと同じくらいの高さに頭があり、見上げることになる。

「お互いに夢見た者が出会ってしまったのかしらね」

 夢、か。どうなのだろう? 俺は目の前に起きることに対処するので精一杯だが。
 下半身蜘蛛の少女と恋仲になった騎士というのは、端から聞けば夢物語か。
 ゼラもクインも人に惹かれて、半人半獣の姿へと進化したという。それならばこのアシェンドネイルは? かつて何があってラミアとなった?
 今、アシェンドネイルは俺を見下ろして、俺に重ねて何を見ている? 目隠しをしたアシェンドネイルの姿は、闇の母神の石像に似ている。
 呪布に隠された瞳は見えない。唇が動くが、声が小さくて聞こえない。
 アシェンドネイルが身を屈めて顔を近づけてくる。その口が開き何か呟こうとした時。

 カン、カン、カン、カン、と鐘の音が聞こえて来た。

「夜襲か?」

 屋敷のアルケニー監視部隊がざわりとする。フクロウのクチバが外から駆け込んで来る。

「街にウェアウルフが現れました!」


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登場人物紹介

ゼラ

もとは蜘蛛の魔獣タラテクト。助けてくれた騎士カダールへの想いが高まり、進化を重ねて半人半獣の魔獣アルケニーへと進化した。上半身は褐色の肌の人間の少女、下半身は漆黒の体毛の大蜘蛛。お茶で酔い、服が嫌い。妥協案として裸エプロンに。ポムンがプルン。しゅぴっ。

カダール=ウィラーイン

ウィラーイン伯爵家の一人息子。剣のカダール、ドラゴンスレイヤー、どんな窮地からでも生還する不死身の騎士、と渾名は多い。八歳のときに助けた蜘蛛の子と再会したことで運命が変わる。後に黒蜘蛛の騎士、赤毛の英雄と呼ばれる。ブランデーを好む、ムッツリ騎士。伝説のおっぱいいっぱい男。

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