第三十三話

文字数 5,234文字


 深都の住人、業の者。俺達はクインとアシェンドネイルしか知らないが、ゼラの姉を名乗るこの二人はゼラと同じ、伝承の進化する魔獣だ。
 ゼラは灰龍をやっつけて食べたが、クインもまた黒龍を倒して食ったという。深都の住人とはゼラと匹敵する、もしくはゼラ以上の人知の及ばぬ存在。
 生きた災厄と呼ばれた灰龍、黒龍すら食らう、まさにドラゴンを越える災厄(オーバードドラゴン)
 深都とは、このクインがお姉様と呼ぶような、人を遥かに越えた存在が住むという謎の都。
 そんな深都の住人が、深都を抜け出した? ローグシーに向かっている? 目眩がしそうだ。

「詳しく説明してくれるんだろうな? クイン?」
「深都のことは人にあまり話せないんだけど」
「その抜け出したという深都の住人の目的は? 数は?」
「人数は五人で、説明すると、ええとだな、まずカダールとゼラが特別な存在なんだ」
「俺と、ゼラが?」
「アシェがお姉様に話したんだ、二人のことを。で、ゼラのように人と一緒に暮らすどころか、人が街ぐるみで受け入れているなんてのは、深都の歴史で見ても初めてなんだ」
「そうなのか?」

 ゼラと目を合わせる。ゼラは小首を傾げてキョトンとしている。ゼラと一緒になって、今ではゼラが近くにいるのがすっかり当たり前になってきた。
 エクアドがクインに話す。

「これまでに無いことというのは解るが、それで何故、深都の住人がローグシーに来る? 珍しいから、ゼラが砦建設を手伝い職人と仲良くしてるところでも見たいのか?」

 休憩時間に一緒におやつを食べながらお喋りすることもある。母上が続けて、

「ゼラが孤児院に訪問して、子供達と遊ぶところでも見てみたいのかしら?」
「ふむ、ゼラは人気で、ゼラが帰ろうとすると子供がしがみついて離れなかったりするの。人とゼラの有り様に興味があるのかの?」

 蜘蛛の姫様、帰っちゃやだー、と泣き出した子供に困らされたこともある。父上の話を聞いたクインが、片手で額を押さえる。

「そんなこともしてるのか? おかしいだろ、この街……」
「いや、おかしいとか言われても今更なんだが」
「とにかく、カダールとゼラの二人がこれまでに有り得なかったものな訳だ。それで深都のお姉様達は、カダールとゼラに注目している。そして中には、カダールとゼラの住むところを直接見たいというのがいて」
「それが深都を抜け出したのか。そしてこのローグシーの街に向かっている、と」
「そうだ。で、一番速いあたいがそれをこうして報せに来た。深都からここまでは遠いから、まだ辿り着いてはいないはずだ。もちろん捜索して人類領域に出る前に捕まえて連れ戻す」
「ゼラが珍しいというのは解るが、それを見たいだけで深都の住人が来るとは」
「珍しいのはゼラじゃ無くてお前だよ、カダール」
「俺が?」
「お前とゼラがどんな風にイチャイチャしてたかを、お姉様達が知ってしまって、それで何その人間?とカダールに夢中になってしまった」

 いや、珍しいのかもしれないが、それをまるで俺のせいのように言われても困る。それに、俺とゼラがイチャイチャして何が悪い。
 母上が閉じた扇子を顎に当ててクインに訊ねる。

「その抜け出した深都の住人は、危険なのかしら? アシェは人に何か思うこともあったみたいだけど」
「抜け出した五人は、まー、比較的マシな方か。ホントにヤバイのは深都から出られないようにしてるし」
「こうしてクインが話に来た、ということは、その五人がローグシーに辿り着く可能性がある、ということね」
「そうしないようにするつもりで、これは念の為ってことで」
「深都からここまでは遠いのかしら?」
「近かったらこれまでに、深都が人間に見つかってしまってるだろ」
「それだけ遠いとなると、抜け出した五人が途中で道を間違えて、どこか別の人の住む村とか町とかに現れたりするのかしら?」
「それは、そうならないように今も捜索中で」
「まだ見つかってないんでしょ?」

 クインは母上から目を逸らして赤茶に口をつける。これは、道に迷った深都の住人が魔獣深森に近い人の住むところに、ひょっこり現れるかもしれないのか? そこで騒動が起きればどうなる? 出会った人間が対応を間違えたりしたら? それで深都の住人が暴れだしたりしたら、人間では止められん。どうにかできるのはゼラしかいない。
 それが、いつ何処で起きるか解らないと? 未曾有の危機の気配がする。
 クインは言い訳でもするように言う。

「抜け出した五人は、人化の魔法も使えるし、人を滅ぼそうとかいう奴らじゃないし、人の住むところに出ても騒ぎは起こさない、んじゃないかな、と思う」
「そいつらは人化の魔法で人に化けられる、と。その姿は人に化けたクインやアシェンドネイルのような、女の姿か?」

 エクアドの質問に、そうだと頷くクイン。エクアドが俯く。

「つまり、人間のことをよく知らない、人間慣れしていない、見た目は妙齢の美女が、好奇心であちこち彷徨くと? 騒動が起きる予感しかしない」
「だから、この話は念の為で、そうならないように皆で探してるところで」
「五人だけか? カダール見たさにこれからも深都を抜け出す者が増えたりはしないのか?」
「今回のことで深都は警戒して、見張りを厳重にすることになったし」

 それは警戒して厳重にしなければ、今後は他にもそういう輩が出るかもしれないということか? なんだこの事態。そんなに俺とゼラがイチャつくところを見たいのか? 
 ひとつ疑問を感じたのでクインに聞いてみる。

「クインにアシェンドネイルは深都を抜け出したことにはならないのか?」
「深都の外で活動するのも必要なんだよ。そういう役目があたいにアシェと、他にもいる」
「では、抜け出した、と言うからにはその五人は外回りの役目につくのに、何か問題がある人物、なんじゃないのか?」
「……変なとこで鋭いな、この……」

 深都の中でも何か問題があるような者が、五人も、このローグシーの街に向かっている。なんだこの異常事態は。

「父上、これはどう対処すべきでしょうか?」
「どうにもこうにも、これは人の力の及ぶ相手では無い。ふむ、クインよ。深都というのはどのように治められている都かの?」
「いや、深都のことは、人には教えられないことが多くて」
「ふむ、それも解る。しかしの、こういうことがあればワシから深都の代表に伝えたいこともあるからの。深都とは王が治めるような国か? それとも議会制で治めておるところか?」
「伝えたいこと? ええとだな、これは言ってもいいのかな、深都は年長の十二人が仕切ってるんだ。深都では十二姉、って呼んでるんだけど」
「ではその十二姉に伝えて欲しい。深都より外交官役をこのローグシーの街に派遣してもらいたい」
「……は?」

 ポカンとするクイン。父上はニヤリと笑い、母上は、それはいいわね、と扇子を開いてクルリと回す。クインは驚いたまま口にする。

「えっと、深都から、外交官?」
「そうしてもらわんと困る。ワシらでは深都の住人をどうにかできるとは思えんし。抜け出した五人の目的地はここであろう? ならばここで待ち構えるのが、捕まえるのに都合もよかろう。そしてワシらは深都の住人から目は離せぬし、その外交官役はこの館で暮らしてもらうか」
「は? この館に、お姉様を一人住まわせるって? 何言ってるのか解ってるのか?」
「この館に居れば、ワシらが調べた情報も伝えられる。深都側はこれで家出した娘を見つけやすくなるし、ワシらは家出した娘がこの地で悪さする前に、家族に引き取ってもらえる。両方にとって都合が良かろう」
「えっと、そうなる、のか?」
「この話、深都の十二姉に伝えて検討して貰いたい。よいかのクイン?」
「あ、あぁ、解った、伝えておく。深都の不始末で迷惑はかけないようにするけど、深都のことについては他言無用にして欲しい」
「こんな話は広めることもできん」
「じゃ、その外交官役か? それはお姉様に伝えておく」

 これで用が済んだ、と立ち上がるクインを母上が止める。

「待ちなさいクイン、もう帰るの?」
「用が終わったら長居はしねえよ。あたいがいるのも迷惑だろ」
「遥か遠いという深都から長旅してきたのなら、少しは寛いでいきなさい。まずは我が館自慢のお風呂で旅の疲れを落としなさいな。ゼラ、お風呂のお湯をお願い」
「ウン、ハハウエ、クインとお風呂ー」

 ゼラが左手と左前脚をしゅぴっと上げて、振り返って大浴場へと走っていく。戸惑うクインに父上が言う。

「風呂の後は食事にするとして、クインはゼラと同じ生肉でいいのかの?」
「え? あぁ、うん、できれば」
「炒り豆が好みと聞いておるし用意させよう。この館で一晩休んでいくといい」
「いや、あの、」
「寝室はゼラと同じで良いか? 酒もいける口と聞いておるから、今宵は付き合ってもらうとするか。グラフト、サレン、宴の準備を」

 父上は立ち上がり、うきうきした感じで去っていく。酒蔵に今宵の酒を選びに行ったようだ。入れ替わるように部屋の中にルブセィラ女史が入ってくる。走って来たのか息がハァハァと荒い。その手にはタオルとお風呂セットがある。どうやらクインと混浴するために取りに行っていたらしい。
 唖然としているクイン。エクアドがコホンと咳払いする。

「クインに言っておくことがある」
「なんだ?」
「前に会ったときはクインを口説くようなことを言ったが、今の俺は結婚していてな」
「あ、そうなのか? いつの間に?」
「だがクインとはこれからも呑み友達として、仲良くできないかと思っている。妻のフェディエアとも話をしてみてくれないか?」
「呑み友達って、お前なー」

 何か疲れた声を出すクインに俺からも、

「エクアドとフェディエアには、この前子供が産まれたばかりだ。可愛いぞ、クインも見てみないか?」
「カダール、それはいいな。二階にいるから呼んでこよう」

 クインが慌てた声を出す。

「おいやめろ。赤んぼがあたいを見たら泣き出すだろ」
「大丈夫だろう。ゼラを見て泣いたりしないし、ゼラが抱っこしても喜んでいるようだし。なぁエクアド」
「あぁ、最近じゃフェディエアが抱いてゼラの蜘蛛の背に乗って散歩したりしてるし」

 あの甥は大物になるのではないだろうか。俺とエクアドの言葉を聞いて、ゆっくりと両手で頭を抱えるクイン。

「……なんだか、あたいの知ってる常識と人間像が、バキバキと壊れてく気がするんだけど?」

 クインは頼れる姉御という感じだと思っていたが、けっこう繊細なのか? 向こうで母上とルブセィラ女史が盛り上がっている。

「外交官としてローグシーに来る深都の住人はどんな娘なのかしら?」
「えぇ、実に楽しみですねルミリア様。アシェンドネイルは下半身は黒い大蛇、クインは美しい緑の羽のグリフォン。次はいったいどんな姿を見せてくれるのか、胸の高鳴りが止まりません」
「狼とか、熊とか? ゼラのようなタイプだったら、カブトムシとかカマキリとかもいるのかしら? それにゼラの姉とはいったい何人いるのかしら? 夢が広がるわ」
「伝承に残る半人半獣が、実は迷い出た深都の住人であるなら、ふふふ、これは王立魔獣研究院にも秘密にしなければ。そんな存在を見て触れて、一緒にお風呂に入れるなんて、うふふふふ」

 実に楽しそうな二人に反比例するように、クインがクラリと傾いていく。

「……なんだ、こいつら」

 言ってパタリとテーブルに突っ伏した。深都の異常事態に、それを急いでウィラーイン家に伝えなければと、クインは心労と長旅で疲れているのかもしれない。労ってやらねば。

 クインは裸を見られるのは恥ずかしがるので、風呂の方は母上達に任せるとして。
 新鮮な生肉の追加を仕入れるのは隊員に頼むか。そしてゼラの寝室に布団とクッションを運ばねば。
 クインには我が館で少し休んでもらい、ついでに酒宴で深都のことを少し聞き出してみよう。父上も母上も楽しみながらも、こういうところは抜かりなく外さない。

 それにしても、深都を脱走、いや家出?をした深都の住人とは。ゼラの姉ということだが、今頃は魔獣深森の中をローグシー目指して移動中なのだろうか。他の土地に出るよりは迷わずローグシーに来た方が、騒動としてはマシだろうか? 会話が通じるのであれば灰龍と違い、どうにかなるのではないか。

「さぁ、クイン、お風呂に行きましょう」
「おい、本気か? 一緒に入るのか?」

 クインの手を取り母上が強引に引っ張っていく。その後をルブセィラ女史が背中を押すようについていく。


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登場人物紹介

ゼラ

もとは蜘蛛の魔獣タラテクト。助けてくれた騎士カダールへの想いが高まり、進化を重ねて半人半獣の魔獣アルケニーへと進化した。上半身は褐色の肌の人間の少女、下半身は漆黒の体毛の大蜘蛛。お茶で酔い、服が嫌い。妥協案として裸エプロンに。ポムンがプルン。しゅぴっ。

カダール=ウィラーイン

ウィラーイン伯爵家の一人息子。剣のカダール、ドラゴンスレイヤー、どんな窮地からでも生還する不死身の騎士、と渾名は多い。八歳のときに助けた蜘蛛の子と再会したことで運命が変わる。後に黒蜘蛛の騎士、赤毛の英雄と呼ばれる。ブランデーを好む、ムッツリ騎士。伝説のおっぱいいっぱい男。

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