第四話
文字数 5,309文字
倉庫の中で夕食。ゼラの魔法の明かりに照らされた中で、ゼラと俺、エクアド、アルケニー監視部隊の隊員二人と食事をしながら話をする。
「ゼラ嬢に逃げに徹されると捕まえるのは難しいですね」
「ンー、でも何回も脚にロープかけられたよ?」
「一人二人ならゼラちゃん、引きずって行っちゃうじゃない」
隊員にもゼラの食事に慣れてもらうため、最近は隊員が交代でゼラと一緒に食事をとることにしている。ゼラが生の肉を食べるところを監視窓から見て、大丈夫そうなのが志願する形で。ゼラもお喋りしながら賑やかに食べるのが好きだし、隊員もまたこういう機会を喜んでいる。
そして食事どきの何気無い会話というのが、ゼラが人の事を学ぶのに良いらしい。
「うわきって、何?」
「本気じゃない遊びの恋のことを、浮わついた気まぐれの浮気って言うのよ」
いや、そういうのは教えなくてもいいんじゃないか? まだ、早いんじゃないか?
「男って浮気したりするものだから」
「いや待て、俺はそんなことしないぞ?」
女隊員の言うことに俺は反論する。男、女、関係無く浮気する者はいるだろうし、男だからって俺が浮気すると、ゼラに思われては困る。
ゼラは猪の生肉をもぐもぐしながら、
「浮気するのって、なんでなの?」
「理由はいろいろあると思うけど、極上の甘いケーキも毎日食べると飽きちゃって、たまにしょっぱいものが食べたくなるようなもの?」
「飽きられる、の? うぅ、」
ゼラの目尻が下がる。しょぼんとする。いやいや、待て待て、ちょっと待て。
「ゼラ、俺はゼラ一筋だからそんなに心配しなくていい」
「ンー、カダール、ほんとに?」
「ほんとだ。ゼラが極上の甘いケーキなら、毎日食べても飽きないし、それで言うと俺は他のお菓子の味は知らないぞ」
「ゼラ、アルケニーだから、カダールのツガイって、本当は人の方がいいのかもって、怖くなるときがあるの」
エクアドがジロリと女隊員を睨む。
「ゼラを不安がらせてどうする。それに相手はカダールだぞ」
「ゼラちゃん一途のカダール副隊長が他の女に手を出すとは思えないけど。でも副隊長を狙う女はいるわけだし」
「それは色恋というより、カダールを取り込んでゼラを手にいれようって輩のことか?」
女仕掛けで俺を落とすつもりか? 俺がウィラーイン伯爵の息子、ということで縁を作ろうという話は昔からあったりもするが。
エクアドがチラと俺を見る。
「カダールが女相手に奥手で無ければ、俺達の疑惑も簡単に晴れているんだが」
「エクアド、そのためだけに俺に女遊びを勧めるなよ。俺はつまらんことでウィラーイン領を危機に沈めたく無い」
もう一人の隊員、少年騎士が口を挟む。
「ゼラ嬢を安心させるためにも、副隊長とゼラ嬢が分かれて行動するときは、僕達でどうにかしましょう」
「どうにかって、どうするんだ?」
「副隊長の行動を監視して、後でゼラ嬢に報告するんです」
「それでゼラが安心できるなら、俺はそれでいいが」
ゼラが不安そうに俺を見る。
「カダールは優しくてカッコいいから、人気あるよね?」
いや、そうでも無いだろう。
「副隊長は黙って立ってれば厳しい感じのイイ男だけど」
「カダール先輩は無双伯爵の剣技を受け継ぐ剣のカダール様と武名も高いですし、有名ですから。『剣雷と槍風と』のモデルとも知られて、女性ファンは多いですよね」
「おい、ゼラが不安になるようなことは言わなくていいから」
「ふうぅ、カダールぅ」
しょんぼりするゼラに声をかける前に、女隊員が口を挟む。
「安心してゼラちゃん。私達が副隊長に近づく女を遠ざけるから」
「ンー、でも、カダールも人の付き合いとか、お茶会とか、あるんでしょ?」
「そんなの関係無いわよ。副隊長が怪しいことしてたら、すぐにゼラちゃんに教えるからね」
「ウン、ありがと」
俺は何だと思われているのか。これでゼラの不安が無くなるならいいのだが。
「うーむ、これまでそんな色恋沙汰に巻き込まれたことは無いから、どうすればいいのか?」
「カダールはいつも通りでいいだろう」
「エクアド、ゼラが側にいないときに、寄ってくる女に気をつければいいのか?」
「難しくないか? カダールはどうしたって目立つし」
「王都でも俺とエクアドが並べば人が集まってきたか」
「ローグシーの街でも同じか。だが、ゼラもカダールが街の皆にカッコいいと言われるのは嬉しいだろう?」
「ウン、カダールは世界一ステキなの」
ゼラがニコリと言うことに、女隊員もつられて微笑む。ゼラに世界一と誉められるのは嬉しいが、
「いや、世界一は言い過ぎだと俺も思うが。世界一ステキなのはゼラの方だ」
「ゼラ、カダールの浮気なんぞ、心配する必要は無いぞ」
「ンー?」
エクアドも女隊員も口から砂でも吐きそうな顔をする。何でだ。少年騎士は納得するように頷いている。どういうことだ。
食後のお茶を飲み、少しお喋りしてから女隊員と少年騎士が倉庫を出る。俺は二人を見送りに扉に行く。
女隊員が先に倉庫を離れた後、少年騎士レクトと俺は素早く回りを確認する。倉庫の中ではゼラとエクアドが話をしていて、今は俺達の近くには誰もいない。
よし好機だ。小声で少年騎士に話しかける。
「レクト、新しい情報はあるか?」
「はい、カダール先輩」
少年騎士レクトが顔を寄せて小声で囁く。
「これは僕が行きつけの娼館で聞いたのですが」
「うむ」
「耳元で可愛いよ、と甘く囁いて耳をカプッとされるのが好きだと、娼館の彼女は言ってました」
「甘く囁いて耳をカプッと、か。なるほど」
ゼラ以外に女を知らない俺は、そっちの経験がまるで無い。どうすればゼラを満足させられるのか、と悩む。こういった知識は聞くのもこっ恥ずかしい。俺がその手の相談ができるのはエクアドだけだ。
この少年騎士レクトはかつての一件以来、娼館によく行くようになった。そっち方面の経験と技術を着々と身に付けているらしい。
「すまないな、こういうことを聞ける相手が俺には少なくて」
「黒蜘蛛の騎士のイメージも守らないといけませんからね」
「また何か新しいことが解ったら教えて欲しい」
「任せて下さい。僕にもカダール先輩に教えることがある、というのはなんだか嬉しいです」
男同士の秘密の会談を終え、少年騎士レクトと拳をそっと合わせる。互いの健闘を祈り、倉庫を出る彼を見送る。なるほど、耳を攻めるのか、やってみたことはあるが囁くのか。次はゼラに可愛いよ、と囁き、あの先がちょっと尖った耳をカプカプしてみよう。
倉庫の中に戻るとエクアドがブランデーの栓を開ける。
「レクトと何の話を?」
「男の悩み相談、だろうか」
「レクトの悩みは俺には少し解り難いか。カダールの方が相談相手にいいのか?」
「どうかな? レクトは雷系の魔術の素質もあり、剣技の覚えもいい。優秀と呼ばれそちらの教育ばかり受けたことが不安だとレクトは言っていた。小手先の技術ばかり憶えて、人として大事なことを学ばずにきたのかもしれない、それが心配だ、とも」
レクトは家族からも期待され英才教育を受けていたという。王都の騎士訓練校に入るまで、同年代の友人がいなかったと本人から聞いた。随分と片寄った環境にいたらしい。
「悪い遊びをせずにいた真面目なエリートだからこそ、今になって娼館通いに嵌まる、か」
「度を越すようなら注意が必要だが、レクトにとって良い経験であればいいのだが」
「騎士訓練校と貴族以外の人物との交流には、悪くは無いのかもしれんな」
ゼラにお茶を淹れる。エルアーリュ王子がゼラに贈った高級品。ゼラにとってお茶は俺達の酒精に近い。ゼラが泥酔するのにだけ気をつければいい。
エルアーリュ王子とルブセィラ女史がゼラに茶葉を贈り、ゼラ一人では飲みきれない程に茶葉がある。それを分けてもらい、俺達もお茶を飲む回数が増えた。
この倉庫で俺とゼラとエクアドで、こうしてたまに酒宴をする。俺とエクアドはブランデーにゼラが魔法で作った氷を入れて。ゼラにはブランデーを少し垂らした赤茶で。
グラスとカップをカチンと合わせて酒を飲む。エクアドが思い出したように、
「それでゼラの孤児院への訪問だが」
「日にちが決まったのか?」
「向こうはいつでも歓迎と言っているが、訓練場の視察の次の日でいいか?」
「他に予定は無いから、いいんじゃないか」
今のところアルケニー監視部隊に特別な指示は無い。古代妄想狂、レグジートの一味が未だ行方知れずであり、また何かやらかすのではないかと待機している。これが無ければエルアーリュ王子が一度、王都に来いと言っている。
しかし、今は暇にしてるとハウルルの件でゼラは暗くなりがちだ。何かしている方が気が紛れるだろうと、エクアドが予定を立ててくれる。
エクアドが机の上の日程表に指を指して。
「と、なるとカダールとゼラは、この日から四日はムニャムニャは無しで」
「そ、そうだな、ゼラが魔力枯渇にならないようにして」
「ゼラ、悪いが我慢してもらえるか?」
「ウン、いいよ。孤児院で、可愛い子供がいっぱいいるとこで、一緒に遊ぶんだよね?」
「前の遠征でやったのと同じだ。ただ、子供は怪我をしやすいから、そこだけ気をつけて欲しい」
ゼラは指でチーズを摘まみながら赤茶のカップに口をつける。お茶を飲むゼラはちょっと大人びて色っぽい。
「ゼラのこと最初は怖がる子も、ゼラに一回触ると、目をキラキラさせて、可愛いの」
「母上の絵本効果があるとはいえ、子供の方がゼラを受け入れやすいのはなんだろうか」
「言われてみれば、虫や蛙、トカゲを怖がるのも子供より大人の方が多い気がする」
「未知に対する興味が子供の方が強いということか?」
「大人になると守りに入るのかもしれんな」
人のことを解ってきたゼラも、まだまだ知らないことが多い。そのゼラに訊ねられて改めてそれは何でだろう? と考えたりする。服を着る、なんていう当たり前のことにも疑問を感じて考える機会があるのは、ゼラのおかげだ。
エクアドがブランデーのグラスを傾ける。
「人は子を育てて一人前、とかいう話も、ゼラの側にいると解る気がする」
「そうだな、ゼラに人の事を教えるとき、自分が胸を張って教えられるだけの知識と知恵があるかを試される」
ゼラにとっては俺が人の代表でもある。ならば俺が人として恥ずかしく無い振るまいをゼラに見せなければならない。これは子供の手本となる親のようなものか。
……既にいろいろと、やらかしてしまった気もするが。大丈夫だろうか。酒を飲みつつ考える。
「気取らない自然体が民の尊敬を受ける父上には、俺はまだ遠いか」
「素の言動で人の信を集める男が何を言う」
「そうなのか?」
「偉そうに振るまう者ほど嫌われる。本当に偉い者はそこが解っている、か」
「さんざんエライ事をしでかしてしまった気がするのだが」
「そこがカダールのいいところだろう。ゼラはどう思う?」
「ンー?」
ゼラが眉間に皺を寄せる。む?
「ゼラ、このナッツを食べたのか?」
「ウー、まじゅい」
ゼラが顔をしかめる。俺とエクアドがツマミにしていたナッツをゼラも口にしたらしい。
「ゼラは木の実に野菜は不味いんだろ? ほら、ぺ、して」
「ぺー」
ゼラが口に入れた、噛んで砕けたナッツを俺の手に出させる。
「不味いって解ってるのに、なんで食べるんだ?」
「だって、カダール、美味しそうに食べてる。同じの食べたい」
「それは無理しなくていいから」
生の肉を好むゼラと俺達では美味しいと感じる味覚も違う。それでも同じ食卓を囲めるし、こうして酒宴もできる。食べ物の好みが違う程度はたいしたことでは無い。
細かな事を煩く言う者とは、自分と違う者を認めない器の小さい者なのだろうか。まぁ、口にした物を出すのはマナーとして良くは無いか。だが、その程度のことだ。
ゼラが口から出したナッツを、捨てるのも勿体無いので俺が食べる。
「おい、カダール、大丈夫か?」
「ゼラの元気薬か? それはゼラがムニャムニャ気分になったときに出るものだから、大丈夫だ」
ゼラの唾液の味がするが、あの元気成分が入るとこれよりちょっと甘い。何度も口にして違いが少し分かってきた。
俺がポリポリとナッツをかじるのを、ゼラは嬉しそうに見る。そしてまたナッツの皿に伸ばすゼラの手を俺が止める。
「……数年は浮気の心配などいらんのだろうな」
「エクアド、どういう意味だ?」
「この倉庫に大きな鏡でも入れたら、解るんじゃないか?」
大きな鏡? 今の俺は指でつまんだチーズをゼラにアーン、と食べさせている。
いや、公共の場では俺もゼラもちゃんとするから、この倉庫の中ぐらいはいいじゃないか。